「神の支配権」を歓呼して受け入れた大会
あなたは,平和,安全,幸福という人間の必要を満たせる公正な政府を望みますか。それはもちろんだれもが望んでいます。
ですから,そうした政府を作りえない人間の無能さに多く人がひどく失望しているのも不思議ではありません。ところが,それとは著しく対照的に,昨年の夏,ヨーロッパと北アメリカの163か所で開かれたエホバの証人の地域大会では,すぐれた政府の見通しに関して楽観的な見方がみなぎっていました。なぜでしょうか。
それは,これらの大会の出席者たちが,地球の必要としている正義の政府の出現を人間にではなく,エホバ神に期待しているからです。彼らは神の支配権を心から支持しています。これは,人類に永続的な平和と安全をもたらすことのできる唯一の支配権です。「神の支配権 ― わたしたちは支持していますか,それともそれに反対していますか」と題する基調講演で,それぞれの大会の講演者は声を大にして次のように述べました。
「エホバの意志を行なっている強力なみ使いすべてとともに,エホバの天軍すべてとともに,またエホバの奉仕者とともに,わたしたちは確信を持って答えます。わたしたちは現在において,また永遠に神の支配権を支持します」。
しかしこれらの大会では神の支配権を,声を出して歓呼して受け入れる以上のことが行なわれました。エホバの証人は,神の律法に徒おうとする誠実な努力によって,自分たちが神の王国 ― 神の政府 ― を支持していることを示します。
気持ちのよい相違
会場を訪れる人はしばしば,エホバの証人の大会とほかの団体の集まりとの間には気持ちのよい相違があることに気づきます。その相違は著しくて,新聞記者たちが記事にするほどです。
オーストリアでは,数か国語を用いる5日間の大会が,ウィーンにある大きなプレイタースタジアムとその近くのトロッター競馬場で行なわれました。「神の支配権 ― 全人類の唯一の希望」と題する公開講演には,合計3万1,363人が出席しました。アルバーター・ツァイトゥンク紙はこう伝えました。
「サッカーの国際試合で,案内人が叫んだり,どなったりしても行なえなかった事がらを,これらの会場整理係りは親しく手を振るだけでやりとげてしまう。静かで黙想的な雰囲気につつまれたスタジアムはいつもとは違う印象を与える。ごみやタバコの吸いからは[証人たちによって]清掃され,座席は色とりどりの日がさで埋まり,その下では人びとの顔が満足そうに輝いている。静かな音楽が流れてくる。―まるで大家族のパーティーのようだ」。―1972年8月8日付。
ところが証人たちの評判が良かったにもかかわらず,一部のカトリック僧職者たちは大会出席者たちに部屋を貸さないように人びとに勧告しました。この反対は逆効果を招きました。というのは,ウィーンの一有力紙がこう伝えたからです。「かくして教会当局は,宗教的偏狭という恥べき,嘆かわしい態度を示した」。―クリーア紙,1972年8月11日付。
スペインにおける,カトリックの僧職者たちの反対はさらに大がかりなものでした。実のところ,昨年までエホバの証人は,ローマ・カトリック教会の反対のために,スペインで大会を開くことができませんでした。しかし昨年の夏,パルマ・デ・マリョルカで開かれた大会で生じたできごとは事態が変わったことを示しました。秘密警察が大会場に来て,司祭たちが妨害を企てなかったかどうかを調べました。警察官はもし司祭が問題を起こそうとしたら,すぐ電話をするようにと言いました。どうやら司祭たちはその前に警察署へ行って,証人たちに対して問題を引き起こそうとしたようでした。
結局スペインの6か所で開かれた神の支配権大会は大成功でした。スペインの証人たちと彼らの友人合わせて2万4,000人がクリスチャンの集まりをおおっぴらに開けたということは,彼らにとって思いがけない大きな喜びでした。ここでも傍観者たちは,その集まりがどんなに普通の集まりと違っていて,良いものであるかに気づきました。セビリャで開かれた大会に関して,エービーシー紙は次のように述べました。
エホバの証人は,「地域大会開催期間中に彼らが使用したあずまややスタンドなどをすべて自発的に,無私の気持ちで清掃し,修理し,整とんした。配線工事,割れたタイルの取り替え,道路と[フェアの]歩道の掃除,スタンドを使える状態にすることなどのほかに,[エホバの証人は],エクシィビシャン・カシノの中央通廊の何本もの大きな柱まできれいにした。
「フェアのある警備員によれば,今までフェアとカシノを使った団体のなかでこういうことをした団体は一つもなかった。証人たちの行なうこうした改善や整とんのすべては,フェア・グラウンドとカシノにとって益となって残るだろう」。―エービーシー紙,1972年8月5日付,アンダルシア版。
