霊感による聖書およびその背景に関する研究
研究8 ―「新世界訳」の利点
その現代用語,統一性,動詞の注意深い訳し方および霊感を受けて書かれた神のみ言葉の力強い表現に関する討議。
1 (イ)新世界訳はどんな傾向を正していますか。どのようにしてそうしていますか。(ロ)英語ではどうして「ヤハウェ」や他の形の名前の代わりに,「エホバ」が用いられているのですか。
近年,聖書の現代語訳が数多く出版されて,原典の意味を手早く理解できるよう神のみ言葉を愛する人々を助ける点で大いに役立ってきました。ところが,多くの翻訳は神のみ名を神聖な記録から削除してしまいました。一方,新世界訳は至高者なる神のみ名を本文中のそのあるべき箇所に復元することによって,その価値あるみ名を威厳のあるものとし,尊重しています。今や,そのみ名はヘブライ語聖書の部分で6,973箇所,ギリシャ語聖書の部分では237箇所,全部で7,210箇所に出ています。ヘブライ語学者たちは一般に「ヤハウェ」という形のほうを好みますが,その正確な発音は今は分かりません。そのため,「エホバ」というラテン語化された形が引き続き用いられています。なぜなら,それは何世紀も用いられてきた形であり,テトラグラマトン,すなわちヘブライ語の四文字名יהוהの英訳として最も広く受け入れられているからです。ヘブライ語学者のR・H・ファイファーは次のように述べています。「その由来のあいまいさについて何と言われようと,“エホバ”は『ヤハウェ』の適切な英訳であり,これからもそうであってしかるべきであろう」。a
2 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の中に神のみ名を復元した前例がありますか。(ロ)こうして,どんな疑問が除去されましたか。
2 しかし,新世界訳(英文)はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中に神のみ名を復元させた最初の翻訳というわけではありません。少なくとも14世紀以降,多くの翻訳者たちは神のみ名を本文に復元せざるを得ないと考えてきました。それも,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者が神のみ名の出てくるヘブライ語聖書の本文を引用している箇所では特にそうです。アフリカ,アジア,アメリカ,および太平洋諸島におけるギリシャ語聖書の翻訳を含め,宣教師による現代語訳は,幾つかのヨーロッパ語訳と同じくエホバの名を多くの箇所で用いています。神のみ名が訳文中に出ている箇所ではいずれも,どの「主」を指しているかについてもはや何の疑問もありません。その方は天地の主エホバであって,そのみ名は新世界訳聖書の中で独特の明確な名として示されることにより,神聖なものとされています。b
3 新世界訳は原典の持つ迫力や美しさや意味を伝えるのを,どんな方法で助けていますか。
3 新世界訳は,意図された意味を読者の脳裏にはっきり伝える明快かつ理解しやすい言葉遣いで,霊感による聖書を翻訳することにより,エホバのみ名をいっそう神聖なものにしています。この訳は分かりやすい現代語を用いており,その訳し方にはできるだけ統一性を保たせ,ヘブライ語やギリシャ語の動詞で表わされている動作や状態を正確に伝え,また[英語版では]「あなた」という代名詞や動詞の命令形を用いる際,それが単数か複数か文脈から分からない場合には,その区別をも明示しています。これら,また他の様々な方法で,新世界訳はできる限り原典の迫力や美しさや意味を現代の言葉で明らかにしています。
現代語で訳される
4 (イ)初期の聖書翻訳者の一人はどんな気高い目的を述べましたか。(ロ)時がたつにつれて,どんなことが必要になりましたか。
4 古い聖書翻訳には十六,七世紀ごろ用いられて今では廃れた言葉が数多く使われています。それらの言葉は今では理解できませんが,当時は容易に理解できました。例えば,そのような言葉を英訳聖書に用いることに深いかかわりを持った人の一人であるウィリアム・ティンダルは,その宗教上の反対者の一人に次のように語ったと伝えられています。『もし神が私に命を長らえさせてくださるなら,多年を要せずに,鋤を引く牛馬を駆る少年をしてあなた以上に聖書を理解させてみせよう』。ティンダルのギリシャ語聖書の翻訳は当時,鋤を引く牛馬を駆る少年でも十分理解できるほどやさしいものでした。しかし,ティンダルの用いた言葉の多くも今では古語となり,『鋤を引く牛馬を駆る少年』はもはや欽定訳その他の古い聖書翻訳の多くの言葉の意味をはっきり理解することができません。ですから,古語の覆いを除き,聖書を一般の人の使う普通の言葉に直すことが必要になりました。
