エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会
今年,エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会が世界各地で催されました。ここ日本でも四か所で大会が開かれ,海外からの代表者も交じえて7万8,000人以上が出席しました。さらに,日本から海外の大会に出席するための旅行も計画され,アメリカ・カナダ,ハワイ,ヨーロッパ,東南アジアの各地に約1,300人が旅行しました。加えて,聖書にゆかりの深いイスラエルへの旅行も計画されました。これらの旅行や日本各地で行なわれた大会の報告が当誌に数回にわたり掲載されます。この号には,日本の名古屋大会,アメリカ・カナダ旅行,それにイスラエル旅行についての報告が載せられます。
名古屋大会
1978年7月26日から30日まで名古屋市の国際展示場で日本のエホバの証人の国際大会の最初のものが開催されました。好天のもと広々とした会場は五日間の霊的な宴の場所として本当に申し分のないものでした。大きな半円形の歓迎アーチが出席者を迎え,出席者の期待は最初から盛り上げられました。少数とはいえ外国からこの集まりに来た証人たちがおり,彼らの喜びに満ちた言葉を聞くことができました。「この名古屋大会に出席するため,空港に着いたときから兄弟たちの暖かい歓迎をうけ,示されたあらゆる一切の世話に対してうれしさがこみあげて来ました」と台湾から訪問した二人の代表者の一人が語っていました。一人のアメリカの婦人は17年前日本で宣教者として奉仕していました。その人はこのように述べました。「日本が変わっていることを聞いていました。しかし目で確かめたいと思いました。昔自分の出席した巡回大会に約300人位の出席しかありませんでした。9,000人もの人々がこの大会に出席しているのを見て信じられないほどです。古い友達や他の人々の歓迎のすばらしい気持ちは言い表わしようがありません」。沖繩から約30人が出席しました。船で来たこれらの方々は海の上で2泊しなければなりませんでしたが疲れに負けず初日からのプログラムを楽しみました。
「勝利の信仰」という大会主題に一致して大会の基調をなす話は真のクリスチャンがみ子イエス・キリストに対する信仰に動かされて物事を推し量り決定し歩むべきことが強調されました。毎日のプログラムには主題があり,第一日目は「信仰の戦いをりっぱに戦いなさい」というものでした。この日に行なわれた「あなたはだれに属していますか」という聖書劇は,反対をたとえ受けることがあっても神に属する者たちはみ子の王国についての良いたよりを語りつづけねばならないことを銘記させました。第一世紀の使徒たちやキリストの他の追随者たちはそうしたのです。前途にクリスチャンの信仰の質を試みる多難な時が来ることを予期しプログラムを通じ神のみ言葉からの強力な励ましと率直な助言が繰り返し与えられました。まず自分たちの家族生活に真剣な注意を向ける必要があります。第四日目「信仰をもって自分の家の者たちを救いなさい」という主題のもとに優れた教訓が与えられました。例えば夫と妻はどのように愛を示し合い貞節を保ち,離婚や別居という家庭の破碇を避けるか,クリスチャン婦人の真の美しさはどこにあるかなどです。幼い子供たちのことも忘れられていません。神のみ言葉からの消えない印象を与える助けとして「わたしの聖書物語の本」という多色刷りの美しい本が英文で発表されました。また「あなたの家族生活を幸福にする」という英文の本も出版され,将来これらを日本語で手にするとき大きな益を得ることが期待されます。日本語で新しく2冊の本も発表され,加えて「二十世紀におけるエホバの証人」という冊子,聖書のヨハネによる書のカセット・テープなどエホバの祝福は豊かに満ちあふれました。
創造者エホバが人類に引き続きご自分と和解する機会を差し伸べているゆえに毎年大勢の人々が神について学び自らを献身の段階にまで至らせることが可能となっています。この大会で238人が水の浸礼を受け神との良い関係にはいることを示しました。そのうちの一人の男の人は身体が不自由ですが過去に10年以上車椅子バスケット・ボールのチームのかなめとなっていました。そして自分の姉から真理を聞きその後信仰をりっぱに成長させました。エホバのご意志を行なうため献身したこのエホバの証人は自分の不自由な体の問題にもめげず神の要求に従いつづけるべく山道を2時間かけて集会に通うことを含め信仰の戦いを今後もりっぱに続けて行きたいと決意しています。
