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死から生命に移るものみの塔 1965 | 3月1日
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25 (イ)一つの状態から他の状態に移る人々は,何を受けることがありませんか。(ロ)ヨハネによれば,死から生命に移った証拠として,その人々はどんな資質を表わしますか。
25 死の定めから解放されたこのような人々は,イエスの先の言葉にある通り,「さばかれることがなく」,「死から命に移っている」人となります。(ヨハネ 5:24)罪ととがに死んでいた人が霊的な生命に移ることを,使徒ヨハネは次のように述べています。「兄弟たちよ。世があなたがたを憎んでも,驚くには及ばない。わたしたちは,兄弟を愛しているので,死からいのちへ移ってきたことを,知っている。愛さない者は,死のうちにとどまっている。あなたがたが知っているとおり,すべて兄弟を憎む者は人殺しであり,人殺しはすべて,そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない」。そのクリスチャン兄弟たちが,神の新しい秩序における永遠の生命にふさわしいことを何時までもあらわすように願って,ヨハネは次の言葉を加えました。「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく,行いと真実とをもって愛し合おうではないか」― ヨハネ第一 3:13-15,18。
26 このような愛は,彼らを動かして何をさせますか。従ってどなたの観点から,その人々は生きていますか。
26 このようなクリスチャンの持つ愛は,神のみ霊の実です。ヨハネの第一の手紙 5章3節にある通り,それはクリスチャンに神の戒めを守らせます。「神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ることである。そして,その戒めはむずかしいものではない」。キリストの追随者に対する神の戒めを守る人々は,神の観点から真実に生き,いま霊的に生きている人です。
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墓から「生命によみがえ」るものみの塔 1965 | 3月1日
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墓から「生命によみがえ」る
1 キリストと共に審判者となる人々は,地上にいる間にどんな生命にはいりましたか。どのように?
過去19世紀のあいだ,天国においてみ子と共に審判者となるために神から選ばれた人々は,神の子の声を聞いてきました。そしてみ子の声が命じた事に従ったゆえに,彼らは地上にいるうちに霊的な生命にはいりました。そして人類の世が定められている死の状態から義とされました。人願の世は罪ととがと憎しみのうちに死んでいます。しかしすべて信ずる者のためにみ子が遂げた犠牲の死によって,神は彼らを死の定めから救われました。―ロマ 5:1; 8:1-4。
2 ヨハネ伝 5章26節において,「自分のうちに生命を持つ」と言われたイエスの言葉は,何を指していますか。
2 信ずる者を死から生命に移す神の働きに関連して,イエス・キリストのはたす役割は,つづいてイエスの言われた言葉に述べられています。「それは,父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に,子にもまた,自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである」。イエスがここで述べられた論議に照らしてみるとき,イエスは,ある人の言うように,天の父あるいはご自身の「内に在る生命」,あるいはアメリカ訳の訳語で「自存」と言われているものの事を語ったのではありません。(ヨハネ 5:26)イエスの論議から見ると,イエスは生命を与える力のことを語っていたのです。従って新英訳聖書(1961年)は,イエスの言葉を次のように訳しています。「父が,生命を与える力をご自分の中に持たれるように,子も父からの贈物によってそれを持つ」。ロナルド・ノックスによるローマカトリック訳も同様です。「父がご自身の中に生命の贈物を持たれるように,子もまた自分の中に生命の贈物を持つことを父から許されたのである」。1950年に発刊されたクリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳も同じ考えを述べています。「父はご自身のうちに生命の賜物を持たれ,同様にして子が自分の中に生命の賜物を持つことをも許された」。
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