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神権組織とともに今前進するものみの塔 1972 | 3月15日
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12,13 (イ)12人の使徒たちは,「人々の賜物」によって行なわれたどんな霊的な奉仕を,霊がそそがれたのちに行ないましたか。(ロ)どんな記録は彼らが確かに福音宣明のわざを行なったことを証明していますか。
12 すでに取り上げたように,「忠実で思慮深い奴隷」級は1世紀当時,人々の賜物あるいは人々という形の賜物に恵まれていました。そうした賜物はイエス・キリストを通してエホバ神から与えられました。エペソ書 4章7-11節によれば,それらの賜物のすべてが使徒たちだったというわけではありません。ある者たちは預言者,他の者たちは福音宣明者や牧者,さらに他の者たちは教師でした。もちろん,使徒たちは預言者・福音宣明者・牧者(牧師)・教師を兼ねていました。ペンテコステの日,そそがれた聖霊の力を受けた12人の使徒たちはヨエル書 2章28,29節の成就として預言しました。(使行 2:16-18,21)同時に,彼らは福音宣明のわざを行ないました。つまり良いたよりを宣明しました。というのは,捕えられて留置場に入れられ,法廷に引き出されて,むち打たれたあげく釈放された12人の使徒たちが何をしたかについては,使徒行伝 5章42節はこう述べているからです。
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神権組織とともに今前進するものみの塔 1972 | 3月15日
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14 会衆が「神の羊の群れ」と呼ばれている以上,このことはどんな責務を12人の使徒たちに課すものとなりましたか。彼らはその責務を全うしましたか。
14 この記録は,彼らが福音宣明者だっただけでなく,教師であったことを証明します。それら使徒たちはまた牧者つまり牧師でもありましたか。そうです。復活したイエスがガリラヤの海べでペテロに,「わが羔羊を養へ……わが羊を牧へ……わが羊をやしなへ」という命令に従って自分の愛と愛情を実証するよう命じられたことを思い起こしてください。(ヨハネ 21:15-17)他の使徒たちもみな会衆の霊的な牧者となり,またそうした牧者として行動しました。会衆が「神の羊の群れ」と呼ばれていること自体,その群れの牧者となるべき責務をそれら使徒たちに課すものでした。
15 預言をするという奉仕の務めを使徒たちが独占したかどうかについて記録はどのように述べていますか。
15 とはいえ,12人の使徒たちと使徒パウロは預言者・福音宣明者・牧者・教師として仕える能力を持ち,事実そうした者として奉仕したものの,そのような種々の形でクリスチャンの奉仕の務めを独占したわけではありません。ほかにも,こうしたさまざまな奉仕の務めに専門に携わり,そうした務めに傑出した,献身してバプテスマを受けた人たちがいました。(コリント前 12:4,5)たとえば,エペソで使徒パウロが12人ほどの人たちに「主イエスの名によりて」バプテスマを施し,次いで両手を彼らの上に置いたとき,「聖霊その上に臨みたれば,彼ら(は)異言を語り,かつ預言」しはじめました。(使行 19:1-7)奇跡的な預言の賜物は,聖霊によって,使徒たちの時代の献身してバプテスマを受けた他の多くのクリスチャンにもわけ与えられました。(コリント前 12:7-10,27-29; 14:29-32。使行 13:1; 21:10)ですから,使徒たちだけが預言したわけではありません。
16 パウロはミレトで,使徒たち以外の者も霊的な牧者の奉仕の務めを全うすべきことをどのように示しましたか。
16 霊的な「牧者」の賜物についてはどうですか。歴史上の証拠は,そうした者たちがいたことを示しています。西暦56年ごろ,「諸国民への使徒パウロはエルサレムへ行く途中,海港ミレトに立ち寄り,人をつかわして,船が出る前に会いに来るよう,ほど近いエペソ会衆の公式の長老たちを招きました。別れの話をしたパウロは,その話の中でそれら長老たちに,彼らが行なうよう任命された霊的なわざを思い起こさせて言いました。「あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。聖霊は,神がご自身の御子の血をもって買い取られた,神の会衆を牧するために,その群れの中にあなたがたを監督として任命したのです。わたしが去ったのちに,暴虐なおおかみがあなたがたの中に入り込み,群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています」。(使行 20:28,29,新)ですから,それら長老たちは監督であり,同時に霊的な牧者でした。
