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裁きの日聖書に対する洞察,第1巻
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裁きの日に調べられる多くの人が復活を経た人たちであることを示す最後の説明は,啓示 20章12,13節に見いだされます。そこでは,個々の人が「そのみ座の前に立っている」様子が描かれています。死者のこと,また死とハデスがその中にいる死者を出すことも述べられています。そのような人たちが裁かれます。
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命聖書に対する洞察,第1巻
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啓示 20章11-15節の裁きの場面では,キリストの千年統治の期間中に「命の巻き物」が開かれて追加の名が記入されることが示されており,教えの巻き物も開かれます。こうして『不義者の復活』の際に戻って来る人たちは,もし従順に教えの巻き物に調和した行ないをするなら,自分の名を「命の巻き物」に書いてもらう機会を得ます。(使徒 24:15)言うまでもなく,『義者の復活』の際に戻って来る,神の忠実な僕たちは,すでに「命の巻き物」に名が記されていることでしょう。彼らは神の教えに対する忠節な従順により,その巻き物に自分の名をとどめ得るのです。
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復活聖書に対する洞察,第2巻
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また,シェオル(ハデス)つまり人類共通の墓,もしくは「海」つまり水の墓に埋葬されている大勢の「不義」者もいます。そのような人々と,地上に復活させられる「義者」とが裁かれることについて,啓示 20章12,13節に次のような説明があります。「そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた」。
地上への復活が生じる時 聖書には,キリストが共なる王また祭司と行なう千年統治の期間中に生じる出来事を記した箇所があり,そこに上記の裁きに関する記述が見られます。使徒パウロの言葉によると,それらの王また祭司たちは「世を裁く」ことになります。(コリ一 6:2)あらゆる階層からの『大なる者と小なる者』がそこにおり,偏りのない裁きを受けることになります。彼らはその時に開かれる「それらの巻き物に書かれている事柄により……裁かれ」ます。この巻き物が,彼らの過去の生活の記録,あるいは過去の生活を基に彼らを裁くための規則集であるはずはありません。というのは,「罪の報いは死」である以上,それらの人たちは自分の死により,すでに過去の罪の報いを受けているからです。(ロマ 6:7,23)今や彼らが復活させられるのは,神に対する自分の態度を実際に示し,すべての人のために与えられたイエス・キリストの贖いの犠牲をとらえたいと願うかどうかを実証できるようにするためです。(マタ 20:28; ヨハ 3:16)過去の罪は彼らに帰されないとはいえ,自分たちを完全な状態へと引き上げるため,彼らには贖いが必要です。そして地とそこに住む人々に関する神のご意志や種々の規定に調和して,以前の生き方や考え方を捨て,思いを作り替えなければなりません。したがって,「それらの巻き物」とは,その裁きの日の期間中の彼らに対する神のご意志と律法を明らかにしたものと思われます。それらの事柄に対する信仰と従順は裁きの基盤であり,最終的に彼らの名が消すことのできない名として「命の巻き物」に記されるかどうかを決定する基盤ともなります。
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巻き物聖書に対する洞察,第2巻
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裁きの巻き物と命の巻き物 ヨハネはまた,「数々の巻き物が開かれ」,復活させられた人々が『それらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれる』のを見ました。それらの巻き物には,その裁きの期間中の,人類に対する神のご意志を明らかにするエホバの律法や教えが記されているものと思われます。そのような人々の名がエホバの「命の巻き物」に書かれる,もしくはとどめられるに値するかどうかは,それらの巻き物に記されている事柄を信仰をもって従順に行なうか,あるいはそれに対して不従順な行ないをするかによって明らかになります。―啓 20:11-15。「命」を参照。
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