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終わりの日聖書に対する洞察,第1巻
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キリスト・イエスは「時代の終わり」,もしくは「これらの日の終わり」に登場してその活動を行なわれたと述べられていますが,その「終わり」もやはりユダヤ人の事物の体制の終わりを指していたに違いありません。(ペテ一 1:20,21; ヘブ 1:1,2)このことはヘブライ 9章26節の次の言葉によって確証されています。「しかし今,[イエスは]ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされたのです」。
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事物の体制聖書に対する洞察,第1巻
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そのためだと思われますが,ヘブライ 9章26節はキリストについて,彼は「ご自分の犠牲によって罪を取りのけるため,事物の諸体制の終結のときに,ただ一度かぎりご自身を現わされた」と述べています。それでも,その時代を他と区別する種々の特色は,西暦70年にエルサレムとその神殿が破壊され,ユダヤ人が散らされる時までは,完全な終わりには至りませんでした。この災難 ― ただし,ユダヤの最後の要塞(マサダにあった)はその3年後,すなわち西暦73年になってローマ人の手に落ちた ― によって,律法に規定されたユダヤ人の祭司職,犠牲,神殿での崇拝などは永久に終わり,神によって制定されたユダヤ人の国家的な取り決めも終わりました。キリストの死後多年を経た後,しかしローマがエルサレムを荒廃させる前に,使徒パウロがイスラエルの過去の特定の歴史について語り,「さて,これらの事は例として彼らに降り懸かったのであり,それが書かれたのは,事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告のためです」と言うことができたのは,そのためだったに違いありません。―コリ一 10:11。マタ 24:3; ペテ一 4:7と比較。
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