4章
知られていない方を魔術や心霊術によって探求する
1 パウロはアレオパゴスの上でアテネ人に何と語りましたか。なぜそう語りましたか。
「アテネの皆さん,わたしは,あなた方がすべての事において,他の人たち以上に神々への恐れの念を厚く抱いておられる様子を見ました」。(使徒 17:22)これは,クリスチャンの使徒パウロが,古代ギリシャの都市アテネのアレオパゴス,つまりマルスの丘に集まった群衆に語った言葉です。パウロがそのように述べたのは,それより前に,「その都市に偶像が満ちている」のを見たからでした。(使徒 17:16)何を見たのでしょうか。
2 アテネ人が神々に対して恐れを抱いていたことを何が証明しましたか。
2 確かに,パウロはその国際的な都市でギリシャやローマの多種多様な神々を見ていたに違いありませんし,人々の生活は明らかに神々の崇拝と密接な関係を持っていました。アテネ人は何らかの重要な,もしくは強力な神をあがめるのをたまたま怠ったために,その神が激怒しはしまいかと恐れて,「知られていない神」を自分たちの崇拝に含めることさえしました。(使徒 17:23)このことは,明らかに彼らが神々への恐れを抱いていることを証明しました。
3 神々に対して恐れを抱くことはアテネ人だけに限られていましたか。
3 もちろん,神々,それも特に知られていない神々に対して恐れを抱くことは,1世紀のアテネ人に限られていたわけではありません。その恐れは何千年にもわたり,ほとんど全人類を支配してきました。世界の多くの場所で,人々の生活は,ほとんどすべての面で何らかの神や霊と直接もしくは間接的に関係しています。前の章で既に述べたとおり,古代のエジプト人,ギリシャ人,中国人その他の民族の神話は,神々や霊に関する思想に深く根ざしており,その思想は個人的および国家的な事柄で重要な役割を演じました。中世の時代には,錬金術師,呪術師,および魔法使いに関する話がキリスト教世界の領域の至る所で大流行しました。そして,事態は今日でもほとんど同様です。
現代の儀式と迷信
4 神々や霊と結びついているように思える,民間の慣行の幾つかを挙げてください。
4 人々のする事柄の多くは,当人が気づいているかどうかにかかわりなく,迷信もしくは迷信的な慣行と結びついており,そのあるものは神々あるいは霊と関係があります。例えば,誕生祝いの起源は,人の実際の誕生日を大いに重視する占星術にあることをご存じでしたか。誕生日のケーキについてはどうですか。それはギリシャの女神アルテミスと関係があるようです。その誕生日は,ろうそくを載せた,はち蜜入りの月形のケーキを作って祝われました。あるいは,葬式で黒い服を着用することは,元来,そのような時に潜んでいると言われる邪悪な霊の注意を免れる一つの策略だったことをご存じですか。色の黒い一部のアフリカ人は体を白く塗ったり,他の土地では泣き男が異様な色彩の服を着たりして,それらの霊に気づかれないようにします。
5 読者がご存じの一般的な迷信の幾つかを挙げてください。
5 そのような民間の慣行のほかに,どこでも人々は迷信を信じており,恐れを抱いています。西洋では,鏡を割ったり,黒猫を見たり,はしごの下を歩いたりすること,それに場所によって異なりますが,13日の火曜日や金曜日などはすべて,不吉な事柄の前兆とみなされています。東洋では,日本人が着物を着る場合,左を上にして前を合わせます。なぜなら,遺体にはその逆の合わせ方をするからです。また,昔,日本では家を建てる場合,北東に面する側には窓や戸を付けませんでした。その方向から来ると言われる悪霊が,入口を見つけられないようにするためでした。フィリピンでは,人々は死者を埋葬する前に,“聖”ペテロに死者を歓迎してもらうよう,死者の靴を脱がせて両足のそばに置きます。老人は,人影のように見える月面の“聖”ミカエルが若者の行ないを見守って書き記しているということを指摘して,行儀をよくするよう若者に命じます。
6 今日,人々は心霊術にどの程度関係していますか。
6 しかし,霊や神々に対する信仰は,一見無害に思える習慣や迷信に限られてはいません。未開社会でも現代社会でも,人々は恐ろしい霊を制御したり,なだめたり,あるいは慈悲深い霊の恵みを得たりするために様々な手段に訴えてきました。当然,まず最初に,遠い密林や山地の住民で,病気あるいは他の大変な窮境の際,霊媒や祈とう師や魔術士(魔術を行なう祭司)に相談する人々のことを考えるかもしれません。しかし,大都市や小都市の人々もまた,将来のことを伺ったり,重要な決定をする助けを得たりするために,占星術者,超能力者,占い師,および易者などのところに行きます。中には,名目だけにせよ,何らかの宗教に属している人でさえ,そのような慣行に頼って熱心に助けを求めます。心霊術,黒魔術,および秘術を自分たちの宗教にしている人々も少なくありません。
7 どんな疑問を考慮する必要がありますか。
7 このような慣行や迷信すべてにはどんな源,もしくは起源がありますか。それらは単に神に近づくための異なった道にすぎませんか。また,たいへん重要なこととして,そのような事柄は,これに従う人々に対して何をするものとなりますか。このような疑問に対する答えを得るには,人間の歴史をさかのぼって調べ,初期の人間の崇拝の仕方をかいま見なければなりません。
知られていない方と接触を持つ