ドイツで開かれた12の「神の支配権」地域大会の運営方法に対しても同様の賞賛のことばが述べられました。公開講演には合計9万3,369人が出席しました。各国で読まれているフランクフルター・アルゲマノネ・ツァイトゥンク紙は次のように論評しました。
「今週末の共進会場では,他の集会で見られるような熱狂的な雰囲気は少しも感じられなかった。唯一の真の信仰を持っているとの自覚が彼らを一致させ,『他の人びと』の世から彼らを分けている。
「会場内の聴衆は話に熱心に耳を傾ける。聖書が引用されると一せいにページをめくる音がする。まるで講演者を点検するかのように持って来た聖書を開いてそれぞれ調べるのである」。
エホバの証人が集まったヨーロッパのどの場所においても,出席者たちのきちんとした服装や,秩序正しい,また良いふるまいは注目を集めました。
北アメリカにおける大会
アメリカとカナダでは,神の支配権地域大会が85か所で開かれ,公開講演の出席者は合計80万7,307人でした。それでヨーロッパと北アメリカだけで,公開講演の出席者は合計128万690人になります。それはニューヨークの大きなヤンキースタジアムほどの大きさのスタジアムを埋める人数のほとんど20倍の数です。
会場を埋めつくすほどの大規模な大会を開くにもかかわらず,エホバの証人の集会は他の人びとに良い印象を残します。ロアノーク・タイムズ紙の記者ロバート・B・シアーズは地元で開かれた神の支配権大会を見たのちこう書きました。
「エホバの証人たちを信じるには彼らを見なければならない…
「あの集まりで目だった三つの特徴はこれである。
― 試合場や通路にごみがない。
― ほとんどの人が幸福そうで,無作法な人がいない。
― タバコを吸っている人がひとりもいない。
「同記者は木曜日に2時間以上を体育館で過ごしたが,その間見かけたタバコは2本だけであった。
「その喫煙者たちはエホバの証人ではなかった」― 1972年7月14日付,ロアノーク・タイムズ紙。
しかし大会場を訪れる人がエホバの証人の大会をとくにすばらしいと思うのは,そこに見られる家族的なふんい気です。人種,国籍,社会的な背景のいかんにかかわらず,真実の兄弟愛があることです。アラバマ州,モントゴメリー市で開かれた大会の感想を,メアリー・グラース記者は次のように書きました。「会場内の大会出席者たちは,年齢,性別,皮膚の色,宗教などの障壁のない,彼ら自身の独立国にでもいるかのように親しく交わっている」― 1972年7月7日付,モントゴメリー・ジャーナル紙。
モンタナ・スタンダード紙のカメラマン,クリフ・ムーアは,ビュート市で開かれた神の支配権大会を訪れたさいに,大きな声でこう言いました。「もしみんながエホバの証人のようにふるまえば,わたしたちは戦争を忘れることができるだろう」。
これらの大会を訪れた人びとをかくも驚かせた,エホバの証人と他の人びととの相違 ― この平和,一致,秩序正しさは,何に由来するのでしょうか。その答えは簡単です。それは,神の導きを受け入れ,また神の支配権に忠誠を示すことによって得られるのです。この点に関し,トレド・ブレイド紙はこう述べています。
「巨大な家族の4日間の再会に相当するものが木曜日からトレド・レースウェイ・バークで始まった…
「男,女,そして子ども,エホバの証人のメンバーはすべて,本当に霊的な兄弟姉妹なのである。そのメンバーは,いかなる地的な支配よりも,王である神に忠誠をささげるととなえる宗派である」― 1972年8月4日付。
そうです,エホバの証人が忠誠をつくすのは全能の神,王なる神であられるエホバです。イエス・キリストご自身もこう言われました。「ただ神にのみ仕えよ」― マタイ 4:10,口語。詩 83:18。
神のことばに密着したプログラム
聖書には,神の政府の臣民が従わねばならない律法がしるされているので,大会で与えられた教訓はすべて聖書から出ていました。新聞記者たちは多くの場合,神のことば聖書が重要視されていることに注目しました。たとえばふたりの記者はそれぞれ次のように述べました。
「その集まりは宗教的なもので,講演者たちは聖書に密着し,社会的問題や政治的問題には少しも触れなかった」― 1972年7月7日付,モントゴメリー・アドバイザー紙。
「エホバの証人は必ずと言っていいほど聖書を一冊携えており,人生の問題の扱い方を正確に教える聖句を見つけるために,絶えずページをめくっている」― 1972年7月21日付,マイアミ・ヘラルド紙。
