13章
火で精錬された金を買いなさい
ラオデキア
1,2 栄光を受けられたイエスからの音信を受け取った七つの会衆のうちの最後の会衆は,どこに位置していますか。その都市には幾つかのどんな特徴がありますか。
ラオデキアは,復活させられたイエスからの音信を受け取った,七つの会衆のうちの最後の会衆です。しかも,その音信は,何と人を鼓舞し,目をみはらせるような情報を伝えているのでしょう。
2 今日,アラセヒルの南東約88㌔の所にあるデニズリの近くで,ラオデキアの遺跡が見られます。1世紀当時,ラオデキアは繁栄した都市で,主要道路の交差点に位置していたので,金融と商業の主要な中心地の一つでした。また,広く知られた目薬の売買でその都市の富は増え,さらに同市は上等の黒羊毛を使って地元で作られた上質の衣服でも有名でした。同市の主要な問題の一つは水がないことでしたが,かなり遠い所にある温泉から導管で水を引いて問題を克服しました。ですから,その水は同市に届くころには,すっかり生ぬるくなっていたようです。
3 イエスはラオデキアの会衆あてのご自分の音信の中で,どのように語り始めておられますか。
3 ラオデキアはコロサイの近くにありました。使徒パウロはコロサイ人に手紙を書いた時,ラオデキアの人々に書き送った手紙に言及しています。(コロサイ 4:15,16)パウロがその手紙の中でどんなことを書いたかは知るよしもありませんが,イエスが今ラオデキアの人々に送られる音信は,彼らが霊的に悲惨な状態に陥っていることを示しています。けれども,イエスはいつものように,まずご自身の信用証明となるものに言及し,こうお告げになります。「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う」― 啓示 3:14。
4 イエスはどうして「アーメンなる者」であられますか。
4 イエスはどうしてご自身のことを「アーメンなる者」と呼んでおられるのでしょうか。この称号はイエスの音信に法的な重みを加えています。「アーメン」という言葉は,「確かに」,もしくは「そうなるように」という意味のヘブライ語の言葉を翻字したもので,祈りの中で言い表わされた気持ちが真実であることを認めるために祈りの終わりに用いられます。(コリント第一 14:16)イエスは「アーメンなる者」であられます。なぜなら,その非の打ちどころのない忠誠と犠牲の死は,エホバの貴重な約束すべてが成就することを確証し,保証するものとなったからです。(コリント第二 1:20)その時以来,祈りはすべてイエスを通して正しくエホバにささげられています。―ヨハネ 15:16; 16:23,24。
5 イエスはどんな点で「忠実で真実な証人」であられますか。
5 イエスはまた,「忠実で真実な証人」でもあられます。イエスのことは預言の中ではしばしば,忠実,真実,および義と結びつけて考えられています。というのは,イエスはエホバ神の僕として完全に信頼できる方であられるからです。(詩編 45:4。イザヤ 11:4,5。啓示 1:5; 19:11)イエスはエホバのための最も偉大な証人であられます。実際,イエスは「神による創造の初めである者」として,まさに最初から神の栄光を明らかにされました。(箴言 8:22-30)人間として地上におられたイエスは,真理について証しをされました。(ヨハネ 18:36,37。テモテ第一 6:13)イエスは復活させられた後,弟子たちに聖霊を約束して,こうお告げになりました。「あなた方は……エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。西暦33年のペンテコステ以降,イエスは「天下の全創造物の中で」良いたよりを宣べ伝えるよう,それら油そそがれたクリスチャンを導かれました。(使徒 1:6-8。コロサイ 1:23)確かに,イエスは忠実で真実な証人と呼ばれるに値する方です。ラオデキアの油そそがれたクリスチャンがイエスの言葉に耳を傾けるなら,益を受けられます。
6 (イ)イエスはラオデキアの会衆の霊的な状態をどのように描写しておられますか。(ロ)ラオデキアのクリスチャンはイエスのどんな立派な模範に従い損ないましたか。
