御国宣教者は最善のたよりを伝える者
『「彼は高いところに上つた時多くのものをとりこにし,人々に賜物を分け与えた」そして彼はある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を宣教者(福音宣明者)として与えた。』― エペソ 4:8,11,新世,欄外。
1 今日,何が最善のたよりですか。
誰でも良いたよりを得たいと望みます。それですから,良いたよりを伝える者は,よろこんで受け入れる人にとつては,歓迎すべき人です。しかし,今日のこの混乱した世界ではある人にとつて良いたよりも,別の人にとつては,良いたよりでないことがあります。それでは,国籍とか,人種とか,または言語の相違にかかわらず,生命を愛し,また仲間の人間を愛するすべての人をよろこばすたよりは,すばらしいたより,最善のたよりではないでしようか。全くそうです。信ぜられないと思えるかも知れませんが,今日そのような良いたよりはどの場所でもいたる処で宣べ伝えられているのです。
2 そのようなたよりを持つている者たちは,それについて何をしていますか。昔のギリシャ人によると,彼らは何と呼ばれますか。
2 すでにその良いたよりを持つている者は,自分だけが持つには良すぎると感じています。彼らは無私の気持からそしてよろこびの中にそのたよりを全地の人々,すべての種族,国民,人種,皮膚の色,そして言語の人々に伝えています。なぜなら,それは全部の者のためだからです。彼らは,クリスチャン時代以前のギリシャ人が言う『福音宣明者』または『福音を宣明する』者です。例えばクリスチャン時代よりも前につくり出されたギリシャ語70人訳の中では,『福音を宣明する』という言葉はギリシャ語訳文の中で次のように2度出ています,『私は臨在している。平和のよろこびの音信を宣べ伝える者の足,良いたよりを伝道する者は,山にあつて美しい。私は汝の救いを公に告げ,シオンよ汝の神は統治すると言う。』(イザヤス 52:6,7,バグスター)この一般的な良いたより,最善のたよりを自分のものにするため,私たちはこれらの福音宣明者とそのたよりの源を識別したいと欲します。
3 異教のギリシャ人は,たよりの源としてゼウスを何と呼びましたか。しかし,今日の福音宣明者の持つている良いたよりは,どのくらいの期間つづきますか。そして,なぜそうですか。
3 昔の異教のギリシャ人は,その主神であるゼウス(又はジュピター)に,エバンジェリオスという称号を与えました。それは,『良いたよりを与える者』という意味です。(西暦2世紀のアリウスアリス・タイデスのオラーション〔53・5〕)ゼウスがギリシャ人に与えた良いたよりがどんなものであるにしても,そのたよりはゼウスと共々に朽ち果てました,なぜならゼウスはもはや存在していないからです。ゼウスは異教の偽りの神であつて,不滅ではありません。国際的なたよりを集めて通信を行つている現在において,いちばん良いたよりを宣明する者は,異教の神ゼウス・エバンジェリオスのごとき信用のできぬ偽りの源にはたよりません。彼らは永遠につづくたよりの源を持つています。将来に対するその方の予告は,100パーセント正しいと証明されているのです。『彼は永遠の良いたより』の源です。この良いたよりは,幾千年もむかしに先ず宣明され,いまなお数え知れぬ多数の人々に元気と希望を与えているのです。
4 ヨハネは,誰が永遠の良いたよりを持つていると見ましたか。神が良いたよりの源になるのは当然ですか。
4 いまから19世紀の昔,諸国民に裁きが行われる現在を前もつて予言的に見こした一記者は,次のように書きました,『私は,もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝えるために,永遠の福音をたずさえてきて,大声で言つた。「神をおそれ,神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを,伏し拝め。」』(黙示 14:6,7,新口)私たち叡知を持つ者が楽しむ良い事柄すべてをつくられた神が,良いたよりをつくり,そして良いたより又はよろこびのたよりの源になるのは,当然のことでありましよう。
5 中空を飛んでいた御使は,何を持つていましたか。その源から判断してなぜ良いたよりは,永遠のものですか。
