-
天聖書に対する洞察,第2巻
-
-
「天の場所」にいる人たちが,まだ地上にいるのはどうしてでしょうか
使徒パウロはエフェソス人への手紙の中で,その当時地上に住んでいたクリスチャンが,『キリスト・イエスとの結びつきにおいて[よみがえらされ,]天の場所に共に座らされ』,すでに天的な地位を享受しているかのように語っています。(エフェ 1:3; 2:6)文脈からすると,油そそがれたクリスチャンは神により,天の相続財産をみ子と共に受け継ぐ「相続人として選定された」ので,神からそのようにみなされていることが分かります。彼らはまだ地上にいる間,そのような割り当てによって高くされてきました。つまり『挙げられて』きたのです。(エフェ 1:11,18-20; 2:4-7,22)これらの点は,啓示 11章12節にある象徴的な幻の解明にも役立ちます。同様に,ダニエル 8章9-12節に含まれている預言的描写,つまり前の部分では政治勢力を表わすとされていたものが「天の軍に達するまでに大きくなっていき」,その軍と星の幾らかを地に落とすまでになると述べられている箇所を理解するためのかぎも,ここから得られます。ダニエル 12章3節では,予告されていた終わりの時に地上にいるそれら神の僕たちが「定めのない時に至るまで……星のように」輝くと言われています。「啓示」の書1章から3章でも,星が象徴的な意味で用いられていることに注目してください。それらの章の文脈は,それらの「星」が,明らかに地上に住み,地上において様々な経験をし,様々な誘惑に遭っている人たちであることを示しています。それらの「星」は彼らの世話のもとにある諸会衆に対して責任を負っています。―啓 1:20; 2:1,8,12,18; 3:1,7,14。
-
-
聖なる場所聖書に対する洞察,第2巻
-
-
クリスチャンの従属の祭司 神が住まわれる場所は聖なる所,つまり聖なる場所なので,クリスチャン会衆も聖なる場所,神の神殿に例えられています。(コリ一 3:17; エフェ 2:21,22)イエス・キリストの油そそがれた追随者たちは地上にいる間,「聖なる祭司職のための霊的な家に築き上げられてゆく」者たち,また「王なる祭司」を構成する者たちであるとされています。(ペテ一 2:5,9)従属の祭司たちが中庭と聖なる場所で奉仕したように,これら神に属する祭司であるクリスチャンは,神の象徴的な祭壇の前と象徴的な聖なる場所で奉仕します。イスラエルの祭司たちは清くなければならなかったので,彼らは聖なる場所での奉仕の準備に当たり,中庭にあった銅の水盤の水で自分の身を洗いました。(出 40:30-32)それで,義と宣せられたそれらのクリスチャンも,「洗われて清くなった」と言われています。(コリ一 6:11)イスラエル人の祭司たちは,幕屋での務めを果たす時,幕屋の垂れ幕上のケルブの姿に囲まれていました。このことは,義と宣せられているある人たちに使徒パウロが述べた言葉,つまり,「[神は]キリスト・イエスとの結びつきにおいてわたしたちを[まだ地上にいる間に]天の場所に共に座らせてくださった」という言葉を思い起こさせます。(エフェ 2:4-6)「王なる祭司」であるこれらのクリスチャンは,奉仕を行なう際,賛美の犠牲(ヘブ 13:15)と神への祈り(香と関係があった; 啓 8:4)をささげ,神が(祭司たちのために供えのパンを準備されたように; マル 2:26)備えてくださる霊的な食物を食べ,(燭台から発せられるかのような; 詩 119:105)神の真理の言葉からの光を享受します。使徒パウロは,彼らにはイエス・キリストの犠牲を通して,真の「至聖所」である天そのものに入る希望があることを指摘しています。―ヘブ 6:19,20; 9:24; ペテ一 1:3,4。「至聖所」; 「聖なる寄進物」を参照。
-