5 聖書はどんな言葉で公にされるべきですか。それはなぜですか。
5 霊感による聖書を書き記すのに用いられたのは,普通の人の話す言葉でした。使徒たちや他の初期クリスチャンは,プラトンのような哲学者たちの使用した古典ギリシャ語を用いませんでした。彼らは常用ギリシャ語,つまりコイネーすなわち共通ギリシャ語を用いました。したがって,ギリシャ語聖書は,それ以前のヘブライ語聖書と同様,人々の用いる言葉で書き記されました。ですから,原語の聖書の翻訳も人々の用いる言葉で行ない,容易に理解できるようにするのは極めて重要なことです。このような理由で,新世界訳は三,四世紀前の古語を用いずに,表現力に富む,現代の分かりやすい言葉を用いて,聖書が何を述べているかを読者がよく知ることができるようにしています。
6 古語の代わりに現在用いられている表現を使用することの益を例を挙げて説明しなさい。
6 17世紀から20世紀にかけて英語がどの程度の変化を遂げてきたかを幾らか知っていただくために,欽定訳と新世界訳(英文)の次のような比較に注目してください。欽定訳の“suffered”(容したまへり)は新世界訳では“allowed”(許された)となり(創世記 31:7),“was bolled”(さやをつけたり)は“had flower buds”(花のつぼみを付けていた)に(出エジプト記 9:31),“spoilers”(掠むる者)は“pillagers”(略奪者たち)に(裁き人 2:14),“ear his ground”(その地をたがへす)は“do his plowing”(その耕作をする)に(サムエル第一 8:12),“when thou prayest”(汝祈るとき)は“when you pray”(あなたが祈るときに)に(マタイ 6:6),“sick of the palsy”(中風)は“paralytic”(まひした)に(マルコ 2:3),“quickeneth”(活す)は“makes . . . alive”(生かす)に(ローマ 4:17),“shambles”(肉売り台)は“meat market”(肉市場)に(コリント第一 10:25),“letteth”(阻めをる)は“acting as a restraint”(抑制力となる)に(テサロニケ第二 2:7)などと,それぞれ改められています。これから見ても,古語の代わりに現在用いられている言葉を使用している新世界訳の価値を十分評価することができます。
訳し方の統一性
7 新世界訳の訳し方はどのように一貫していますか。
7 新世界訳はその翻訳に一貫性を保つようあらゆる努力を払っています。ヘブライ語やギリシャ語の特定の言葉に対して同一の訳語が当てられ,その訳語は慣用法,または文脈の許す限り,十分理解できる範囲内で統一的に用いられています。例えば,「ネフェシュ」というヘブライ語は一貫して「魂」と訳されています。それに相当する「プシュケー」というギリシャ語の言葉も,その出て来るすべての箇所で「魂」と訳されています。
8 (イ)同形異義語の実例を挙げなさい。(ロ)これらの言葉は翻訳に際してどのように扱われてきましたか。
8 中には同形異義語の翻訳をめぐって問題が生じた箇所もあります。それは原語ではつづりは同じですが,幾つかの違った基本的な意味を持っています。それゆえ,翻訳する際,正確な意味を持つ言葉を当てはめる点で挑戦となります。英語でも“Polish”(ポーランド語)と“polish”(磨く)や,“lead”(導く)と“lead”(鉛)のような同形異義語があります。これらの語はつづりは全く同じですが,明らかに別の言葉です。聖書の一つの例は「ラブ」というヘブライ語です。これは明らかに異なった語根語を表わしており,したがって,それは新世界訳の中で違った言葉に訳されています。出エジプト記 5章5節にある通り,「ラブ」という言葉は大抵の場合,「多い」という意味で使われています。しかし,列王第二 18章17節に出ている「ラブシャケ」(ヘブライ語,ラブシャーケー)のように称号の中に用いられている「ラブ」という語は,ダニエル 1章3節で「廷臣の長」と訳されているように,「長」を意味しています。(エレミヤ 39:3の脚注もご覧ください。)形の同じ「ラブ」という言葉は,「弓を射る者」という意味です。エレミヤ 50章29節の訳し方はその意味に基づいています。これら全く同じつづりの言葉の違いを見分ける上で,L・ケーラーやW・バウムガルトナーなどの語彙の専門家が,翻訳者たちにより権威者として認められてきました。
9 ヘブライ語およびギリシャ語の一注解者は新世界訳をどのように評価しましたか。
