-
バルバロイ聖書に対する洞察,第2巻
-
-
バルバロイ
(Barbarian)
ギリシャ語バルバロスという語の「バル バル」という繰り返しは,どもり,片言あるいは理解できない話し方という考えを表わしました。それゆえ,「バルバロイ」という語は,本来ギリシャ人が異国人,それも特に異なった国語を話す人に付けた語でした。当時この語は,教養や上品さや礼儀に欠けることを示すものではありませんでしたし,敵意のこもった侮べつの気持ちを表わすものでもありませんでした。「バルバロイ」という語は特に非ギリシャ人とギリシャ人とを区別したにすぎず,「異邦人」という語が非ユダヤ人とユダヤ人とを分けているのと大体同じです。そのような非ギリシャ人たちはバルバロイと呼ばれたからといって,異議を唱えたり,侮辱されたと感じたりはしませんでした。ヨセフスを含むユダヤ人の著述家たちは,自分たちがこの語で呼ばれることを認め(ユダヤ古代誌,XIV,187 [x,1]; 「アピオンへの反論」,I,58 [11]),ローマ人もギリシャ文化を借用するまでは自分たちのことをバルバロイと呼んでいました。それで,パウロがローマ人に手紙を書いた際に,「ギリシャ人にもバルバロイにも」という包括的な表現を用いたのは,このように悪感情など含まない見地からでした。―ロマ 1:14。
-
-
負債,負い目,債務者聖書に対する洞察,第2巻
-
-
他の負債 聖書の中で,「負債」や「債務者」などの言葉は,借りることによって生じる以外の責務を指すために使われる場合もあります。働き人に支払うべき賃金は「債務」とみなされます。(ロマ 4:4)また,罪人は違犯をおかした相手に対して『負い目のある者』であり,それゆえにその相手からの許しを求めなければなりません。神が「負い目」をお許しになるかどうかは,当人が自分に対して「負い目のある人々」を許したかどうかにかかっています。(マタ 6:12,14,15; ルカ 13:4)使徒パウロは「良いたより」を宣べ伝えるという自分の責務を考えて,自分はすべての人に対して「負い目のある者」であると言いました。(ロマ 1:14,15)異邦人の信者たちは,エルサレムにいたユダヤ人のクリスチャンから霊的な益を得ていたため,彼らに対して,事実上「負い目のある者」となっていました。ですから,彼らが貧しいユダヤ人の兄弟たちを物質面で援助するのはたいへん適切なことでした。―ロマ 15:26,27。
-