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冷酷無情な敵と闘う目ざめよ! 1987 | 10月22日
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冷酷無情な敵と闘う
「これまでの人生で最大の試練でした。立ち直ることができて,本当にうれしく思っています。命拾いしたような気持ちです。今ではバラの香りも分かります」と,エリザベスは言いました。この42歳の婦人は,精神病の中でもとりわけ大きな苦しみを引き起こすと言われている,うつ病という敵を征服したのです。
アレグザンダーの場合は,うまく行きませんでした。33歳のこの男性は,極度にふさぎ込むようになり,食欲を失い,独りになりたがりました。妻のエスタの説明によると,「アレグザンダーは,世界全体が落ちぶれていて,生きがいとなるものはもはや何もないように思い,自分は何の価値もない存在だと考えて」いました。アレグザンダーは,自分がよくなることは絶対にないと思い込み,ついに自殺してしまいました。
公表されている数字によると,全世界で医師にかかる人のうち毎年1億人がうつ病と診断されるようですが,エリザベスもアレグザンダーもその中に含まれていました。アメリカでは4人に一人,カナダでは5人に一人が,生涯中に一度は重症の抑うつを経験します。うつ病は,アフリカではありふれた病気になっているとも伝えられており,ドイツ連邦共和国では増加傾向にあります。ですから,もしかしたら読者の友人や親族の中にもうつ病にかかっている人,もしくはかかったことのある人がいるかもしれません。
アレグザンダーの妻は,夫を助けるためにできるだけのことをしました。それで,「全く憂うつだとか,自分は価値のない人間だと思う,などと口にする人がいたら,それを重大なことと受け止めてください」と警告しています。つまり,重度のうつ病は,一時的な気分やちょっとした憂うつな気持ちではないのです。それは殺人鬼になることがあり,人を無能にし,不具にする冷酷無情な敵となり得ます。それを認めることができるかどうかで生死が左右されるということもあり得るのです。
「脳の中の疫病」
わたしたちはだれでも,痛ましい喪失感,挫折感,失望感を抱きます。悲しい気持ちになるとしても,それは自然な反応です。その人はふさぎ込み,自分の感情面の傷の手当てをし,境遇の変化という現実にやがては立ち向かうようになります。そして,明日がより良い日となるようにと願い,すぐにまた生活を楽しむようになります。しかし,重症うつ病の場合は事情が違います。
「8か月間というもの,買い物に出かけても何をしても気分はよくなりませんでした」と,エリザベスは言いました。やはりうつ病患者であったキャロルは,「それは自分の脳の中の疫病,自分の上に覆いかぶさる恐ろしい雲のようでした。100万㌦くれるという人がいても,その怖さは消えなかったと思います」と述べました。ある人に言わせれば,『まるで灰色の眼鏡を掛けているかのようで,何を見ても魅力を感じないし,その眼鏡のレンズは物を拡大するので,どの問題を見ても圧倒されるような気がする』ということです。
うつ病には,悲しい気持ちから絶望や自暴自棄の感情まで広い範囲の様々な感情が見られます。(4ページの囲み記事をご覧ください。)症状の数,それぞれの症状の程度,持続期間などはみな,憂うつな気分がいつ重症うつ病になるかを見極める際の要素になります。
見分けるのは必ずしも容易ではない
うつ病患者には身体的な症状も現われることがあるので,うつ病にかかっていることを見分けるのは難しい場合が少なくありません。エリザベスは,「足がずきずき痛みましたし,全身が痛むこともありました。いろいろな医師にかかりました。私は,医師が私の体の何かの病気を見落としていて,自分は死んでしまうと思い込んでいました」と言いました。医療援助を求めるうつ病患者のおよそ半数は,エリザベスのように,感情面よりもむしろ身体面の症状を訴えます。
米国セントルイス市にあるワシントン大学の精神病学部長,サムエル・グーズ博士は,「そういう人たちは大抵,頭痛や不眠,食欲不振や便秘,あるいは慢性的な疲労感などを訴えるが,悲哀感や絶望感を抱いていること,あるいは自信を失っていることについては何も言わない。……中には,自分がうつ病にかかっていることに気づいていない人もいるようだ」と書いています。慢性的な痛み,体重の増減,性欲減退なども典型的な症状です。
南アフリカのトランスカイにあるウムジンクル病院のE・B・L・オブーガ博士の報告によると,うつ病にかかったアフリカ人は罪悪感や自分は無価値な人間だという感情を打ち明けることはめったになく,決まって過労や禁断症状や体の痛みを訴えます。世界保健機関の1983年のある報告では,スイス,イラン,カナダ,および日本で調査されたうつ病患者の大半には,みな等しく喜びの欠如,不安,体力の衰え,機能不全の念慮という基本的な症状が見られたということです。
アルコール飲料や薬物の乱用も性的乱交も,ある人たちが憂うつ感を押し隠そうとして行なう事柄の数例にすぎません。そうです,「笑っていても,心の痛むことがある」のです。(箴言 14:13)これは特に若者たちに関して真実です。NIMH(米国立精神衛生研究所)のドナルド・マクニュー博士は,「目ざめよ!」誌編集部員のインタビューに応じ,次のように説明しました。「大人がうつ病にかかっていれば様子で分かりますが,うつ病の子供が部屋に入って来ても,その病気に気づく人はいないでしょう。そのため,子供のうつ病は非常に長い間認められなかったのです。しかし,それについて子供に話しかければ,すぐに子供は自分のうつ病の症状を打ち明けます」。
しかし,1980年代には,うつ病についての理解とその治療の面で大きな進歩が見られました。脳の化学作用に関するなぞが解明されようとしています。種々の検査法が進歩して,ある種のうつ病についてはその性質が見分けられるようになりました。抗うつ薬やある種のアミノ酸のような栄養剤が使用され,議論が盛んに行なわれるようになりました。加えて,短期間の対話療法が効果的に用いられてきました。米国立精神衛生研究所の科学者たちによると,全患者の80%ないし90%は,適切な治療を受ければかなり治るということです。
それにしても,人を無能力者にならせるこの感情障害は何が原因で起きるのでしょうか。
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うつ病: すべては頭の中の問題?目ざめよ! 1987 | 10月22日
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うつ病: すべては頭の中の問題?