6 イエスはラオデキアの人たちに対してどんな音信を持っておられますか。褒め言葉は持っておられません。イエスは彼らに率直にこうお告げになります。「わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」。(啓示 3:15,16)あなただったら,主イエス・キリストからのこのような音信にどのようにこたえ応じたでしょうか。目覚めて,自分自身を吟味したのではないでしょうか。確かに,ラオデキアの人たちは自ら奮起する必要があります。というのは,彼らは物事を余りにも当たり前と考えたためと思われますが,霊的に怠惰になったからです。(コリント第二 6:1と比較してください。)彼らがクリスチャンとして見倣うべきであったイエスは,エホバとエホバへの奉仕に対する燃えるような熱意を常に表わしておられます。(ヨハネ 2:17)さらに,柔和な人たちは,イエスが常に優しくて,温和で,うだるように暑い日の一杯の冷たい水のようにさわやかな方であることも知っています。(マタイ 11:28,29)しかし,ラオデキアのクリスチャンは熱くも冷たくもありません。彼らの都市に流れて来る水のように,微温で,生ぬるくなっています。彼らはイエスから完全に退けられ,つまり『口から吐き出され』てしまいそうです! わたしたちも,イエスがなさったように,他の人を霊的にさわやかにするものを提供するよう,常に熱心に努力できますように。―マタイ 9:35-38。
『あなたは,「わたしは富んでいる」と言う』
7 (イ)イエスはラオデキアのクリスチャンの問題の根本的な原因が何かをどのように明らかにしておられますか。(ロ)イエスはどうして,ラオデキアのクリスチャンが「盲目で,裸である」と述べておられるのでしょうか。
7 ラオデキアの人たちの問題の根本的な原因は実際,何でしょうか。それはイエスの述べておられる次の言葉からよく分かります。「あなたは,『わたしは富んでおり,富を得たのだから,何一つ必要なものはない』と言いながら,自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」。(啓示 3:17。ルカ 12:16-21と比較してください。)彼らは裕福な都市に住んでいるため,自分たちの富ゆえに自信に満ちているように感じています。恐らく,彼らは生活の仕方の面で大競技場や劇場や体育場などの影響を受けて,「神を愛するより快楽を愛する者」となっているようです。a (テモテ第二 3:4)しかし,ラオデキアの人たちは物質的には富んでいますが,霊的には貧困に陥っています。彼らは『天に宝を蓄えている』にしても,それはごくわずかです。(マタイ 6:19-21)彼らは目を純一に保って,神の王国のことを生活の中で第一にしてはいません。ですから,実際には闇の中におり,盲目で,霊的な未来像を持っていません。(マタイ 6:22,23,33)その上,彼らは物質上の富を使って購入したのかもしれない上等の服を着ているにもかかわらず,イエスの目には裸同然です。彼らには自分たちのクリスチャンとしての身分を証明する霊的な衣がありません。―啓示 16:15と比較してください。
8 (イ)ラオデキアで生じたような状況が今日でもどのように存在していますか。(ロ)一部のクリスチャンはこの貪欲な世の中で,どのように自分を欺いてきましたか。
8 何というひどい状態でしょう。しかし今日,同様の状況がしばしば見られるのではありませんか。根本的な原因は何でしょうか。それは物質上の所有物や人的資源に依存することから来る自己過信の態度です。エホバの民の中の一部の人たちは,キリスト教世界の教会に通う人々のように,ただ時々集会に出席しさえすれば,神を喜ばせることができると考えて,自分を欺いてきました。それらの人は,ただしるし程度に「み言葉を行なう者」となるだけで,うまくやってゆこうとします。(ヤコブ 1:22)彼らはヨハネ級の人たちから繰り返し警告されているにもかかわらず,専ら流行の服や車や家に,またレクリエーションや快楽を中心とした生活に心を用いています。(テモテ第一 6:9,10。ヨハネ第一 2:15-17)そのようなことは皆,霊的な知覚力を鈍くさせる結果を招きます。(ヘブライ 5:11,12)そのような人たちは気乗りのしない,生ぬるい態度を取る代わりに,「霊の火」を再び燃え立たせ,『み言葉を宣べ伝える』ために,人をさわやかにする熱意を示す必要があります。―テサロニケ第一 5:19。テモテ第二 4:2,5。