昔の聖書時代を舞台にした二つの劇は,大会のプログラムの中でもとくに興味を引いたものの一つでした。一つの劇はエホバがそうであられるように,あわれみ深くあることの必要性を強調しましたが,悪行者があわれみを受けるために真実の悔い改めが必要であるこを示しました。この2時間に及ぶ劇はヨセフが彼の10人の異母兄弟たちによって奴隷に売られ,後日,彼らが自分たちの悪行を悔い改めたときに,あわれみを差し伸べたという聖書の物語を演じたものでした。―創世記 37章,39–45章をごらんください。
もう一つの劇は,捕われ人となったイスラエルの少女と強力なシリア軍の指揮官ナアマンに関するものでした。驚くべきことにナアマンはイスラエル人の少女が,もしイスラエルのエホバの預言者をお尋ねになればあなたのらい病はいやされるでしょう,と言ったとき,少女のことばをいれました。それでこの劇は,イスラエル人の少女のように神のすばらしいみわざに関して大胆に語ることと,ナアマンのように謙遜であることの重要性を全出席者の心に銘記させました。―列王記略下 5章をごらんください。
第一世紀のキリスト教の組織上の型に厳密に従うことの必要性を強調した資料も,プログラムの中できわ立ったものでした。初期クリスチャン会衆に,「長老たち」,つまり霊的に古い男子たちが,交替で会衆の種々の監督の責任に当たるためのなんらかの交替制の取り決めがあったことは明らかです。それで昨年の夏の大会では,会衆がその型にいっそう密接に従うことができる取り決めが討議されました。
組織の運営にかんする新しい調整は,大会初日に発表された「王国を宣べ伝え,弟子を作るための組織」という192ページの本の中で説明されています。会衆をよりいっそう神の支配に近づけるそれらの組織上の調整に対して多くの感謝のことばが聞かれました。あるクリスチャンの長老が語った次のことばはその典型的なものです。「私は自分のほぼ全生涯を通して,これが神権的な組織であることを知っていました。しかしこの大会は,キリストが会衆のかしらであることを確信するのに妨げとなるものを取り除いてくれました。エホバがご自分の民をもっと直接的に扱っておられるような感じがします」。
大会出席者はまた,「人類のために回復される楽園 ― それは神権政治によるもの!」という題の英文の新しい416ページの本を得て喜びました。その本には,わたしたちの時代と関係のある聖書のハガイ書とゼカリヤ書の節ごとの説明が載っています。またスティーブン・T・バイイングトンによる新しい聖書の訳,「現代英語聖書」も発表されました。1957年になくなったバイイングトン氏はエホバの証人ではありませんでした。でも彼は聖書を読みやすい英語に忠実に訳したいという願いをいだいていました。この聖書についてあるエホバの証人はこう言いました。「この聖書は楽しいですね……読んでいるということを忘れてしまって,聖書中の人物といっしょに生活しているような気持ちになります。ですから背景がよく理解できます」。
神の支配権の下で生活したいというエホバの証人の願いは,大会で聖書の道徳規準が擁護されたことに現われていました。世と世の宗教は,いわゆる“新しい道徳”を受け入れて,聖書の道徳規準を捨てました。この点に関し,チャールストン・デーリー・メール紙はこう述べています。
「チャールストンの市民センターで開かれたエホバの証人の『神の支配権』地域大会における講演者たちは,聴衆の前でいわゆる『新しい道徳』を容赦なく批評している。
「証人たちは『新しい道徳』が新しいものでなく,古いものだと信じている。
「それは,ソドムとゴモラの人々が,キリストの生まれる約2,000年前に行なっていたことだと彼らは強調する。また現代社会に見られる道徳上の行為の先例として,ローマ帝国の歴史を指摘する」。
しかし神の導きにつき従うことによって,神の支配に服することはほんとうに有益な結果をもたらしますか。それによって,人びとは勤勉になり,互いに対して真実の愛を持つようになりますか。神の支配権大会で働いた人たちの活動と態度を考えてみましょう。
全員が自発的に働く人びと
このように多くの大会を開くのに要した労力は実に膨大なものでした。会場を確保し,教育的なプログラムをつくることなどは,仕事のほんの一部分でしかありません。会場として使用されたスタジアム,競馬場,講堂,その他の施設は清掃やステージを設置することが必要でした。どの大会都市でも,約20の大会部門が設置されました。この仕事には何万人もの働き人が必要でした。彼らの労働は賃金にすれば何百万ドルにもなるところを,みな自発的に無償で働きました。
宿泊部門の自発奉仕者たちは何週間も前から,旅行して来る大会出席者のために低料金の宿舎を捜すのに忙しく働きました。幾千もの民宿が得られました。また多くの大会は簡易食堂を設けました。奉仕のすべてが無償で,自発的に行なわれたので,朝食をわずかの35セント(約100円),昼食と夕食を70セントで出すことができました。ローチェスター・タイムズ・ユニオン紙は,この取り決めについてこう伝えました。