5 クリスチャン使徒ヨハネの見た預言的なまぼろしの中で『中空を飛ぶ御使』は,良いたよりを伝える者でした,すなわち福音を宣明する者でした。正しい歴史の告げるところによると,実際に福音を宣明した御使がいました。中空を飛んでいた御使のごとく,福音を宣べ伝えたそれらの御使たちは,あるところから良いたよりを受けました。どこからですか。ひとつの宇宙的なたよりの源,すなわち創造主なる神からです。神は今にいたるまで御自分のすべての創造をささえて来られました。神は常に生きておられる不滅の方です。この理由からも,彼は永遠の良いたより,すなわち今日でも最大の価値を持つたよりの源です。―エレミヤ 10:10-12。
6 神が福音の宣明者であることについては,何と言えますか。良いたよりはどのように永遠のものですか。
6 創造主なる神が福音を宣明する者という意味ですか。そうです,神は福音を宣明する者の中で最大の御方です。彼は神であると共に福音を宣明する御方です。彼は良いたよりの最初の源であられる故に,福音を宣明する宇宙的な制度を組織します。そして,善意者の心をよろこばせるために福音を宣明する者を派遣します。彼からの良いたよりは,『永遠のもの』です。なぜなら,神は幾千年もの昔人類歴史の最初のころにその良いたよりを与えましたが,それは預言的なものだつたからです。それは,現在に成就すべき良い事柄を予めに告げました。神のたよりは,聖書の中に記録され綴じられています。
7 どんな良いたよりは,エデンで発表されましたか。なぜすべての善意者は,検閲を受けない真理により,間もない中に自由にされますか。
7 正義の人は次の事柄を良いたよりの発表と必ず言うでしよう,『私はうらみをおく,おまえと女とのあいだに,おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き,おまえは彼のかかとを砕くであろう。』(創世 3:15,新口)その言葉は,良いたよりの最初の源が,偽りの宣伝の最初の源に向つて告げたものです。すなわち,人間と楽園を創造したヱホバ神が悪魔に告げた言葉です。この悪魔は,エデンの園にいた蛇を用いて,最初の人間の母親エバにそしりと偽わりを語つた者です。そのたよりの発表によると,『偽りの宣伝』の源は,いつの日か砕かれてしまうでしよう。そうです,この偽りの報道者の頭は踏まれて砕かれます。彼は致命的な毒を持つ蛇のようだからです。偽りの宣伝を告げたこの悪魔は,まだ滅ぼされていないことは明瞭です。なぜなら,地は人間の歴史上かつて無い程に偽りの宣伝,そしり,そして恐喝で一杯になつているからです。しかし,エデンで告げられた神の良いたよりは駄目になつたというわけではありません。それとは反対に,神の女のすえは派遣されました。それは偽りのたよりをつくる者,最初の蛇,サタン悪魔を滅ぼすためです。間もない中に,生きている善意者はみな正しい真理,そして矛盾のない真理を知るでしよう。この真理は彼らを自由にします。(ヨハネ 8:32)そのとき,利己的な理由のために真理を検閲するということはありません。
8 後日,どんな良いたよりがアブラハムに告げられましたか。パウロは,それについて,どのような注解の言葉を述べましたか。
8 ここに重要な良いたよりがあります。それは,エデンの園でヱホバが前述の福音すなわち良いたよりを告げてから,2000年以上経つて後に発表されたものです。クリスチャン使徒パウロは,後に告げられたこのたよりについて次のごとく注解の言葉を述べ,忠実な族長アブラハムについて言及しています。彼はこう語つています,『アブラハムは「ヱホバに信仰を働かし,それは義なるものと見なされた。」信仰による者こそアブラハムの子であると,あなた方はたしかに知る。聖書は,神が諸国の民を信仰によつて義とされることを前もつて知り,アブラハムに「あなたによつて,すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを,予告したのである。このように,信仰による者は,信仰の人アブラハムと共に祝福を受けるのである。』(ガラテヤ 3:69,新世)全国民が祝福を受けることは,良いたよりすなわち福音です。
9 信仰によつて人々を正義と言明することは,どうして祝福ですか。それではなぜ忠実なたよりを記録し,報告することは肝要ですか。
9 神が国民の中の特定な民を正義なる者と言明するとき,それは祝福です。それは良いたよりです。なぜなら,諸国の民を正義と言明すること,すなわち義とすることは彼らが幸福の中に永遠の生命を得るための基礎となるからです。この特定な場合,神が諸国の民を正義なる者と言明したことは,神への信仰,神の約束への信仰によるものでした。人々はいま神にたいするそのような信仰を証明するよう命ぜられています。それで,その信仰の故に彼らを正義な者と言明することは,人間が実際に完全になる前の今おこなわれるのです。この信仰は,神の良いたよりの約束に対してなされねばなりません。それで,私たちは真実のたよりの源を持つこと,および絶対に信頼し得るたよりを記録し,報告することが,極めて価値あるものと認識することができます。人間は,福音を宣明された最初の方,すなわちヱホバ神によつてつかわされる忠実な福音宣明者を必要とします。偽りの宣伝を確信すれば,私たちは偽りを語る者に捕われることになり,不義と死にみちびかれます。