8 人間はどんな独特な特質のゆえに下等動物とは別個の存在となっていますか。
8 進化論者の主張に反して,人間には霊的な特性があり,その点で人間は下等動物と異なっており,それよりも勝っています。人間には生まれつき,知られていないものを探求しようとする衝動があります。そして,人生にはどんな意味があるのか,人間は死後どうなるのか,人間は物質界と,いや,実際のところ,宇宙とどんな関係を持っているのかなどという疑問と絶えず取り組んでいます。また,少しでも自らの境遇や人生を制御しようとして,自分自身よりも高度な,もしくはより強力な存在に到達したいという欲求によって動かされています。―詩編 8:3,4。伝道の書 3:11。使徒 17:26-28。
9 ある学者は「霊性」をどのように説明していますか。
9 アイバル・リスナーはこのことについて,自著,「人間,神,および魔術」の中でこう述べています。「人間が自らの歴史を通じて,自分自身以外の存在に達するため不屈の努力を傾けて奮闘してきたことを考えると,ただただ驚嘆させられるばかりである。人間は決して専ら生きるのに必要なもののためだけに自分のエネルギーを振り向けたりはしなかった。人間は到達し難いものにあこがれて,絶えず探し求め,さらに模索してきた。人間固有のこの不思議な衝動が人間の霊性なのである」。
10 人間には神に到達したいという自然の衝動があることを何が示していますか。
10 もちろん,神を信じない人たちは物事をそのように考えるわけではありません。そのような人々は,2章で述べたように,普通,人間の心理的,あるいはそれ以外の必要のゆえに人間にはこの傾向があるのだと言います。しかし,普通の経験からすれば,大抵の人々は危険や絶望的な事態に直面すると,まず最初に神,あるいは何らかのより高度な力に助けを求めるのではありませんか。このことは今日でも昔の時代と全く同様です。ですから,リスナーはさらにこう述べています。「最古の未開民族の中で研究を行なってきた人で,未開民族がすべて神のことを考えていること,つまり至上の存在に対する鋭敏な意識を持っていることを理解できない人は一人もいない」。
11 未知のものに到達しようとする人間の努力は,どんな結果をもたらしましたか。(ローマ 1:19-23と比較してください。)
11 人間が未知のものに到達したいという,持って生まれた欲求を充足させるため,どのように努力したかは,全く別の問題です。遊牧民の狩猟者や牧夫は野獣の力におののきましたし,農民は特に天候や季節の変化に順応しました。密林の住人は砂漠や山地に住む人々とは全く異なった仕方で反応しました。人々はそのような様々な恐れや必要に直面して,当惑させられるほどの様々な宗教的慣行を発達させ,そのような慣行によって慈悲深い神々に訴えたり,恐ろしい神々をなだめたりしたいと考えました。
12 どこでも人々の宗教的な慣行にはどんな共通の特色が見られますか。
12 しかし,それらの宗教的な慣行はたいへん多種多様であるにもかかわらず,ある共通の特色が認められます。その中には,神聖な霊や超自然的な力に対する崇敬や恐怖の念,魔術の使用,しるしや兆しによって将来を占うこと,占星術,その他様々な吉凶判断の方法があります。それらの特色を調べてみると,それが今日の人々をさえ含めて,あらゆる時代の世界中の人々の宗教思想を形成する上で重要な役割を果たしてきたことが分かります。
神聖な霊や超自然的な力
13 どんな事柄は昔の人々を当惑させたと思われますか。
13 初期の時代の人々の生活は神秘で満ちていたようです。人々は不可解で当惑させられるような出来事で取り囲まれていました。例えば,申し分のないほど強健な人が一体どうして突然病気で倒れるのか,普通の季節に一体どうして空から雨が降らないのか,あるいは一見死んだように思える葉のない樹木が一年のある時期に緑に一変し,命にあふれるようになるのは一体どうしてか理解できなかったことでしょう。自分自身の影や心臓の鼓動や息さえも神秘だったでしょう。
14,15 理解や指導がなかったため,人間は説明できない物事をおおかた何のせいにしましたか。(サムエル第一 28:3-7と比較してください。)
14 人間には生まれつき霊的なことを考える性向があるので,それらの神秘的な事柄や出来事をある超自然的な力のせいにするのは,ごく自然なことでした。しかし,正しい指導や理解がなかったために,人間の世界はやがて魂や霊,幽霊や悪霊の満ちる所となりました。例えば,北米のアルゴンキン族のインディアンは人の魂を「彼の影」という意味の“オタチュク”と呼んでおり,東南アジアのマライ人は,人間が死ぬと,魂は鼻孔を通って逃げて行くと信じています。今日,霊や死んだ人の魂が存在することや,ある方法でそのような霊や魂と交信する企てに対する信仰は,ほとんどどこにでも見られます。
15 同様に,自然環境の中の他のもの,すなわち太陽,月,恒星,大洋,川,山々も生きていて,人間の諸活動に直接影響を与えるように見えました。それらのものはそれぞれ独自の世界を占めているように見えたので,霊や神々として神格化されました。その中には慈悲深くて人を助ける者もいれば,邪悪で人を害する者もいました。そして,創造されたものを崇拝することが,ほとんどすべての宗教の中で顕著な位置を占めるようになりました。