17 黙示録 1章20節また2章1節の星のような「使」たちはだれを表わしていましたか。したがって,そうした人たちはどんな責任を負っていましたか。
17 ただひとりの長老または監督もしくは牧者ではなくて,「長老たちの一団」全体が,栄光を受けた主イエス・キリストにより,天の星で象徴される「使」と呼ばれる者であったことはまちがいありません。たとえば,西暦96年ごろ,イエスはパトモス島にいた年老いた使徒ヨハネに,書きしるすようにと命じて言われました。「エペソに在る教会の使に書きおくれ。『右の手に七つの星を持つ者,七つの金の燈台の間に歩むもの斯く言ふ』」。(黙示 2:1; 1:20)そのエペソの「長老たちの一団」(あるいは長老会)は星のように行動して,天的な光,霊的な光を放って会衆を照らすことになっていました。彼らは聖霊によりその会衆の牧者として立てられていました。これらの牧者はそうした光によって会衆を正しく導くのです。―テモテ前 4:14,新,1971年版脚注。
18 ペテロは牧者たちの賜物に使徒以外の人たちも含まれていることを認めていましたが,ペテロ前書 5章1-4節は,この点をどのように示していますか。
18 さらに,西暦62-64年ごろ,使徒ペテロは1世紀の会衆に与えられた牧者たちの賜物について書きました。ペテロはみずからを小アジアの諸会衆の「長老たち」と同じ立場に置いて,次のように書いています。「われ汝らの中なる長老たちに勧む(我は汝らと同じく長老たる者,またキリストの苦難の証人,顕れんとする栄光に与る者なり)汝らの中にある神の群羊を牧へ。……群羊の模範となれ。さらば大牧者の現れ給ふとき,萎まざる栄光の冠を受けん」。(ペテロ前 5:1-4。新世界訳,1971年版脚注)ですから,ペテロは,牧者たちの賜物には使徒たち以外の人びとも含まれていることを認めていました。
19 テトス書 1章5-9節でパウロが示しているように,「人々の賜物」に含まれる「教師」とはだれでしたか。
19 また,「教師たち」も「人々の賜物」として与えられました。「教師たち」というのは,家族の集まりで子どもを教える親とか,関心のある人たちにその自宅で聖書の真理を教える,会衆の普通の成員のことではありません。それは,特に教える技術に恵まれている男子たち,したがって,会衆内で行なわれている定期的な聖書研究を司会する教師として任命された人たちを意味します。たとえば,ローマでの最初の投獄を終えて釈放されたのち,使徒パウロはテトスに手紙を書きました。パウロは,都市ごとに会衆のために公式の長老たちを任命すべくテトスをクレテに残してきたのです。監督でもあるべきそれら長老たちの資格を説明するにさいして,パウロはこう書きました。「それ監督は……〔教える技術〕に適ふ信ずべき言を守る者たるべし。これ健全なる教をもて人を勧め,かつ言ひ逆ふ者を言伏することを得んためなり」― テトス 1:5-9,〔新〕。
20 パウロは,諸会衆の公式の「長老たち」が「教師」という形の「賜物」であることをテモテにどのように示しましたか。
20 同じころ,使徒パウロはテモテに手紙を書きました。テモテはそれ以前に,任命を行なう権威を与えられていました。パウロは,会衆に監督たちを任命するさい準拠すべき事がらを述べ,16の資格を列挙しました。その一連の資格の中で7番目に上げられているのが,『教える資格を持つ』ことです。(テモテ前 3:1-7,新)監督は,「新に教に入りし者」以上の人でなければならなかったのですから,公式の「長老」であったに違いありません。使徒パウロはさらに次のように述べて,教師という形の「賜物」の中に使徒でない「長老たち」が含まれていたことをテモテに示しました。「善く治むる〔長老たち〕,殊に言と教とをもて労する長老を一層尊ぶべき者とせよ」。(テモテ前 5:17,〔新世界訳,脚注〕)したがって今日,エホバの証人は,会衆の成員の住んでいるところからあまり遠くない便利のよい場所で週中に行なわれる,会衆の聖書研究を公式の「長老たち」が司会するよう取りはからうことに努めます。そうした週ごとの聖書研究すべてを司会するに足る十分の数の長老がいない場合にかぎり,そうした研究を司会すべく「奉仕のしもべたち」を起用します。―テモテ前 3:8,9,12,13,新。
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