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年代計算,年代学,年代記述聖書に対する洞察,第2巻
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使徒パウロは使徒 13章の中で,神が『父祖たちを選んだ』時から,エジプト滞在期間,エジプト脱出の時期,荒野での放浪期間,カナン征服の時期,さらにその地を配分した時期を通じて神がイスラエルを扱われた仕方を回顧し,次いで,「このすべてはおよそ四百五十年間のことです。そして,こうした事の後,預言者サムエルの時に至るまで彼らに裁き人をお与えになりました」と述べました。(使徒 13:20)この句はジェームズ王欽定訳では,「その後,預言者サムエルの時まで,おおよそ四百五十年の間,彼らに裁き人をたまえり」と訳されたため,かなりの誤解を招きました。しかし,古代の大抵の写本(シナイ写本,バチカン写本1209号,アレクサンドリア写本を含む),それに大抵の現代語訳(エルサレム,ノックス,その他; 19,20節,ア標,改標,聖ア)は皆,この節の初めに挙げた訳し方を支持しており,その訳はこの450年の後に裁き人の期間が始まったことを示しています。この「およそ四百五十年」の期間は神がイスラエルの『父祖たちを選ばれた』時に始まったので,その期間はアブラハムに約束されていた元の「胤」であるイサクが生まれた西暦前1918年に始まったと考えられます。そうであれば,その期間は,カナンの当初の征服が終了し,土地の配分を行なえるようになった西暦前1467年ごろ終わったことになります。その数字はおよそのものであると述べられていますから,1年そこそこの相違があっても,全く取るに足りないことと言えるでしょう。
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出エジプト(エジプト脱出)聖書に対する洞察,第1巻
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『およそ450年間』 次に,使徒 13章17-20節に記録されている,ピシデアのアンティオキアでパウロが聴衆に行なった話があります。彼はその中で,「およそ四百五十年」の期間に言及しています。イスラエル人の歴史に関するその論議は,神が『わたしたちの父祖を選んだ』時,つまり約束の胤となるイサクが実際に生まれた時(西暦前1918年)から始まっています。(神が約束の胤として認められるのはだれかという点に関し,サラがうまずめだったために不確かだった問題は,イサクの誕生によって確かに解決された。)パウロはこの点から話を始めた後,続けて神がご自分の選ばれた国民のためになさった働きを列挙し,神が「預言者サムエルの時に至るまで彼らに裁き人をお与えにな(った)」時のことまでを述べています。ですから,「およそ四百五十年」の期間は,西暦前1918年にイサクが誕生した時から西暦前1467年まで,つまり西暦前1513年のエジプト脱出の時から46年後の年にまで及ぶものと思われます(荒野での放浪に40年,カナンの地の征服に6年が費やされた)。(申 2:7; 民 9:1; 13:1,2,6; ヨシュ 14:6,7,10)こうして得られる合計年数は,「およそ四百五十年」という使徒の挙げた概数と明らかに合致します。したがって,年代計算に関するこれらの箇所はどちらも,西暦前1513年がエジプト脱出の年であることを裏付けており,またイスラエルの王や裁き人たちに関する聖書の年代記述とも一致しています。―「年代計算,年代学,年代記述」(西暦前1943年からエジプト脱出まで)を参照。
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イサク聖書に対する洞察,第1巻
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エホバはアブラハムに,彼の胤が外人居留者として400年間苦しみを受けることを告げておられました。その苦しみは西暦前1513年にイスラエルがエジプトから救出された時に終わりました。(創 15:13; 使徒 7:6)その時から400年をさかのぼると,西暦前1913年となり,その年からその苦しみが始まったことになります。したがって,イサクが乳離れしたのも1913年であったことになります。その二つの出来事,つまりイサクが乳離れしたことと,イシュマエルによって虐待されたこととは,時間的にその記述の中で密接に関連づけられているからです。そうすると,イサクは西暦前1918年に生まれていますから,乳離れしたのが5歳ごろだったということになります。ついでながら,イサクの誕生は,使徒 13章17-20節で述べられている450年の始まりをしるしづけるものとなり,その期間は,カナンにおけるヨシュアの軍事行動が終結して,土地が様々な部族に分配された西暦前1467年ごろに終わりました。
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