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確信を与える確かな根拠ものみの塔 1976 | 10月15日
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20,21 (イ)洪水前にもそうであったように,わたしたちは食べたり,飲んだり,建てたりなどしますが,その際にどんなことを避けねばなりませんか。(ロ)テサロニケ第一 5章4-6節の使徒パウロの言葉は,迫っているかの「日」の危険を逃れることについて,どのように警告していますか。(ハ)パウロは,目ざめていることの意味を,ローマ 13章11-14節でどのように示していますか。
20 食べたり,飲んだりすることも,めとったり,家族を育てたり,買ったり,売ったり,植えたり,建てたりするのは別に悪いことではありません。悪いのは,ノアやロトの日の人々がしたようにすることです。すなわち,そうした事柄に没頭するあまり神の目的と神の義の規準を見失い,生活の中で肉の事柄を第一にすることです。そうすることは霊的に眠りに落ち入ることです。その道とは反対に,使徒パウロはこう述べています。「しかし,兄弟たち,あなたがたはやみにいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にもやみにも属していません。ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」― テサロニケ第一 5:4-6。
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確信を与える確かな根拠ものみの塔 1976 | 10月15日
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22 わたしたちはその「日」の来る時を知らないからといって気をゆるめてよいでしょうか。
22 ですから,「大患難」がいつぼっ発するかも,神の子の千年統治がいつ始まるかも知らないからといって,そのために今日警戒している必要が少なくなるわけではありません。目ざめ,用心し,用意している必要は非常に増大します。もし正確な時を知っていたなら,わたしたちは気をゆるめ,その時が近くなったころに用意を始めればいい,という気になるかもしれません。しかし知らないなら,いつも用意していなければなりません。神の言葉である聖書の全趣旨,そして特に神のみ子の助言の趣意はそこにあります。
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