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  • エルサレム
    聖書に対する洞察,第1巻
    • しかし,エルサレムという名称は,地上の都市よりももっと偉大なものの象徴として引き続き用いられました。使徒パウロは神からの霊感によって,「上なるエルサレム」が存在することを明らかにし,そのエルサレムのことを油そそがれたクリスチャンの「母」であると述べています。(ガラ 4:25,26)このことからすると,「上なるエルサレム」は,大いなる父ならびに命の与え主であられるエホバ神の妻の立場にあることになります。地上のエルサレムも,神の選ばれた国民の主要な都市として用いられていた時には,神と結婚している女,つまり契約関係において聖なるきずなにより神と結ばれている女として述べられていました。(イザ 51:17,21,22; 54:1,5; 60:1,14)ですから,地上のエルサレムは,神に仕える人間の僕たちの会衆全体を表わして,もしくは代表していました。したがって,「上なるエルサレム」はエホバの忠節な霊の僕たちの会衆全体を代表しているに違いありません。

  • 妊娠
    聖書に対する洞察,第2巻
    • それとは対照的に,エホバはご自分の民を流刑から連れ戻すことによって,エルサレムを,夫によって妊娠させられ,多くの子供を産んだ女のようにされました。―イザ 54:1-8。

      使徒パウロは,イザヤ 54章のこの預言を引用して,『自由であって,わたしたちの母である上なるエルサレム』に適用しました。(ガラ 4:26,27)このことは,啓示 12章1-5節に記録されている幻を理解するためのかぎとなるようです。その幻の中では,妊娠している天的な「女」が「子を……男子であり,あらゆる国民を鉄の杖で牧する者」を産みます。諸国民を鉄の杖で牧するということは,神のメシアによる王国と直接関連しているので,この幻はその王国を産み出すことと関係があるに違いありません。それで,生まれたばかりの「子供」に対するサタンの攻撃が失敗した後,それに続いて,「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した」という叫びが発せられます。(啓 12:10)妊娠しているその天的な「女」の出産に先立つ苦もんは,ガラテア 4章19節にあるパウロの表現を思い起こさせます。その箇所の「産みの苦しみ」は,事態の十分な進展(パウロの場合は,ガラテアの信者たちがクリスチャンとして十分に成長すること)を見たいという,胸をわくわくさせるような関心と熱烈な願いを表わしているようです。

  • 種,胤
    聖書に対する洞察,第2巻
    • パウロはアブラハムとその自由な身分の妻(サラ),および約束による息子イサクについて語ることにより,神のこの処置を例証しています。パウロはサラを「上なるエルサレム」,つまり「わたしたちの母[すなわち,霊によって生み出されたクリスチャンの母]」になぞらえています。イサクはこの「母」の子孫もしくは子らとしてのそれらのクリスチャンになぞらえられています。―ガラ 4:22-31。

  • 女,婦人
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 創世記 3章15節の「女」 神は人類の二親であるアダムとエバに刑を宣告した時,「女」から生み出され,蛇の頭を砕くことになる胤についての約束をお与えになりました。(創 3:15)ここに,神がご予定の時に明らかにすることを意図された「神聖な奥義」がありました。(コロ 1:26)その預言的な約束がなされた時に存在していた状況の幾つかの要素は,「女」の実体を明らかにするための手がかりを与えています。彼女の胤は蛇の頭を砕くことになっていましたから,その胤は人間の胤以上のものでなければならなかったでしょう。というのは,聖書の示すところによれば,神の言葉が発せられた対象は地面をはう文字通りのへびではなかったからです。その「蛇」は啓示 12章9節で霊者なる悪魔サタンであることが示されています。したがって,この預言の「女」は,イエスの母マリアのような人間の女ではあり得ませんでした。使徒パウロはガラテア 4章21-31節でこの問題に光を当てています。―「種,胤」を参照。

      その箇所で,使徒は,アブラハムの自由の妻とそばめであるハガルについて語り,ハガルは律法契約の下にある文字通りの都市エルサレムに当たり,彼女の「子供たち」はユダヤ国民の市民であると述べています。パウロはさらに,アブラハムの妻サラは「上なるエルサレム」に当たり,パウロや霊によって生み出された仲間たちの霊的な母である,と述べています。この天的な「母」はキリストの「母」でもあることになります。そして,キリストはご自分の霊的な兄弟たちの中で最年長者であられ,それらの兄弟たちはすべて彼らの父なる神から出ています。―ヘブ 2:11,12。「自由の女」を参照。

      したがって,創世記 3章15節の「女」は霊的な「女」であると見るのは論理にかなっており,聖書とも調和しています。そして,キリストの「花嫁」もしくは「妻」が一人の女ではなく,多くの霊的な成員から成る複合的な女であるという事実と一致して(啓 21:9),神の霊によって誕生する子らを生み出す「女」,つまり(前の箇所で参照されたイザヤやエレミヤの言葉の中で預言的な意味で予告された)神の『妻』も,多くの霊者たちで構成されていることでしょう。それは人格的な存在から成る複合体,一つの組織,すなわち天的な組織と言えるでしょう。

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