9 (イ)生ぬるいクリスチャンはイエスのどんな言葉に,きっとがく然とさせられますか。それはどうしてですか。(ロ)会衆は,さまよっている「羊」をどのように助けられるでしょうか。
9 イエスは生ぬるいクリスチャンをどう見ておられますか。そのような人たちは,「[あなたは]自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない」というイエスの率直な言葉に,きっとがく然とさせられることでしょう。それらの人は自分自身の恐るべき状態をさえはっきりと理解できないほど良心が無感覚になっています。(箴言 16:2; 21:2と比較してください。)会衆のこのような重大な状態を軽々しく扱うことはできません。長老や長老から割り当てを受けた他の人たちは,熱心さの立派な模範を示したり,愛をこめて牧したりして,心をこめた奉仕でかつて味わった喜びを取り戻せるよう,それらさまよっている「羊」を目覚めさせることができるかもしれません。―ルカ 15:3-7。
「富んだ者となる」ための助言
10 イエスがご自分から買い求めるようラオデキアのクリスチャンに命じておられる「金」とは何ですか。
10 ラオデキアの悲しむべき事態を直す方法がありますか。もし,そのようなクリスチャンが,「わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を……買うように忠告する」というイエスの助言に従うならば,方法はあります。(啓示 3:18[前半])火で精錬されて不純物のすべて除去された,キリスト教で真の「金」とみなされるものを得る人は,『神に対して富む』ことになります。(ルカ 12:21)そのような金はどこで買えますか。地元の銀行家からではなく,イエスから買えます! 使徒パウロは,『善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄える』よう裕福なクリスチャンに命令を与えることをテモテに命じて,その金がどういうものかを説明しました。(テモテ第一 6:17-19)物質的に富んでいたラオデキアの人たちは,パウロの忠告に従って,霊的に富んだ者となるべきでした。―箴言 3:13-18もご覧ください。
11 「火で精錬された金」を買った人たちの現代のどんな実例がありますか。
11 「火で精錬された金」を買った現代の実例がありますか。確かにあります! 主の日が近づいていたころでさえ,聖書研究者の小さな群れは,三位一体,霊魂不滅,地獄の火による責め苦,幼児洗礼,(十字架やマリアの像を含む)種々の像の崇拝など,キリスト教世界のバビロン的な多くの教えの偽りに気づいていました。聖書の真理を擁護する,それらのクリスチャンは,人類の唯一の望みであるエホバの王国や救いのための基盤であるイエスの贖いについてふれ告げました。彼らは1914年よりおよそ40年も前に,その年が異邦人の時の終わりとして聖書預言の中でしるし付けられていた年であり,それに伴って地上で驚くべき事態が進展する,ということを指摘しました。―啓示 1:10。
12 目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めた人たちの一人はだれですか。その人はどのように宝を天に蓄える顕著な模範を残しましたか。
12 それら目覚めたクリスチャンの間で率先して事を進めていたのは,1870年代の初めに米国ペンシルバニア州アレゲーニー(現在のピッツバーグ市の一部)で聖書研究のクラスを組織したチャールズ・テイズ・ラッセルでした。ラッセルは真理を探究し始めた当時,父親と共同で事業を経営し,百万長者になろうとしていました。ところが,ラッセルはそのチェーンストアの事業の利権を売り払い,神の王国を全地でふれ告げる業の資金調達の一助として私財を費やしました。1884年,ラッセルは今日,ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られる法人団体の初代会長となりました。1916年,米国西部での最後の伝道旅行で力を使い果たしたラッセルは,テキサス州パンパの近くで,ニューヨークへの帰途の列車の中で死去し,霊的な宝を天に蓄える顕著な模範を残しました。現代の自己犠牲の精神に富む何十万人もの開拓奉仕者は,その模範に従っています。―ヘブライ 13:7。ルカ 12:33,34。コリント第一 9:16; 11:1と比較してください。
