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神の裁きが行なわれているこの時代に神の会衆の清さを保つものみの塔 1973 | 9月1日
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神の裁きが行なわれているこの時代に神の会衆の清さを保つ
「あなたがたは,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか」― コリント前 5:6,新。
1 クリスチャンはなぜ清さについて真剣に考えますか。
身体的また道徳的清さはともに人体の益のために寄与します。このことによく注意すれば,健康な生活を促進できます。人体について言えることはまた,今日地上のあらゆる場所に見いだされる,キリスト・イエスの正真正銘の弟子たちで成る,からだのような会衆についても言えます。エホバ神は ― ご自分のみ名の誉れと,ご自分を愛する人たちすべての永続する益とのために ― ご自身のしもべたちで成るそのからだにそうした健全な清さを要求しておられます。―コリント後 6:17。イザヤ 52:11。マラキ 3:2,3。
2,3 ゆえに,使徒の助言と調和して,クリスチャンの牧者もしくは監督は,どんな義務を必ず果たさねばなりませんか。
2 1,900年前,仲間のクリスチャンに手紙を書き送った使徒パウロはこう勧告しました。「すべての人に対して平和を追い求めなさい。また,神聖なものとされることを追い求めなさい。それなくしてはだれも主を見ることはありません。注意深く見守って……有毒な根が発生して問題を起こし,それによって多くの者が汚されることのないように,そして,淫行の者,またエサウのように神聖な物事の価値を認識しない者が出ることのないようにしなさい。彼は一度の食事と引き換えに初子としての自分の権利を渡しました」― ヘブル 12:14-16,新。
3 それで,すべての人との平和を追い求める一方,神の羊の群れの牧者たちは,好ましくない分子が潜入したり,不意に現われたりする事態から羊の群れを守らなければなりません。牧者たちは,「少しのパン種が固まり全体を発酵させる」ことを現実の事がらとして認識しなければなりません。―コリント前 5:6,新。使行 20:28。
麻薬常用の問題に立ち向かう
4,5 (イ)最近,どんな問題が取り上げられ,祈りのうちに考慮されてきましたか。(ロ)そうした麻薬対策計画の援助を受けている人たちと,別のタイプの薬物投与を受けている人とを比べた場合,どんな大きな違いが見られますか。
4 今日,多くの土地では麻薬の常用は疫病のような問題となっています。確かにそうした習慣を,神の清い会衆に持ち込む余地はありません。a しかし,ヘロインのようなより危険な麻薬のかわりに,(メタドーンとして知られる薬剤のような)ある製品を限度を定めて投与する,政府の後援によるある種の計画の援助を受けている人についてはどうですか。政府の設けたそのような計画の援助を受けている人は,自分は何ら『不法な』ことはしていない,麻薬の常用に伴う独特の幻覚症状も経験していない,自分は『社会の労働成員』としての働きを営むことができると言うかもしれません。もし,そのような人たちがエホバの証人の世界的な規模の会衆の,バプテスマを受けた成員として認めてもらうよう努力する場合はどうですか。そのような人がバプテスマを受けるのを認めるべきでしょうか。
5 これまでにこうした問題が取り上げられ,祈りのうちに考慮されてきました。聖書の見地からすれば,そうした計画の援助を受けている人は聖書的にいって有資格者でないことは明らかです。そのような人は当然,今なお麻薬常用者と考えられるからです。もちろん,薬物治療において,つまり物理的あるいは器質性の疾患の治療に麻薬類を正しく用いる方法はあります。しかし当然のこととして,たとえばメタドーンなどの投薬を受けている人を,インシュリンを必要とする器質性疾患をわずらっている糖尿病患者や慢性関節炎の患者,あるいは苦痛を和らげるために薬物治療を受けているガンの末期の患者と比較できるものではありません。