その男性は,建てられてから200年たつ自分の家を修復し始めたところ,間もなくうつ病になりました。よく眠れず,精神的な努力を続けるのに珍しく困難を覚えました。身内の人たちは,その家が幽霊に取りつかれているのではないかと考えました。その人は,屋内の木造部分の古いペンキを除く作業をした後に腹痛など最悪の症状が現われることに気づきました。ある医師は,その人がはがしていた古いペンキに含まれる鉛の毒がうつ病の原因になっていたことを突き止めました。
確かに,有毒物質が原因でうつ病になることもあります。事実,うつ病は数々の身体的原因によって引き起こされる場合がある,ということを知って驚かれるかもしれません。
数年前に研究者たちは,うつ病をも含め精神的な問題を抱えて市民病院に入院した100人について注意深い調査を行ないました。それらの患者のうち46人については,その感情面の症状は体の病気と直接関連していることが分かりました。「アメリカ精神医学ジャーナル」誌に載せられた報告によると,それらの人の体の病気が治療されたとき,28人は「精神面の症候が劇的かつ急速になくなり」,18人は「かなりよくなり」ました。
しかし,うつ病における体の病気の役割は複雑です。多くの医師の経験によれば,うつ病患者はうつ病の原因とはなっていない身体的な病気にもかかっていることがあり,患者はその身体的な病気のことばかり考えます。それでも多くの場合は,潜伏しているうつ病に注意を向けて治療しなければなりません。
ある種の身体的病気が感情障害を引き起こしたり悪化させたりする場合はありますが,精神面の症候は以前にかかった病気に対する反応として現われる場合があるのです。例えば大手術,特に心臓手術を受けた後に,回復中の患者は必ずと言っていいほどうつ病になります。しかし回復すると,大抵の場合,うつ病は治ります。重い病気による体の緊張も感情障害を引き起こすことがあります。また,人によっては特定の食物や他の物質に対するアレルギー反応が原因で重度のうつ病になる場合もあります。
遺伝もある種のうつ病が進むかどうかの一因となる場合があります。今年の初めに研究者たちは,一部の人を躁うつ病にかかりやすくすると考えられる遺伝子欠陥を発見したと発表しました。
さらには,初めて母親となった人の10%ないし20%は,本格的な治療を必要とするうつ病を経験する,と言う医療専門家もいます。しかし,出産に伴うホルモンの変化や母親となったことの感情的緊張が障害を引き起こすのかどうかについて,研究者たちの意見は一致していません。また最近分かったところによると,女性によっては月経前症候群と経口避妊薬の使用が原因でうつ病になる傾向もあるようです。
現在進められている研究によっても,一部の人々には季節による気分の変動があるらしいことが明らかになり,それは季節的情動障害と呼ばれました。そのような人たちは秋や冬の間,極度に気分がふさぎます。動きが鈍くなり,一般に長時間眠り,友人や身内の者を避けて引きこもり,食欲や食べ物の好みも変化します。しかし春や夏になると,そのような人たちは元気づき,活動的で精力的になり,一般にうまく機能します。中には人工の光を調整して使用する治療を受けて良い成果をみている人もいます。
そのようなわけで,うつ病は必ずしも『頭の中の』問題ではありません。したがって,もし憂うつな気分が長い間続いているなら,病院で徹底的な検査をしてもらうことが肝要です。しかし,身体的な原因が分からない場合はどうなのでしょうか。
[6ページの囲み記事]
うつ病の幾つかの身体的な原因
医学的な研究では,一部の人に見られるうつ病は次のような物と関連があるとされている
有毒な金属や化学物質: 鉛,水銀,アルミニウム,一酸化炭素,ある種の殺虫剤
栄養不良: 特定のビタミンや必要不可欠なある種のミネラル
伝染病: 結核,単核細胞症,ウイルス性肺炎,肝炎,インフルエンザ
内分泌腺機能障害: 甲状腺機能不全,クッシング病,低血糖症,真性糖尿病
中枢神経系統の病気: 多発性硬化症,パーキンソン症候群
“気晴らしの”薬物: フェンシクリディン,マリファナ,アンフェタミン,コカイン,ヘロイン,メタドーン
処方薬: バルビツール酸塩,抗けいれん薬,コルチコステロイド,ホルモン。高血圧,関節炎,心臓血管障害,一部の精神障害などを治療するある種の医薬品
(言うまでもなく,そのような薬がすべてうつ病を引き起こすというわけではなく,危険性がある時でさえ,うつ病の症状を呈するのは,普通,資格ある医師の指導のもとで薬剤を使用する人の中でもごく少数です。)
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心理的な原因目ざめよ! 1987 | 10月22日
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心理的な原因
「検査は全部済みましたが,それらしいものは何も見当たりません。しかし,あなたの場合は重度のうつ病であり,それ相当の原因があることは確かです」と,その親切な医師はエリザベスに言いました。
自分の抱えている問題は体の病気だと思っていたエリザベスは,医師の言うことは本当なのだろうかと考え始めました。そして,注意力不足障害があると後に診断された,気ままで手に負えないことの多い6歳の息子を育ててきた過去数年の日々の苦闘を回顧しました。「明けても暮れてもストレスや心配ばかりで,感情的にすっかり疲れ果てました。それで絶望と自暴自棄に陥ってしまいました」と,エリザベスは打ち明けました。