10 エデンで,偽わりを語つた宣伝者は,どのように論じましたか。神の律法を信じなかつたエバは,何を失いましたか。
10 神の約束に信仰を持つ民を正義と言明することが,どんな祝福を意味するか見てごらんなさい。エデンの園で偽りの宣伝をしたサタン悪魔は,創造主なるヱホバ神をそしりました。悪魔は女のエバにこう語りました,すなわち神は彼女の生命を奪うというような罰を加えることはできない,善と悪は神御一人だけが裁くわけではない。男と女は何が善であり何が悪であるかについて自分自身の判断の標準により生きることができる,と告げたのです。悪魔は蛇を用いて,こう語りました,『あなたがたは決して死ぬことはないでしよう。それを食べると,あなた方の目が開け,神のように善悪を知る者となることを,神は知つておられるのです。』(創世 3:4,5,新口)エバは神の律法を信じなくなりました。彼女は悪魔の偽りの宣伝に信仰を置きました。この理由で彼女は正義を失い死の道を歩みました。彼女は神に対してそむいたからです。
11 アダムは神への信仰が足らないことを,どのように示しましたか。このことの故に,私たち全部には,どんな結果がおよびましたか。
11 エバは,自分がその実を食べて後,夫のアダムにも禁ぜられた実のいくらかを食べるようすすめました。アダムは,食べてはいけないと知つていましたが,エバをよろこばすため,蛇の偽りの宣伝をあからさまに暴露し,非難しなかつたのです。かえつて,彼自身もそしる者の側につきました。彼は神をそしる者の側に加わり,この危機のときに援助を備え給う神の力に信仰を持つていないことを示しました。信仰と従順がなかつたために,彼は正義から離れあやまちに入りました。神がアダムとエバをさばきに召して最初の良いたよりを与えた時(創世 3:15)エバとアダムは不義の者であると言明しました。神は彼らを死,すなわち生命が失われると宣告し,アダムがもといた塵にもどるように告げました。私たちはみなアダムとエバから不正を受けつぎました。それで処罰の状態,死の隷属を相続したのです。たよりについての解説者使徒パウロは,こう報じています,『このようなわけで,ひとりの人によつて,罪がこの世にはいり,また罪によつて死がはいつてきたように,こうして,すべての人が罪を犯したので,死が全人類にはいり込んだのである…アダムから…死の支配を免れなかつた。』― ロマ 5:12-14,新口。
神は福音宣明者
12 どんな約束により,アブラハムの信仰は特に験されましたか。
12 族長アブラハムは,罪人アダムから21代目の人です。(ルカ 3:34-38)それで,彼はアダムからの不義を当然に受けつぎました。しかし,彼は又,蛇のかしらを砕くべき神の女のすえについて,神がエデンで告げられたたよりも知つていました。アブラハムは,この良いたよりを受けいれて信じました。しかし,この約束のすえとアブラハムとのあいだに関係を持たせようと神がなされたとき,全能の神にたいするアブラハムの信仰は験されました。福音を宣べ伝える大いなる神,ヱホバ神は,彼にこう告げました。『私は(あなたにすえなる子孫を与えることによつて)あなたを大いなる国民とし,あなたを祝福し,あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者を私は祝福し,あなたをのろう者を私はのろう。地のすべてのやからは,あなたによつて祝福される。』(創世 12:1-3,新口)そのような約束は信仰を必要としました。
13 この約束を与えるに際して,神はどんな資格で行いますか。そして,諸国民は神によりどのように祝福を受けますか。
13 たよりの解説者パウロは,次のように述べています。すなわち聖書の著者ヱホバ神はこの約束を与えることにより『アブラハムに良い知らせを,予告した。』神は,すべての家族と国民に福音を宣明する者,そして良いたより,よろこびのたよりを与える者でした。この良いたよりは,先ず次のことを意味しました,すなわち神の女のすえが蛇のかしらを砕く前のいま,神はアブラハムに行つたことを他の人々にも行うでしよう。それは何ですか。アブラハムの子孫でない国々の人々をも,神にたいするその信仰のゆえに,正義と言明することです。これは彼らにとつて祝福です。なぜなら,それは彼らが神の来るべき正義の世において永遠の生命を得る基礎となるからです。