糖尿病や関節炎あるいはガンなどの患者の場合,「強い」麻薬の常用を『断つ』さいの不快な,ひどい苦しみをさえもたらす経験を避けるためにそれらの薬物投与を受けているわけではありません。また,精神的また感情的均衡を保つための『ささえ』として薬物を用いているわけでもありません。一方,医師は患者の苦痛を一時的に和らげたり,危険な時期に眠りを催させたりするために,あるいは外科手術を受ける用意をさせるために鎮静剤を処方するにしても,それは麻薬を常用してそのとりこになるのとは話が違います。
6,7 そうした計画はおそらく『合法的な』ものであるにしても,どんな重大な弱点がありますか。このことから,どんな質問が提起されますか。
6 政府の麻薬対策計画の援助を受けて,メタドーンなどの製品を用いるのは「合法的」ではあっても,このことは問題の決定的な要素ではありません。中には,麻薬常用者が政府の診療所で『合法的に』ヘロインを入手できる国があるかもしれませんが,だからといって,そうした行為は聖書的に正しい行為とはなりません。
7 概してそうした計画では,ある麻薬の代わりに,ヘロインのような麻薬よりは害が少ないと見られる別の麻薬が用いられるにすぎません。ところが今では,メタドーンが他の『違法な』麻薬同様路上で麻薬常用者に売られていることを新聞は報じています。人びとは麻薬を『断つ』さいの激痛を克服して麻薬中毒から解放された生活を始めるよりもむしろ,自分たちの問題に対ち向かってそれを克服するのを避ける,もしくはあとに延ばそうとしています。そのために次のような問題が提起されます。そのような人がバプテスマを受けたところで,いったいどれほどの意味があるのだろうか。それは何を意味するのだろうか。
8 麻薬常用者が麻薬を「断つ」のを渋る態度と,神のみ子の弟子になるのに必要な聖書の要求とを対比させなさい。
8 キリスト・イエスは,だれでもその弟子になりたいと思う者は『自分の苦しみの杭を取り上げて』キリストに従い,キリストのために自分の命をさえ喜んで捨てなければならないと言われました。(ルカ 9:23,24,新。ヨハネ 12:25)バプテスマを受けた人はだれでも,心の中でそうした決定をすでに下しているべきです。もし,喜んで「苦しみの杭」を負い,杭に突き刺されるに至るまで喜んでイエスに従うのであれば,麻薬の常用を「断つ」さいの苦痛を喜んで耐えるわけにはゆかないなどと言えるでしょうか。(ロマ書 6章6節,ガラテヤ書 5章24節,コロサイ書 3章5節と比べてください。)実際のところ,麻薬を「断つ」さいにもたらされる苦しみは,悪い習慣のもたらす当然の結果,つまり『まかれたものを刈り取ること』なのです。―ガラテヤ 6:7,新。
9 (イ)そうした麻薬対策計画の援助を受けながら,バプテスマを受けたいと願う人たちに関しては,どんな質問を尋ねてみるのはもっともなことですか。(ロ)この点で神のみ子はわたしたちのためにどんな模範を残しましたか。
9 では,そのような人は以前の生き方をどれほど完全に『悔い改めて転じた』のでしょうか。(マタイ 3:8。使行 26:20,新)もし,引き続き麻薬中毒にとりこになっているとしたら,はたしてその人は神の奴隷として心や魂,思いや力をこめて自らを神にほんとうにささげることができるでしょうか。(マルコ 12:29,30,新)そうした計画の援助を受けている人は,ピリピ書 4章6,7節(新)が述べるような,神のみことばに対する信仰をほんとうに持っているでしょうか。その句によれば,もし信仰をいだいて神に求めるなら,神の平和が『わたしたちの心と知力を守る』という約束があるのです。その人は神の霊の力を信用しますか。それとも,その力に関しては疑いを表わし,自分の心や知力を守り,自分自身を制する力を失わないようにするための何らかの代用麻薬に頼りますか。その人は神の霊の実である「自制」をどこで示しているのでしょうか。(ガラテヤ 5:22,23,新)イエスは杭に突き刺されていたとき,「もつ薬を混ぜ込んだぶどう酒」を飲もうとはされませんでした。それは明らかに,死をもってご自分の忠誠を最終的に確証するにさいして,ご自分の感覚をことごとく保っておくよう決意しておられたからです。(マルコ 15:23,新世界訳,アメリカ訳)こうしてイエスは,そのような重大な試練にさいして最後まで人間を助けてくださる神の力に頼る模範を残されました。