9 この統一性という特色については,ヘブライ語およびギリシャ語の注解者アレグザンダー・トムソンがクリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳(英文)に関するその書評の中で次のように述べていることに注目してください。「この翻訳は明らかに,熟練した有能な学者たちによる労作である。それらの学者は英語の表現力を可能な限り駆使してギリシャ語本文の真の意味を明らかにしようと努めたのである。この訳はギリシャ語の主要な言葉の各々に対応する英語の一語を終始用いて,できる限り字義訳を行なうことを目指している。……普通,“justify”(義とする)と訳されている語は,おおむね“declare righteous”(義と宣する)と極めて正確に訳出されている。……“Cross”(十字架)という言葉は“torture stake”(苦しみの杭)と訳されており,これももう一つの改善点である。……ルカ 23章43節は適切にも,『今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう』と訳されている。この点は大方の訳の読み方に比べて格段の進歩である」。ヘブライ語聖書の翻訳についてこの同じ評論家は次のような注解をしました。「新世界訳は入手するだけの価値が十分にある。その訳は生き生きしていて真に迫るものがあり,読者をして考えさせ,研究させずにはおかない。それは高等批評家による訳ではなく,神とそのみ言葉を尊ぶ学者たちによる訳である」― ディファレンシエイター誌(英文),1952年4月号,52-57ページ,および1954年6月号,136ページ。
10 新世界訳に見られる一貫性がどのように聖書の真理を擁護する助けとなるかを例を挙げて示しなさい。
10 新世界訳の一貫性は,野外で行なわれた聖書の専門的な討論で幾度も勝利を収めるものとなってきました。例えば,数年前のこと,ニューヨークの自由思想家たちの一協会が,そのグループに二人の講演者を派遣して聖書について話してもらいたいと,ものみの塔協会に要請し,その要望が受け入れられました。それらの学者たちは,“ファルスム イン ユーノー ファルスム イン トートー”つまり一つの点で偽りと証明された論議は全体が偽りであるというラテン語の格言を信じていました。その討論の際,ある人が聖書の信頼性に関してエホバの証人に挑戦しました。彼は創世記 1章3節を聴衆のために読むよう求めたので,新世界訳からその節が読まれました。「それから神は言われた,『光が生じるように』。すると光があるようになった」。次に,彼は自信満々の態度で創世記 1章14節を読むよう求めたので,その句も新世界訳から読まれました。「次いで神は言われた,『天の大空に光体が生じ……るように』」。すると彼は言いました。「待ちたまえ。君は何を読んでいるのかね。わたしの聖書は,神が第一日に光を造り,第四日にもまた造ったと述べているのだが,これは矛盾している」。当人はヘブライ語を知っていると言ってはいましたが,3節で「光」と訳されているヘブライ語は「オール」であるのに対し,14節の言葉はそれとは違って,光体または光の源を指す「マーオール」であることが指摘されなければなりませんでした。この学者は敗北して腰を下ろしました。c 新世界訳が忠実に一貫性を保っていることが,この問題で勝利を得,聖書が信頼できる有益なものであることを擁護するものとなりました。
動詞の注意深い訳し方
11 元の聖書の特色であるどんな力強さが新世界訳の中で保存されていますか。どのようにして保存されていますか。
11 新世界訳(英文)はギリシャ語やヘブライ語の動詞の表わす動作の意味を伝えることに特別の注意を払っています。そのようにして,新世界訳は原語の原典の特別な魅力,簡潔さ,迫力および表現方法を保存することに努めています。したがって,様々な動作の実際の状態を注意深く伝えるために英語では補助動詞を用いることが必要でした。こうした動詞の持つ力ゆえに,原語の聖書における動作は大変力強く,表現力に富んでいるのです。
12 (イ)ヘブライ語が西欧の言語と異なっている一つの点は何ですか。(ロ)ヘブライ語動詞の二つの態について説明しなさい。
12 ヘブライ語の動詞には,西欧の大抵の言語で用いられているような意味での「時制」はありません。英語では,動詞は特に過去,現在,未来といった時制すなわち時の観点から考慮されます。一方ヘブライ語の動詞は,基本的に動作の状態を表わします。すなわち,終了したとみなされる動作(完了態)と,まだ終了していないとみなされる動作(未完了態)です。ヘブライ語動詞のこれらの態は,過去もしくは未来の動作を示すために用いられ,時の要素はその文脈によって決定されます。例えば,動詞の完了態,つまり終了した状態は当然,過去の動作を表わします。しかし,それは将来の出来事がすでに起こって,過ぎてしまったかのように述べる時にも用いられ,それはその未来の確実性,あるいはそうなることの必然性を示します。
