21章
「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」
パウロは熱心に宣教を続け,長老たちにアドバイスした
1-3. (ア)ユテコはどんなことがあって亡くなりましたか。(イ)パウロはどうしましたか。この出来事からパウロについてどんなことが分かりますか。
パウロがいるトロアスの階上の部屋は,人でいっぱいです。兄弟たちと過ごす最後の晩なので,パウロの話は長くなり,もう真夜中になりました。かなりの数のランプがともされ,部屋は暖かくなっています。空気がよどんでいる感じもします。窓の所にユテコという若者が座っています。パウロの話の間にユテコは眠り込み,3階の窓から落ちてしまいました。
2 医者のルカは,真っ先に外に出て,ユテコのそばに駆け寄ったはずです。残念なことに,もう手の施しようがありません。「抱き起こしてみると,死んで」いました。(使徒 20:9)でも,奇跡が起きます。パウロがユテコの上にかがみ込んでから,みんなに向かって言います。「騒ぐのはやめなさい。生きています」。パウロはユテコを生き返らせました。(使徒 20:10)
3 神の聖なる力のすごさが分かる出来事でした。ユテコが死んだのはパウロのせいではありませんでした。でもパウロは,兄弟たちとの最後のひとときが悲しい思い出になってほしくありません。ユテコが死んだことでみんなの信仰が揺らぐことになってほしくもありません。それで,ユテコを生き返らせることで,宣教を続けられるようみんなを元気づけました。パウロは一人一人の命について責任を感じていました。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」というパウロの言葉にも,そのことが表れています。(使徒 20:26)私たちも同じ見方ができるよう,パウロから学びましょう。
「マケドニアへ旅立った」(使徒 20:1,2)
4. パウロはエフェソスでどんな怖い思いをしましたか。
4 前の章で見たように,パウロはエフェソスで怖い思いをしました。パウロの宣教が人々の反感を買い,騒動になりました。アルテミスの像を作る銀細工人たちが暴動を起こしたのです。「騒動が収まった後,パウロは弟子たちを呼び寄せて励まし,別れを告げてから,マケドニアへ旅立」ちました。(使徒 20:1)
5,6. (ア)パウロはマケドニアにどれくらいいたと考えられますか。そこで何をしましたか。(イ)パウロはいつもどんな姿勢で兄弟たちに接しましたか。
5 マケドニア地方へ行く途中,パウロは港町トロアスに立ち寄ります。コリントに遣わしていたテトスが合流するのを,そこで待つことにしました。(コリ二 2:12,13)でも,テトスはやって来ないことが分かります。それで,マケドニア地方に行き,「人々にたくさんの励ましの言葉を掛け」ました。そこに半年ほどいたと思われます。a (使徒 20:2)マケドニアにいる間にテトスがついにやって来ます。そしてテトスから,コリントのクリスチャンについての良い報告を聞きます。彼らが最初の手紙を前向きに受け止めたことを話してくれたのです。(コリ二 7:5-7)報告を受けて,パウロは第二の手紙を書くことにしました。
6 ルカは,パウロがエフェソスの兄弟たちのこともマケドニアの兄弟たちのことも「励まし」たと書いています。兄弟たちへのパウロの思いが伝わってきます。パウロは兄弟たちを仲間だと思っていました。人を下に見るパリサイ派の人たちとは大違いです。(ヨハ 7:47-49)パウロははっきり助言しなければいけないときも,そういう姿勢で兄弟たちに接しました。(コリ二 2:4)
7. 現代の監督たちはどのようにパウロに倣えますか。
7 現代の会衆の長老や巡回監督は,パウロに倣おうと努力しています。戒めを与える時でも,相手の支えになることを心掛けます。厳しく責めるのではなく,相手の身になって考え,力づけようとします。経験豊かな巡回監督はこう言っています。「兄弟姉妹のほとんどは正しいことをしたいと思っています。でも,いろんなストレスや不安を抱えていたり,何をどうしたらよいかが分からなくなったりしています」。監督たちはそういう仲間に寄り添って,力になろうとします。(ヘブ 12:12,13)