14 信仰の故にアブラハムはどのように祝福されましたか。間もない中に彼は何を持ちますか。
14 アブラハムがカナンの約束の地にしばらくいてから,ヱホバ神は数え切れぬ星を見上げるように彼に告げて,『なんじの子孫はかくのごとくなるべし』と言われました。アブラハムはこの良いたよりを信じましたか。聖書は,こう答えています,『アブラム,ヱホバを信ず。ヱホバこれを彼の義となしたまえり。』(創世 15:3-6)それで,アブラハムは肉の割礼を受ける前でも,正義の者と言明されました。その正義のわざで表明したごとく,アブラハムは神に信仰を持つていたゆえに祝福をうけ,正義なる者と言明されたのです。いままで3802年間死んでいるこの族長アブラハムは,そのような信仰を持つていたため,間もない中に神の御国の支配下にある地上の生命に,死人の中から復活されるでしよう。(ヤコブ 2:21-23。ロマ 4:9-14)それで,ヱホバ神は神こそ大いなる福音宣明者と信じる者たち,そしてアブラハムに予告せられた良いたよりに従つて活動をなし,その信仰を証明する者たちに報います。
神の御子は福音宣明者
15 神は,人間以外の誰を福音宣明者に用いましたか。ガブリエルは,この事実をどのように述べましたか。
15 大いなる福音宣明者ヱホバ神は,天の聖なる御使たちを用いて福音を宣べ伝える者,良いたよりを伝える者としました。それはなにか事新しいように思えるかもしれませんが,実は昔からの事実です。神は,独り子をこの地につかわす前に,御子のための先駆者を起しました。この先駆者は,年老いたレビ人の祭司ザカリヤの子,洗礼者ヨハネでした。この場合,神は御使ガブリエルを用いて福音を宣べ伝え,良いたよりをもたらしました。(キリスト前)3年ガブリエルはエルサレムにあつたヱホバの宮の至聖所で,子供を持たない祭司ザカリヤに現われました。ガブリエルは,ザカリヤが年老いた妻エリサベツによりひとりの子を持つこと,およびその子の名前をヨハネと呼ぶようにと告げました。ガブリエルは,自分が福音を宣明する使明を帯びていることを告げています。そして疑いの心を持つていたザカリヤにこう語りました,『私は神のみまえに立つガブリエルであつて,この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために,つかわされたものである。』― ルカ 1:8-19,新口。
16 ガブリエルは,更に大きな良いたよりを,どのように与えましたか。
16 ガブリエルには,更に大きな良いたよりがゆだねられました。それから約6ヵ月の後,彼はユダの支族に属するユダヤ人の処女マリヤに現われました。彼女は神の子の母になるよう選ばれたと告げることにより,ガブリエルは彼女の心をよろこばしました。(ルカ 1:26-38,45-56)9ヵ月の後には,ひとりの御使は選ばれて福音宣明者になり神の約束された子が人間としてベツレヘムで生まれたという良いたよりを告げました。
17 この御使は,自分が福音宣明者である,という職務をどのように示しましたか。
17 大いなる福音宣明者からの良いたよりを伝えたこの御使について,聖書はこう記しています,『さて,この地方で羊飼たちが夜,野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると,ヱホバの御使が現れ,ヱホバの栄光が彼らをめぐり照したので,彼らは非常に恐れた。御使は言つた,「恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あなた方に伝える。きようダビデの町に,あなた方のために救主がお生まれになつた。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは,幼な子が布にくるまつて飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが,あなたがたに与えられるしるしである。」』それはなんと良いたよりでしよう! そうです,聖書は更にこう述べています,『するとたちまち,おびただしい天の軍勢が現れ,御使と一緒になつて神をさんびして言つた,「いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では善意者(み心にかなう人々)に平和があるように。」』― ルカ 2:8-14,新世,欄外。
18 イエスの誕生も,どのようなことになつてのみ良いたよりですか。彼の先駆者は何になりましたか。
