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エホバ聖書に対する洞察,第1巻
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ですから,神が罪人アダムの子孫のある人々を扱って祝福されたことは,エホバの完全な義の規準が変化したことを印づけるものではありませんでした。エホバはそのようにして,彼らの罪深い状態を是認しておられたのではありません。エホバはご自分の目的の成就が絶対確実であるゆえに,(アブラムとサラにまだ子供がいなかった時に,アブラムのことを「群衆(多数のもの)の父」という意味の「アブラハム」と呼んだように),「無い物を有るかのように呼ばれ」ます。(ロマ 4:17)エホバはご予定の時に(ガラ 4:4)ご自分が贖いを設けること,つまり罪を許し,不完全さを取り除くための法的な手段を設けることをご存じだったので(イザ 53:11,12; マタ 20:28; ペテ一 2:24),罪を受け継いだ不完全な人間を扱ったり,そのような人間をご自分に対する奉仕に用いたりしても,矛盾をきたすことはありませんでした。それは,彼らがエホバの約束に,またその約束が罪のための完全な犠牲としてのキリスト・イエスのうちにやがて成就することに信仰を抱いていたゆえに,彼らを義にかなった者と『みなす』,つまり義にかなった者とするための正当な根拠をエホバが持っておられたからです。(ヤコ 2:23; ロマ 4:20-25)ですから,贖いの取り決めというエホバの備えとその益は,エホバの愛と憐れみのみならず,ご自分の高められた公正の規準に対するエホバの忠誠に関しても際立った証をするものとなっています。というのは,エホバは贖いの取り決めによって,「今の時期にご自身の義を[示し],イエスに信仰を持つ人[とはいえ,不完全な人]を義と宣する際にもご自分が義にかなうようにされ(た)」からです。―ロマ 3:21-26。イザ 42:21と比較。「義と宣する」を参照。
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義聖書に対する洞察,第1巻
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憐れみを施しながらも,義にかなった方 エホバの義,公正,神聖さ,および浄さは比類のないものですから,神は罪を大目に見ることができません。(詩 5:4; イザ 6:3,5; ハバ 1:13; ペテ一 1:15)したがって,神は公正の条件を満たさずに,― 要するに,法的な根拠なしに ― 人間の罪を許すことはできませんでした。しかし,神は過分のご親切により,ご自分のみ子を犠牲の捧げ物,つまりなだめの供え物,もしくは罪を覆うものとして,この適正な取り決めを設けてくださいました。このようにして,神はこの取り決めを受け入れる罪人に対して義にかなった仕方で憐れみを施すことがおできになります。パウロはこのことについて次のように述べています。「しかし今や,律法からは離れて神の義が明らかにされました。……そうです,イエス・キリストに対する信仰による神の義で(す)。というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し,神の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。……イエスに信仰を持つ人[生来罪深い人間]を義と宣する際にもご自分が義にかなうようにされました」― ロマ 3:21-26。「義と宣する」を参照。
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