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    聖書に対する洞察,第2巻
    • パウロがカエサレアの獄で過ごした2年間は,総督フェリクスの在任期間の最後の2年間で,その後パウロはフェリクスの後継者ポルキオ・フェストによりローマへ送られました。(使徒 21:33; 23:23-35; 24:27)フェストが就任した年代には多少不確かな点があります。歴史上の証拠がすべて同じ結論を指し示しているわけではないからです。しかし,その年が西暦58年であることはまず間違いないようです。その後パウロは,西暦59年から61年までの間にローマに着いたことでしょう。

  • ドルシラ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 西暦38年ごろに生まれた,ヘロデ・アグリッパ1世の三女で末娘。アグリッパ2世,ベルニケおよびマリアムネ3世の姉妹。母親の名前はキュプロスでした。6歳になる前に,コムマゲネの王子エピファネスとの結婚が取り決められましたが,この結婚は将来の花婿がユダヤ教を奉じることを拒んだために実現しませんでした。シリアの王である,エメサのアジズスは割礼の条件を満たし,ドルシラは14歳でその花嫁になりました。アジズスの残忍さに怒り,またさほど魅力的ではなかった姉のベルニケのねたみを買っていら立っていたドルシラは,容易に説得され,ユダヤ人の律法に反してアジズスと離婚し,西暦54年ごろに総督フェリクスと結婚します。囚人であったパウロが,総督フェリクスにとって非常に気懸かりな話題となった,「義と自制と来たるべき裁きについて話(した)」時,ドルシラもその場にいたのかもしれません。2年後にフェリクスが総督の職をフェストに引き継いだ時,フェリクスは「ユダヤ人の歓心を買おうとして」パウロをつないだままにしておきましたが,それは「ユダヤ人の女である」若い妻を喜ばせるためだったと考える人もいます。(使徒 24:24-27)フェリクスとドルシラの間に生まれた子もアグリッパと呼ばれましたが,彼は西暦79年にベスビアス山の大噴火で死んだと伝えられています。

  • フェリクス
    聖書に対する洞察,第2巻
    • フェリクスの行政はユダヤ人の激しい憤りを買いました。恐らく西暦58年に,「ポルキオ・フェストがフェリクスの跡を継いだ。だがフェリクスはユダヤ人の歓心を買おうとしていたので,パウロをつないだままにしておいた」と聖書は述べています。(使徒 24:27)しかし,フェリクスのそのような素振りはフェリクスがユダヤ人に与えた苦しみを和らげるものとはなりませんでした。また,ユダヤ人がフェリクスに対する申し立てを押し通すために代表団をローマに派遣するのを思いとどまらせるものともなりませんでした。彼がローマに呼び戻された後,処罰を免れ得たのは,ひとえに,兄のパラスがネロの前で得ていた恵まれた立場と影響力によります。

  • フェスト
    聖書に対する洞察,第2巻
    • フェスト

      (Festus)[「祭りの; 喜びに満ちた」という意味のラテン語に由来]

      フェリクスがローマに召喚された後の,ローマの属州ユダヤの総督。(使徒 24:27)両総督のこの交代の年がいつであったかは明確に知られていません。情報源としては聖書とヨセフスしかありませんが,どちらもネロによるその任命について知る手がかりを与えていません。批評家の学派が二つあり,一方の学派はポルキオ・フェストが早くも西暦54年にユダヤに到着したと主張しており,他方の学派は61年になってからであると論じています。歴史家たちの間では西暦58年から61年までのいつかを支持する傾向があります。ヤングの「聖書分析用語索引」(342ページ)に挙げられている西暦58年がフェストのユダヤ総督就任の年として最も可能性が高いようです。

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