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どんな人がエホバに是認されますかものみの塔 1988 | 11月15日
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14,15 コリントの集会には,油そそがれたクリスチャンのほかに,どんな人々が出席していましたか。それらの人々は,霊的な進歩に関して,どのように異なっていたかもしれませんか。
14 神について学びつつある人々に対してクリスチャンが寛大な接し方をしたことは,コリントにおける集会に関するパウロの注解から,明らかになります。パウロは,キリスト教が神の祝福を得ていることの当初のしるしとなっていた霊の奇跡的な賜物の用い方を論じた中で,「信者」と「不信者」という語を用いました。(コリント第一 14:22)「信者」とはキリストを受け入れてバプテスマを受けた人たちでした。(使徒 8:13; 16:31-34)「み言葉を聞くコリント人の多くが信じてバプテスマを受けるようになった」のです。―使徒 18:8。
15 コリント第一 14章24節によると,コリントの集会には「不信者または普通の人」もやって来て,そこで迎え入れられました。c 神の言葉の研究や適用における彼らの進歩の度合いは異なっていたことでしょう。依然として罪を犯している人も,ある程度の信仰を得,すでに生活を多少とも変化させ,バプテスマ前であっても,学んだ事柄を他の人々に告げ始めていた人もいたかもしれません。
16 そのような人々は,会衆の集会でクリスチャンと共にいることにより,どのように益を受けることができましたか。
16 もちろん,バプテスマを受けていないそれらの人たちのうちで,「主にある」人は一人もいませんでした。(コリント第一 7:39)彼らの過去の生活に道徳的かつ霊的に重大な欠陥があったなら,神の規準に合わせるためには当然ながら時間がかかったことでしょう。一方,悪意をもって会衆の信仰と清さを損なおうとしない限り,それらの人たちは迎え入れられました。彼らは集会で見たり聞いたりする事柄により,「その心の秘密は明らかにされ」,『戒めを受けた』かもしれません。―コリント第一 14:23-25。コリント第二 6:14。
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どんな人がエホバに是認されますかものみの塔 1988 | 11月15日
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c 「ἄπιστος(アピストス,『不信者』)と ιδιώτης(イディオーテース,『理解を得ていない者』,『尋ねる人』)は共に不信者の範ちゅうに入っており,キリスト教の教会の救われた者たちと対照を成している」―「解説者の聖書注解」,第10巻,275ページ。
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