16 霊や神々,および神聖な事物を崇拝することは,どのように示されましたか。
16 そのような信仰は,ほとんどすべての古代文明の宗教の中に見いだすことができます。バビロニア人やエジプト人は太陽神や月神,および星座の神々を崇拝しました。動物や野獣も彼らの崇敬の対象になりました。ヒンズー教徒は幾億もの数に上る神々の万神殿で有名です。中国人は神聖な山々や川の神々を常に奉じてきましたし,先祖崇拝を行なうことによって孝行をします。イギリス諸島の古代のドルイドはオークの木を神聖視し,オークに自生するヤドリギに特別の崇敬の念を表しました。後に,ギリシャ人やローマ人が一役買って,霊,神々,魂,悪霊その他,あらゆる種類の神聖な事物に対する信仰が確立されました。
17 創造されたものを崇拝することは,今日でもどのように依然として目立っていますか。
17 今日,ある人々はこのような信仰をすべて迷信とみなすかもしれませんが,それらの考え方は依然として世界中の多くの人々の宗教的な慣行に見られます。ある人々は依然として,ある山や川,奇妙な形をした岩や古木その他,数多くの物が神聖であると考えており,それらを専心の対象として崇拝しています。そして,そのような場所に祭壇や聖堂や神殿を建てます。例えば,ガンジス川はヒンズー教徒にとって神聖な川で,同教徒の最大の願いは,生きているうちにその川で沐浴し,死後,自分の骨灰をその水にまいてもらうことです。仏教徒はインドのブッダガヤーにある霊場にもうでることを特別な経験とみなしています。その霊場の菩提樹の下で仏陀が悟りを開いたと言われています。カトリック教徒はメキシコにあるグアダルーペの聖母マリアのバシリカ聖堂までいざったり,あるいは奇跡的ないやしを求めて,フランスのルルドの霊場の“聖”水で沐浴したりします。創造者ではなく,創造されたものをあがめることは,今日でも依然として目立っています。―ローマ 1:25。
魔術の興隆
18 霊や神々に対する信仰ゆえに,人々は何をするようになりましたか。
18 無生物界は善悪両方の霊で満ちているという信仰が一度確立されると,人々は容易に次の段階,つまり指導や祝福を求めて良い霊と交信すると共に,悪い霊をなだめるよう試みる段階に進みました。その結果,魔術が行なわれるようになり,それは昔も今も,ほとんどあらゆる国民の中で栄えてきました。―創世記 41:8。出エジプト記 7:11,12。申命記 18:9-11,14。イザヤ 47:12-15。使徒 8:5,9-13; 13:6-11; 19:18,19。
19 (イ)魔術とは何ですか。(ロ)多くの人々にとって魔術が信じられるように思えるのはなぜですか。
19 魔術とは,最も基本的な意味では,自然の,あるいは超自然の力を制御,もしくは強制して,人間の命令どおりに行なわせるよう試みることです。初期の種々の社会の人々は日常の多くの出来事の真の原因を知らなかったため,ある魔術的な言葉や呪文を繰り返したり,ある儀式を行なったりすると,ある種の望ましい効果をもたらすことができると考えました。ある儀式は実際に効を奏したので,そのような魔術が信用できるように見えました。例えば,スマトラ西部のメンタワイ諸島の祈とう師 ― 本質的には魔術師もしくは呪術師 ― は下痢で苦しんでいる人々を驚くほど効果的に治すことができたと伝えられています。患者を時々がけの縁の近くにうつぶせに横たわらせて,土をなめさせるのが,その魔術の方法でした。それがどうして効を奏したのでしょうか。そのがけの土には,今日のある下痢の薬に普通に使われている白い粘土鉱物であるカオリンが含まれていました。
20 魔術はどのように人々の生活を支配するようになりましたか。
20 そのような少数の成功例のお陰で,失敗した事例はすべてたちまち消し去られて,魔術による治療者の評判が確立されました。それらの人々はやがて,恐れ敬われる,大いに尊敬される成員,つまり神官,長,魔術士,祈とう師,呪術医,霊媒などになりました。人々は治療,病気の予防,紛失物の捜し方,泥棒の見分け方,魔よけ,あるいは復しゅうの仕方などの問題を持って彼らを訪ねました。ついには,そのような事柄と共に,出産,成年,婚約,結婚,死別,埋葬などの生活上の他の行事を扱う,数多くの迷信的な慣行や儀式が行なわれるようになり,やがて人々の生活はあらゆる面で魔術の力と神秘に支配されました。
雨ごいの踊りとまじない
21,22 “模倣魔術”とはどういう意味ですか。例を挙げて説明してください。
21 魔術的な慣行は民族によって異なり,驚くほど多種多様なものがありますが,その背後の基本的な考え方はたいへん似通っています。まず第一に,類は類を生む,つまり望ましい効果はそれをまねることによって生み出せるという考えがあります。これは模倣魔術と呼ばれることがあります。例えば,雨が不足して作物が危険にさらされると,北アメリカのオマハ族のインディアンは,水を入れた容器の周りを回って踊ります。次いで,一人の人がその水を少し口に含み,小雨かにわか雨に似せて,水を空中に吐きかけます。あるいは,男の人が傷ついた熊のように地面を転がって,首尾よく熊狩りができるようにしたりします。