18 しかし,この神の子が生まれたことも,もしすべての人に益を及ぼして,人々に大きなよろこびをもたらさないなら,特別に良いたよりと言うことはできません。神の子イエスは,辺ぴなナザレの町の大工であつて,すべての人に特別なよろこびをもたらしたわけではありません。彼の地的な母親マリヤの家族にさえ特別なよろこびをもたらさなかつたのです。しかし,彼の先駆者ヨハネが良いたよりを宣べ伝える者,福音宣明者になつて後は,イエスに対する事態は変化しました。『そのころ,バプテスマのヨハネが現れ,ユダヤの荒野で教を宣べて言つた。「悔い改めよ,天国は近づいた。」』(マタイ 3:1,2,新口)神の御言葉は,神の御国の伝道を福音宣明または良いたよりを伝えることと呼んでいます。それで,報道員のルカは福音宣明者であるバプテスマのヨハネについてこう述べています,『こうしてヨハネは,ほかにもなお,さまざまのすすめをして,人々に良いたよりを宣べつづけた。』― ルカ 3:18,新世。ヤング訳,ロザハム訳。アメリカ訳。
19 ヨハネは,なぜイエスに洗礼を施すことをためらいましたか。イエスは油を注がれることにより,何になりましたか。
19 洗礼を施していたヨハネは,次のように語りました,『私のあとから来る人は私よりも力のあるかた』『私のあとに来る方は,私よりもすぐれたかたである。私よりも先におられたからである。』(マタイ 3:11。ヨハネ 1:30)このわけでヨハネは最初イエスに洗礼を施すことをためらつたのです。しかし,イエスはそれが正しいことであるとヨハネに納得させました。この証明として,イエスは天からの神の御霊で油を注がれました。イエスが洗礼をうけたヨルダン河の水から出られると,『神の御霊がはとのように自分の上に下つてくるのを,ごらんになつた。また天から声があつて言つた,「これは私の愛する子,私の心にかなう者である。」』(マタイ 3:13-17,新口)油注がれたイエスは,バプテスマのヨハネよりも強いということはなく,また福音宣明者としてヨハネより劣るということもありません。それでイエスは福音宣明者になりました,すなわち彼に油を注いだヱホバ神により任命されつかわされた者になつたのです。
20 イエスは,福音宣明者の職に変つたことを自分の町の人々に,どう証言しましたか。
20 大工の職業を止めて福音宣明者の職にかわつたことを証明するため,イエスはナザレの町にもどり,町の会堂に立つて聖書の朗読をしました。イザヤ書(61:1,2)の預言は,彼が良いたよりを伝える者として来ることをあらかじめに告げました。そして,その時にイザヤの預言の本はイエスに渡されました,『彼はその巻本を開いて,こう書いてある所を開きました,「ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるため,私に油を注いだ。捕われ人のゆるしを伝道し,めくらの目を開き,打ちひしがれた者に自由を得させ,ヱホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,ヱホバは私をつかわした。」イエスは巻本を巻いて,係りの者に返し,席に着かれると,会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは,「あなた方のいま聞いたこの聖句は,今日成就された。」と言われた。』― ルカ 4:14-22,新世。
21 ナザレ人の行いにもかかわらず,イエスは御自分が何であると証明しましたか。彼は自分の弟子たちを何にならせるよう訓練しましたか。
21 すべての人が,良いたよりを良いものと受けいれるわけではありません。それの証明として,ナザレ人はイエスの伝道したことに怒りを感じました。彼らはイエスを町から追い出し,彼を殺そうとさえいたしました。(ルカ 4:22-30)しかし,イエスは福音宣明者としての自分の任務を守り,神からの良いたよりを心から受けいれる人々を探し求めました。聖書はこう述べています,『そののちイエスは,神の国の福音を説きまた伝えながら,町々村々を巡回し続けられたが,十二弟子もお供をした。』(ルカ 8:1,新口。マルコ 1:14,15)イエスは神の御国の福音を宣べ伝えました。彼は御自分の12使徒をこの御国の福音宣明者にならせるべく教えて訓練しました。彼は次の指示を与え,宣教者として彼らをつかわしました,『行つて「天国が近づいた」と宣べ伝えよ。』― マタイ 10:1-7,新口。
福音を宣べ伝える宣教者
22 イエスが何を行つたため,イエスの敵共は彼を殺しましたか。彼はどのように御自分の福音宣明のわざを行いつづけることができましたか。誰を指導者として用いることによつて?