霊的な目薬を塗る
13 (イ)ラオデキアの状態は霊的な目薬でどのように改善できるでしょうか。(ロ)イエスはどのような衣を勧めておられますか。それはどうしてでしょうか。
13 イエスはまた,ラオデキアの人たちを次のように厳しく諭しておられます。「身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように忠告する」。(啓示 3:18[後半])それらの人たちは,地元の治療者ではなく,ただイエスのみが提供できるような治癒力のある目薬を買って,霊的な盲目を治すよう努力すべきでしょう。そうすれば,神のご意志を行なうことに焦点を合わせた輝く目をもって,「義なる者たちの道筋」を歩むのに役立つ霊的な識別力を得るよう助けられます。(箴言 4:18,25-27)そのようにして,ラオデキアの地元で作られた黒羊毛の高価な衣ではなく,イエス・キリストの追随者として特権を与えられた自分たちの身分を公に示す「白い外衣」を着ることができるでしょう。―テモテ第一 2:9,10; ペテロ第一 3:3-5と比較してください。
14 (イ)1879年以来,どんな霊的な目薬が入手できるようになりましたか。(ロ)エホバの証人を財政的に支持する究極の源となってきたのは何ですか。(ハ)エホバの証人は寄付の使い方の点で,ほかの人たちとどのように異なっていますか。
14 現代でも霊的な目薬は入手できますか。確かに入手できます! 1879年,ラッセル師という愛称で呼ばれていた彼は,真理を擁護するため,今日,「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」として世界中で知られている雑誌を発行し始めました。同誌の第2号の中で,ラッセルは次のように宣言しました。「[当誌]はエホバがその支持者であるとわたしたちは信じる。そうであるかぎり,この雑誌は人間に支持を乞い求めたり,懇願しようとはしない。『山々の金と銀はみな我がものである』と言われる方が必要な資金を供給しないなら,それは出版を中止する時である,とわたしたちは考える」。テレビに出る一部の福音伝道師たちは,莫大な財産を築き,恥ずかしげもなく(時には不道徳で)ぜいたくな生活をしてきました。(啓示 18:3)それとは対照的に,今日,エホバの証人として知られる聖書研究者たちは,懇請することなく受け取る寄付すべてを,到来するエホバの王国の世界的な宣べ伝える業を組織し,促進するために用いてきました。ヨハネ級の人たちは,2006年に合計発行部数5,900万部を超えた「ものみの塔」,ならびに「目ざめよ!」両誌の出版を,今日に至るまで導いてきました。「ものみの塔」誌は約150の言語で入手できます。同誌は,このような霊的な目薬を塗って,偽りの宗教や,あらゆる国民の中で良いたよりを宣べ伝える緊急な業に対して目を開かれた600万人以上のクリスチャンの会衆の正式な機関誌です。―マルコ 13:10。
戒めと懲らしめから益を受ける
15 イエスはどうしてラオデキアのクリスチャンに強い助言をお与えになるのでしょうか。会衆はその助言にどのように反応すべきでしょうか。
15 ラオデキアの人たちに話を戻しましょう。彼らはイエスの厳しい助言にどのように応じるでしょうか。落胆して,イエスはもはや自分たちをご自分の追随者として欲してはおられないと考えるようになるでしょうか。いいえ,決してそうではありません。その音信はこう続いています。「すべてわたしが愛情を抱く者を,わたしは戒め,また懲らしめる。それゆえ,熱心になり,そして悔い改めなさい」。(啓示 3:19)エホバからの懲らしめと同様,イエスの懲らしめもその愛のしるしです。(ヘブライ 12:4-7)ラオデキアの会衆はイエスの愛情のこもった配慮を生かして,その助言を当てはめるべきです。そして,自分たちの生ぬるさが罪を犯す行為に匹敵することを認めて,悔い改めるべきです。(ヘブライ 3:12,13。ヤコブ 4:17)彼らの長老たちには,物質主義的な生き方を後にして,神から受けている賜物を「火のように燃え立たせる」ようにさせましょう。霊的な目薬が効果を発揮して,会衆内のすべての人が冷たい湧き水を一杯飲み干す時のようなさわやかさを見いだせるようにしましょう。―テモテ第二 1:6。箴言 3:5-8。ルカ 21:34。