エリザベスと同様,うつ病にかかった人の中には非常な感情面の緊張に直面してきた人が少なくありません。事実,英国に住む研究者のジョージ・ブラウンとティアリル・ハリスの行なった画期的なある調査によって,うつ病の婦人は条件の悪い住居や緊張した家族関係といった「大きな困難」を抱えており,その割合はうつ病にかかっていない女性より3倍も大きいことが分かりました。そうした困難は,少なくとも2年間,「相当の,しかも大抵は絶え間ない苦しみ」を引き起こしました。親しい親族や友人の死,大きな病気や事故,衝撃的な悪い知らせ,失業といったつらい人生経験も,うつ病の女性の間では4倍も多く見られました。
それでもブラウンとハリスは,うつ病の原因が逆境だけではないことに気づきました。多くは当人の精神面の反応と感情面の弱さに依存していました。
『何もかも絶望的に思えた』
例えば,働き者の妻であり3人の年若い子供の母親であるセアラは,仕事に関連した事故で背中を傷めました。医師は,セアラが椎間板ヘルニアを起こしているので,身体的な活動をかなり減らさなければならないだろうと言いました。セアラはその時の気持ちをこう打ち明けました。「自分の世界は完全に終わったと思いました。私はそれまで子供たちと一緒にスポーツをする活動的な運動家でした。それができなくなったことを考え,物事は決して以前よりよくはならないだろうと思いました。それで間もなく生きる喜びをすっかり失ってしまいました。何もかも絶望的に思えました」。
事故に対するセアラの反応は,生活全体に関してもう駄目だという考えにつながり,それがうつ病へと発展しました。ブラウンとハリスは,共著「うつ病の社会的起源」の中で,「それ[セアラの身に起きた事故のような突発的な出来事]は,自分の生活全般が絶望的であるという考えにつながることがある。抑うつ症の根本をなしていると我々が考えるのは,そのような絶望の普遍化である」。
それにしても,なぜ多くの人は損失の痛手を埋め合わせることはできないと考え,重症うつ病にかかってしまうのでしょうか。例えば,セアラがそのような一連の消極的思考に陥りやすかったのはなぜでしょうか。
『自分は無価値な人間だ』
セアラはこう説明しました。「いつも自信がありませんでした。自尊心はとても弱く,自分は何の考慮にも値しない人間だと思っていました」。多くの場合,自信のなさに伴う苦しい気持ちが決定的な要因になります。箴言 15章13節は,「心の痛みのゆえに打ちひしがれた霊がある」と述べています。聖書は,外部からの圧力だけでなく,内部にある懸念の結果として憂うつな霊が生じ得ることを認めています。では,自尊心の弱さは何が原因なのでしょうか。
人の思考の型は,ある程度人の生い立ちによって形作られます。セアラは次のように打ち明けました。「私は子供のころ一度も両親からほめられたことがありませんでした。思い出せる限りでは,初めてほめ言葉を受けたのは結婚してからのことです。それで私は,他の人たちに認めてもらおうとしました。私には人の反感を買ったらどうしようというこの大きな不安があります」。
セアラの感じていた認められたいという強い欲求は,重度のうつ病になる多くの人に共通した要素です。研究によって明らかにされたところによると,そのような人たちは,自分の成し遂げた事柄に基づくのではなく,むしろ他の人が示してくれる愛や是認の上に自尊心を築き上げる傾向があります。そして,自分がだれかに気に入られたり重要視されたりする程度によって自分の価値を評価することがあります。「そのような支持を失うことが自尊心の崩壊につながり,それが大きな要因となってうつ病を引き起こす」と,ある研究チームは報告しています。
完全主義
他の人の是認を勝ち得ることに対する過度の関心は,異常とも言えるやり方に表われることが少なくありません。セアラは次のように説明しています。「私は子供のころに得られなかった是認を得ようとして,すべてのことを全く申し分なく行なおうと努力しました。世俗の仕事ではすべてのことをそのとおりにしました。自分の家族は“完ぺき”でなければなりませんでした。私には従うべきそのような観念がありました」。しかし,事故に遭った時,すべてが絶望的に見えました。こう付け加えています。「私は自分が家族を支えていると思っていましたから,自分が動けなくなったら,家族はうまくゆかなくなって,『母親としても妻としても失格だ』と人から言われるのではないかと恐れていました」。
セアラの考え方は重症うつ病につながりました。うつ病になった人の人格についての研究の結果,セアラの例は特別のものではないことが明らかになっています。やはり重度のうつ病にかかったマーガレットはこう認めました。「人が自分のことをどう思うかを気にしていました。私は完全主義の,時計ばかりながめる,徹底した心配症でした」。非現実的な高い目標を定め,あるいは過度に良心的になり,しかも期待に添えないということが,多くのうつ病の根本的な原因となっています。伝道の書 7章16節は,「義に過ぎる者となってはならない。また,自分を過度に賢い者としてはならない。どうして自分の身に荒廃をもたらしてよいであろうか」と警告しています。他の人に対して自分が「完全」に近いことを示そうとするなら,感情面また身体面で害を身に招くことになりかねません。挫折感も,自滅を招くような自責の念につながりかねません。
「自分は何一つまともにできない」