10,11 バプテスマを受けたいと願っている人たちに対して,それらの人がもし麻薬常用癖に陥っているなら,まずそれを克服することを期待するのはなぜ理にかなっていますか。そうしないうちにそのような人をバプテスマ希望者として受け入れるのは,真の親切ではありません。なぜですか。
10 ヘロインその他の「強い」麻薬の常用を克服するには非常な困難を経験すること,あるいは麻薬の常用を首尾よく克服できるのはごく少数の人たちだけであることは否定できません。しかしながら,麻薬の常用を克服した人びとがいるという事実は,それが克服できるものであることをまさしく示しています。世の人びとが麻薬の常用を克服できたという事実を考えると,神のみ子の真の弟子になりたいと願う人たちもやはりそうすることができるに違いないと信ずる,いっそうの理由が得られます。ある種の麻薬の代わりにメタドーンのような別の麻薬のとりこになるよりもむしろ,挑戦を真っ向から受けて立ち,麻薬にとらわれたそうした状態を克服するための神の助けに頼るべきでしょう。
11 そうしないうちにそれらの人がバプテスマを受けるのを認めるとすれば,それは問題に立ち向かう努力をあとまわしにするのを単に許すにすぎません。それは彼らにとっても真の助けとはなりません。というのは,やがてはその問題に直面し,確固とした立場を取らなければならないからです。政府の設けたそうした計画を利用できなくなる時期がほどなくしてやって来るかもしれないのです。もし,麻薬常用者を会衆の成員として認め,今受け入れるなら,そのような人たちは将来いつの日かに危険もしくは重大な非難をもたらす現実の問題源になりはしないでしょうか。そうなる以前でさえ,そのような人を会衆に正式に受け入れたために,麻薬の使用に対する仲間のクリスチャンの兄弟たちの抵抗力を弱めることになりはしませんか。個人に好意を示したいために会衆全体の益をないがしろにすることはできません。―ガラテヤ 5:9; 6:10。
たばこの常用に関する一貫した立場
12-14 たばこをのむ習慣を他の麻薬の常用と比べることができますか。このことからどんな問題が前面に出されますか。
12 しかしこのことから,依然たばこを使用している人がバプテスマを受けるのを許すべきかどうかに関する一貫した立場が問題になってきます。そのような人たちもまた,吸煙したり,かんだり,かいだりしたりするかどうかにはかかわらず,有害な製品のとりこになっています。1973年4月9日号,サイエンス・ワールド誌の報告を考慮してみてください。
13 「常用癖をもたらす……いわゆるその麻薬はニコチンである。……紙巻たばこを『吸った』後1,2分間,ニコチンは脳にとどまっているが,『最後に一口吸った』後,2,30分たつと,ニコチンの大半は脳を去って他の器官に移ってしまう。……丁度そのころ,喫煙者は紙巻たばこをもう1本必要とする。……ニコチンが切れると,からだはそれを『渇望する』のである。渇望するあまり,時にはニコチンがなくなると,からだは『病気』になる場合がある。禁断症状 ― 一種の病的な気分に襲われる状態 ― が始まる。……そうした症状のいくつかは,眠け,頭痛,胃の不調,発汗,心臓の不規則な鼓動などである」。
14 世の諸政府さえ,たばこの使用の危険性に対する重大な警告を発するよう動かされてきました。では,たばこの常用癖を直していない人に,バプテスマを受ける資格があるでしょうか。
15 聖書では特にたばこのことは言及されてはいないにしても,聖書の原則はこの問題に対する答えをどのように与えていますか。