22 詠唱用の歌やささげ物を含め,もっと手の込んだ儀式を行なった民族もいました。中国人は大きな紙製の,あるいは木製の竜,つまり雨の神を作り,それを持って練り歩いたり,あるいは神々の偶像を日なたに置いて太陽の熱を感じさせれば,雨を降らせることができるかもしれないと考えて,その偶像を神殿から取り出したりしました。東アフリカのヌゴニ族は儀式の一環として雨の神殿の境内に埋めたつぼにビールを注ぎ,「主なるチャタよ,あなたは私たちに対して心を固くされました。私たちに何を行なわせたいとお思いでしょうか。私たちはまさしく滅びうせるに違いありません。あなたに差し上げたビールがございますので,あなたの子供たちに雨をお与えください」と祈ります。それから,残ったビールを飲み,その後,歌ったり踊ったりして,水に浸した木の枝を振ります。
23 魔法や魔法をかけることは,どのようにして発達しましたか。(レビ記 19:31; 20:6,27; 申命記 18:10-13と比較してください。)
23 魔術的な慣行の背後には,人の所有する物件は所有者から離れた後でさえ,引き続き当人に影響を及ぼすという,もう一つの考え方があります。そのために,かつてある人の所有していたある物品に力を及ぼすことにより,その人に魔法をかけることが行なわれました。ヨーロッパ大陸や英国では十六,七世紀当時でさえ,人々はそのような力で人に危害を加え得る魔女や魔法使いのことを依然として信じていました。そして,ある人の像をろうで作り,それに針を刺したり,人の名前を紙片に書いて,それを火で焼いたり,人の衣服の切れ端を埋めたり,あるいは髪の毛や切った爪,汗や,はては排せつ物に対してさえほかの色々なことをしたりする方法がありました。このような,あるいは他の方法がどの程度まで行なわれていたかは,1542年,1563年,および1604年に英国の議会が魔法を行なう者に死罪を科す法令を定めたことからも分かります。このような魔術はあらゆる時代を通じて,ほとんどあらゆる国民の中で様々な仕方で行なわれてきました。
しるしや兆しで占う将来
24 (イ)占いとは何ですか。(ロ)バビロニア人は占いをどのように行なっていましたか。
24 隠された情報を明らかにしたり,しるしや兆しで将来のことを伺ったりするために,多くの場合,魔術が使われます。これは占いとして知られており,この点でバビロニア人は有名でした。「魔術,超自然力信仰,および宗教」という本によれば,「彼らは打ち殺された動物の肝臓や腸を調べたり,火や煙を見たり,宝石の輝きを観察したりして将来を予言する先見術の熟練者であった。彼らは泉から水がさらさら流れる音や植物の形状から出来事を予告した。……大気中のしるし,雨,雲,風,稲妻なども前兆として解釈され,家具や鏡板のひび割れも将来の出来事を予告する手掛かりとなった。……ハエその他の昆虫,それに犬も神秘的な知らせを伝えるものであった」。
25 エゼキエルやダニエルは古代バビロンの占いの慣行にどのように言及していますか。
25 聖書のエゼキエル書は,ある軍事行動の際,「バビロンの王はその分かれ道,二つの道の頭の所で立ち止まった……占いをするためである。彼は矢を振った。テラフィムによって伺いを立てた。肝を調べた」と伝えています。(エゼキエル 21:21)まじない師,魔法使い,および魔術を使う神官もまた,バビロニア朝廷の紛れもない肝要な成員でした。―ダニエル 2:1-3,27,28。
26 ギリシャ人の間で人気のあった占いの一つの形態を挙げてください。
26 東洋および西洋双方の他の国々の人々もまた,多くの形態の占いに手を出しました。ギリシャ人は重大な政治上の出来事をはじめ,結婚,旅行,子供などの個人的な俗事に関しても神託所に助言を求めました。その最も有名なのは,デルフォイの神託所でした。アポロから来ると考えられる答えは,女神官,もしくはピュティアを通して,分かりにくい音で与えられ,神官により解釈されて,あいまいな詩の形に組み立てられました。古典的な一例は,「もしクロイソスがハリュス川を渡るなら,彼は力ある一帝国を滅ぼすであろう」という,リュディアの王クロイソスに与えられた答えです。滅ぼされる,その力ある帝国はこの王自身の帝国でした。クロイソスはハリュス川を渡ってカパドキアに侵攻した時,ペルシャのキュロスの手にかかって敗北を喫しました。
27 ローマ人はどの程度占いに関与しましたか。
27 西洋の占いの技術は,ほとんどなすことすべてに関して兆しや異兆を求めることに取り付かれていたローマ人と共に頂点に達しました。社会のあらゆる階層の人々が占星術,魔法,お守り,易断,その他多くの形態の占いを信じていました。そして,ローマ史の権威エドワード・ギボンによれば,「ローマ世界で流行した様々な崇拝様式を人々はすべて等しく真実であるとみなし」ました。有名な政治家で雄弁家のキケロは鳥の飛び方に兆しを求める専門家でした。ローマ史家ペトロニウスは,ローマの幾つかの町のおびただしい数の宗教や祭儀から考えて,それらの町には人々の数よりも多くの宗教があるに違いないと述べました。
28 古代の中国人は占いをどのように行ないましたか。
28 中国では,西暦前第2千年紀(殷王朝)以降の年代の神託用の骨や貝殻が10万点以上出土しました。殷朝の神官たちはそれらのものを使って,天気から部隊の行動に至るまであらゆる事柄に関して神の指導を求めました。神官たちはそれらの骨に古代の文字で疑問を書き,次いでその骨を熱し,現われたひび割れを調べて,その同じ骨に答えを書き記しました。中には,中国語の書体がこの古代の文字から発達したと考える学者もいます。