自責の念が建設的な反応となる場合もあります。例えば,危険な地域を独り歩きして強盗に襲われるような場合,その人は自らそのような状況に身を置いたことに自責の念を感じ,心を改めてこれからは同じような問題を避けようと決意するかもしれません。しかし,人によってはそれだけでは済まず,『自分は結局,何をしても面倒を起こす不注意な人間なんだ』と言って,自分の性分を責めることもあります。このような自責の念は性格をゆがめ,自尊心を弱めます。
32歳になるマリアは,そのような自滅を招く自責の念を抱いてしまいました。マリアは,ある誤解がもとで姉に対して半年間も憤りを抱いていました。ある晩マリアは,電話で姉を激しく非難しました。母親はマリアのしたことを知ってマリアに電話をかけ,厳しく叱りました。
マリアは,「母親に対して腹が立ちましたけれど,それよりも自分自身に嫌気がさしました。自分がどんなに姉を傷つけていたか分かったからです」と説明しました。そのすぐ後でマリアは,行儀の悪いことをしていた9歳の息子を大声で叱りつけました。非常にびっくりしたその子は,後でマリアに,「お母さんの声といったら,僕は殺されるんじゃないかと思ったよ」と言いました。
マリアはがく然としました。こう報告しています。「自分は恐ろしい人間のような気がしました。『何一つまともにできない』と思いました。それしか考えることができませんでした。実際,その時からひどい抑うつ状態に落ち込んでゆきました」。マリアの自責の念は有害なものとなりました。
そうすると,重症うつ病にかかっている人はみな自尊心が弱いということでしょうか。もちろん,そうではありません。原因は複雑で様々です。結果が,聖書の言う「心の痛み」であるときでも,その原因としては,わだかまっている怒りや恨み,実際のもしくは誇張された罪悪感,他の人との未解決の不和などいろいろな感情があります。(箴言 15:13)そうした感情はどれもみな,打ちひしがれた霊,もしくはうつ病につながる場合があります。
セアラは,自分の考え方が少なからず自分のうつ病の根本的な原因になっていると知って,最初はがく然としました。「でも,それ以来少し気が楽になりました。考え方が原因なら,それを直せば病気も治ると思ったからです」と,セアラは打ち明けました。彼女はそう考えてうれしくなったと語り,こう説明しました。「ある事柄についてそれまでの考え方を変えたとき,これで自分の生活もこれからは変わるのだわ,と思いました」。
セアラは必要な変化を遂げ,抑うつ状態はなくなりました。マリア,マーガレット,そしてエリザベスも同じように,闘いに勝ちました。それらの人はどのような変化を遂げたのでしょうか。
[10ページの拡大文]
『自分の考え方が自分のうつ病の原因だと分かったとき,自分でうつ病を治すこともできると知って,幾らか気が楽になり,ほっとしました』
[8,9ページの囲み記事]
子供のうつ病 「自分なんか生きていなければいいんだ」
この問題を20年間研究してきた,米国立精神衛生研究所のドナルド・マクニュー博士とのインタビュー
「目ざめよ!」誌: この問題はどれほど広がっているとお考えですか。
マクニュー: 1,000人の子供を対象にした最近のニュージーランドの研究で分かったことは,9歳になるまでに早くも抑うつ症状を経験した子供は全体のおよそ10%であるということです。それで,学校に通う子供の10%ないし15%は情緒障害を抱えているように思えます。数はそれよりも少ないですが,重度のうつ病にかかっている子供もいます。
「目ざめよ!」誌: 子供が重度のうつ病になっているかどうかは,どうして分かるのですか。
マクニュー: 主な症状の一つは,そういう子たちは何事にも全く喜びを感じないということです。外へ出て遊びたいとも,友達と一緒にいたいとも思いません。家族に対しても関心を示しません。集中力がないことにも気づきます。宿題は言うにおよばず,テレビ番組にさえ熱中できません。無力感や個人的な罪の意識が見られます。そういう子供は,自分はちっとも良い子ではないし,だれからも好かれてはいないんだ,と言って回ることでしょう。そして,眠れないか,眠りすぎるか,また食欲がなくなるか,食べすぎるかのどちらかです。さらに,「自分なんか生きていなければいいんだ」といった,自暴自棄的な考えを口にします。もしこのような症状の幾つかが同時に見られ,しかも一,二週間も続いたなら,その子は重症のうつ病にかかっていると言えます。
「目ざめよ!」誌: 子供のうつ病は主に何が引き金になるのでしょうか。
マクニュー: どんな子の生活にも当てはまる特定の要因についてでしたら,主要なものは恐らく死別でしょう。これは普通,親の死なのですが,友達や親しくしていた親戚の人,あるいはペットの死も含まれます。死別に次ぐのは,見くびられることやのけ者にされることでしょう。自分の親にけなされ,くだらない取るに足りない存在だと思わせられる子供が,驚くほど多いのです。子供に罪がなすり付けられることもあります。子供に落ち度があってもなくても,家族内にうまくゆかない事があると,子供のせいにされます。そのため子供は,自分はいないほうがいいという気持ちになります。もう一つの要因は,親の情緒障害です。
「目ざめよ!」誌: 先生も著者の一人であられる,「なぜジョニーは泣いていないのか」という本に,うつ病の子供の中には麻薬やアルコール飲料を乱用する子や,非行にさえ走る子もいると述べられていましたが,これはなぜでしょうか。