16 (イ)イエスの愛と愛情は,今日,どのように示されていますか。(ロ)もし強い助言を受けたなら,わたしたちはどのように反応すべきでしょうか。
16 今日のわたしたちについてはどうですか。イエスは相変わらず,「世にあるご自分の者たちを愛して」おられます。そして,「事物の体制の終結の時までいつの日も」そうしてくださいます。(ヨハネ 13:1。マタイ 28:20)その愛と愛情は,現代のヨハネ級の人たち,ならびにクリスチャン会衆内の星,つまり長老たちを通して示されています。(啓示 1:20)今のこの非常に苦しい時代に,長老たちは,老若を問わず,わたしたちすべてが独立心や物質主義に根ざす貪欲や世の道徳上の汚れに抵抗して,神権的な囲いの境界内にとどまるよう助けることに深い関心を抱いています。もし,時々強い助言,あるいは懲らしめを受けるなら,『懲らしめの戒めは命の道である』ことを思い起こしましょう。(箴言 6:23)わたしたちはすべて不完全ですから,必要に応じて努めて悔い改め,再調整を施してもらい,神の愛のうちにとどまれるようにすべきでしょう。―コリント第二 13:11。
17 富はわたしたちにとってどうして危険なものとなり得ますか。
17 物質主義や富のために,あるいは富がないからと言って,生ぬるくなってはなりません。富は奉仕を行なう新たな可能性の扉を開くのに役立つ一方,危険なものともなり得ます。(マタイ 19:24)裕福な人は時々相当高額の寄付をしさえすれば,ほかの人々のように宣べ伝える業に熱心でなくてもよいと思うかもしれません。あるいは,富んでいるゆえに好意を受ける資格があると思うかもしれません。その上,ほかの人々は余裕がなくてできないのに,裕福な人なら行なえる楽しみや娯楽は少なくありません。しかし,そのような気晴らしをするには時間がかかるので,不注意な人たちはクリスチャンの宣教に携わることから遠ざかるようになり,こうして思慮深さに欠ける人は生ぬるくなるかもしれません。わたしたちはそのようなわなをすべて避け,永遠の命を目指して「骨折って働き,また努力し」続けられますように。―テモテ第一 4:8-10; 6:9-12。
「晩さんを共にする」
18 イエスはラオデキアのクリスチャンの前にどんな機会を置かれましたか。
18 イエスはさらにこうお告げになります。「見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の家に入って彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう」。(啓示 3:20)もし,ラオデキアのクリスチャンがイエスを自分たちの会衆に歓迎しさえすれば,確かにイエスは生ぬるさを克服するよう彼らを助けてくださるでしょう!―マタイ 18:20。
19 ラオデキアの会衆と晩さんを共にすることを約束なさるイエスは,何を示唆しておられるのでしょうか。
19 ラオデキアの人たちは晩さんに言及しておられるイエスの言葉から,イエスが弟子たちと食事をした時のことを思い起こさせられます。(ヨハネ 12:1-8)そのような時にはいつも,居合わせた人たちに霊的な祝福がもたらされました。同様に,イエスは復活させられた後,ご自分の弟子たちと共に居合わせて食事をし,弟子たちを大いに強められた,注目に値する機会が何度かありました。(ルカ 24:28-32。ヨハネ 21:9-19)ですから,ラオデキアの会衆に来て,弟子たちと晩さんを共にすると約束しておられるイエスは,彼らから迎えられさえすれば,豊かな霊的な益を彼らにもたらすことを約束しておられるのです。
20 (イ)主の日の初めごろ,キリスト教世界の生ぬるさは,どんな結果を招きましたか。(ロ)イエスはキリスト教世界をどのように裁かれましたか。