29 「易経」には,占いに関するどんな原理が説明されていますか。
29 占いに関する古代中国の最も有名な論文は「易経」で,西暦前12世紀に周の最初の二人の皇帝,文王および周公によって書かれたと言われています。「易経」には対立する二つの力である陰陽(つまり,暗と明,否定的と肯定的,女性と男性,月と太陽,地と天,その他)の相互作用が詳細に説明されており,多くの中国人は今でもこの陰陽が人生のあらゆる事柄の背後の支配的な原理であると信じています。この原理によれば,万物は常に変化しており,恒久的なものは一つもないという状況が示されています。どんな仕事にせよ,成功するには,あらゆる瞬間の変化を意識し,それに調和して行動しなければなりません。ですから,人々は疑問を述べて,くじを引き,次いで「易経」に答えを求めます。「易経」は何世紀にもわたって,易断や土占い,その他の形態の中国の占いすべての基礎となってきました。
天文学から占星術へ
30 初期の天文学の発達について説明してください。
30 太陽,月,恒星,および惑星間の秩序正しさは多年,地上の人々を魅惑するものとなってきました。西暦前1800年のものである恒星の一覧表がメソポタミアで発見されました。バビロニア人はそのような情報に基づいて,月食,星座の出没,および惑星のある種の運行などの天文学上の多くの事象を予言することができました。エジプト人,アッシリア人,中国人,インディアン,ギリシャ人,ローマ人その他の古代諸民族も同様に,空を観察して,天文学上の事象を詳しく記録しました。人々はそのような記録を使って暦を作り,年ごとの活動を規定しました。
31 占星術はどのようにして天文学から生まれましたか。
31 天文学上の観察を行なってゆくうちに,地上のある出来事が天界のある事象と同時に起きるように見えました。例えば,季節の変化は太陽の運行に密接に従っており,潮の干満は月の位相と一致しており,ナイル川は毎年必ず,最も明るい恒星シリウスが昇った後にはんらんしました。それで当然のこととして,天体が地上のそれらの,またその他の事象を引き起こす上で重要な役割を演じているという結論になりました。事実,エジプト人はシリウスのことをナイル川をもたらした者と呼びました。星が地上の出来事に影響を及ぼすという考えから,いち早く天体に頼って将来を予告できるという概念が生じました。こうして,天文学から占星術が生まれました。やがて,王や皇帝は重要な国事に関して星を調べるため,公式の占星術者を置きましたし,一般の人々も同様に自分たちの個人的な運勢に関して星に頼りました。
32 バビロニア人の間では占星術はどのように行なわれましたか。
32 ここでバビロニア人がまたもや登場しました。彼らは神殿が神々の地上の住まいであるように,星は神々の天の住みかであると考えました。こうして,恒星を種々の星座に分類する考え方をはじめ,特定の明るい星やすい星などの食や出現のような天界の変動は地上の不幸や戦争を予示するという信仰が生まれました。メソポタミアで出土した遺物の中には,占星術者が王たちに提供した何百もの報告が見つかりました。例えば,その中には,差し迫った月食はある敵が敗北を喫するしるしであり,ある星座に現われたある惑星は地上に“大いなる憤り”を招くことを意味するなどと述べた報告がありました。
33 イザヤはバビロニア人の「星を見る者たち」について何と言いましたか。
33 さらに,バビロニア人がそのような形態の占いにどれほど頼っていたかは,彼らに対してバビロンの滅亡を予告した預言者イザヤの次のような嘲笑の言葉からも分かります。「さあ,あなたのまじないと,あなたが若い時から労してきたそのおびただしい呪術とをもってじっと立て。……天を崇拝する者たち,星を見る者たち,新月の時にあなたに臨むことに関する知識を授ける者たち,さあ,彼らを立ち上がらせよ,あなたを救わせてみよ」― イザヤ 47:12,13。
34 幼子イエスのもとにやって来た“マギ”とはだれのことでしたか。
34 占星術はバビロンからエジプト,アッシリア,ペルシャ,ギリシャ,ローマ,およびアラビアに伝わりました。東方ではヒンズー教徒や中国人も手の込んだ独自の体系的な占星術を持っていました。福音宣明者マタイが伝えている,幼子イエスのもとにやって来た“マギ”は,「東方からの占星術者たち」でした。(マタイ 2:1,2)中には,これらの占星術者たちはパルチアから来た,占星術のカルデアおよびメディア・ペルシャ学派の人々だったのかもしれないと考える学者もいます。このパルチアはペルシャの一つの州でしたが,後に独立したパルチア帝国となりました。
35 ギリシャ人の時代以降,占星術はどのように発展しましたか。
35 しかし,占星術を今日行なわれているような形に発達させたのはギリシャ人でした。西暦2世紀に,エジプト,アレクサンドリアのギリシャ人の天文学者クラウディオス・プトレマイオスは占星術に関する当時のすべての情報を収集して,今日まで占星術の基本的なテキストとなっている,「テトラビブロス」(「四部書」の意)と呼ばれる書物を著わしました。この書物から,いわゆる出生占星術,つまり出生表,もしくはホロスコープ(十二宮図)を研究して人の将来を予言する体系的な方法が発達しました。その表は人の誕生の瞬間に出生地から見た種々の星座の間の太陽,月,および様々な惑星の位置を示すものです。