15 聖書に基づく証拠は,そのような人には資格がないという結論を示しています。当誌の他の号ですでに説明されたとおり,聖書の筆者たちが用いて,のちに「心霊術の行ない」とか「心霊術的な行ない」と訳されているギリシア語,ファーマキアにはもともと「麻薬の使用」という意味があります。(ガラテヤ 5:20; 黙示 9:21,新)この語は,麻薬の使用と心霊術との間の密接な関係ゆえに,心霊術的習慣をさすようになりました。たばこはまた,もともとそのような仕方でアメリカ・インデアンによって使用されました。ですから,たばこを,ギリシア語ファーマキアの語源を供するものになったのと同様の,惑溺性のある麻薬の部類に入れるのは,もっともなことと言えます。たばこのニコチンは,ヘロインや,LSDのようないわゆる幻覚剤などの「強い」麻薬が引き起こすのと同じ精神的また感情的影響はもたらしませんが,それでもニコチン中毒は確かに知力に影響し,人をとりこにする強い作用を及ぼします。第二次世界大戦の終わりごろ,ヨーロッパでは紙巻たばこがお金以上の価値を持ったことがありました。売春婦は数本の紙巻たばこのために身を売り,普通の人びとは食糧の配給券をさえ犠牲にしてたばこを求めたと伝えられています。
16 (イ)こうした惑溺性を生む習慣をやめるべきどんな強力な理由がありますか。(ロ)創世記 1章29節はたばこの使用者にとって言い訳の材料となりますか。
16 たばこがからだに悪影響を及ぼすことは周知のとおりですし,それがものを汚す作用を持っていることは一目でわかります。もしたばこを乱用し,その中毒にかかって自分のからだを汚すなら,創造者から命を与えられたことに対して敬意を払うことにはなりません。医学の権威者は,たばこを使用する妊娠した婦人はそうでない人の場合よりも流産を起す危険性がはるかに大きいとして警告していますが,これもまた,生命の尊厳さに対するゆゆしい不敬を示す事例です。たばこの常用者は,神がたばこの木を創造したのであり,たばこは神が「食物」として人類に与えた「草」の一部であると論じて,自分たちの立場を聖書的に弁護することはできません。(創世 1:29,口語)たばこの使用者は,たばこの緑の葉をサラダにして食べたり,あるいはほうれん草のように料理したりして「食物」としてたばこを用いるわけではありません。そうではなくて,たばこの葉を保存し,乾燥した褐色の葉を使用し,吸煙したり,かんだり(汁は飲み込まない),あるいはかいだりして肉体的感覚を充足させるのです。しかも,からだや知力を現に害しながらそうするのです。
17-19 (イ)たばこを常用している人は,もしバプテスマを受けたいと考えているのであれば,どんな鋭い質問を考慮すべきですか。(ロ)同様の事がらは,麻薬に類する他のどんなものの常用者にもあてはまりますか。
17 政府後援による麻薬対策計画の援助を受けている人びとに関して提出されたのと同様の質問を,バプテスマを受けたいと申し出るたばこの常用者に関しても同じように提起できるでしょう。彼らはほんとうに『悔い改めて転じ』ましたか。それとも,聖書の原則に反していることを彼ら自身知っている習慣に依然としてしがみついていますか。(ロマ 6:19。テサロニケ前 4:7; 5:22)コリント後書 7章1節(新)で使徒はこう言っています。「それゆえ,わたしたちにはこうした約束があるのですから,愛する者たちよ,肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」。たばこの常用者はこのことばを心に留めているでしょうか。神の新秩序で生活する人たちはたばこを常用することはありませんし,たんつぼや灰皿を必要とすることもありませんし,また他の人びとの吸う空気をたばこの煙で汚染したりしないことを,確かにすべての人が認めることでしょう。
18 それでは,今たばこの中毒にかかっている人たちは,その清い新秩序に対する自分たちの信仰と,その新秩序に宿る義に対する自分たちの愛の証拠として,たばこの使用をやめるべきではありませんか。神が裁きを執行する時に,「汚点もきずもない」者として神に見いだしてもらいたいと思うなら,そのような人は,きたるべき「大患難」を通過する経験が何とか変化をもたらして,ニコチン中毒から自分たちを癒してくれるのではなかろうかなどと期待するよりはむしろ,今確固とした立場を取るべきではないでしょうか。(ペテロ後 3:11-14,新)近づく「大患難」のために市販のたばこが入手できなくなってから,周囲の事情に迫られてたばこの常用癖を直すのは,神を喜ばせたいと願う気持ちから今そうするよりも決して容易なことではないでしょう。