22 イエスは神からの良いたよりを宣明し,また忠実な福音宣明者でした。そして無実の死をとげました。神の御国の良いたよりの敵共は,彼を殺してしまつたのです。彼らはイエスを非難して,彼はローマのカイザルに反対する王になりたがつていると語りました。(ヨハネ 19:12-16)しかし,全能の神は3日目にイエスを死人の中からよみがえし,40日の後には天に帰らせ,神の右にすわらせました。そのところから,イエスは福音宣明のわざをひきつづき行い,地上の福音宣明者たちをみちびきました。この地上では,イエスの12使徒は,御国宣明のわざを率先しておこないました。良いたよりの宗教的な敵たちは,はげしくて強い反対をいたしました。しかし,イエスの使徒については聖書にこう書かれています,『毎日,宮にいて,又家から家へと行つて,彼らはキリスト・イエスについての良いたよりを引きつづき教えたり宣べ伝えたりして止めなかつた。』― 使行 5:42,新世。
23 使徒たちだけが福音宣明者でしたか。この質問に対する答は,いつ明白になりましたか。
23 クリスチャン会衆の福音宣明者は使徒たちだけではありません。献身して洗礼を受けていた会衆内の人々,そして良いたよりを持つていた者は,みな良いたよりを他の者につたえ,良いたよりをひろめて,福音宣明者として振舞う責任が課せられていたのです。この事実は,宗教的な迫害の時にも明白に示されました。迫害の時には,たよりを広める者がそのわざを中止して,苦難をうけるたよりの回付を止めるだろうと人々は考えました。
24 このことの証明として,迫害を受けた者たちについて聖書は何と述べていますか。
24 このことは,ユダヤ人がステパノを石打ちして殺した後でした。ステパノはエルサレムの会衆で使徒たちを特別に援助するよう任命された7人の中のひとりでした。はげしい迫害の下で行われたこの福音宣教については,次のように書かれています,『(タルソの)サウロは,ステパノを殺すことに賛成していた。その日,エルサレムの会衆に対して大迫害が起り,使徒以外の者はことごとく,ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行つた。信仰深い人たちはステパノを葬り,彼のために胸を打つて,非常に悲しんだ。…さて,散らされて行つた人たちは,御言葉を宣べ伝えながら,めぐり歩いた。ピリポはサマリヤの町に下つて行き,人々にキリストを宣べはじめた。ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで,男も女も信じて,ぞくぞくとバプテスマを受けた。』(使行 8:1,2,4,5,12,新世)この場合,エルサレムにとどまつた使徒たちが福音宣教をしたのでなく,散らされた弟子たちがその仕事をしたのです。彼らはみな福音を宣べ伝える者というほまれとよろこびを持つていました。
25 『福音宣明者』に任命されたクリスチャンたちは誰でしたか。これらの者の賜物は,どのように予告されましたか。
25 率先指導する福音宣明者イエス・キリストの弟子となり,そして献身して,洗礼を受ける者たちは,みな彼にならい,福音宣明者となります。彼らのことを福音宣明者と正しく語ることができます。しかし,第1世紀の会衆には,福音宣明者として特に選ばれて任命された者がいました。『福音宣明者』という称号で特別に他の者から分けられたこれらの人々は,主イエス・キリストからの賜物でした。それは彼が死人の中から復活して,天にのぼり大いなる福音宣明者ヱホバ神の右に達せられた後のことです。人々というこの生ける賜物は,詩篇 68篇18節に次のごとく予めに告げられていました,『あなたは高いところにのぼり,とりこをひきい,賜物を人々の中に,そむくもののなかにとりました。ヤハの神がここに住むためである。』
26 パウロはどのように論じながらこの預言を適用していますか。
26 良いたよりの解説者であるパウロは,この預言を適用し,クリスチャン会衆なる『キリストの体』に向つて次のように語つています,『キリストから賜わる賜物のはかりに従つて,私たちひとりびとりに,恵みが与えられている。そこでこう言われている,「彼は高いところに上つた時,とりこを捕えて引き行き,人々に賜物を分け与えた」。さて「上つた」という以上,また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。降りてこらた者自身は,同時に,あらゆるものに満ちるために,もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。そして彼は,ある人を使徒とし,ある人を預言者としある人を伝道者(または福音宣明者)とし,ある人を牧師,教師として,お立てになつた。それは,聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ………るためである。』― エペソ 4:7-12,新口。