「陰謀を巡らした」(使徒 20:3,4)
8,9. (ア)パウロが船でシリアに向かう計画を変更せざるを得なくなったのはどうしてですか。(イ)ユダヤ人たちがパウロのことを憎んでいたのは,どうしてだと考えられますか。
8 パウロはマケドニア地方を出て,コリントに行きます。b そこで3カ月過ごし,その後,ケンクレアに向かおうとします。シリア行きの船に乗るためです。シリア地方に着いたらエルサレムに行って,生活に困っている兄弟たちに寄付金を届けるつもりでした。c (使徒 24:17。ロマ 15:25,26)ところが,思わぬことが起き,計画を変更せざるを得なくなります。パウロに「対してユダヤ人が陰謀を巡らし」たのです。(使徒 20:3)
9 ユダヤ人たちは,パウロのことが憎くてたまりません。ユダヤ教を捨てた背教者だ,と考えています。すでに以前,コリントの会堂の役員クリスポが,パウロの話を聞いてクリスチャンになりました。(使徒 18:7,8。コリ一 1:14)別の時には,コリントのユダヤ人たちが,アカイアの執政官代理ガリオにパウロについて抗議すると,根拠がないとして訴えが却下されました。ユダヤ人たちは激怒しました。(使徒 18:12-17)コリントのユダヤ人たちは,パウロが間もなく近くのケンクレアから船に乗ると思ったようです。そういう情報を聞いたのかもしれません。パウロをそこで待ち伏せしようと考えます。パウロはどうするでしょうか。
10. パウロがケンクレアに行くのをやめたのは臆病だったからではありません。どうしてそういえますか。
10 パウロは,身の安全と託された寄付金のことを考えて,ケンクレアには行かないことにします。来た道を引き返してマケドニア地方を通ることにしました。陸路の旅にも危険はあります。当時の道には盗賊が出没し,宿屋も安全とは言えませんでした。それでもパウロは,ケンクレアに行くよりは危険が少ないと考えました。幸い,一人旅ではありません。この間,パウロの宣教旅行に同行した人たちに,アリスタルコ,ガイオ,セクンド,ソパテロ,テキコ,テモテ,トロフィモがいます。(使徒 20:3,4)
11. 私たちはどのように安全を意識した行動を取りますか。イエスはどのように身の安全を守りましたか。
11 現代のクリスチャンも,パウロのように安全を意識しながら伝道します。地域によっては,1人ではなくグループで,少なくとも2人で行動します。迫害されるときはどうでしょうか。迫害は避けて通れないことを私たちは知っています。(ヨハ 15:20。テモ二 3:12)でも,あえて危険な目に遭うようなことはしません。イエスもそうでした。エルサレムで石を投げ付けられそうになった時,「イエスは身を隠し,神殿から出て」いきました。(ヨハ 8:59)ユダヤ人たちがイエスを殺そうとたくらんでいた時も,「イエスはもうユダヤ人の間を表立って歩くことはせず,荒野に近い地方……に行き」ました。(ヨハ 11:54)イエスはいつも神の考えに合わせて行動しつつ,必要なときには身の安全を守りました。私たちもそうします。(マタ 10:16)
「大変慰められた」(使徒 20:5-12)
12,13. (ア)ユテコが生き返り,兄弟たちはどんな気持ちになりましたか。(イ)大切な人を亡くしても,どんな希望があるので慰められますか。
12 パウロの一行は,マケドニア地方を一緒に旅した後,いったん別れたようです。それからトロアスで落ち合ったと思われます。d 「5日もしないうちにトロアスで彼らに合流した」と書かれています。e (使徒 20:6)この章の冒頭で見たように,パウロが若者ユテコを生き返らせたのは,この町でのことでした。ユテコが生き返ったのを見て,兄弟たちはどんなにか喜んだことでしょう。「大変慰められた」と記録されています。(使徒 20:12)