「炊事場では36人の料理人が働いている…
“なんでも自分でして”大会を開くというやり方のおかげで,証人の大会には家族そろって出席できるが,普通だったらそれだけの余裕はないかもしれない」― 1972年7月8日付。
ポータケット・タイムズ紙は,約1万3,000人の大会出席者が当地に到着したことにつきこう伝えました。
「普通なら,これほど大きな集まりを予想するだけでも大問題がいくつか思い浮かぶが,エホバの証人の大会前の準備は能率的なことの模範である……
「…多数の電気工,電子技術者,配管工,大工,看板屋,そのほか職人が水曜日に,大会の設営に当たって[いた]……自発奉仕者たちの大半はそれぞれの分野の専門家であった」― 1972年6月29日付。
ある場合には政府の役人が見学のために証人の大会に出席します。1972年6月26日付のポートランド・プレス・ヘラルド紙は,スカーブラ・ダウンズで開かれた大会に関してこう述べました。「給食と座席の準備があまりにも複雑なため,軍と民間防衛当局はオブザバーを送ってそれがどう扱われるかを視察させた」。
バージニア州,ロアノーク市で起きたことは,見る者を驚かせました。予定を組んだ時の手違いからエホバの証人は,プログラムが始まる当日の木曜日の午前5時まで,体育館にはいることができませんでした。しかしその時刻までには,200人以上の自覚奉仕者が仕事を始める用意を整えていました。体育館の夜警の責任者はこう言いました。「一つの建物に人びとがこんなに集まってくるのを見たことがありません。大変驚きました」。大会のプログラムが午後1時40分に始まったときには,すべてのものは設置され,用意されていました。
ダルース市ではヘラルド紙が次のように報じました。
「ダルース・アリーナ・オーディトリアムで日曜まで開かれる地域大会に出席中の約8,500人のエホバの証人は,同市にとって確かに大きな衝撃である……
一般の大会とは違い,証人たちの大がかりな準備には,アリーナ・オーディトリアムの大会施設すべてをたわしで洗うことが含まれていた。ダルース市のある住人は,『アリーナの炊事場があんなにきれいになったのを見たことがない』と話していました」― 1972年7月21日付。
また,ビュート市民センターの支配人は大声でこう語りました。「もしだれもが大会施設をエホバの証人と同じほどきれいに片付けてくれるなら,地上は楽園になるだろう」。
正直さ,良いふるまい
証人たちが神の支配権を支持していることを示す別の方法は,正直さと慎みのあるふるまいに関する神の規準に従うことです。この規準は,世のそれとはあまりにも違うため,ほかの人たちは神の規準に従って生活している人たちを見て驚くことがよくあります。体育館の使用者が利用する個人経営の駐車場がいくつかあったバージニア州,リッチモンド市でのできごとはそのよい例です。
それらの駐車場経営者の中には大会中に駐車場に管理人を置くのを忘れた人が何人かいました。そんなわけである証人は日曜日の朝,駐車料金を集めている男の人をようやく見つけ,駐車料金が数日分借りになっていることをその人に話しました。実はその人は駐車場の所有者で,土地の弁護士でもありました。その人は,駐車場の看板に自分の電話番号が書いてあるので,駐車料金を払いたいと証人たちから何回も電話がかかってきたと話し,またこのように言いました。「世の中にこんなに正直な人たちがいるとは信じられません。私はエホバの証人のことをもっと知りたいと思います」。
もしだれもが神の律法に従うことによって神の支配を歓迎したなら,この地球はすばらしく住み良い場所になるというのは事実ではありませんか。ドイツ,ケルン市のある警察部長はこう言いました。「この大会では警察官の必要はありませんね。もし全部の集会がこれほど平穏に,また思慮深く行なわれるなら,わたしたちの心配事もうんと少なくなるんですがね。ほかの集会には,100人からなる分遣隊を全員出動させなければなりません」。
アメリカ,ノースダコタ州ファーゴ市で開かれた大会ののち,ある地元の住人は当地のテレビ局WDAYに投書しましたが,それには一部次のように書かれていました。
「わたしたちは当地ファーゴに50年以上も住んでおり,多くの大会があるのを見てきましたが,人々が『去った』あとはひどい散らかりようでした……
