ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 冠
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 花輪の冠,もしくは花冠は,運動競技の催しに関連して使われました。(テモ二 2:5)ギリシャの競技の勝者には,普通,木の葉で作った冠もしくは輪が与えられました。例えば,ピュティア競技会の勝利者は月桂樹で作った冠を受け,オリンピア競技会の勝者は野生のオリーブの葉の冠を得,イストミア競技会(コリントの近くで開かれた)の勝利者には松か乾燥させたセロリで作られた冠が与えられました。

  • 競技,遊技
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 例証的な用法 パウロやペテロは一部の競技の特色を,教えの要点を示す適切な例として用いました。油そそがれたクリスチャンも冠を得ようとして懸命に努力しますが,その冠はギリシャの競技の参加者が求めた賞とは対照的に,木の葉でできたしおれる花輪ではなく,不滅の命という報いであることが示されました。(ペテ一 1:3,4; 5:4)そのようなクリスチャンは賞を獲得する決意を抱いて走るべきであり,その賞から目を離してはなりませんでした。後ろを振り向くなら,悲惨な結果になりました。(コリ一 9:24; フィリ 3:13,14)道徳的な生活を律する種々のルール,つまり規則に従って競い,失格しないようにすべきです。(テモ二 2:5)自制,自己鍛錬,および訓練はいずれも不可欠です。(コリ一 9:25; ペテ一 5:10)十分に訓練された拳闘家が力を無駄にせずに行なう打撃が物を言うのと同様,クリスチャンは勝利を目指して,ねらいのしっかり定まった努力をしなければなりませんでした。しかし,クリスチャンの行なう打撃の対象は,だれか他の人間ではなく,自分の失敗を招く恐れのある,自分自身のうちに宿るものをも含め,物事なのです。(コリ一 9:26,27; テモ一 6:12)競走の参加者が厄介な衣服を脱いだのと同様,クリスチャンの走者は妨げとなるあらゆる重荷や信仰の欠如という絡みつく罪を捨てるべきでした。クリスチャンの走者は短距離の疾走ではなく,忍耐の要る競走をする覚悟をしていなければなりませんでした。―ヘブ 12:1,2。

日本語出版物(1953-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする