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スポーツをあるべき位置に保つ目ざめよ! 1991 | 8月22日
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ですから,次のような大切な教訓が学べます。つまり,生産的な仕事や家族,とりわけ神への崇拝が当然優先されるべきだということです。「[スポーツで行なう]体の訓練は少しの事には益があります」という聖書の言葉は間違いではありません。(テモテ第一 4:8)この言葉は,スポーツが生活の中で占めるべきふさわしい位置を示しています。つまり,スポーツは二次的なものであるべきです。スポーツが非常に強く人を引きつける以上,もっと重要な事柄がおろそかにならないようにいつも気を配っていなければなりません。
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スポーツをあるべき位置に保つ目ざめよ! 1991 | 8月22日
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スポーツにはどんな益があるか
これまで見てきたように,スポーツによる体の訓練は,「少しの事には益があ(る)」と聖書は述べています。(テモテ第一 4:8)どのような点でそう言えるのでしょうか。どうすればスポーツから益が得られるでしょうか。
2世紀のギリシャの医学者で,ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの侍医も務めたガレノスは,全身の健康のために運動が大切であることを強調しました。ガレノスが勧めたのは球技でした。球技を行なうと全身を自然に動かすからです。また球技はたいてい楽しく行なえるので,人々はほかの運動をするよりは楽しい球技のほうをしたいと思うことでしょう。
多くの人が気づいているように,スポーツを通じて運動を行なうときには幸福感が得られます。刺激を与える体操や競技の後は,若返ったようなさわやかな気分になります。それもそのはず,ドロシー・ハリス博士が述べているように,「運動は自然の最高の鎮静剤」だからです。
今日,柔軟体操やジョギングや試合などを通じて行なう体の運動は,健康を保つのに大切であると一般に考えられています。「体の調子が良い人は日常の仕事を疲れずに楽々とこなし,なおかつ他の関心事にもエネルギーを費やせる。そのような人はまた,体の調子が悪い人に比べ,老化の影響に抵抗しやすいかもしれない」と,ワールドブック百科事典は述べています。
しかし,スポーツがいくら体の健康に役立つといっても,その益は限られています。老化と死は,人間の努力ではどうにもなりません。しかし聖書は,「体の訓練は少しの事には益があ(る)」と言った後で,「敬虔な専心はすべての事に益がある……。それは,今の命と来たるべき命との約束を保つ」と述べています。―テモテ第一 4:8。
わたしたちに命を与えることができるのは,わたしたちの創造者エホバ神をおいてほかにはいません。ですから何よりも大切なのは,「敬虔な専心」,つまり,神に対する崇敬の念や崇拝や奉仕です。それで敬虔な専心を実践する人は,神のご意志を行なうことを最優先させます。イエス・キリストと同様,神とその王国に関する良い事柄を他の人々に語る活動に青春を費やし,神への奉仕に打ち込むのです。
そうです,人は神の関心事を第一にすることにより,神の是認を得ると共に,義にかなった新しい世でとこしえに生きることができるようになります。そこでは,幸福な神エホバが,いつまでも続く本当の幸福と満足を与えてくださるでしょう。
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