印
(しるし)(Mark,II)
非イスラエル人の間では,所有権を示すものとして動物に,そして奴隷にさえ,焼き印が押されました。人間の場合には,額のような体の目立つ部分にそうした所有権の印が付けられました。偽りの神々の崇拝者たちは,自分の神の印を額に持つことによって自分がその崇拝者であることを明らかにする場合もありました。しかし,イスラエルに対するエホバの律法は,入れ墨の印で人の外観を損なうことを禁じていました。これは何であれ偶像礼拝的な慣行を阻止するのに役立ち,神の創造物に当然示されるべき敬意を教えるものとなりました。―レビ 19:28。「焼き印」を参照。
比喩的な用法 聖書は人間に印が付けられたことについて暗に触れており,それらに比喩的な意味で言及しています。エゼキエルの見た幻の中で,書記官のインク入れを帯びた一人の人は,エルサレムの中を行き巡って,『その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている者たちに印[ヘ語,ターウ]を付ける』ようにとの使命を受けました。その人々が示したこのような行為は,彼らが義にかなった人々,エホバに属する僕であって,それゆえにエホバが裁きを執行される時に保護されるに値することを示しました。彼らの額に付けられた比喩的な印はその事実を証ししました。―エゼ 9章。エゼ 9:4,脚注; ペテ二 2:6-8と比較。
一方,ヨハネの幻の中では,野獣の印(または,彫り込み)を額や手に受けた人々が滅びを受ける立場にありました。額の印は彼らが野獣の崇拝者であり,したがってその奴隷であることを公に明らかにしました。こうして彼らは神に敵対する者であることが示されました。野獣はその権威を龍すなわち悪魔サタンから受けたからです。手は業を成し遂げるために使われるので,手の印は野獣に対する活発な支持を表わしていると見るのは論理的です。―啓 13:1,2,16-18; 14:9,10; 16:1,2; 20:4。
「境界標」も参照。