36 占星術が立派な学問になったことを示すどんな証拠がありますか。
36 西洋では十四,五世紀までに占星術が広く受け入れられるようになりました。大学では占星術が種々の言語や数学の実用的な知識を必要とする一学問として教えられ,占星術者は学者とみなされました。シェークスピアの作品は,人間社会の営みに対する占星術的な影響を示唆する言葉で満ちています。どこの王宮にも,いつでも相談できる私的な,おかかえの占星術者がおり,また多くの貴族もそうしていました。戦争,建築,事業,あるいは旅行その他,どんな企画であれ,まず星のことを考慮せずに物事を行なうことは,ほとんどありませんでした。占星術は立派な学問になっていました。
37 科学の進歩は占星術にどのように影響を及ぼしてきましたか。
37 科学的な研究の進歩と共に,コペルニクスやガリレオなどの天文学者の著書により,正統な科学としての占星術は大いに信用を落としましたが,今日まで生き延びてきました。(85ページの囲み記事をご覧ください。)バビロニア人により創始され,ギリシャ人の手で発達を遂げ,アラブ人によりさらに拡張を見た,この神秘的な技術は,科学技術の進歩した国々をはじめ,発展途上国のへき地の村々でも,一国の長に対してであれ,一般の人々に対してであれ,今日でも依然として影響を及ぼしています。
顔や手のひらに記されている運命
38 人間の手や顔に関係のある,さらに別の方法がどのようにして生じましたか。
38 将来に関するしるしや兆しを天に求める仕方にはつかみどころがないように思えるとすれば,占いに手を出す人々にとって,もっと直接的で,容易に近づき得る方法がほかにもあります。ユダヤ人の神秘主義に関する13世紀のテキストである「ゾハール」,もしくは「セフェル ハゾハール」(ヘブライ語,「光耀編」の意)はこう断言しています。「宇宙を包んでいる天空には,恒星や惑星によって作り出される多くの模様が見える。それらの模様は隠された事柄や深遠な秘密を明らかにする。同様に,人体を取り囲んでいる皮膚には,人体の星ともいうべき形や特徴がある」。このような原理から,顔や手のひらの予言的なしるしを調べて将来を占ったり,予告したりする,さらに別の方法が生まれました。洋の東西を問わず,このような慣行は依然として広まっています。しかし,その起源は占星術や魔術に根ざしています。
39 人相学とは何ですか。それはどのように用いられてきましたか。
39 人相学とは,目,鼻,歯,耳の形のような顔の特徴を調べて吉凶判断を行なう方法です。1531年にフランスのストラスブールでインダジンのジョンという人が目,鼻,耳その他の様々な形をした,生き生きとした顔の図版を載せ,解釈を述べた,人相学に関する本を出版しました。興味深いことに,その著者は,大きな明るい丸い目は忠誠と優れた健康を意味する一方,落ち込んだ小さい目はそねみや悪意や疑いのしるしであるという根拠として,マタイ 6章22節の,「それで,もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう」という,イエス・キリストの言葉を引用しました。ところが,1533年に出された「人相学概説」と題する同様の本の中で,著者バルトロメオ・コクレは,大きな丸い目は気まぐれで怠惰な人を表わすと主張しました。
40 (イ)手相術とは何ですか。(ロ)ある人々は手相術の裏づけを示そうとして,どのように聖書に訴えましたか。
40 易者たちによれば,頭部に次いで手は体の他のどんな部位よりも上からの力を反映させるものです。ですから,手の筋を見て,人の性格や運命を判断するのが,人気のある,もう一つの形態の占い,つまり手相術です。これは普通,単に手相占いと呼ばれています。中世の手相術者は自分たちの手相術の裏づけを聖書に求め,「彼すべての人の手を封じたもう。これすべての人にそのみ業を知らしめんがためなり」とか,「長き日々がその右の手にあり,その左の手には富と誉れとあり」というような聖句を提出しました。(ヨブ 37:7; 箴言 3:16,ジェームズ王欽定訳)手のひらの隆起部,つまり宮も考慮されました。なぜなら,それは惑星を表わしているため,当人個人とその将来についてある事柄を明らかにすると考えられていたからです。
41 東洋の人々は占いをどのように行なっていますか。
41 顔や手の特徴を研究して吉凶判断をすることは,東洋ではたいへん人気があります。職業的な易者や顧問が人々の便宜を図っているほかに,素人や自分で占いをする人たちも大勢います。なぜなら,占いに関するあらゆるレベルの出版物が広くどこでも入手できるからです。多くの場合,人々は娯楽の一環として手相占いに手を出しますが,これを真剣に行なう人々も少なくありません。しかし,普通,たった一つの占いの方法だけで満足する人はほとんどいません。人々は深刻な問題に直面したり,重大な決定に迫られたりすると,仏教,道教,神道その他どの宗教を奉じているにせよ,神社仏閣にお参りし,神々にお伺いを立て,次いで占星術者を訪ねて星運を見てもらい,易者に手相や人相を見てもらったりして,あげくの果てに家へ帰ると,亡くなった先祖に伺ったりします。自分たちにとってふさわしいと思える答えをどこかに見いだしたいと願うのです。
単なる無害な楽しみ?