エホバの証人の大会を特徴づけるものの一つは出席した他の仲間の証人たちのために仕える自発奉仕活動です。大人も子供も給食部門や喫茶部門,清掃やその他さまざまな奉仕のため何千人もの働き人,実に4,400人もの人々が自発的に加わりました。前もってよく組織されたことと相まって,このように大ぜいの証人たちが惜しみなく協力を差し伸べ,どの部門も円滑に運営されました。ある場合働き人が多すぎてしまう一こまもありました。この熱心な精神を保ち,それを一層強めてゆくことが彼らの願いです。彼らは人にではなく神に対してするように働くからです。(コロサイ 3:23)外部の人々の言葉からも大会が一般の団体のものとは異なることがしばしばうかがわれます。大会の給食設備の衛生状態を調査に来た保健所長は会場を見回ったあと衛生的な取り決めに何も指摘すべき問題点がないのを見て全く申し分ないと述べ,『ほかの団体の方々もものみの塔の方々のようであってほしいですね』と述べていました。
大会において近年行なわれていなかった野外伝道がプログラムの一部として計画されました。金曜日の午前中名古屋市内へ大会出席者の大部分が出かけ人々に良いたよりを伝えました。証言用の特別にデザインされた紙かばんも初めての経験でした。車椅子を使っている一人の証人は「今回の大会でサービスキット(証言用かばんのこと)を用いての短い証言活動が取り決められたので勇気を出して参加しました。5年ぶりに皆さんと共に野外の奉仕に参加できたことを本当に感謝しています」とうれしそうに話していました。エホバの民の主な仕事は王国の良いたよりを人々に宣べ伝えることなのです。最高潮となった公開講演「イエス・キリスト ― 諸国民が清算しなければならない勝利の王」に1万282人が出席しました。ものみの塔協会のニューヨーク本部からの代表者ロイド・バリーによる閉会の言葉,「堅く信仰に立ち続けなさい」という話と祈りによりすべてのプログラムが閉じられました。すべての出席者の信仰が更に生きたものとされ強められたことは彼らの決意に満ちた表情から明らかでした。
カナダ・アメリカ旅行
1978年6月29日,わたしたち170人はこれからの期待に胸をふくらませて開港まもない成田空港に集合しました。これから23日間にわたるカナダ・アメリカ旅行に出発するのです。その旅程には4か所におけるエホバの証人の「勝利の信仰」国際大会出席や,ニューヨークのものみの塔聖書冊子協会世界本部と農場それにトロントのカナダ支部見学が含まれています。この旅が他の国で真のキリスト教を実践している仲間の信者との一致や創造者エホバ神への愛をどのように強めるでしょうか。
最初の訪問地ロサンゼルス空港に降り立ったとたんに,わたしたちは当地の日本人のエホバの証人や以前日本で宣教者として奉仕しておられた方々の熱烈な歓迎を受けました。この旅行を計画したものみの塔協会日本支部からの連絡でわたしたちの到着を楽しみにしていてくれたのです。この歓迎,そしてその晩ホテルで催された交歓会は旅の喜びとこれからの期待を何と大きくしてくれたことでしょう。カリフォルニア・ブルーといわれる真っ青な空の下でのロサンゼルス大会はドジャー・スタジアムで17の国々と米国の42の州からの出席者4万8,628人を収容して行なわれました。エホバの証人の中央機関である統治体の成員を含む油注がれた者と「あらゆる国民,部族,言語」の大群衆がここにおり,平和と一致を楽しんでいます。前の日にディズニーランドで一日楽しんだわたしたちは,この事物の体制にわずかだけ残されている緊張感のない平和を見いだしましたが,この国際大会において実現している利他的な愛や気遣いを伴う平和こそ聖書で約束されている楽園の到来を一層確信させるものでした。
二番目の訪問地トロントでカナダ支部の見学とナイアガラの滝の観光をしたのち,わたしたちはモントリオールに向かいました。オリンピック・スタジアムでの大会に最終日8万8人がつめかけ,ものみの塔協会会長F・W・フランズの公開講演に耳を傾けましたが,これは日本から参加した170人のほとんどがこれまで経験した最も大規模な大会でした。市内のホテル以外にトレーラー・シティーと呼ばれる44ヘクタールの都市が形成され,約5,000台のトレーラーの中で1万5,000人が生活しながら大会に出席したこと,大会中にそこで赤ちゃんが誕生したこと,モントリオール市長は大会成功のための良い協力者であり,運営上の問題解決のために大会管理部門と交渉に当たってくれたこと,会場側も非常に好意的で会場の南北にある二つの大きな電光掲示板を使用させてくれたため,8万の聴衆は掲示板に写し出される話し手の表情を見ながら耳を傾けることができたことなど興味深い事柄が数多くありました。そして次の訪問地はニューヨークです。