19 たばこについていえることは,ある地方におけるビンロージュの実やコカの葉などの習慣性の生じやすい有害な製品の使用についても,同じことが言えます。(それら後者の製品は,明らかに知力を鈍くする作用のあるコカインを含んでいます。)b
断固とした処置を今講ずる必要がある
20,21 こうした点を考えて,エホバの証人は今どんな断固とした立場を取っていますか。こうした立場を取るのは,惑溺性のある製品を常用する人にとってさえ益となります。なぜですか。
20 何十年にもわたってエホバの証人の出版物は,たばこなどの惑溺性のあるこうした製品の使用について警告してきました。エホバの証人の会衆と交わっている人たちはほとんどすべての場合,そうした習慣がまちがっていることを認めています。それで,関心のある新しい人たちは確固とした立場を取るべきであって,ニコチンあるいは他の有害な惑溺性のある物質に依然としてとらわれていながら,バプテスマを受けて会衆に迎え入れてもらいたいとか,王国会館の演壇で資料を用いて話をするのに加えてもらいたいとかと求めて,問題をあとまわしにすべきではありません。c 新秩序が非常に近づいている今,惑溺性のあるそうした有害な習慣をいさぎよくやめようとしない人には,バプテスマを受けてエホバのクリスチャン会衆の成員として認めてもらう資格はないとする立場を取るのは,確かに神のみことばと調和しています。
21 実際,そのような人を会衆に受け入れるなら,それは当人の良心をなだめることになり,その人にとってはあだとなりかねません。そのような人を受け入れずに拒むなら,当人が断固とした処置を講じ,神の新秩序における生活に自ら備える必要を真剣に考えるよう助けることになり,祝福となりうるのです。そうした挑戦に立ち向かうことによって,人は倫理的勝利を得ますし,その勝利は真の強さと,神の力および神が快く助けてくださるということに対する確信とをもたらすのです。
22-24 (イ)バプテスマを受けた人が,依然そうしたものを常用しているとすれば,そのような人は今何をすべきでしょうか。そうすることをそのような人に期待するのはどうして理にかなっていますか。(ロ)バプテスマを受けていながら,そのようなものの常用をやめようとしない人に対して会衆はどんな方策を取るべきですか。
22 では,以前バプテスマを受けていながら,たばこのような惑溺性のある製品またはその他の麻薬などを依然として使用している人,あるいは「メタドーン計画」などのある種の治療を受けたり,そうした習慣をなお続けたりしている人たちについてはどうですか。そうした人びとに対しては,その種の常用癖をやめるための,6か月くらいの適当な期間を今与えることができるでしょう。それらの人はそうした習慣をやめることによって,エホバ神の献身したしもべたちの清い会衆内に留まっていたいとの誠実な願いを示せます。
23 神のみ子の真の弟子となるために,「強い」麻薬の常用癖を断つ,非常に苦しい経験に耐えられるのであれば,たばこあるいは同様の製品の常用者が,自分たちの常用癖を断つさいの,もっと軽い苦しみを経験するわけにはゆかないとして反対する,もっともな理由はないはずです。そうした苦しみを経験するのを拒む人は,それよりもずっと困難な挑戦に直面しながら,「強い」麻薬を使用する習慣を克服しようと努力している人にとって,確かに非常にみじめな手本になることでしょう。
24 すでにバプテスマを受けた人が,人をとりこにする有害な製品の常用をいさぎよくやめようとしない場合はどうですか。そうなれば,そのような人はエサウのように『神聖な物事の価値を認識して』はおらず,エホバの清い民のひとりとなる特権よりも,そうした習慣のほうを好んでいることを示しています。ですから,その種の人はクリスチャンにふさわしからぬそうした行ないのゆえに会衆から除かれるべきです。―コリント前 5:7。ヘブル 12:15,16,新。