20 ラオデキアの人たちに対するイエスの愛ある訓戒は,今日残っている油そそがれたクリスチャンにとって重大な意味を持っています。その一部の人たちは,主の日が始まったころ,キリスト教世界の宗教家たちが驚くほど生ぬるかったことを覚えています。同世界の僧職者は,1914年に戻られた,わたしたちの主を歓迎する代わりに,第一次世界大戦の大量殺りくに巻き込まれました。しかも,28か国の交戦国のうち24か国はキリスト教を奉じていると称する国々でした。それら僧職者の血の罪は何と大きいのでしょう。それに,これまた大方キリスト教世界で戦われた第二次世界大戦中,偽りの宗教の罪は再び,「重なり加わって天に達し」ました。(啓示 18:5)その上,僧職者たちは国際連盟,国際連合,ならびに国家主義的な革命運動などを支持して,到来するエホバの王国に背を向けましたが,そのいずれも人類の諸問題を解決できるものではありません。イエスが僧職者たちに不利な裁きを下し,ちょうど漁師が網にかかった不適当な魚を捨てるように彼らを捨てて退けてから,もう久しくなります。今日のキリスト教世界の諸教会の惨めな状態は,同世界がそのような裁きを受けたことを証明しています。同世界の最終的な運命が,まさしくわたしたちに対する警告となりますように!―マタイ 13:47-50。
21 1919年以来,真の会衆のクリスチャンはラオデキアのクリスチャンに対するイエスの言葉に,どのようにこたえ応じてきましたか。
21 人を元気づけるほど熱くもなければ,さわやかにするほど冷たくもない飲み物のような生ぬるい人は,個人的には真の会衆の中にさえいるものです。しかし,イエスは依然としてご自分の会衆を温かく愛しておられます。イエスは親切なもてなしをもってこたえ応ずるクリスチャンに対してご自身を役立たせてくださいます。それで,多くの人々は晩さんにでも迎えるかのように,イエスを歓迎してきました。その結果,1919年以来,それらの人たちの目は聖書預言の意味を理解するよう開かれ,たくさんの啓発を受ける時期を喜びをもって過ごしてきました。―詩編 97:11。ペテロ第二 1:19。
22 イエスは将来のどんな晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれませんか。だれがそれに共にあずかりますか。
22 ラオデキアの人たちに語りかけた際,イエスはほかの晩さんのことをも念頭に置かれたかもしれません。啓示の書の後の方に,「子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである」と記されています。これは,神が偽りの宗教に対して裁きを執行なさった後に行なわれる,エホバをたたえる堂々たる勝利の宴です。これはキリストとその14万4,000人の完成した花嫁が天であずかる宴です。(啓示 19:1-9)あの古代のラオデキア会衆の反応の敏感な成員たち ― そうです,それに正真正銘の油そそがれたクリスチャンとしての身分を示す清い衣を着ている,今日のキリスト・イエスの忠実な兄弟たち ― すべては,その晩さんで自分たちの花婿と共にごちそうを頂きます。(マタイ 22:2-13)これは,熱心になり,そして悔い改めるように励ます,何と強力な誘因でしょう。
征服する人たちのための王座
23,24 (イ)イエスはそれ以上のどんな報いについて話しておられますか。(ロ)イエスはメシアなるご自分の王座にいつ座られましたか。自称クリスチャンに対する裁きをいつ開始されましたか。(ハ)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,弟子たちにどんな驚くべき約束をなさいましたか。
23 イエスはそれ以上の報いについてこう話されます。「征服する者には,わたしと共にわたしの座に座することを許そう。わたしが征服して,わたしの父と共にその座に座したのと同様である」。(啓示 3:21)詩編 110編1,2節のダビデの言葉の成就として,世を征服して忠誠を保たれたイエスは,西暦33年に復活させられ,み父と共にその天の王座に座るよう高められました。(使徒 2:32,33)もう一つの重大な年である1914年に,イエスは王ならびに裁き主として,メシアなるご自分の王座に座るため,到来されました。その裁きは1918年に自称クリスチャンから始められたようです。その時以前に亡くなった,油そそがれた征服者たちはその時,復活させられ,イエスとその王国で一緒になります。(ペテロ第一 4:17)イエスはご自分の死を思い起こす記念式を設けた時,このことを約束して,弟子たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」― ルカ 22:28-30。