ケネディ国際空港からバスでマンハッタンに向かうと超高層ビルが目に入ってきます。何十階建というビルが,林立しています。エンパイア・ステート・ビルディング,世界貿易センター,パンナム・ビルなど。しかし,わたしたちの興奮が最高潮に達したのはイースト川沿いに国連本部見学に向かっていた時のことでした。イースト川の向こう岸ブルックリンにWATCHTOWERのサインが見えたのです。皆がゆれるバスの中でカメラのシャッターを押しました。翌日の本部見学はこの旅行の頂点だったと言えます。世界中のエホバの証人の監督機関であり,聖書教育の書籍や雑誌の出版機関でもあるものみの塔聖書冊子協会の本部では非常に膨大な量の仕事が忙しく,しかし平和な内になされていました。何十年間,そうです人生の大部分をこの聖書教育の自発奉仕にささげてきた信仰の貴重な模範に接することができたのは何と価値ある経験だったでしょう。次の日のブルックリンから約150キロ離れたものみの塔農場の見学と合わせてわたしたちの旅行を真に意義あるものとしてくれました。ニューヨークでの忘れることのできない思い出は,日本からギレアデ聖書学校に入学している4人の仲間との交わりです。約3か月間の教育は彼らを実に生き生きと新鮮にさせていました。そこで学ぶ聖書の真理,教訓者たちの教え方について語る彼らの表情は喜びに満ちたものであり,外国の任命地への夢で輝いているようでした。ニューヨーク大会はシェア・スタジアムで4万7,000人以上の出席でなされ,わたしたち旅行者の代表が日本での活発な伝道状況について報告したほか,ギレアデ学校の生徒を紹介する15分間の特別なプログラムの中で2人の日本からの生徒が経験を述べ,それらはわたしたちに励みとなりました。
サンフランシスコ空港で,わたしたちはこの地の日本人のエホバの証人の暖かい歓迎に再び接しました。これらの方々は大会会場におにぎりや巻き寿司を作って持参してくださり,わたしたちに一層の喜びを添えてくださいました。和服の日本人に最も人気が集中したのはここサンフランシスコの大会です。日曜日昼の休憩中に,花壇と大きく開かれた聖書で飾られたステージ前で撮影会が催され,カメラが一斉に向けられたのです。それにしても,何と友好的で親しみやすい人々なのでしょう。大人から子供まで「ハーイ」「はじめまして」「日本からよくいらっしゃいました」と話しかけてくれます。出席できて本当に良かったと感じさせてくれる交わりをわたしたち全員がアメリカ,カナダ四か所の大会で数え切れぬ程経験することができました。この大会を含むアメリカ,カナダの14の「勝利の信仰」国際大会に68万2,477人が出席し,4,413人がバプテスマを受けたとのことです。そのいくつかに出席できた喜び,経験できた真のキリスト教の一致,世界本部を見学して強められた信仰,壮大なグランド・キャニオン峡谷やヨセミテ国立公園で目のあたりにした自然によって深めることのできた創造者への畏敬の念など貴重なものをいくつも得ました。そして「すべての生けるものの願いを満ちたらしめたもう」神エホバの将来の約束への確信を強め,またこれからのクリスチャン生活と奉仕への意欲を増して帰国の途についたのです。
イスラエル旅行
聖書を読んだことのある人ならだれでもイスラエル地方に深い関心を持っています。というのは聖書の大部分がそこで書かれ,またそこを舞台としているからです。それで1978年5月に東洋の東の端日本から西の端イスラエルへ旅行する機会にあずかれた6歳から76歳までの46人の人々はとても感激しました。この中には韓国から特別に参加した一人のエホバの証人も含まれていました。参加者は非常な期待と興奮の内に出発しましたが,確かにその期待と興奮は裏切られませんでした。
一行は“約束の地”のほぼ全域,つまりダンからベエルシバ付近まで旅行しましたが,最初の訪問地エルサレムに着いたのは丁度安息日でした。市内の交通はタクシーを除いてすべて止まり,また“嘆きの壁”と呼ばれる西の壁では写真を撮ることもガイドの話をメモすることも一切禁じられているのには驚きました。そこではユダヤ教徒が自分よりも高い者がいることを示す小さな丸い帽子かつばのある黒い帽子をかぶり,祈祷書とトーラーを詠唱しています。約束のメシアの到来を待ち望む祈りの言葉を小さな紙に書いて壁の間に入れるのを目にすると,世界中どこでも似た習慣があるのに気付きます。そこの民家はほとんど石でできており聖書時代同様,屋根は平らで人々は家のわきに付いている階段を上り,屋上で作業をしています。家の戸や窓がすべて青や緑に塗られているのにも気付きました。これは一種の魔よけで,蚊を避けるためにも行なっていたそうですが,蚊のまったくいない山岳地方でもこの風習があるのは興味深いことです。
