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聖書の著者の力強い性質ものみの塔 1963 | 7月15日
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12 (イ)七つの教会に宛てられた音信は,何が必要であることを強調していますか。(ロ)新しい人格は何から成り立っていますか。
12 約束のものは異なっても,それぞれの音信にある同じさとしに注目して下さい。「耳のある者は,御霊が……言うことを聞くがよい」。またそれぞれの音信の最後にある言葉,「勝利を得る者には……」に注目して下さい。これは集団としてではなく,ひとりびとりがかなわなければならぬ要求です。加えて「死に至るまで忠実であれ」「堅く守っていなさい ―」などの言葉と共に「忍耐」という言葉が数回出てきます。堅く立ち,忍耐して勝利を得るには,たしかに強固な人となりが必要です。これは外見だけのものではなく,エホバに対する愛と深い認識に根ざした決意,エホバのために生き,そのみ心を行なう心底からの決意が必要です。み父の心を行なうことを常に喜んだキリスト イエスは完全な模範でした。それで「御子のかたちに似たもの」になることは神のみ心です。パウロの述べているように,これは神のかたちにならう事でもあります。「造り主のかたちに従って新しくされ,真の知識に至る新しき人を着たのである」。その意味はこうです,「あわれみの心,慈愛,謙そん,柔和,寛容を身に着けなさい……これらいっさいのものの上に,愛を加えなさい。愛は,すべてを完全に結ぶ帯である」。強い心,そうです,しかしごう慢になることではありません。問題は正しい動機を心に持つことです。―黙示 2:7,10,13,19; 3:11。ロマ 8:29。コロサイ 3:10-14,新口。
13 (イ)敬虔な人となりは,どのようにして得られますか。(ロ)この点で,パウロはどのように良い例ですか。
13 聖書の正確な知識を得てのみ,敬虔な人となりを作りあげるさまざまの性質のおりなす美しい調和に達することができます。使徒パウロはそのよい例です。クリスチャンになる前のパウロは確かに強い心の持ち主でしたが,真理に盲目だったので調和に欠けていました。そして自ら言う通り「神をそしる者,迫害する者,不遜な者」でした。ひとたび目ざめてのち,パウロはその後の一生涯を通じてなお強固な意志を持っていましたが,今度は異なった動機を持ち,美しい釣合と調和を見せました。テサロニケ人に書き送ったパウロの言葉は,その事を示しています。「あなたがたの間で,ちょうど母がその子供を育てるように,やさしくふるまった。このように,あなたがたを慕わしく思っていたので,ただ神の福音ばかりではなく,自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに,あなたがたを愛したのである」。たしかに大きな相違です。いまパウロを動かしたのは,無私の献身と愛でした。―テモテ前 1:13。テサロニケ前 2:7,8,新口。
14 どのようにして,私たちの人格を神のかたちに造り変えられますか。
14 以前にどんな気質を持っていた人も,気落ちする必要はありません。「われわれのかたちに,われわれにかたどって人を造り」と御子に言われた父なる創造主は,おふたりにかたどった「新しき人」をその人の中に造ることができます。それは人を変える力を持つ神の御霊,「心の深みまで新たに」する力と,神のことばの力によって可能となるのです。聖書全巻がおひとりの神から出たものであることを悟り,また確信すればするほど,その著者エホバの大いなる性質を認識できます。またその事は「真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着る」助けとなります。―創世 1:26。エペソ 4:23,24,新口。
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共産主義と教会の失敗ものみの塔 1963 | 5月1日
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共産主義と教会の失敗
◇ 1962年のメソジスト派の大会における話の中でジョン・O・スミス監督は,教会の失敗を嘆き,次のように述べた,「共産主義が存在するようになったのは,キリスト教が,十字架を落としたためだ。すなわち,困難な問題を避け,ただ,歌をうたったり,祈りをしたりするだけになったためである」。―サウスカロライナ州,チャールストン市,「ザ・ニューズ・アンド・クーリエ」誌,62年7月30日号
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