13 ヘブライ語動詞の示す態を正しく考慮することは,創世記 2章2節と3節を正しく理解するのになぜ重要ですか。
13 ヘブライ語動詞の態を正確に英語に伝えることは大変重要です。さもないと,意味がゆがめられたり,全く異なった考えが表現されたりする恐れがあります。このことを示す実例として,創世記 2章2節と3節にある動詞の表現を考えてみてください。多くの翻訳では,第七日に神が休まれることについて述べるのに,「休まれた」,「やめられた」,「やめておられた」,「それから休まれた」,「神は休まれた」,「休んでおられた」などの表現が用いられています。これらの読み方からすれば,読者は,第七日の神の休みは過去のこととして完了したと結論づけることでしょう。しかし,新世界訳が,創世記 2章2節と3節で用いられている動詞の意味をどのように伝えているかに注目してください。こう記されています。「そして,七日目までに神はその行なわれた業を完了し,次いで七日目に,行なわれたすべての業を休まれた。それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その日に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである」。2節の「次いで……休まれた」という表現は,ヘブライ語では未完了態の動詞であり,それゆえにまだ終わっていない,すなわち継続中の動作であるという考えを表わしています。「次いで……休まれた」という訳し方は,ヘブライ 4章4節から7節に述べられていることと調和します。一方,創世記 2章3節の動詞は完了態ですが,2節およびヘブライ 4章4節から7節と調和させるため,「休んでおられる」と翻訳されています。
14 新世界訳はワウ継続法に関する誤った見方を避けつつ,ヘブライ語動詞に関して何を行なうよう努めていますか。
14 ヘブライ語の動詞形の訳し方が不正確になる一つの理由は,ワウ継続と呼ばれる,現代の文法上の理論にあります。ワウ(ו)は基本的には「そして」という意味のヘブライ語の接続詞です。この接続詞は決して単独で用いられることはなく,必ず何かほかの語と一緒に用いられ,しばしば一つの語を形成するためにヘブライ語動詞と結合します。そして,この関係には動詞を一つの状態から別の状態に転換させる力があると考えた人がおり,また今でもそのように考える人がいます。すなわち,未完了から完了に転換する(現代の訳を含め,多くの翻訳が創世記 2章2節と3節で行なってきたように),あるいは逆に完了から未完了に転換すると言うのです。このようなことがまた,「ワウ転換」という用語で表わされてきました。動詞のこの形がこのように不正確に適用されたため,かなりの混乱が生じ,ヘブライ語本文が誤訳されてきました。新世界訳はワウという字母に動詞の態を変える何らかの力があるとは考えません。むしろ,ヘブライ語動詞の正しい独特の意味を明らかにするよう努力を払い,原典の意味が正確に伝えられ,保存されるようにしています。d
15 (イ)ギリシャ語の動詞は,何を考慮して訳出されてきましたか。(ロ)継続を示す考えを正しく表わすことの益を例を挙げて説明しなさい。
15 ギリシャ語の動詞を訳す際にも同様の考慮が払われてきました。ギリシャ語では,動詞の時制によってある動作または態の時だけでなく,動作の種類,つまり,瞬間的か,始まったか,継続しているか,繰り返されているか,完了したかというようなことも表現されます。ギリシャ語動詞の形の示すそのような意義に注目すれば,述べられている動作の意味を十分に伝える厳密な翻訳を行なえることになります。例えば,ギリシャ語の動詞が継続を意味する場合,その継続の意味を表わせば,ある状況の真相が明らかにされるだけでなく,訓戒や助言は一層強力なものとなります。一例として,「邪悪な姦淫の世代はしきりにしるしを求めます」と言われたイエスの言葉を読むと,パリサイ人やサドカイ人が終始不信仰であったことを痛感させられます。また,イエスの次の言葉は,正しい事柄において動作を継続させる必要のあることをよく言い表わしています。「あなた方の敵を愛しつづけ……なさい」。「ですから,王国……をいつも第一に求めなさい」。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。―マタイ 16:4; 5:44; 6:33; 7:7。