エルサレムで一晩過ごした後,夜がとても寒いのに気付きました。標高760㍍のエルサレムの夜は冷えますので,聖書が負債者から夜寝るための衣を取り上げてはいけないと述べている意味を膚で感じることができました。(申命 24:10-13)といっても同市の昼の暑さはかなりのものです。同行者の一人が,「ほこり,さわやかさ,むし暑さは変化に富んでいました。狭い国土の中にすべての気候があるように感じました」と述べた通りでした。ユダの荒野もすさまじいものでした。正に荒涼としていて,ここを舞台にしてイエスが話された『善いサマリア人』のたとえ話を思い出しました。(ルカ 10:30-37)このように果てしのない不毛の地ですから,強盗に遭った人を祭司やレビ人が見捨ててもサマリア人が助けても人に知られないかもしれません。ですからほっておけば死んでしまう人を助けたサマリア人のあわれみ深さを一層実感することができました。
旅行中に死海やヨルダン川で泳いだ人もいました。しかし死海は塩分濃度が約25%もあり,泳ぐと言うより浮くと言う方が適切でしょう。しかも水はサラダオイルのような感じです。この死海沿岸に死海写本が発見された洞窟やエッセネ派の人々が生活した住居跡があります。文献によるとエッセネ派の人々は,ダビデの家系から出現する王メシアとアロンの家系から出現する大祭司メシアの二人を待ち望んでいました。それはともかく,1947年以降ここで発見されたイザヤ書を初めとする数々の写本はわたしたちの持っている聖書が昔から変わっていないことを知る貴重な資料となっています。このように乾燥した土地だったからこそ数千年の重みに耐えることができたのでしょう。
一行はそのほかベツレヘム,エリコ,ナザレ,メギド,カエサレアなどの町々を訪れることもできました。旅行中に様々の由緒ある場所つまり“聖跡”とされている場所を訪れましたが,そこへ行くとキリスト教世界がいかに分裂しているか,それらがいかに上辺と虚飾に執着しているかがむしろ目に付きます。例えばオリーブ山の山腹にゲッセマネの園と呼ばれている場所があり,教会が建っていますが,第一世紀当時チツスはエルサレム攻囲とゲリラ戦回避を目的として付近の樹木をすべて伐採させました。切り倒された木の元の根株が新たに芽を出したことは十分考えられますが,園の位置を正確に断定することは難しいようです。とはいえ,イスラエルの持つ特異な風土,人々,動植物は旅行に行った人々を魅了するのに十分でした。灼熱の太陽の下マサダの要塞を上ったことや,一行を乗せたバスが羊ややぎの群れのそばを通った時の感激を今でも忘れることができません。夕暮れが迫るころ羊飼いに導かれて帰る羊の群れを見るのは感慨無量です。まるでドラマを見ているようでした。
現代のイスラエルでエホバの証人はどのように業を行なっていますか。この答えはイスラエル第三の都市ハイファにあるものみの塔協会の支部を訪問した時得られました。現在イスラエルには250人の活発なエホバの証人がいます。興味深いことにヘブライ語ではナザレ人という語をクリスチャンという語の代わりに用いています。ユダヤ人はギリシャ語聖書を受け入れませんので,業はヘブライ語聖書だけを用いて行なわれています。ここは外国からの移住者が多く,伝道に行くと何と20ほどの言語に直面します。しかし最近開かれたイエスの死を記念する集会に合計400人以上が出席したことを地元のエホバの証人は喜びました。
エホバの証人を妻に持つ一人の参加者は旅行の感想を次のように述べています。「エホバの証人の皆様方の暖かい愛につつまれて本当に楽しい旅行でした。まさに十年来の知己に会ったような気持ちです。『百聞は一見にしかず』。確かにこの言葉通りを現実の姿で見つめた感慨は忘れ得ないでしょう」。ほかの参加者も今まで本で読んだり話で聞いた事を実際に見ることにより,聖書に対して新たな意欲を感じました。76歳の参加者はこの旅行に同行するため半年前から準備しました。彼は毎日洋食を食べ,往復8㌔の道を自転車か徒歩で行き,毎月60時間宣べ伝える業に参加して体をならしたそうです。確かにそのかいがあり,彼も他の参加者全員も聖書にゆかりの深い地を旅することにより,聖書とその著者に対する敬意を深めることができたことを喜びました。
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大会で上演された聖書劇は,臆することのない“勝利の信仰”を培う必要を出席者に印象づけた