25 有害な常用癖を今やめる人は,バプテスマを受け直す必要がありますか。
25 たばこ,あるいはその他の有害な製品の常用をやめる人は,バプテスマを受け直す必要がありますか。いいえ,必ずしもそうする必要はないようです。責任をもたらし,良心を教育するのは知識です。(テモテ前 1:13)彼らは自分たちの習慣が『妨げ』とはならないという理解を会衆から与えられたので,そうした理解に従ってバプテスマを受けました。(使行 8:36,新)もちろん,もしある人が,自分はそうした習慣を持っていたために,『やましい良心』をいだいたままバプテスマを受けたと感ずるのであれば,その人はバプテスマを受け直すことに決めるかもしれません。そうするのは,その人が自分で決めるべき事がらです。
神からの審判が下される時代
26 これまでに到達した結論に関しては,どんな事がらを銘記すべきですか。
26 エホバのクリスチャン証人の霊的また道徳的な事がらに関するこうした裁定は,ある人びとにとっては非常に厳しいものと思えるかもしれません。しかし,これは独断的で専横な処置を講じようとする努力の表われではありません。この厳格さは実際のところ,書きしるされたみことばを通してご自身の考えを明らかにしておられる神から出ていることなのです。人類のこの世代の人びとが生きている時代からすれば,今は,神を喜ばせ,近づきつつある神の義の新秩序にはいりたいと欲する人びとが行ないの清さに慎重に注意を払うべき時です。
27-29 (イ)1世紀当時の統治体の一成員として使徒ペテロは,なぜ,またどんな主題に関して仲間の兄弟たちに手紙を書き送りたいという衝動を感じましたか。(ロ)神の裁きを受けるとき,だれが是認されるかに関してどんな重大な質問が提起されますか。
27 19世紀前,つまり西暦1世紀当時のクリスチャン会衆の統治体の一成員であった使徒ペテロは,エホバの民の諸会衆に助言や指示をしるした手紙を書き送りました。ペテロは,クリスチャン会衆が当時エルサレムとその神殿を中心にしたユダヤ教の事物の体制の最後の時期を経過しつつあることを,はっきり悟っていました。彼の主人,イエス・キリストはそうした最高潮がその世代のうちに起きるであろうことをすでに予告しておられたのです。(マタイ 23:36; 24:34)当時は,とくにキリスト教に改宗したユダヤ人にとって非常に重大な時代でした。また,ローマ帝国によるクリスチャンに対する迫害がまさに始まろうとしていた事実を考えれば特にそうでした。そこでペテロは,仲間のクリスチャンに手紙を書き送りたいという衝動を感じました。
28 その最初の手紙は,西暦66年に起きたローマ帝国に対するユダヤ人の反乱のほんの少し前の西暦62ないし64年ごろに書きしるされました。その反乱に続いて,西暦70年にユダヤ人のエルサレムとその神殿は滅びました。自分の死が迫っていることを知っていたペテロは,キリスト教に改宗していない世の人びととともに彼らの「放とうの同じ下劣なよどみにまで」走るようなことがないよう戒める責任があることを痛感しました。たとえ迫害をこうむっても,身の破滅を招くそうした道を避けることがいかに緊急なことかを強調するため,ペテロは次のように書いて,終わりが近いことを示しました。「しかし,すべての事物の終わりが近づきました。ですから,健全な思いをもち[麻薬を用いて現実から逃避することなく],祈りのために目ざめていなさい」。(ペテロ前 4:4-7,新)問題はいよいよ深刻なものとなっていました。なぜなら,神の裁きを表明する過程がクリスチャン会衆に関連してすでに始まっていたからです。神によって調べられ,吟味されるとき,いったいだれが是認された者として立てるでしょうか。それはのんきに構えている人でもなければ,世の放蕩の道に従う人たちでもなく,腐敗し,堕落した肉を喜ばせる,キリスト教の精神に反する事がらに故意にふける人たちでもありません。(箴 1:32,33)使徒ペテロは書きました。