「でもエホバの証人はちがいます。まず彼らは講堂を文字通りたわしで洗いますが,自分自身にもみがきをかけていることは彼らの服装や身なりを見れば明らかです。男子の成員には長髪にしたり,ほおひげをはやしたり,またつぎの当たったすりきれたジーパンをはいたりしてめかしている人はいません。婦人たちの場合も,『ミニ』スカートやショートパンツなどの下品で慎みのない服装をした人はいません。子どもたちもきちんとした服装をし,髪もきれいにとかして,行儀がよろしい……彼らの振舞いは非難するところがありません」。
あなたは神のことばのすぐれた道徳的規準にひとり残らず従う市民を持つ政府の下で生活したいとは思いませんか。聖書は,神の王国がまもなく現在地上にある政府をすべて滅ぼし,地上の諸問題を支配する唯一の政府になることを説明しています。(マタイ 6:9,10; ダニエル 2:44)そのときには,真に正義を愛し,神の支配に忠誠を示す人びとだけが地上で生きることを神から許されるでしょう。
神の支配を歓呼して受け入れる新しい人々
昨年夏の神の支配権地域大会では,北アメリカとヨーロッパだけで,最近神に献身した2万9,043人の人びとは自分たちが,神の支配権の忠実な擁護者であることを公の式によって示しました。
この公の式は水のバプテスマでした。そのバプテスマは,神に仕えるため個人的に献身したことを表わすものです。この献身はその人が注意深く聖書の研究をした結果得られた知識と神への愛に基づいて行なわれるものです。したがって水のバプテスマは,神の支配を支持し,自分の生活をその規準に一致させたことを公に知らせる聖書的な方法です。
昨年夏にバプテスマを受けた人びとの中には,若い人,老いた人,裕福な人,貧しい人,健康な人,病弱な人,そしてまたありとあらゆる職業の人びとがいました。カリフォルニア州,サンタローザでは96歳の男の人が,またニューヨーク市のクィーズでは,17年間尼僧として過ごした1婦人がバプテスマを受けました。オハイオ州,トレドでは以前ゴーゴーダンサーで売春婦だった人がバプテスマを受けました。サウスカロライナ州のコロンビア市とカリフォルニア州のプレザントン市の大会ではかつてのロックンロールバンドのメンバーたちが浸礼を受けました。また多くの大会では以前に麻薬中毒者だった人たちがバプテスマを受けました。これらの人はみな自分の生活を変え,今では神の支配権の忠実な擁護者になっているのです。
あなたご自身は地球の支配権というこの問題に関してどんな立場をとっておられますか。あなたは神の支配権を支持しますか,それともそれに反対しますか。あなたは人間が神を必要としていることを信じますか。
人間が正義の政府をつくることに失敗してきたことは明らかなはずです。では世界中のエホバの証人に加わって,神の支配権を歓呼して受け入れてはいかがですか。昨年夏のエホバの証人の地域大会から,人びとが神のご要求と一致して生活するときに,平和,一致,また幸福を享受することは明らかではないでしょうか。
これが真実であることをご自分で調べてごらんになるようお勧めします。今年の夏に計画されているエホバの証人の国際大会に出席なさってください。でもその前にお近くの王国会館で行なわれる週ごとの集会においでになってください。あなたはきっと歓迎されるでしょう。
[23ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
北アメリカとヨーロッパの地域大会
国 公開講演の出席者数 浸礼を受けた人の数
オーストリア 31,363 733
ベルギー 19,826 676
英国 92,589 1,199
カナダ 95,054 1,703
デンマーク 21,242 405
フィンランド 18,021 452
フランス 58,042 2,391
西ドイツ 93,369 1,380
イタリア 36,884 1,601
ルクセンブルク 2,721 40
オランダ 36,096 726
ノルウェー 7,877 254
スペイン 24,000 1,291
スウェーデン 18,325 427
スイス 13,028 253
アメリカ 712,253 15,512
合計 1,280,690 29,043
[18ページの写真]
昨年の夏の大会において討議の中心となったのは神の支配圏であった。出席者は合計128万690人
[19ページの写真]
どの大会でも公のバプテスマが行なわれた。2万9,043人が水の浸礼を受けた
[20ページの写真]
500人以上のドイツの代表者がリバーボートでオーストリアに到着した
ウィーンでは3万1,363人が出席した。プログラムはドイツ語,トルコ語,セルビアクロアシア語で行なわれた
[21ページの写真]
大会の仕事は自発奉仕者によってなされた。喫茶部門では子どもたちも仕事を手伝った
[22ページの写真]
政治的に分割されているベルリンの大会に出席して神の支配権について学ぶ人びと