マクニュー: それは,うつ病であることを自分自身に対しても隠そうとしているのだと思います。うつ病に対処する彼らの方法は,多くの場合,車を盗んでみたり,麻酔剤やアルコール飲料を飲んでみたりして,他の事柄に忙しくしていることです。そのようにして自分の気分が悪いことを隠すのです。実際,うつ病であることを隠そうとするのは,子供が大人と特にはっきり異なっている点の一つです。
「目ざめよ!」誌: それが単に子供の非行ではなくてうつ病であると,どうして分かるのですか。
マクニュー: そういう子供と話し合い,子供が心にある事柄を話してくれれば,うつ病であることが分かる場合が少なくありません。そしてうつ病が適切に治療されるなら,子供の振る舞いは良くなります。表面的にはほかの問題のように見えていたときでも,やはりその下にはうつ病が潜んでいました。
「目ざめよ!」誌: うつ病の子供にどのようにして心にある事柄を話させるのですか。
マクニュー: まず,静かな時と場所を選びます。それから,『何か困っていることがある?』『悲しい,憂うつな気持ちになっているの?』『嫌なことでもあるのかな?』というような特定の質問をします。もし死別していたなら,状況にもよりますが,『僕が感じているのと同じように君もおばあさんがいなくなって寂しく思っているの?』と尋ねてみることができます。その子に自分の気持ちを吐露する機会を与えることです。
「目ざめよ!」誌: 重度のうつ病にかかっている子供に何をするよう話されるのですか。
マクニュー: 親にそのことを話すよう勧めます。一般に,抑うつ状態にあることを知っているのはその子だけですから,探知するというこの仕事は重大な仕事です。親や教師には普通,それが分かりません。親のもとへ行き,「自分はすごく憂うつなんです。助けを必要としています」と言って助けてもらった青年を私は幾人も診たことがあります。
「目ざめよ!」誌: 親はうつ病の子供をどのように助けることができるでしょうか。
マクニュー: そのうつ病が体を衰弱させるほどなら,肺炎と同様,家庭では治療できません。衰弱させるうつ病は,投薬の必要があるかもしれませんから,専門家に診てもらわなければなりません。わたしたちのところでは,患者の優に半数以上が薬物療法を受けています。5歳の子供の場合もそうです。また,子供の考え方を調整することも試みています。このような手段でうつ病はかなり治療できます。
「目ざめよ!」誌: それが衰弱性のうつ病ではない場合,親は何をすることができるでしょうか。
マクニュー: 自分自身とご家族を正直にご覧になることです。話し合って対処する必要のある重大な死別が何かあったでしょうか。死別が生じた時には,子供の悲しい気持ちを過小評価してはなりません。その悲しみを経験する自由を許してやるのです。うつ病の子供には特別の注意やほめ言葉,また感情的な支えを与えてください。その子だけと一緒に余分に時間を過ごしてください。親の払う温かい関心こそ最善の治療法なのです。
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うつ病との闘いに勝って目ざめよ! 1987 | 10月22日
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うつ病との闘いに勝って
「あなたは巧みな指導によって戦いをする」と,箴言 24章6節は述べています。戦いに勝つには,良い意図だけでなく,巧みさが必要です。言うまでもなく,もしあなたが抑うつ状態にあるなら,気分が余計に悪くなるような軽率なことはしたくないはずです。例えば,うつ病の人を対象にして1984年に行なわれたある研究によると,『他人に怒りをぶちまけること,飲酒や食事や鎮静剤の量を増やして緊張をゆるめること』によって自分のうつ病に対処しようとした人もいました。その結果,「うつ病と身体的症候はいっそうひどく」なりました。
うつ病の人の中には,自分が精神的に弱いと見られることを恐れて,巧みな指導を求めない人がいます。しかし,重症うつ病は精神的弱さのしるしでも霊的欠陥のしるしでもありません。調査結果の示唆するところによると,脳の中に,ある種の化学的な機能不全があるときにこの重度の障害の見られることがあります。体の病気が原因となっていることもあるので,3週間以上ひどい抑うつ状態が続いているなら,医師に診てもらったほうがよいかもしれません。もし何の身体的病気も問題に関係していないのであれば,多くの場合,適切な薬や栄養の助けを幾らか得ると共に考え方を調整することにより,障害は軽くなることがあります。a うつ病との闘いに勝つということは,二度と再び憂うつな気分にならないという意味ではありません。悲しい気持ちは人生に付き物です。しかし,巧みな指導によってあなたの側から攻勢に出るなら,よりよくうつ病に立ち向かえるでしょう。
医師は大抵の場合,抗うつ薬を処方するでしょう。これは化学的な不均衡を是正するよう意図された薬です。前の記事で紹介したエリザベスはその薬を飲み,何週間もたたないうちに気分はよくなり始めました。「それでも,薬を飲みながら働くためには積極的な態度を培わなければなりませんでした。薬の『後押し』があったので,よくなろうという決意をすることができました。毎日の運動の予定にも従いました」と,エリザベスは言いました。