27 それらの人々は,『福音宣明者』とどのように正しく呼ばれますか。それでは,なぜ彼らは『宣教者』と言われるのですか。
27 ここで次のことに気づきます。すなわち栄光を受けたイエス・キリストにより神が与えたもうた福音宣明者すなわち宣教者は,使徒たちと預言者の後に来ていますが,牧者(羊飼)と教師の前にきています。会衆の賜物として与えられているこれらの人々は,なぜ良いたよりを宣べひろめて福音宣明のわざをした会衆の他のものと区別されましたか。彼らは特別顕著な仕方で,また大規模な仕方で福音宣明のわざをしたか,大きな区域あるいは特別な区域で福音宣明のわざをしたからにちがいありません。彼らは良いたよりを宣明するという特別な使命をうけて派遣されました。この理由から,彼らは良いたよりの宣教者と言われます。
28 ピリポの場合,それらの福音宣明者は特別な級であると,どのように言われますか。
28 彼らは特別な級であり,天に上られたキリストを通して神からの特定な級でした。そのことを示す事柄として,前に述べたピリポは福音宣明者と呼ばれました。パウロの旅行同伴者ルカは,パウロの最後のエルサレム旅行について述べた際次のように語つています,『翌日そこをたつて,カイザリヤに着き,かの七人のひとりである伝道者(または福音宣明者)ピリポの家に行き,そこに泊まつた。この人に四人の娘があつたが,いずれも処女であつて,預言をしていた。』― 使行 21:8,9,新口。
29 ピリポが小羊の使徒でなかつたということはどのように示されましたか。しかし,彼は福音宣明者として,どのように用いられましたか。
29 このピリポは,パウロのごとき使徒ではありませんでした。パウロが次のような手紙を書き送つた若者テモテも使徒ではありませんでした,『あなたは,……伝道者のわざをなし,自分の務を全うしなさい。』(テモテ後 4:5,新口)この理由で,ピリポが迫害のためにエルサレムから追いはらわれ,サマリヤの町に行つたとき,彼は割礼を受けていた信者のサマリヤ人に水の洗礼をほどこすことができただけでした。彼は,洗礼をうけた者たちに手を置いて聖霊の賜物を与えることができなかつたのです。しかし,彼らが神の御霊で油そそがれず,天的な御国の希望を持つ神の霊的な子供たちにならなかつたというわけではありません。彼らは預言をしたり,奇蹟を行つたり,異国の言語で語つたり,そして異国の言語を解き明かしする御霊の奇蹟的な賜物をいただかなかつた,という意味です。それらのサマリヤ人が御霊の奇跡的な賜物をいただくため,ピリポはエルサレムにとどまつていた使徒たちに通知しました。ペテロとヨハネはサマリヤに下り献身して洗礼を受けたサマリヤ人に手を置きました。そのとき,彼らは聖霊をいただいたのです。『ふたりが手を彼らの上においたところ,彼らは聖霊を受けた。』ということが明らかに示されました。(使行 8:12-18,新口)しかし,福音宣明者であるピリポは,神の御国の良いたよりを割礼を受けたサマリヤ人に伝えるため,神によりキリストを通して,特別に用いられました。
30 パウロの訪問に関連して,ピリポが預言者の『賜物』でなかつたことはどのように示されましたか。
30 ピリポはクリスチャン預言者ではありませんでした,すなわち仲間のクリスチャンたちに利害のある事柄を予めに告げる御霊の賜物を持つていなかつたのです。しかし彼の4人の処女の娘は,神の御霊により女預言者でした。会衆の制度内でピリポがこれらの婦人よりも劣つていたのではありません。彼らは頭をおおつて預言をいたしました。会衆内の献身した婦人たちは,神の御霊のはたらきの下にあつて,そのように行つたとパウロは述べています。しかし,その父親ピリポと同様に,彼らも預言的な知らせを使徒パウロに与えませんでした。(コリント前 11:4,5)しかし,カイザリヤに下つてきたアガボという預言者は,エルサレムでパウロに生ずることを前もつて告げました。(使行 21:10,11)アガボは霊感を受けた預言者であつたということから,『人々に分け与えられた生ける賜物』のひとりでした。
31 サマリヤでの仕事を終えた後,ピリポは任命された『福音宣明者』という『賜物』なることを,どのように示しましたか。
