真実に価値あるものを見いだす
物質面での成功を求めるこの時代にあって,聖書の真理を学ぶ人びとは真実に価値あるものを見いだすことができます。最近開かれたエホバの証人の巡会大会で話された経験はそのことを示しています。
● 私は人口3万の小さな町に住んでいます。私は兄弟二人とともに,町いちばんの電気商会を夢みて一生懸命働ていました。そんなある日,ひとりのエホバの証人の訪問を受け,初めて聖書の音信を聞くことができました。しかし毎日仕事で外出していたため,研究の取り決めができたのはそれから半年もたった後でした。研究が始まってからも,最初のうちは仕事第一主義の私にとって聖書を学ぶことがそれほど重要だとは考えませんでしたが,東京の後楽園競輪場で開かれたエホバの証人の大会に出席し,聖書を学んでいる大勢の人々の真剣さをまのあたりにみて大きな感銘を受けました。
その後,日曜日ごとに来られる講演者との深い交わりや巡回監督の訪問を通して,学んできたことが真理であると確信できるようになり,悪の世の終わりが迫っている今,自分にとっていちばん大切なことは商売で成功することではなく,ひとりでも多くの人に真理を伝えることだと考えるようになりました。そして真理を聞いて7か月後に生まれ故郷のこの町で初めて野外奉仕に参加しました。その後は研究の司会者にお願いし,週4,5回の研究をしてもらい,3か月後に水のバプテスマを受けることができました。そのころから家族の猛烈な反対が始まりました。なぜなら真理を聞いたのは,今ある兄の店の隣りにもう一軒支店を持ち,独立する寸前だったからです。その上,真理の側を取るということは,結婚を前提としてつき合っていた人との別れをも意味していました。そのすべてを捨てて全時間奉仕をしたいという私の願いを聞いた家族の者はなんとか私を思いとどまらせようとあらゆる手をつくし,そのため親族会議も何度か開かれました。忍耐の時がしばらく続きましたが,ついに私は独立して一軒かまえ,今までどおりの仕事を続けるということで家族の者を納得させることができました。ただ違うのは,兄の店の隣りではなく,町の中心部に家を建て,1階を王国会館にするということでした。家族の者はそれ以上反対しなくなりました。
現在その王国会館を用いて集会が行なわれています。今は二人の全時間奉仕者と数人の伝道者という小さな会衆ですが,因習の強いこの町で反対や迫害にも耐え,努力しておられる仲間の奉仕者たちと力を合わせてこれからもこの土地でエホバの崇拝を擁護し,羊のような人々を見い出すために最後まで励んでゆきたいと思います。
● 聖書の真理を知る以前の私は,この世を深く愛し,流行の先端をゆく身なりをして,注目される自分を誇っていました。目ざしていた職業も商業デザイナーというもので,この世の流行に敏感であることを強く要求されていました。そこで私は家を出て,都会で一人で暮らし派手な芸能人が出入りする流行を作る洋装店に勤めました。そのような中で,私がいちばん関心を払っていたことは,この世に遅れず新しい生き方をしているかどうかということのようでした。
半年ほど,そのような生活を送っていた時に横浜にいる姉から聖書の研究を勧められました。それまでの私は,自分に聖書の教えは全く無縁であると考えていましたが,当時の生活態度を顧みて,決して良いとは言えないと自覚し,このような私に少しでも清いものをと考え,去年の7月の末から研究を始めました。招待された集会へすぐ出席してみました。私のいちばん無難と感じた服装をして行ったにもかかわらず,そこに集まっている他の若い人たちとの大きな違いに気づきました。なぜこれほどの違いがあるのか,聖書はいったい何を教えているのかと,その時,強い関心をいだきました。
4回ほど研究をしたころ,事情で礼幌へ帰ることになり,研究を続けてゆくのに良い環境が備わりました。10月15日から週2回の研究を申し出,意欲的に取り組みました。司会者の巧みで,すばらしい援助を受け,やがて,エホバが唯一,真の神であるとの確信を得た時,それまでの生活態度を強く反省させられました。この世を強く支持していたことで,その方面からの多くの誘惑がありましたが,何よりもエホバを恐れることを第一とし,それらに打ち勝つことができました。
私の大きな変化は,家族の目に驚きとして写ったようで,2人の妹たちは,すぐに関心を示し,研究を始めました。司会者から,集会へ出席することは,悪いものからの身の守りとなると勧められ,早くから5つの集会すべてに,妹たち3人と定期的に行くよう努めました。両親も,このことを好意的に支持してくれました。
私のつたない努力に対し,エホバはたくさんのものを与えてくださいました。中でも,今年開かれた4月と8月の大会で,私たち肉身の4人の姉妹全員が,霊的な姉妹に生まれ変わるという祝福を享受いたしました。