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平和,平安聖書に対する洞察,第2巻
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クリスチャンは他の人々が平和を享受することも望みました。そのため,『平和の良いたよりの装備をはき』,霊的な戦いを行ないました。(エフェ 6:15)会衆内においてさえ,彼らは神の知識と調和しない様々な推論を覆すために戦い,そうした推論が彼らと神との関係を損なうことのないようにしました。(コリ二 10:4,5)とはいえ,真理からそれた者たちを矯正する時でさえ,言葉による戦い,つまり言い争いはしませんでした。正しい歩みから離れた者たちの事例を扱うことに関して,使徒パウロはテモテに対し次のように助言しました。「主の奴隷は争う必要はありません。むしろ,すべての人に対して穏やかで,教える資格を備え,苦境のもとでも自分を制し,好意的でない人たちを温和な態度で諭すことが必要です。神が彼らに悔い改めを授け,真理の正確な知識に至らせてくださるかもしれないからです。そして彼らは,悪魔の意志に仕えるべくその者に生きながら捕らえられていたことを知り,そのわなから出て本心に立ち返るかもしれません」― テモ二 2:24-26。
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知恵聖書に対する洞察,第2巻
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霊的な戦いを行なう 使徒パウロは,コリントにいた者のような,クリスチャン会衆を邪道に導こうとする者がいれば,その者に対して敬虔な知恵に頼りながら霊的な戦いを行ないました。(コリ一 5:6,7,13; コリ二 10:3-6。コリ二 6:7と比較。)「知恵は戦いの用具に勝り,たった一人の罪人が多くの良いものを滅ぼすこともある」ことをパウロは知っていました。(伝 9:18; 7:19)パウロは「強固に守り固めたものを覆す」ことに言及しましたが(コリ二 10:4),その言葉はギリシャ語セプトゥアギンタ訳の箴言 21章22節の一部と考えが一致しています。人間には,態度が堂々としている人,目立った才能がある人,あるいは個性的な人や話し方が力強い人たちにおもな注意を向ける性向があることをパウロは知っていました。『物質的には富んでいない賢い人の語る静かな言葉』は無視されて,見るからに力強そうな人たちのほうが認められる場合の多いことを知っていたのです。(伝 9:13-17と比較。)イエスにはソロモンが有していたほどの地上の富や地位はなかったものの,はるかに優れた知恵がありました。そのイエスでさえ支配者や民からはほとんど敬意や注意を示されませんでした。―マタ 12:42; 13:54-58; イザ 52:13-15; 53:1-3と比較。
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