29 「クリスチャンとして苦しみに遭うのであれば,その人は恥じることはありません。むしろその名によって神に栄光を帰してゆきなさい。今は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。さて,それがまずわたしたち[神の家]から始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか。『そして義人がかろうじて救われてゆくのであれば,不敬虔な者や[クリスチャン会衆内の]罪人はどこに出てくるだろうか』。そうであれば,神のご意志にしたがって苦しみに遭っている者たちは,善を行ないつつ,自分の魂を忠実な創造者にゆだねてゆきなさい」― ペテロ前 4:16-19,新。
30 バプテスマを受けたクリスチャンが,それも特に現在,どの程度にせよ,「不敬虔な」者や「罪人」のまねをするのは,なぜ非常に危険なことですか。
30 たとえクリスチャン会衆内で「義」の立場を保っているとはいえ,イエス・キリストの忠実な追随者は「かろうじて救われて」いるのです。バプテスマを受けたクリスチャンがどの程度にせよ,「不敬虔な」者や「罪人」のまねをするなら,その人の救いはいよいよ困難になるでしょう。それとも,その人は救いを受けるには全くふさわしくない者であることを示そうとしているのでしょうか。これはクリスチャンが今日覚えておくべき事がらです。確かにわたしたちの世代に関してはまさしく,「すべての事物の終わりが近づきました」と言うことができます。神は目下,崇拝者たちで成るご自分の家に対して審判を下しておられる最中です。このことはマラキの預言の中でも言及されており,その3章は,エホバが『契約の使い』としてのイエス・キリストを伴って,ご自分の霊的な神殿に来られる時のことを述べています。神聖な審判者エホバはだれに対して,律法破棄者また罪人に対するように不利な証しをなさるでしょうか。エホバはマラキ書 3章5節〔新〕でこう告げておられます。
31-33 (イ)マラキ書 3章5節は,惑溺性のある製品に今とりこになっている人たちの直面している重大な危険をどのように指摘していますか。(ロ)心霊術と麻薬の使用との間に関係があることを,聖書中の他のどんな証拠が示していますか。
31 『われ汝らにちかづきて審判をなし〔魔術師〕[ギリシア語七十人訳によれば ― ファーマコウス]にむかい姦淫を行なう者にむかい偽りの誓いをなせる者にむかい雇い人の価をかすめ寡婦とみなしごをしえたげ異邦人を押しまげ我をおそれざるものどもにむかいて速やかに証をなさんと万軍のエホバいいたもう』。
32 悪行に関してエホバが速やかに証しをする対象として指摘している最初の者が「魔術師」であることに注目してください。キリスト以前のアレキサンドリアのユダヤ人が翻訳したギリシア語七十人訳は,「魔術師」をギリシア語のことばファーマコウスを用いて訳出しました。これは黙示録 21章8節で用いられているのと同じことばです。その箇所である翻訳者たちはこの語を「魔術師」と訳していますが,新世界訳はそれを「心霊術を行なう者」と訳出しています。古代の魔術師たちは実際,心霊術を行なっていました。そのような者たちに適用されたギリシア語のことばは,文字どおりには,「薬剤師」ではなくて,「麻薬売買者」を意味しています。古代の魔術師は当時の麻薬販売人だったのです。
33 キリスト教時代以前の作であるギリシア語七十人訳は,これと関連のあるギリシア語のことばファーマコン(文字どおりには「麻薬」を意味するが,「魔術」と訳されている)を少なくとも5回用いています。偶像崇拝に走った古代イスラエルの女王イゼベルはそうしたファーマコン(複数形の)もしくは「魔術」にふけりました。(列王下 9:22,七十人訳)彼女は,エホバの刑執行者として行動したエヒウ王によって処刑されました。専門の「魔術師」あるいは心霊術を行なう者たちを後援した人びともやはり,心霊術的な行ないに携わり,罪に定められました。
34-36 (イ)こうした習慣が今批判され,注視されているのはもっともなことです。なぜですか。(ロ)このようなわけで,神の羊の群れの中で牧者として仕える人たちには,どんな責任が課されていますか。