しかし,抗うつ薬を使用すれば必ずうまくゆくというわけではありません。人によっては厄介な副作用もあります。そしてたとえ化学的な機能不全が正されても,その人の考え方が正されないなら,うつ病は再発することがあります。しかし,次のことを進んで行なうなら,かなり気が楽になる場合があります。
自分の気持ちを打ち明ける
セアラは世俗の仕事から受ける圧力に加えて,家族を世話する責任という荷が自分一人に掛かっていることをも非常に不愉快に思っていました。(7ページをご覧ください。)「でも自分の気持ちはじっと胸に収めていました。そしてある夜,もう絶望的に思えて,妹に電話し,生まれて初めて自分の気持ちを打ち明けました。これが転機となりました。その電話でとても気が楽になったからです」と,セアラは説明しました。
ですから,もしひどく憂うつになったなら,信頼できる同情心のある人を探し出してください。配偶者,親しい友人,親戚の人,奉仕者,医師,資格あるカウンセラーなどは,そのような人かもしれません。「結婚と家族ジャーナル」誌に掲載されたある研究結果によると,うつ病を打ち負かす上で肝要な事柄の一つは,「人生の苦難を分かち合う,支えとなる助け手を持つこと」です。
自分の気持ちを口に言い表わすことは回復への一歩となります。問題や死別の現実を頭の中で否定して未解決のままにしようとするのを防ぐからです。しかし,本当の気持ちを打ち明けてください。逆境にくじけない態度を装おうとする間違ったプライドに妨げられてはなりません。「人の心の煩い事はこれをかがませ,良い言葉はこれを歓ばせる」と,箴言 12章25節は述べています。けれども,打ち明けられて初めて他の人はあなたの「煩い事」を理解でき,励ましの「良い言葉」をかけることができるのです。
セアラは次のように回顧しました。「ただ同情してもらいたくて妹に電話したのに,同情以上のものを得ました。自分の考えの間違っている点に気づかされました。妹は私が余りにも多くの責任をしょい込んでいると言いました。初めのうちそんな言葉は聞きたくありませんでしたが,妹の言うとおりにしてみて,とても荷が軽くなるのを感じました」。「油と香は心を歓ばせる。魂の助言ゆえの友の快さもそうである」という箴言 27章9節の言葉はなんと真実なのでしょう。
率直に話し,物事を正しい観点から見るよう助けてくれる友や配偶者がいるということには,快さがあります。その助けによって,一度に一つの問題だけを考えられるようになるかもしれません。ですから,弁解がましくなるよりもむしろ,そのような「巧みな指導」を大事にしてください。あなたには,数回話し合った後に何らかの短期的な目標を提案できる人が必要かもしれません。b つまり,感情的な緊張を生じさせているものを軽減もしくは除去するよう,あなたの状況を変化あるいは修正するために踏める幾つかの段階を示してもらうのです。
うつ病と闘うには,多くの場合,自尊心の弱さと闘う必要があります。どのようにうまくできるでしょうか。
自尊心の弱さと闘う
例えば,前の記事で示されていたとおり,マリアは家族内での口論の後,うつ病になりました。マリアは,『自分は恐ろしい人間で,何一つまともにできない』と結論しました。これは間違っていました。もしマリアがその結論を少し分析してみたなら,『自分は正しく行なうこともあれば,間違うこともあるわ。他の人と同じだわ。二,三の間違いをしたのだから,もっとよく考えて行動するようにしなければならないけれど,すべてを台なしにするような釣り合いの欠けた考え方はしないようにしよう』と推論して,そういう間違った結論に挑戦することもできたでしょう。そのように推論すれば,自尊心は損なわれずにすんだことでしょう。
それで,多くの場合,自分を責める,過度に批判的な内なる声は正しくありません。うつ病を引き起こす幾つかの典型的なゆがんだ考えがこの記事の囲みの中に挙げられています。そのような誤った考えを知るようにし,その考えの妥当性に精神的に挑戦してください。
37歳の母親であるジーンも,やはり自尊心の弱さに負けたことがありました。ジーンは次のように説明しました。「男の子二人を育てようとして張りつめていました。でも,片親で子供のいるほかの人が結婚するのを見たとき,『自分はどこかが間違っているに違いない』と考えました。消極的なことばかり考え続けたため,それは雪だるま式に大きくなって,私はとうとううつ病になって入院するはめになりました」。
ジーンは続けてこう語りました。「退院してから,『目ざめよ!』誌1981年9月8日号(日本文,1981年12月8日号)の『人をうつ病にしやすい考え方』のリストを読みました。毎晩そのリストに目を通しました。『人間としての自分の価値は,他の人にどう思われるかにかかっている』,『決して悪感情を抱いてはいけない。いつも幸福かつ平静であらねばならない』,『自分は非の打ち所のない親であらねばならない』といった考えは間違った考えでした。私は完全主義者になる傾向がありましたから,そのような考えが浮かぶとすぐ,それを阻んでくださるよういつもエホバに祈りました。消極的な考え方をすると自尊心が弱まることは分かっていました。なぜなら,自分が見るのは生活上の問題ばかりで,神が与えてくださった良い物は見ないからです。私はある種の正しくない考えをあえて避けることによってうつ病を克服しました」。あなたの考えの中には挑戦を受け,退けられねばならない考えがありますか。
それは自分の落ち度だろうか
