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正典聖書に対する洞察,第2巻
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しかし,正典性の真の試金石は,ある書が何回,あるいは使徒以外のどんな著述家により引用されているかということではありません。書の内容そのものが,聖霊の所産であることを示す証拠を提示しなければなりません。したがって,その書が迷信や悪霊崇拝を含んでいたり,あるいは被造物崇拝を奨励したりすることはあり得ません。それは,聖書の他の部分と全く調和し,完全に一致しており,エホバ神が原著者であることを支持するものでなければなりません。各々の書は神の「健全な言葉の型」と合致し,キリスト・イエスの教えや活動と調和していなければなりません。(テモ二 1:13; コリ一 4:17)使徒たちは明らかに神からの信任を受けており,ルカや,イエスの異父兄弟ヤコブなど他の筆者の述べたことの正しさを認めて,ものを言いました。使徒たちは聖霊によって,「霊感のことば」が神に由来するかどうかを「識別する力」を持っていました。(コリ一 12:4,10)最後の使徒ヨハネの死と共に,神からの霊感を受けた,これら一連の信頼できる人たちはいなくなったので,聖書の正典は啓示の書,ヨハネの福音書および書簡をもって完結しました。
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神からの賜物聖書に対する洞察,第1巻
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「強力な業」 強力な業には,死んだ人をよみがえらせたり,悪霊を追い出したり,反対者たちを打って盲目にならせたりすることが含まれていました。(コリ一 12:10)そのような強力な業が表明された結果,信者たちが会衆に加えられました。―使徒 9:40,42; 13:8-12; 19:11,12,20。
「預言すること」 預言することは異言を話すことよりももっと優れた賜物でした。その賜物によって会衆が築き上げられたからです。さらに,不信者は預言を聞くことによって,神が本当にそれらクリスチャンの中におられることを認識するよう助けられました。(コリ一 14:3-5,24,25)クリスチャン会衆内のすべての人は神のみ言葉に記されている預言の成就について語りました。(使徒 2:17,18)しかし,預言をする奇跡的な賜物を持っている特定の人たちは,アガボがしたように,将来の出来事を予告することができました。―使徒 11:27,28。「預言」; 「預言者」(クリスチャン・ギリシャ語聖書中の預言者たち)を参照。
「霊感のことばを識別する力」 霊感のことばを識別する力には明らかに,ある霊感の表現が神から出ているかどうかを識別する能力が関係していました。(コリ一 12:10)この賜物はその所有者が欺かれて真理からそれるようなことがないようにし,偽預言者から会衆を保護するものとなったはずです。―ヨハ一 4:1。コリ二 11:3,4と比較。
「異言」 西暦33年のペンテコステの時,神の霊が注がれたことに付随して奇跡的な異言の賜物が与えられました。それにより,とある階上の部屋(恐らく,神殿の近くにあった)に集まっていた約120人の弟子たちは,その祭りを祝うために遠隔の地からエルサレムに来ていたユダヤ人や改宗者たちのそれぞれの自国語で「神の壮大な事柄」について話すことができました。ヨエルの預言のこの成就は,神が新しいクリスチャン会衆を用いており,もはやユダヤ人の会衆を用いておられないことの証拠となりました。聖霊の無償の賜物を受けるには,ユダヤ人も改宗者も悔い改めて,イエスの名によってバプテスマを受けなければなりませんでした。―使徒 1:13-15; 2:1-47。
1世紀のクリスチャンにとって異言の賜物は,ほかの言語を話す人々に音信を宣べ伝えるのに大変有用でした。実際,それは不信者に対する一つのしるしでした。しかし,パウロはコリントのクリスチャン会衆に書き送った手紙の中で,皆が一緒に集まる時には,皆で異言ばかり話すべきではないと指示しました。見知らぬ人や不信者が入って来ても何も理解できず,クリスチャンは気が狂っていると判断するかもしれないからです。パウロはまた,異言を話す人は「多くても二人か三人に限り,順番に」話すようにと勧めました。しかし,もし翻訳できる人がいないなら,異言を話す人は会衆内では黙っており,自分自身と神に話すべきでした。(コリ一 14:22-33)もし翻訳が行なわれないなら,異言を話しても,ほかの人々を築き上げることにはならなかったでしょう。なぜなら,異言を理解できない人々にとって異言は意味をなさないので,彼らはだれも話を聴こうとはしないからです。―コリ一 14:2,4。
もし,異言を話す人が翻訳できなかったなら,その人は自分の言っていることを理解しなかったわけで,その国語,もしくは言語に通じていなかった人も話を理解できなかったことでしょう。ですから,パウロは異言の賜物を持っている人たちに,彼らも翻訳して聴衆すべてを啓発できるように祈ることを励ましました。以上のことから,パウロが霊感のもとに,異言を話す能力をより劣った賜物とし,会衆の中では異言を1万語話すよりも,思い(理解)をもって五つの言葉を話したいと述べた理由が容易に理解できます。―コリ一 14:11,13-19。
「異言を解釈する力」 異言を解釈する力という賜物は,この賜物を持っている人が自分の知らない言語を翻訳できたことから,だれの目にも明らかでした。(コリ一 12:10)この賜物は異言を話す賜物の価値を確かに高めました。というのは,その翻訳を聞いて会衆全体が築き上げられたからです。―コリ一 14:5。
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霊感聖書に対する洞察,第2巻
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聖書に含まれている霊感を受けた書物と,ある程度の霊の指示や導きが示されてはいても,正しくは聖書の範ちゅうに入らない他の書物との間には,明らかに相違があります。これまで明らかにされてきたように,ヘブライ語聖書の正典に加えて,ユダやイスラエルの王たちに関する公の記録のような他の書物が存在していましたが,それらは多くの場合,神に対して献身的な態度を抱く人が作成したものかもしれません。それらの書物が,霊感を受けて聖書の一部を書いた筆者たちにより,調査のために用いられることさえありました。使徒時代にも同じことがありました。聖書の正典に含まれている手紙に加え,使徒や年長者たちが幾年もの間に非常に多くの会衆に書き送った他の手紙も多数あったに違いありません。筆者は霊によって導かれた人でしたが,それでも神は,そのような付加的な書物のいずれかに,誤りのない神の言葉の一部として区別する保証の印を押すことはされませんでした。正典ではないヘブライ語の書物には何らかの誤りが含まれていたかもしれず,使徒たちによる正典外の書物さえ,クリスチャン会衆の初期の時代に存在していた不完全な理解をある程度反映していたのかもしれません。(使徒 15:1-32; ガラ 2:11-14; エフェ 4:11-16と比較。)しかし神は,ご自分の霊により,つまり活動する力によって,特定のクリスチャンに「霊感のことばを識別する力」をお与えになったように,クリスチャン会衆の統治体に導きを与え,霊感を受けたどの書物を聖書の正典に含めるべきかを識別させることもできました。―コリ一 12:10。「正典」を参照。
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