34 であれば,麻薬の常用が一般に広まり,たばこの使用が増大している今日,そうした事がらにふける人たちが批判,注視されるのは少しも不思議なことではありません。最高の審判者であるエホバ神は,ご自分の霊的な神殿におり,その聖なる場所で神を崇拝していると唱える人たちを特に吟味しておられます。エホバは,魔術師もしくは心霊術を行なう者たちに対して速やかに証しを行なうと約束されました。それらの者たちは昔から,習慣性を生ずる,人をとりこにする麻薬と関係を持っていたのです。
35 エホバが速やかにわたしたちに対して,わたしたちが麻薬もしくは習慣性を生ずる他の有害な植物類,つまり悪霊の影響に人をさらすものの常用者であることを証しなさるのを,わたしたちは欲していますか。きたるべき「大患難」のさいに,そのようなものの常用者たちに対してエホバが下す裁きは,彼らの滅びを意味します。(黙示 21:8)この「事物の体制の終結」の時の今,エホバ神がご自分のクリスチャン証人たちの会衆の中にそのような常用者のいることを欲しておられないのは,まさに確かなことです。約束の「新しいエルサレム」について黙示録 22章15節(新)はこう述べています。「その外にいるのは,犬,心霊術を行なう者[麻薬売買者,王国行間逐語訳],淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,また,すべて偽りを好みそれを行ないつづける者である」。
36 ですから,これらの指示は,エホバ神に対する責任を痛切に感じて出されているのです。したがって,そうした好ましくない分子がエホバのクリスチャン証人の会衆のバプテスマを受けた成員として認められ,受け入れられるようなことがないように注意するのは,神の羊の群れの霊的な監督である長老たちの義務です。
[脚注]
a この問題に関する聖書の教えを詳しく論じた1973年7月1日号「ものみの塔」誌,396-407ページをご覧ください。
b そうした製品に関してもっと詳しい資料を得たい人は,1973年1月15日号「ものみの塔」誌46-49ページをご覧ください。
c 「王国を宣べ伝え,弟子を作るための組織」(英文)と題する本の98ページ,5節をご覧ください。
[531ページの図版]
世の多くの人びとにとって,喫煙は楽しみの一つとされているが,それはキリスト教の趣旨にかなう事がらであろうか
[533ページの図版]
献身してバプテスマを受けた,エホバの証人になりたいと願う人は,たばこの使用を避けなければならない
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遠い北国からの報告ものみの塔 1973 | 9月1日
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遠い北国からの報告
● アラスカは北方の広大な寒い地域に位置しています。そこでは,892人のエホバのクリスチャン証人が喜びのうちに良いたよりを宣明しています。彼らはこの地域に住む32万以上の人びとに音信を伝えようと努力しています。しかし,それは容易なことではありません。アラスカの土地は広大で,人びとは遠くに散らばって住んでいるからです。それらの人びとのところへ行く唯一の手段は飛行機ですが,その方法は時々利用されており,よい見込みがあります。アラスカ支部の監督,ロンコ兄弟からの手紙には次のように書かれています。「陸路では行くことのできない178か村の人びとに証言を試みるという,非常に大きな挑戦が残されています。兄弟たちは,命の音信を携えてそれらの人びとのところへ行く計画を絶えず練っています。それらの村落に住む4万3,424人の人びとに会うことができるよう,エホバの霊と導きを祈り求めています。王国のわざに忙しく携わるなら,成果はあります。それは確かに楽しい仕事です」。―「1973年のエホバの証人の年鑑」から。
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