16 ギリシャ語のアオリスト時制を考慮に入れることによって,ヨハネ第一 2章1節の「罪」に関するヨハネの注解はどのように正しく表現されていますか。
16 ギリシャ語には,1回の,または瞬間的な動作を指すアオリストと呼ばれる特異な時制があります。アオリストの動詞は文脈によって様々な仕方で訳すことができます。この時制の用法の一つは,どんな特定の時とも関係のないある種の1回の行為を表わすことです。そのような例の一つがヨハネ第一 2章1節にあります。多くの訳はこの考えを認めて,この句の動詞を「罪を犯す」と訳すことにより,継続的な罪という印象を与えていますが,新世界訳は『罪を犯すことがある』と訳しています。つまり,一度の罪の行ないを指しています。これは,万一,クリスチャンが罪を犯すことがあるとしても,そのクリスチャンにはイエス・キリストが,すなわち,天の父のもとにあって擁護者もしくは助け手として行動してくださる方がいるという正しい意味を伝えています。ですから,ヨハネ第一 2章1節は,ヨハネ第一 3章6節から8節や5章18節に述べられている,「罪を習わしにする」人が有罪宣告を受けるということと決して矛盾しているわけではなく,むしろそれと著しい対照をなしているのです。e
17 継続する動作を示すほかに,ギリシャ語の未完了時制はさらにどんなことを表わしますか。例を挙げて説明しなさい。
17 ギリシャ語の未完了時制は,継続している動作だけでなく,試みたが成し遂げられなかった動作をも表わします。ジェームズ王欽定訳のヘブライ 11章17節にはこう書かれています。「信仰によりて,アブラハムは試みられし時,イサクをささげたり。彼は約束を受けたりしが,その独り子をささげたり」。ギリシャ語ではこの「ささげたり」という動詞は,これら二つの箇所では形が違います。最初の箇所は完了(終了した)時制ですが,2番目の箇所は未完了(過去の継続)時制です。新世界訳は時制の相違を考慮に入れて,この動詞を次のように翻訳しています。「アブラハムは,試された時,イサクをささげたも同然でした。……人が,自分の独り子をささげようとしたのです」。こうして,最初の動詞の完結した意味は保たれ,2番目の動詞の未完了時制はその動作が意図され,あるいは試みられたものの,最後まで成し遂げられなかったことを示しています。―創世記 22:9-14。
18 ほかの品詞の機能にも綿密な注意を払うことによって,どんな結果が得られましたか。一例を挙げなさい。
18 名詞の格など,他の品詞の機能にも綿密な注意を向けることによって,一見矛盾と思える問題も解決されてきました。例えば,ダマスカスへ向かう途中でのサウロの驚くべき経験を詳しく述べている使徒 9章7節で,多くの翻訳は,一緒に旅行していた仲間の者たちに『声は聞こえた』が,だれも見えなかったと訳しています。それから,パウロがこの出来事について述べている使徒 22章9節で,それら同じ翻訳によれば,彼らは光は見ましたが,『声は聞かなかった』とされています。しかし,最初の句に出てくる「声」に相当するギリシャ語は属格ですが,2番目の場合は使徒 9章4節の場合と同様対格です。どうして違っているのでしょうか。上記の英訳の中では何も示されていませんが,ギリシャ語は格の変化によって別の事柄を示します。それらの人は字義通りには「声の」何かを聞いたのですが,パウロのように,つまり言葉を聞いてそれを理解するような仕方で聞いたのではありませんでした。ですから,新世界訳は使徒 9章7節のこの属格の用法に注目して,サウロと共にいた人々にとって「確かに声の響きは聞こえたが,だれも見えなかった」と訳出しています。
「あなた方」を表わす英語の複数形“YOU”
19,20 (イ)新世界訳(英文)は話しかけるのに用いられる信心深げな語形をどのように扱いましたか。それはなぜですか。(ロ)「あなた」に相当する英語の単数形と複数形をどのようにしてはっきり区別できるか,例を挙げて説明しなさい。
19 神に語りかける場合,「汝」(thou),「汝を」(thee),「汝の」(thy)に当たる二人称単数形の古い英語の言葉を依然として用いている英訳聖書も幾つかあります。しかし,聖書を書き記すのに用いられた言語には,神に語りかける際に用いる特別の人称代名詞はなく,仲間の人間に話しかける際に用いたのと同じ人称代名詞が用いられました。それで,新世界訳(英文)は,今では信心深げな用法とされるそれらの言葉の使用をやめて,どんな場合でも,普通の会話で使われる「あなた」(you)という語を用いています。英語では複数であることがすぐに分からない二人称複数形の“you”(「あなた方」)と動詞を,はっきり見分けるために,それらの語は全部小型の大文字で印刷されています。多くの場合,これは,英語の読者にとって,ある特定の聖句が個人としての「あなた」(you)を指しているのか,それとも一群の人々,つまり一つの会衆としての「あなた方」(YOU)を指しているのかを知る助けになります。