31 しかし,特別に任命された福音宣明者ピリポも,天に上つたキリストからの賜物でした。彼はエルサレムにいた使徒たちを援助していましたが,ヱホバ神の御使により福音宣明という特別な使命をうけて派遣されました。ピリポがそのようなよいわざをサマリヤで行つたのち,『ヱホバの使がピリポにむかつて言つた,「立つて南方に行き,エルサレムからガザへ下る道に出なさい。」』ガザの道のところで神の御霊はピリポをみちびきピリポは近づいてきた馬車に乗りました。そこにはエチオピヤの女王カンダケの宝物をつかさどつていた閹人,ユダヤ教に改宗した忠実なエチオピヤ人が乗つていたのです。その馬車の中でピリポは,イザヤの預言を研究していたこの人に福音を宣べ伝えました。『ピリポは口を開き,この聖句から説き起して,イエスのことを宣べ伝えた。』信仰を持つた閹人の願いに応じて,ピリポは彼に水の洗礼を施しました。
32 その閹人は,エチオピヤでどんな仕事をしましたか。しかし,ピリポはどんな使命を行いつづけましたか。
32 閹人は御霊の奇跡的な賜物を受けませんでした。しかし,この閹人が神の御霊で産み出され,天的な御国でキリストと共に共同相続者になるために,使徒の働きは必要ではなかつたのです。洗礼を受けたその閹人は,おそらくエチオピヤで,献身して洗礼を受けたすべてのクリスチャンに命ぜられている福音宣明の仕事をしたことでしよう。しかし,ピリポは福音宣明の使命に派遣された者としての旅行をつづけました。『ピリポはアゾトに姿をあらわして,町々をめぐり歩き,いたるところで福音を宣べ伝えて,ついにカイザリヤに着いた。』(使行 8:26-40,新口)彼は,後のテモテに命ぜられたように,宣教者の仕事をしました。―テモテ後 4:5。
『終りの時』の良いたより
33 今日の特別な福音宣明のわざは,イエスによりどのように予告されましたか。そして,誰により彼の預言は成就されていますか。
33 今日,私たちは特別な福音宣明のわざをする時に生活しています。それは,この世の終り,すなわちこの組織制度の終りについての預言の中で,イエスが予めに告げたわざです,『この御国の福音(又はルーテル訳では良いたより)はすべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)この預言は,福音を宣明する御使たちによつて成就されていますか。ヱホバの御使ガブリエルによつて成就されていますか。あるいは人間イエスの誕生を羊飼に告げた御使または『いと高き処では神に栄光があるように,地上の善意者のあいだには平和』と言つた御使の大軍によつて成就されていますか。否であります。西暦1914年以来,御使が現われたことを示す証拠はありません。その年に『苦難の最初』は諸国民に降りかかりました。それでは,第一次世界大戦が終了して以来,誰がイエスの預言を成就していますか。その預言は,人類の歴史上かつてないいちばん大きな福音宣明のわざです。それはヱホバの証者によつて成就されています。ヱホバの証者は175の国々やそれ以上の国と島々で,神の設立された御国の良いたよりを全地にわたつて伝道しています。彼らは合法の僕および行政の僕であるペンシルバニヤ州のものみの塔聖書冊子協会の85の支部の下にあつて働いています。
34,35 (イ)今日,私たちは『人々の賜物』として何を持つていませんか。しかし,私たちは福音を宣明する宣教者をどのように持つていますか。(ロ)宣教者生徒の最大の卒業式はいつ行われましたか。どんな状況の下で?
34 今日,キリストの12使徒とか,霊感を受けるクリスチャンの預言者とか,また使徒との交わりを持つていたピリポとかテモテのごとき福音宣明者というような『人々の賜物』はありません。しかし,福音を宣明する宣教者は存在しています。どのようにそうですか。
35 1943年,ヱホバの証者はニューヨーク州に宣教者を訓練する学校を設立しました。その主要な学校の建物は,『証しの塚』という意味のギレアデと呼ばれたことから,その学校はギレアデのものみの塔聖書学校と呼ばれました。この学校は,1943年2月1日以来,現在にいたるまで毎年二つの群れの福音宣教者を卒業させてきました。1958年の夏,ギレアデはいままでの卒業式の中で最大の卒業式を行いました。これは1958年の7月27日,日曜の午後ニューヨーク市のヤンキー野球場で103人の奉仕者生徒で成り立つ31回生の卒業式でした。この31回の級には64の国々や島々からの生徒が来て,彼らは52の国々で福音宣明の仕事をするよう任命されました。ヱホバの証者の神の御心国際大会に出席した18万291人の代表者たちは,ヤンキー野球場と近くのポロ野球場の両方に溢れ出ました。その聴衆の前で,多くの講演者は卒業証者を頂く前のこの卒業の級に話をしました。講演者のひとりは,宣教者すなわち特別な奉仕の任命を受けて派遣される福音宣明者についての前述の論議に適切な次の講演をしました。