アレグザンダーは大変憂うつでしたが,なんとか学校のクラスを教えていました。(3ページをご覧ください。)彼は受け持ちの生徒の幾人かが非常に重要な朗読の試験に受からなかったとき,自暴自棄になりました。妻のエスタはこう言っています。「夫は自分が落第したような気持ちでいました。私は夫に,あなたの落ち度ではないと言いました。完ぺきにうまくゆくはずがありません」。それでもアレグザンダーは,のしかかる罪悪感に思いがふさがれ,自殺してしまいました。多くの場合,罪悪感が過度に大きくなるのは,他の人たちの行ないに対する非現実的な責任をしょい込むからです。
子供の場合でも,親は子供の人生に強い影響を与えることはできますが,完全に制御できるわけではありません。もし何かがあなたの計画どおりにゆかないなら,こう自問してみてください。自分の制御できない,予見しえない出来事に遭遇しただろうか。(伝道の書 9:11)自分の身体的,精神的,感情的な力の範囲内で道理にかなった程度にできることをみな行なっただろうか。自分の期待が高すぎただけだろうか。もっと道理をわきまえ,慎み深くなるようにする必要があるだろうか。―フィリピ 4:5。
しかし,もし自分が重大な間違いをし,しかも,それが自分の落ち度であるならどうでしょうか。自分をいつまでも精神的に打ちたたくなら,その間違いは変化するでしょうか。もし本当に悔い改めているのであれば,神は喜んで,それも「豊かに」許してくださるのではありませんか。(イザヤ 55:7)もし神が『いつまでも過ちを捜しつづけることはない』のであれば,そのような間違った行ないのことで精神的な苦しみの終身刑を自分に宣告すべきでしょうか。(詩編 103:8-14)絶えず悲しい気持ちでいるのではなく,「悪を正す」ために積極的な手段を講じることは,エホバ神の喜ばれることであり,自分のうつ病を軽減することにもなります。―コリント第二 7:8-11。
『後ろのものを忘れなさい』
わたしたちの感情的な問題には過去に根ざすものがあるかもしれません。自分が不当な扱いの被害者となった場合は特にそうです。進んで許し,忘れてください。『忘れるのはたやすいことではない』と思っておられるかもしれません。確かにそうですが,元へはもどらない事柄にこだわって残りの人生を台なしにするよりも忘れるほうがよいのです。
使徒パウロはこう書きました。「後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,……賞[を得る]ため,目標に向かってひたすら走っているのです」。(フィリピ 3:13,14)パウロは,殺人を是認したことも含め,自分がユダヤ教に従って歩んでいた間違った道のことをくよくよ考えたりしませんでした。(使徒 8:1)むしろ,永遠の命という前途に置かれている賞を得るための資格を身に着けることに全力を集中しました。マリアも過去のことをくよくよ考えないようにしました。かつては自分を正しく育ててくれなかったと言って母親を責めていました。母親が優れた素質と身体的な美しさを強調したため,マリアは完全主義者になり,器量のいい妹をねたむ傾向がありました。
「この潜在的な嫉妬心がもとで争いが生じていたのですが,私は自分の良くない行動の仕方を家族のせいにしていました。その後やっと,『だれに落ち度があったのかということは実際,大きな問題だろうか』と考えるようになりました。母が私を育てた仕方が原因で私の性格には幾らか悪いところがあるにしても,要はそれを何とかすることです。同じ行動を続けてはなりません」。この認識のおかげでマリアは必要な精神的調整をすることができ,うつ病に対する闘いに勝ちました。―箴言 14:30。
あなたの真価
すべての要素を考慮すると分かるとおり,うつ病と闘って勝利を収めるには,自分の価値に関する平衡のとれた見方が必要です。使徒パウロは次のように書きました。「あなたたち一人一人に言います。実際の価値以上に自分を過大評価してはなりません。むしろ……慎重に評価すべきです」。(ローマ 12:3,共同訳)誤ったプライド,自分の限界を無視すること,完全主義などはみな,自分に関する過大評価です。このような傾向は抑えなければなりません。とはいえ,他の極端に走らないようにしてください。
イエス・キリストは,「すずめ五羽はわずかな価の硬貨二つで売っているではありませんか。それでも,その一羽といえども神のみ前で忘れられることはありません。ところが,あなた方の髪の毛までがすべて数えられているのです。恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」と語って,ご自分の弟子たち一人一人の個人としての価値を強調されました。(ルカ 12:6,7)わたしたちは神から最も微細な点に至るまで注目されるほど,神にとって価値があるのです。わたしたちが自分自身について知らない事柄でも神は知っておられます。神はわたしたち一人一人を深く気遣っておられるからです。―ペテロ第一 5:7。
セアラは,神が自分に個人的な関心を払ってくださっていることを認めて,自分にも価値があるという気持ちを強めることができました。「私はいつも創造者に対して畏敬の念は抱いていましたが,神が私を一人の人間として気遣ってくださっていることをその時から悟るようになりました。子供たちが何をしようと,夫が何をしようと,また父や母がどのように私を育てたかにかかわりなく,自分がエホバと個人的な友好関係にあることを悟りました。それ以来,私の自尊心は本当に強くなってゆきました」。