13 もちろん,今はそういう奇跡は起きません。でも,亡くなった大切な人たちが将来生き返ることを考えると,「大変慰められ」ます。(ヨハ 5:28,29)復活したユテコは,依然として完全ではなかったので,やがてまた死にました。(ロマ 6:23)でも,神の新しい世界で生き返る人たちは,いつまでもずっと生きられます。復活して天でイエスと一緒に王になる人たちは,不滅性も与えられます。(コリ一 15:51-53)天に行くクリスチャンも「ほかの羊」のクリスチャンも,復活の希望があるので「大変慰められ」ています。(ヨハ 10:16)
「人々の前で,また家から家へと」(使徒 20:13-24)
14. ミレトスで会ったエフェソスの長老たちに,パウロはどんなことを言いましたか。
14 パウロの一行はトロアスからアソスへ,それからミテレネ,キオス,サモス,ミレトスへと進みます。パウロは,ペンテコステの祭りの日までにエルサレムに着きたいと思っています。急いでいたので,エフェソスには寄らない船を選びました。でも,エフェソスの長老たちと話したいと思っていたので,ミレトスに会いに来てほしいと伝えます。(使徒 20:13-17)長老たちがやって来ると,パウロはこう言いました。「アジア州に足を踏み入れた最初の日から私が皆さんの間でどう行動したか,皆さんはよく知っています。涙を流し,ユダヤ人たちの陰謀による試練に遭いながら,ただただ謙遜に主のために一生懸命働きました。ためらうことなく,有益なことを何でも皆さんに話し,人々の前で,また家から家へと,皆さんを教えました。神に対する悔い改めと私たちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に知らせました」。(使徒 20:18-21)
15. 家を一軒一軒訪ねることには,どんな利点がありますか。
15 現在,良い知らせがいろいろな方法で伝えられています。私たちもパウロのように,人のいる所に出掛けていきます。駅でも,人通りが多い道でも,商店街でも伝道します。でも,エホバの証人が伝道するメインの方法は,家を一軒一軒訪ねることです。どうしてでしょうか。家を一軒一軒訪ねれば,人々に漏れなく,定期的に良い知らせを伝えられるからです。エホバは,全ての人に公平に神の王国について知らせたいと思っています。また,家を訪問すれば,一人一人に寄り添った教え方ができます。私たちとしても信仰が強まり,諦めずに続ける力が身に付きます。「人々の前で,また家から家へと」熱心に伝道するのが,本当のクリスチャンです。
16,17. パウロはどんな覚悟でいましたか。現代のクリスチャンはどのようにパウロに倣っていますか。
16 次にパウロはエフェソスの長老たちに,エルサレムでどんな危険が待っているか分からないと話します。そして,こう続けます。「そうだとしても,自分の走路を走り通し,主イエスから受けた奉仕をやり遂げることさえできれば,私は自分の命を少しも惜しいとは思いません。神の惜しみない親切に関する良い知らせを徹底的に伝えます」。(使徒 20:24)パウロは,たとえ病気や迫害のために命を失うことになっても,エホバから与えられた任務を最後までやり遂げるつもりでした。
17 現代のクリスチャンも,いろいろな逆境に立ち向かっています。政府によって活動を禁じられたり,迫害を受けたりしています。心や体の病気と闘っている人もいます。若い人たちは学校でのいじめや誘惑と闘っています。問題はいろいろでも,みんなパウロのように堂々としていて勇敢です。「良い知らせを徹底的に伝え」ることを決意しています。
「自分自身と群れ全体に注意を払ってください」(使徒 20:25-38)
18. パウロが自分は潔白だと言えたのはどうしてですか。エフェソスの長老たちも潔白でいるには,どうすることが大切でしたか。