24 「再創造」の際,統治しておられるその王と共に座し,イエスの完全な犠牲に基づいて,従順な人類の世をエデンのような完全な状態に引き上げる業にイエスと共にあずかるのは,何という驚くべき割り当てなのでしょう。(マタイ 19:28; 20:28)ヨハネがわたしたちに教えているように,イエスは征服する人たちを「ご自分の神また父に対して王国とし,祭司として」,エホバご自身の壮大な天の王座の周りの座を占めさせてくださいます。(啓示 1:6; 4:4)油そそがれた者,あるいはパラダイスを回復する業にあずかることを望む新しい地の社会の者のいずれを問わず,わたしたちは皆,ラオデキアの人たちに対するイエスの言葉を本当に心に銘記しましょう。―ペテロ第二 3:13。使徒 3:19-21。
25 (イ)これまでの音信と同様,イエスはラオデキアにあてたご自分の音信をどのように結んでおられますか。(ロ)今日,クリスチャンはラオデキアの会衆に対するイエスの言葉に個人個人どのようにこたえ応じるべきでしょうか。
25 これまでの音信と同様,イエスは,「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい」という訓戒の言葉でこの手紙を結んでいます。(啓示 3:22)今や終わりの時も相当経過しました。わたしたちの周りのすべての証拠は,愛に関する限り,キリスト教世界が冷えていることを示しています。それとは対照的に,わたしたちは真のクリスチャンとして,ラオデキアの会衆に対するイエスの音信に,そうです,諸会衆に対するわたしたちの主の七つの音信すべてに熱心にこたえ応じられますように。現代に関して,「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と言われたイエスの偉大な預言の成就の一端に精力的にあずかることにより,熱心にこたえ応ずることができます。―マタイ 24:12-14。
26 イエスはいつ再びヨハネに直接話されますか。とはいえ,イエスは何に参加されますか。
26 七つの会衆に対するイエスの助言はこれで終わります。啓示の書の中で,イエスは最後の章に至るまでヨハネとは二度と話しませんが,多くの幻に,例えば,エホバの裁きを執行することなどに関与されます。では,今,ヨハネ級の人たちに加わって,主イエス・キリストが明らかにしておられる,注目すべき第2の幻を調べてみましょう。
[脚注]
a これらの場所は,ラオデキアの遺跡を発掘した考古学者により掘り出されてきました。
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物質主義 対 知恵
1956年当時,新聞のある特別欄執筆者は次のように書きました。「1世紀前の普通の人の欲しい物は72あって,そのうち16は必需品とみなされていたと推測されている。今日,普通の人の欲しい物は474あると推定されており,そのうち94は必需品とみなされている。1世紀前の普通の人が販売術を通して勧められた物品は200あったが,今日,販売抵抗を必要とする物品は3万2,000に達している。人間の必需品はわずかだが,欲しい物には限りがない」。今日,人々は人生で最も重要なのは物質上の富や所有物であるという考え方の攻撃を受けています。ですから,多くの人は,伝道の書 7章12節の次のような賢明な助言を無視するようになりました。「金が身の守りであるように,知恵も身の守りだからである。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある」。
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ラオデキアに届いた水は気持ちが悪いほど生ぬるい水だったようです。ラオデキアのクリスチャンの霊は不満足なほど生ぬるいものでした