神がご自分の僕たちを大事にしておられるのですから,わたしたちの価値はほかの人間からの是認によって決まるのではありません。もちろん,のけ者にされるのはうれしいことではありませんが,わたしたちが他の人から是認されることや否認されることを自分の価値を量る基準とするとき,自分をうつ病にかかりやすくしていることになります。神の心にかなう人であったダビデ王も,「どうしようもないやつ」,文字どおりには「無価値な男」と呼ばれた時がありました。それでもダビデは,悪口を言うその人が問題を抱えていることを知っていたので,その発言を自分の価値に関する最終的な評価とはみなしませんでした。事実,人々がよくするように,シムイは後であやまりました。たとえだれかがあなたに対して正当な批判をしたとしても,それをあなたのした特定の事柄に対する批判とし,一個人としてのあなたの価値に対する批判とは考えないでください。―サムエル第二 16:7; 19:18,19。
セアラは,聖書や聖書に基づく文書を個人的に研究し,エホバの証人の集会に出席して,神との関係を築くための基礎を据えることができました。こう回顧しています。「でも,祈りに対する態度を変えたことが最も大きな助けになりました。それまではただ大きな事柄について神に祈り,つまらない問題で神を煩わせてはならない,と考えていました。でも今は,何でも話せるように思います。もしある決定を下すことで神経過敏になるなら,落ち着かせ道理をわきまえさせてくださるよう神に助けを求めます。私の祈りに神が答えてくださり,日ごとに試みとなる状況を切り抜けさせてくださるのを見ると,ますます身近に感じます」。―ヨハネ第一 5:14。フィリピ 4:7。
実際,神がわたしに個人的な関心を抱いておられ,わたしの限界を理解し,その日その日に立ち向かう力を与えてくださるという確信は,うつ病との闘いにおける鍵です。とはいえ,自分の行なう事柄には関係なく,うつ病が長引くこともあります。
『刻一刻の』忍耐
重症うつ病と永年闘ってきた47歳の母親であるアイリーンは,嘆きながら次のように語ります。「栄養補給剤や抗うつ薬など,あらゆるものを試してみました。間違った考え方を正すようにしましたから,前よりも道理をわきまえられるようになりました。でも,まだ抑うつ症状は残っています」。
抑うつ症状が消えないとしても,それは巧みな闘いをしていないという意味ではありません。医師たちはその障害の治療に当たってすべての答えを知っているわけではありません。事情によっては,うつ病はある重い病気を治療するために投与された何らかの薬の副作用である場合もあります。ですから,そのような薬剤の使用は,他の何らかの医療上の問題を処理するための一種の駆け引きなのです。
もちろん,思いやりのあるだれかに自分の気持ちを全部話すことは助けになりますが,あなたの苦しみの深さを本当に分かる人はだれもいません。しかし,神はご存じであり,助けてくださいます。アイリーンは,「続けて試してみるようエホバが力を与えてくださいました。神は私があきらめてしまわないように,私に希望を与えてくださいました」と打ち明けました。
神の助けや他の人からの感情的な支えを得,またあなた自身が努力するならば,完全に参ってあきらめてしまうようなことはないでしょう。どんな慢性病についても言えるように,やがてはうつ病に適応できるようになります。忍耐するのは易しいことではありませんが,可能です。重度のうつ病がなかなか治らなかったジーンは,「私たちにとって忍耐は日ごとのことどころか,刻一刻のことのようでした」と語りました。アイリーンもジーンも,聖書の差し伸べる希望を抱いていたので耐え続けることができました。それはどのような希望でしょうか。
掛け替えのない希望
聖書は,間近な将来に神が『[人]の目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやなく,以前のものが過ぎ去った』状態になることを述べています。(啓示 21:3,4)その時,神の王国は地上の全臣民に身体面でも精神面でも完全ないやしをもたらします。―詩編 37:10,11,29。
単に身体的な苦痛が除かれるだけでなく,ひどい悩みや苦しみも消え去ります。エホバはこう約束しておられます。「以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ」。(イザヤ 65:17,18)過去の重荷から解放され,また毎日壮快な気分で目覚め,その日の活動に取り組もうという意欲を抱けるのは,人類にとってなんという快い変化でしょう。あのもやもやした憂うつな気分に邪魔されることはもはやありません。
『死や嘆きや叫びがもはやない』のですから,今はうつ病につながる死別のつらさや日ごとの感情的緊張はなくなるでしょう。愛ある親切,真実,平和などが対人関係に浸透するので,苦々しい争いはやみます。(詩編 85:10,11)罪の影響が除かれるとき,なんと大きな喜びがもたらされるのでしょう。ついに神の義の規準に完全に従うことができるようになり,内面の全き平安が得られるのです。
胸をわくわくさせるこの見込みは,うつ病がどれほど厳しいものになろうとも,闘い続けるための大きな励みとなります。神の新しい世において,完全にされた人間はうつ病に対する絶対的な勝利を得るのです。なんと良い知らせなのでしょう!
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