42 人々は将来のことを知りたいという自然な欲求を抱いているために,何をするようになりましたか。
42 だれでも将来はどうなるのかを知りたいと思うのは当然なことです。また,どこの人でも幸運をつかみ,有害なことを避けたいと願うものです。だからこそ,どの時代の人々も霊や神々に導きを仰いできました。そして,そうする際に心霊術,魔術,占星術その他の迷信的な慣行に関係してきました。昔の人々は魔よけやお守りを着けて身の守りにしたり,いやしを求めて,祈とう師や魔術士に頼ったりしました。人々は今日でも依然として“聖”クリストフォルスのメダルを下げたり,“幸運”のお守りを身に着けたり,また降霊術の会に出たり,ウィジャ盤,水晶球,ホロスコープ(十二宮図),タロー・カードなどを所持したりしています。心霊術や迷信に関する限り,人間はほとんど変化していないようです。
43 (イ)多くの人々は心霊術や魔術や占いについてどのように感じていますか。(ロ)迷信的な慣行に関するどんな疑問に答える必要がありますか。
43 もちろん,前述のようなことは迷信にすぎず,それらには実際の根拠は何もないことに気づいている人々は少なくありません。それで,単なる楽しみのためにそうしているにすぎないと付け加えて言うかもしれません。ほかには,魔術や占いは,これに頼らないとすれば,生活で直面する障害のためにひどくおびえてしまいかねない人々に心理的な安心感を与えるので,実際には有益だと主張する人たちさえいます。しかし,それはすべて,単なる無害な楽しみ,もしくは心理的な助けでしょうか。この章で考慮した心霊術的で魔術的な慣行をはじめ,まだ指摘していない他の多くの慣行の源は一体何でしょうか。
44 基本的に言って,そのような慣行すべての基盤について何と言えるでしょうか。
44 心霊術や魔術や占いなどの様々な面をこれまで調べてみて,それらが故人の魂や善霊や悪霊が存在するという信仰と密接に結びついていることに気づきました。ですから,基本的に言って,霊や魔術や占いに対する信仰は,人間の魂の不滅性に関する教理に根ざす一種の多神教に基づいています。このような信仰は自分の宗教の健全な基盤と言えるでしょうか。読者はそのような土台に基づく崇拝を受け入れることができると思われますか。
45 1世紀のクリスチャンは偶像に供えられた食物に関するどんな疑問に直面しましたか。
45 1世紀のクリスチャンも同様の疑問に直面しました。当時のクリスチャンはギリシャ人やローマ人に囲まれていましたが,それらの人々は多くの神々を奉ずると共に,迷信的な儀式を行なっていました。その一つの儀式は,食物を偶像に供えてから,その食物を一緒に食べることでした。まことの神を愛して,その方を喜ばせることに関心を持つ人が,果たしてそのような儀式に参加したでしょうか。使徒パウロがこの疑問に対してどのように答えているかに注目してください。
46 パウロや初期のクリスチャンは神についてどんなことを信じていましたか。
46 「さて,偶像にささげられた食物を食べることについてですが,わたしたちは,偶像が世にあって無きに等しいものであること,また,神はただひとりのほかにはいないことを知っています。多くの『神』や多くの『主』がいるとおり,天にであれ地にであれ神と呼ばれる者たちがいるとしても,わたしたちには父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており,わたしたちはこの方のためにあるのです」。(コリント第一 8:4-6)パウロや1世紀のクリスチャンにとって真の宗教とは多くの神々を崇拝すること,つまり多神教ではなく,「父なるただひとりの神」だけに専心することでした。聖書は,「それは,人々が,その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」と述べて,この神のみ名を明らかにしています。―詩編 83:18。
47 パウロは『天あるいは地の多くの神や多くの主』の正体をどのように明らかにしましたか。
47 しかし使徒パウロは,『偶像は無きに等しいものである』と述べたものの,人々が魔術や占いをしたり,犠牲をささげたりして頼った多くの「神」や多くの「主」は存在しないと言っているのではないということに注目しなければなりません。では,要点は何でしょうか。パウロは同じ手紙の後の箇所で,「諸国民が犠牲としてささげるものは,悪霊に犠牲としてささげるのであって,神にささげるのではない,と言うのです」と記して,その点を明らかにしています。(コリント第一 10:20)そうです,諸国民は自分たちの神々や多くの主を通して,実際には悪霊 ― まことの神に反逆して,自分たちの指導者,悪魔サタンと一体となったみ使い,つまり霊の被造物 ― を崇拝していました。―ペテロ第二 2:4。ユダ 6。啓示 12:7-9。
48 秘術に関係するどんな危険が今日でも依然として存在していますか。どうすれば,それを避けることができますか。