20 例えば,ローマ 11章13節でパウロは多くの人たちにこう語りかけています。「そこで諸国の人たち[であるあなた方(YOU)]に言います」。しかし,17節ではギリシャ語は単数の「あなた」(you)に変わっており,はっきりと個人に適用されて,「しかしながら,枝のうちのあるものが折り取られ,他方あなた(you)が……接ぎ木され……」と書かれています。
他の言語の新世界訳
21 (イ)どのようにして地上の住民のうちのますます多くの人が新世界訳の益を享受できるようになりましたか。(ロ)ものみの塔協会は1989年までに新世界訳を合計何部印刷しましたか。
21 新世界訳が,広く用いられている六つの言語,すなわちオランダ語,フランス語,ドイツ語,スペイン語,イタリア語,およびポルトガル語に翻訳され始めているということを,ものみの塔協会が発表したのは,1961年のことでした。この翻訳の仕事は力量のある献身した翻訳者たちにゆだねられ,それら翻訳者たちは全員ニューヨーク市ブルックリンにある,ものみの塔協会の本部で一緒に働くことになりました。それら翻訳者たちは一つの大きな国際委員会を構成し,適切な指導を受けて働きました。この訳業の最初の成果を手にすることができたのは,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が上記六か国語で同時に発表された,1963年7月の米国ウィスコンシン州ミルウォーキー市におけるエホバの証人の「永遠の福音」大会でのことでした。今や,英語以外の言語を話す地上の住民もこの現代訳の利点の益を享受できるようになりました。その時以来,翻訳の仕事は続けられ,1989年までには11の言語で新世界訳聖書が出版され,5,600万部以上が印刷されました。f
強力な道具に対する謝意
22,23 霊感を受けて書かれた聖書のこの翻訳はどんな際立った点でクリスチャンを益するものとなっていますか。
22 新世界訳はまさしく,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益』であることを実証する,一つの強力な道具です。この課の中で論じられた点から見て,わたしたちはこの翻訳が正確で信頼でき,また神が現代の生きた言語を通して人を動かすような仕方で語りかけるのを聞きたいと願う人々に真の喜びを与える翻訳であることを正しく評価できます。新世界訳を読む人はその言葉遣いによって霊的に覚せいさせられ,霊感を受けた元の聖書の力強い表現にすぐなじんで読むことができるようになります。あいまいな語句を理解しようとして何度も節を読み返す必要はもはやありません。この訳は読み始めるその出だしの所から力と明快さとをもって大胆に語りかけます。
23 新世界訳聖書は,「霊の剣」である神のみ言葉を忠実に翻訳したものです。そのような翻訳ですから,これはクリスチャンの霊的な戦いにおける本当に効果的な武器であり,『神の知識に逆らって立てられ,強固に守り固められた,いろいろな偽りの教えや推論を覆す』助けとなります。それによってわたしたちはより良い理解を得,人を築き上げる有益な事柄,神の義の王国に関連した輝かしい事柄,そうです,「神の壮大な事柄」を何とよく宣明することができるのでしょう。―エフェソス 6:17。コリント第二 10:4,5。使徒 2:11。
[脚注]
a 「旧約聖書入門」,ロバート・H・ファイファー,1952年,94ページ。
b 「王国行間逐語訳」(英文),1985年版,1133-1138ページ。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,528ページ。
d 「参照資料付き聖書」,付録 3ハ,「継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞」。
e 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,1008ページ。
f その全巻が出版されたのはデンマーク語,オランダ語,英語,フランス語,ドイツ語,イタリア語,日本語,ポルトガル語,およびスペイン語(その一部が出版されたのはフィンランド語とスウェーデン語)。