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忠実に対する優れた報いものみの塔 1975 | 5月1日
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その「奴隷」が「召使いたち」を養う仕事をどのように遂行しているかを検閲した後に,報いが与えられることになっていました。その主人は,ミナの例えに出てくる主人の場合と同様に,より大きな権威を受けるために旅に出ました。その人は王権を受けるために遠くの土地へ旅立ちました。この例えの「主人」はキリストを表わしており,帰って来てから奴隷たちと清算を行なっている様子が示されています。(ルカ 19:12-27)同様に,キリストが王国の権威を受けて目に見えないさまで臨在を開始する時,それも地を支配している現在のこの事物の体制を取り除くべくキリストが行動を起こされる前に,その「忠実で思慮深い奴隷」は報いを受けるに違いありません。使徒ペテロは,『裁きは神の家から始まらねばならず』,その後に一般の世が裁かれる,という原則を述べました。―ペテロ第一 4:17。
キリストの「召使いたち」を霊的に養うことは,「忠実で思慮深い奴隷」にとって決して容易なことではありませんでした。それも,イエスがその奴隷を検閲し,報いを与えるために目に見えないさまで来られた後の数年間は特にそうでした。「羊の群れ」に霊的食物を分け与える独占権を有していると主張する宗教諸団体から相当の反対や厳しい迫害を受けました。それら宗教諸団体は「羊の群れ」は自分たちのものだと言い張ったのです。ところが,キリスト教世界のそれら宗教諸団体は自ら戦時特有の記録を,つまりイエス・キリストの弟子であるとともにその奴隷であるという主張に重大なかかわりを持つ,あらわな流血の記録を作っていました。その上,戦時下の異常な興奮状態を利用して,エホバのクリスチャン証人の少数の残りの者に対する暴徒行為を唆したり,逮捕・投獄させたり,その成員のある人々を殺させたりしました。戦時下の事情や種々の制約と相まって,こうした仕打ちを受けたため,その「奴隷」の小集団にとって個々の「召使いたち」に聖書に関する情報を絶えずよどみなく提供することは至難のわざでした。しかし,幾多の困難にもめげずそのわざを忠実に果たしました。
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忠実に対する優れた報いものみの塔 1975 | 5月1日
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さて,イエスは復活させられた後,「遠い土地」へ,つまり天そのものに,ご自分の父エホバ神のみ前に行かれました。そして神の右に座し,神の定められた時を待った後,西暦1914年に世界を治める王権をお受けになりました。(ヘブライ 10:12,13)次いで,検閲の時を経て1919年に,主人がその忠実な「奴隷」に報いを与える時が到来しました。そのしもべ級が忠実のかぎりを尽くして信仰の家の者たちを養っているのを見たイエスは,その「奴隷」に新たな身分をお与えになりました。「奴隷」はそれまで「召使いたち」を養っていましたが,今や管理範囲を大いに広げられ,キリストの「すべての持ち物」をつかさどる立場を得ました。キリストのその「すべての持ち物」には,以前含まれていたものよりもずっと多くの事柄が含まれていました。主人は王権を得たのですから,その「奴隷」は今や,主人の増大した関心事にあずかることになりました。その忠実な「奴隷」は今や,遠いどこかの王国ではなく,今やすでに全地を支配下に置いている神の王国を代表し,それを広く告げ知らせることになりました。今やその「奴隷」は,即位したメシアなる王を代表することになりました。そして,その王の一千年にわたってなされる地に対する全面的な支配は近い将来に開始されるのです!
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