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読者からの質問ものみの塔 1974 | 4月15日
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前のほうの節でパウロが言及している,荒野におけるイスラエルの経験がそのよい例ですが,「誘惑」は,人に神の律法を犯させうる状況が存在するときに臨みます。この章の初めのほうでパウロはこう書いています。「これはわたしたちに対する例となりました。それは[クリスチャンたち]が,彼らが欲したように害になる事がらを欲する者とならないためです。また,彼らのある者たちのように,偶像を礼拝する者となってはなりません。民は食べたり飲んだりするために座り,また楽しく過ごそうとして立ち上がった」と書かれているようにです。また,彼らのある者たちが淫行を犯したように,淫行を行なっていることがないようにしましょう。彼らは一日に二万三千人が倒れる結果になりました。またわたしたちは,彼らのある者たちがしたように,エホバを試したりはしないようにしましょう。彼らはへびによって滅びる結果になりました。また,彼らのある者たちがつぶやいたように,つぶやく者となってはなりません。彼らは滅ぼす者によって滅びる結果になりました」― コリント第一 10:6-10。
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読者からの質問ものみの塔 1974 | 4月15日
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反逆的なコラ,ダタン,アビラムおよび彼らの仲間が滅ぼされたあと起きたことも,イスラエル人がつぶやきへの誘惑に抵抗しなかった場合のひとつです。というのは,彼らは反逆者たちの処刑は不当だったと言いはじめたからです。民数紀略 16章41節は次のように述べています。『その翌日イスラエルの子孫の会衆みなモーセとアロンにむかいてつぶやき 汝らはエホバの民を殺せり と言えり』。法の執行の仕方について不平を言った結果,1万4,700人のイスラエル人が,神の罰を受けて滅びました。―民数 16:49。
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