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性質,自然聖書に対する洞察,第1巻
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パウロはオリーブの木の例えの中で,肉のユダヤ人を,園のオリーブの本来の(カタ フュシン,「自然による」)枝と呼んでいます。彼は異邦人のクリスチャンにこう告げています。「あなたが本来野生のオリーブの木から切り取られ,自然に反して園のオリーブの木に接ぎ木されたのであれば,まして,本来それに属するこれらのものは自らのオリーブの木に接ぎ木されるはずだからです」。(ロマ 11:21-24)野生のオリーブの木は実を結ばず,実を生み出すとしても質は非常に劣っています。しかし地中海諸国では,栽培されたオリーブの木の枝を野生のオリーブの木に接ぎ木して良い実を生み出すことが普通に行なわれています。しかし,パウロは,野生のオリーブの枝を栽培された木に接ぎ木するというあまり一般的ではない処置に言及しました。この後者の接ぎ木について,「自然に反して」いると述べ,「本来の枝」に取って代わるよう異邦人を迎え入れたことに見られる,異邦人に対する神の過分のご親切を強調する例として用いています。ユダヤ人は幾世紀もの間エホバによって『栽培』されてきましたが,異邦人は真の宗教を持たず,神に対して実を生み出していなかったので,「野生」でした。しかし,今や彼らはりっぱな実を生み出すようにされました。エホバがこの巧みな「接ぎ木」によってそれを成し遂げられます。
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オリーブ聖書に対する洞察,第1巻
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接ぎ木 丘陵の斜面に生えている野生のオリーブの木には,良い実を結ぶようにと,栽培された産出力のある木の切り枝がよく接ぎ木されました。栽培された木に野生の枝を接ぎ木するのは普通ではなく,不自然にさえ思えることでしたが,1世紀にはそうする農夫もいました。パウロはローマ 11章17-24節の例えの中で,この普通ではないやり方に言及しました。その節でパウロは,「アブラハムの胤」の一部となった異邦人のクリスチャンを,栽培された木の産出力のない枝に代えて接ぎ木された野生のオリーブの枝に例えました。その産出力のない枝は,折り取られた枝,つまり信仰の欠如のゆえに象徴的な木から除かれた,退けられた生来のユダヤ人を表わしています。(ガラ 3:28,29)「自然に反して」なされたこの行為によって,異邦人の信者に対する神の過分のご親切が際立ち,「野生のオリーブ」の枝である彼らに及んだ,園のオリーブの「肥えた」根にあずかる益が強調され,同時にそれら異邦人のクリスチャンの側に何ら誇る理由のないことが示されています。―マタ 3:10; ヨハ 15:1-10と比較。「接ぎ木」を参照。
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