18 パウロは続けて,自分がしてきたことについてエフェソスの長老たちに話します。そして,今後注意すべきことについてはっきり伝えます。皆さんに会うのはこれが最後になると言ってから,こう話します。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]。私はためらうことなく神の意志を全て皆さんに伝えたからです」。エフェソスの長老たちも潔白でいるためには,どうすることが大切でしょうか。パウロは言います。「自分自身と群れ全体に注意を払ってください。神が聖なる力によって皆さんを群れの監督に任命しました。神の会衆を牧者として世話するためであり,その会衆を神は自分の子の血によって買い取ったのです」。(使徒 20:26-28)パウロはそれから,「圧制的なオオカミ」が会衆に入り込み,「弟子たちを引き離して自分に付かせようとして曲がった事柄を言う」と警告します。パウロは長老たちに何とアドバイスするでしょうか。「目覚めていなさい。そして,私が3年間,昼も夜も,涙を流して皆さん一人一人を訓戒し続けたことを忘れないでください」と言いました。(使徒 20:29-31)
19. 1世紀の終わりにはどのような背教が見られましたか。その後の時代はどうでしたか。
19 1世紀の終わり頃には,すでに「圧制的なオオカミ」が現れていました。98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いています。「今や多くの反キリストが現れました。……彼らは私たちから去っていきましたが,もともと仲間ではありませんでした。もし仲間だったなら,ずっと私たちと一緒にいたはずです」。(ヨハ一 2:18,19)3世紀までには,背教が進んで聖職者階級がつくられ,4世紀には,コンスタンティヌス帝が,腐敗した偽のキリスト教を公式に認可しました。聖職者たちが異教の儀式を次々と取り入れて,あたかもキリスト教のものであるかのように見せ掛けました。「曲がった事柄を言う」とパウロが言っていた通りです。今も一般のキリスト教には,正しくない教えや習慣が受け継がれています。
20,21. 見返りを求めないパウロの姿勢は,どんなところに表れていますか。現代の長老たちはどのようにパウロに倣っていますか。
20 聖職者たちは,信者たちを利用して私腹を肥やそうとしましたが,パウロは全く違っていました。自分で働いて生計を立て,会衆に負担を掛けないようにしました。兄弟姉妹のために何かをするときも,金品を要求したりはしませんでした。エフェソスの長老たちに,見返りを求めずに仲間を助けるよう勧めています。こう言いました。「弱い人たちを援助しなければならないこと,また,主イエス自身が述べた『受けるより与える方が幸福である』という言葉を覚えておかなければな[りません]」。(使徒 20:35)
21 現代の長老たちもパウロと同じようにしています。見返りを求めずに,「神の会衆を牧者として世話」しています。信者たちを都合よく利用する聖職者たちとは全く違います。本当のクリスチャンは,おごり高ぶったり野心を抱いたりしません。「自分の栄誉」を求める人はいずれうまくいかなくなり,「恥をか」きます。(格 11:2; 25:27)
22. パウロが兄弟たちから愛されたのはどうしてですか。
22 パウロは兄弟たちを心から愛していたので,兄弟たちからとても愛されました。パウロが出発する時には,「皆が多くの涙を流し,パウロを抱いて優しく口づけし」ました。(使徒 20:37,38)私たちも,会衆のために見返りを求めずに働く兄弟たちのことを愛し,大切に思っています。パウロがどれほどのことをしたかを考えると,「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」という言葉は決して大げさではなかったことが分かります。(使徒 20:26)
a 「パウロがマケドニアで書いた手紙」という囲みを参照。
b パウロはコリントにいたこの期間中に,「ローマのクリスチャンへの手紙」を書いたと思われます。
c 「パウロは寄付金を届けた」という囲みを参照。
d 使徒 20章5,6節でルカは,「私たち」という語を使っています。それで,ルカはこの時フィリピから再びパウロの旅に加わったようです。ルカは以前フィリピでパウロと別れ,その後もそこにとどまっていたと思われます。(使徒 16:10-17,40)