48 人々は迷信や恐れのとりこになった,いわゆる未開民族のことをしばしば哀れに思うものです。そして,血生臭い犠牲や残忍な儀式にうんざりさせられていると言います。それはもっともなことです。ところが,今日でも依然としてブードゥー教やサタン崇拝について,また人身供犠についてさえ耳にします。これらは極端な例かもしれませんが,それでも秘術に対する関心が依然として盛んであることを証明しています。それは“無害な楽しみ”として,また好奇心から始まるかもしれませんが,その結果,しばしば悲劇や死をもたらします。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」という聖書の警告に聴き従うのは,何と賢明なことでしょう。―ペテロ第一 5:8。イザヤ 8:19,20。
49 この本の以下の章では何が研究の対象になりますか。
49 これまでに,宗教の始まり,古代神話に見られる多様性,様々な形態の心霊術,魔術,および迷信を考慮してきましたから,今度は世界のより正式の主要な宗教 ― ヒンズー教,仏教,道教,儒教,神道,ユダヤ教,キリスト教世界の教会,およびイスラム教に注目してみましょう。それらはどのようにして始まりましたか。どんなことを教えていますか。また,信者にどんな影響を及ぼしますか。これら,および他の疑問が以下の章で考慮されます。
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ある魔術は効果を発揮するように思えました
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占星術は科学的な手法ですか
占星術によれば,太陽,月,恒星,および惑星は地上の営みに影響を及ぼすことができ,人の誕生時のそれら天体の配置は人の生活の中である役割を演じるとされています。しかし,科学上の発見は占星術にとって侮り難い挑戦となっています。
■ コペルニクス,ガリレオ,およびケプラーなどの天文学者の研究により,地球は宇宙の中心ではないことが明確に実証されました。また,今では,ある星座の中にあるように見える恒星が多くの場合,実際には一つのグループに拘束されているのでないことが知られています。そのあるものは宇宙空間のはるかかなたにあり,他のものは比較的近くにあるようです。ですから,様々な星座の黄道十二宮上の特性は純粋に想像の産物です。
■ 天王星,海王星,および冥王星などの惑星は望遠鏡が発明されるまでは発見されなかったので,初期の占星術者には知られていませんでした。では,それより何世紀も前に作られた占星術用の図表は,それらの惑星の“影響”をどのように説明したのでしょうか。さらに,今日,科学的研究により,惑星はすべて基本的には無生物である岩石やガスの塊で,宇宙空間を猛烈な速度で飛んでいることが知られている以上,どうして惑星によってその“影響”に「善し悪し」があり得るのでしょうか。
■ 遺伝学は,人間の人格的特性が誕生時ではなく,父親からの何百万もの精子のうちの1個が母親からのたった1個の卵細胞と結合する受胎の時に形成されることを示しています。ところが,占星術によれば,人のホロスコープ(十二宮図)は誕生の瞬間により決められます。このような約9か月の相違のために,占星術の言葉で示される全く異なった性格が人に付けられるはずです。
■ 地球に限定された観測者から今見える,星座の間を通る太陽の運行のタイミングは,占星術の図表や時間表が作られた2,000年前のそれより約1か月遅れています。ですから,占星術によれば,6月末か7月初めに生まれた人は,かに座生まれの(非常に神経質で,むら気で,内気な)人とされます。ところが,実際には,その時点で太陽は双子座に位置しているので,その人は話し好きで,しゃれが上手で,おしゃべりな人であるはずです。
明らかに,占星術には土台とすべき,合理的,もしくは科学的な根拠がありません。
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割れた鏡,黒猫,およびある数は迷信の元となっています。「四」という漢字の一つの読み方は,中国語でも日本語でも「死」の読み方と同じです
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左はメキシコ,グアダルーペの聖母マリアのバシリカ聖堂で,ここでカトリック教徒は奇跡的ないやしを求めて祈ります。
右は英国のストーンヘンジで,ここでは古代のドルイドが太陽を崇拝したと言われています
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ある人々は魔術士や呪術医に診てもらいます
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他の人々は降霊術の会に出たり,ウィジャ盤,水晶球,タロー・カードを使ったり,易者に見てもらったりします
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べっ甲に記された文字や陰陽の記号を使う,東洋の占いには,長い歴史があります
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誕生時の太陽,月,惑星,および恒星の位置が人の生活に影響を及ぼすと考えて,ホロスコープ(十二宮図)を見てもらう人々は少なくありません
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帰依者は容器を振って,運勢を示す棒を出させ,お告げの言葉とその解釈を得ます