芸術とは何か
スペインの「目ざめよ!」通信員
今までご覧になった景色の中で,一番きれいだと思われたのはどんな景色ですか。熱帯の日没,雪を頂く山並み,砂漠に咲き乱れる花々,森を彩るまばゆい秋の紅葉でしょうか。
大抵の人は,地球上の美しさに心を奪われた特別な時をずっと忘れずにいるものです。わたしたちは,できれば楽園のような環境の中で休暇を過ごしたいと考えますし,特に思い出に残る景色をカメラに収めようとします。
この次,まだ荒らされていないこうした華麗な景色をじっと眺めることがあれば,次のように考えてみるとよいかもしれません。画廊の絵にどれも“作者不明”と記されていたら,何か物足りなさを感じるのではありませんか。展覧会の絵の趣や美しさに深く感動を覚えたなら,だれが描いたかを知りたいと思うのではないでしょうか。地球上の驚嘆すべき美しさを心ゆくまで観賞しながら,それを創造した芸術家のことは意に介さないということがあっていいものでしょうか。
確かに,自然界には芸術と呼べるものなどない,と言う人もいます。芸術であるためには,人間の独創的技能と解釈が必要だと言うのです。しかしそれは,芸術の定義としては狭すぎるでしょう。厳密に言って,芸術とは何でしょうか。
芸術を定義する
だれもが納得するように芸術を定義するのは恐らく不可能でしょう。それでも,ウェブスター大学生用新辞典第9版にはかなり適切な説明があります。同辞典によれば,芸術とは,「技能や独創的想像力を,とりわけ美的感覚に訴えるものの製作に意識的に用いること」です。この説明によれば,芸術家には技能と独創的想像力の両方が必要とされると言えます。芸術家がこの二つの才能を仕事にそそぎ込むとき,人々を喜ばせ,魅了するものを作り出すことができるのです。
技能と想像力による表現は,人間の芸術作品だけに限られていますか。それとも,この二つはわたしたちを取り囲む自然界にもはっきりと表われているでしょうか。
米国カリフォルニア州にそびえ立つセコイア(レッドウッド),太平洋に広がる大サンゴ礁,熱帯雨林の巨大な滝,アフリカのサバンナに生息する動物の壮大な群れなどは,人間にとって“モナリザ”よりも,違った意味で価値があります。そのためユネスコ(国連教育科学文化機関)は,米国のレッドウッド国立公園,アルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝,オーストラリアのグレートバリアリーフ,タンザニアのセレンゲティ国立公園を,人類の“世界遺産”の一部に指定しました。
人間の造った重要遺物と並んで,こうした自然界の財産が指定されています。なぜでしょうか。その目的は,何であれ“特別に世界的な価値”を持つものを保存するためです。ユネスコは,インドのタージマハルの美であれ,米国のグランドキャニオンの美であれ,これからの世代のためにはどちらも保護に値すると論じています。
しかし,独創的技能を観察するため,国立公園まで出かける必要はありません。あなたの体そのものが,格好の実例なのです。古代ギリシャの彫刻家たちは人間の体を,優れた芸術そのものであるとみなし,できるだけ完全にそれを表現しようと懸命に努力しました。人体の機能について今日与えられている知識からすれば,わたしたちは人体の創造や設計に最高度の能力が求められたことをなお一層認識できるはずです。
独創的想像力についてはどうですか。クジャクが震わせる羽の精巧な模様,優美なバラの花,きらびやかなハチドリの高速バレエに目を向けてください。確かにこうした高度な技巧は,キャンバスに描き,フィルムに収める前でさえ,芸術でした。ナショナル・ジオグラフィック誌の一記者はタッカ・リリーという花の薄紫色の花糸に興味をそそられ,若い科学者にその花糸が何のためにあるのかと尋ねました。その科学者は一言,「神の想像力を明らかにしているんですよ」と答えました。
技能と独創的想像力は自然界に満ちているだけでなく,常に人間の芸術家の創作意欲を刺激してきました。フランスの有名な彫刻家オーギュスト・ロダンは,「芸術家は自然の腹心の友である。花は,優雅にその茎を曲げることで,またその調和の取れた色合いの微妙な違いで芸術家と対話する」と語りました。
芸術家の中には,自然の美と張り合う努力をしたところで自分たちには限界がある,と率直に認める人もいます。古今を通じて最大の芸術家の一人とされるミケランジェロも,「真の芸術作品といえども,神の完全な作品の影にすぎない」と述懐しました。
芸術家だけでなく科学者も,自然界の美に圧倒されることがあります。数理物理学の教授ポール・デーヴィスは,自著「神の心」の中で,「情に流されない無神論者でさえしばしば,自然に対する崇敬の念と呼ばれてきた気持ちを抱く。すなわち,自然の深遠さや美しさや繊細さに心奪われ,敬意を覚えるのである。それには,宗教的畏敬の念と相通じるところがある」と説明しています。このことからわたしたちは何を学べるはずでしょうか。
芸術性の背後に存在する芸術家
芸術を志す学生は芸術家について学びます。その人の芸術を理解し,真価を認めるためです。その学生は,その芸術家の作品がその人個人を反映していることを理解します。自然界に見られる芸術も,自然界の根源者,全能の神のご性格を反映しています。使徒パウロは,「神の見えない特質(は)造られた物を通して……明らかに見える」と説明しました。(ローマ 1:20)さらに言えば,地球の造り主が不明であるということは決してありません。パウロが当時のアテネ人の哲学者たちに語ったとおり,「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」。―使徒 17:27。
神の創造物に見られる芸術作品は目的のないものでも偶然の所産でもありません。それはわたしたちの生活を豊かなものにするだけでなく,最も偉大な芸術家,宇宙の設計者であられるエホバ神の技能,想像力,そして偉大さを明らかにしているのです。続く記事では,至高の芸術家をよりよく知る上でこの芸術がどのように助けになるかを考えます。
[3ページの図版のクレジット]
Musei Capitolini, Roma