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    聖書に対する洞察,第1巻
    • しかし,信仰を当たり前のものとみなすことはできません。信仰の欠如は「容易に絡みつく罪」だからです。確固とした信仰を保つには,信仰のための厳しい戦いをし,人を不道徳行為に陥らせる者たちに抵抗し,肉の業と闘い,物質主義のわなを避け,信仰を打ち壊す哲学や人間の伝統を避け,何よりも「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に」見つめることが必要です。―ヘブ 12:1,2; ユダ 3,4; ガラ 5:19-21; テモ一 6:9,10; コロ 2:8。

  • 競技,遊技
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 例証的な用法 パウロやペテロは一部の競技の特色を,教えの要点を示す適切な例として用いました。油そそがれたクリスチャンも冠を得ようとして懸命に努力しますが,その冠はギリシャの競技の参加者が求めた賞とは対照的に,木の葉でできたしおれる花輪ではなく,不滅の命という報いであることが示されました。(ペテ一 1:3,4; 5:4)そのようなクリスチャンは賞を獲得する決意を抱いて走るべきであり,その賞から目を離してはなりませんでした。後ろを振り向くなら,悲惨な結果になりました。(コリ一 9:24; フィリ 3:13,14)道徳的な生活を律する種々のルール,つまり規則に従って競い,失格しないようにすべきです。(テモ二 2:5)自制,自己鍛錬,および訓練はいずれも不可欠です。(コリ一 9:25; ペテ一 5:10)十分に訓練された拳闘家が力を無駄にせずに行なう打撃が物を言うのと同様,クリスチャンは勝利を目指して,ねらいのしっかり定まった努力をしなければなりませんでした。しかし,クリスチャンの行なう打撃の対象は,だれか他の人間ではなく,自分の失敗を招く恐れのある,自分自身のうちに宿るものをも含め,物事なのです。(コリ一 9:26,27; テモ一 6:12)競走の参加者が厄介な衣服を脱いだのと同様,クリスチャンの走者は妨げとなるあらゆる重荷や信仰の欠如という絡みつく罪を捨てるべきでした。クリスチャンの走者は短距離の疾走ではなく,忍耐の要る競走をする覚悟をしていなければなりませんでした。―ヘブ 12:1,2。

      パウロがヘブライ 12章1節で,大勢の「雲のような証人たち[ギ語,マルテュローン]に囲まれている」ことについて述べているのは注目すべきことです。パウロが単なる大勢の傍観者に言及しているのでないことは,「こうして……」と言って言及している,前の章の内容から見て明らかです。ゆえにパウロは,単なる傍観者ではなく,やはり走者であった他の人たちの立派な模範を指し示すことにより,競走において前進するようクリスチャンを励まし,とりわけ既に勝利を収め,今や自分たちの審判者となられたキリスト・イエスを一心に見つめるようクリスチャンに勧めているのです。

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