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「来て,私の弟子になりなさい」
追 第11章 108–117ページ

第11章

「あのように話はなした人ひとはこれまでいませんでした」

1-2. (ア)イエスを捕つかまえるために遣つかわされた下した役やくたちが,イエスを連つれずに戻もどったのはどうしてですか。(イ)イエスが非ひ常じょうに優すぐれた教きょう師しだったのはどうしてですか。

パリサイ派はの人ひとたちは怒いかりに燃もえています。イエスが神しん殿でんで天てんの父ちちについて教おしえているからです。聞きいている人ひとたちの反はん応のうはさまざまで,イエスに信しん仰こうを持もった人ひとがたくさんいる一いっ方ぽう,イエスを捕つかまえたいと思おもっている人ひともいます。怒いかりを抑おさえ切きれない宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちは,イエスを捕つかまえようとして下した役やくたちを遣つかわします。しかし,下した役やくたちはイエスを連つれずに戻もどります。祭さい司し長ちょうとパリサイ派はの人ひとたちが「どうして彼かれを連つれてこなかったのか」と問といただすと,下した役やくたちは「あのように話はなした人ひとはこれまでいませんでした」と答こたえます。イエスの教おしえがあまりに素す晴ばらしかったので,捕つかまえる気きにならなかったのです。a (ヨハネ 7:45,46)

2 イエスの教おしえに驚おどろいたのはこの下した役やくたちだけではありませんでした。大おお勢ぜいの人ひとが,イエスの話はなしを聞きくためだけに集あつまりました。(マルコ 3:7,9; 4:1。ルカ 5:1-3)イエスがそれほど優すぐれた教きょう師しだったのはどうしてでしょうか。第だい8章しょうで考かんがえたように,イエスは自じ分ぶんが教おしえる真しん理りを愛あいしていて,人ひと々びとのことも愛あいしていました。また,上じょう手ずな教おしえ方かたもよく知しっていました。では,イエスの教おしえ方かたの特とく長ちょうを3つ調しらべ,どのように倣ならえるかを考かんがえましょう。

シンプルに分わかりやすく教おしえた

3-4. (ア)イエスが簡かん単たんな言こと葉ばを使つかって教おしえたのはどうしてですか。(イ)イエスがシンプルに分わかりやすく教おしえたことは,山さん上じょうの垂すい訓くんにどのように表あらわれていますか。

3 イエスはその気きになれば,誰だれよりもたくさんの語ご彙いを使つかいこなせたでしょう。でも,聴ちょう衆しゅうが理り解かいできないような言こと葉ばを使つかって教おしえることは決けっしてありませんでした。聴ちょう衆しゅうの多おおくが「教きょう育いくのない普ふ通つうの人ひと」だということを意い識しきしていたのです。(使し徒と 4:13)イエスはその人ひとたちの限げん界かいを思おもいやり,受うけ止とめられないほど多おおくのことを一いち度どに教おしえたりはしませんでした。(ヨハネ 16:12)簡かん単たんな言こと葉ばを使つかいながらも,深ふかい真しん理りを教おしえました。

4 一いち例れいとして,マタイ 5章しょう3節せつから7章しょう27節せつに書かかれている山さん上じょうの垂すい訓くんについて考かんがえてみましょう。イエスはこの垂すい訓くんの中なかで,物もの事ごとの核かく心しんを突つく深ふかいアドバイスを与あたえています。それでも,複ふく雑ざつな説せつ明めいや言いい回まわしはしていません。子こ供どもでもすぐに分わかるような言こと葉ばを使つかっています。イエスの話はなしを聞きいていた人ひとたちの中なかには農のう家かの人ひとや羊ひつじ飼かいや漁りょう師しもたくさんいたと思おもわれますが,イエスが話はなし終おえた時とき,皆みながイエスの「教おしえ方かたに大たい変へん驚おどろいて」いました。(マタイ 7:28)

5. イエスはシンプルな表ひょう現げんを使つかって深ふかい意い味みのあることを言いいました。どんな例れいがありますか。

5 イエスは教おしえる時ときによく,短みじかくて分わかりやすい表ひょう現げんを使つかって深ふかい意い味みのあることを言いいました。そのようにして,まだ本ほんなどなかった時じ代だいに,自じ分ぶんの教おしえが聞きいている人ひとたちの記き憶おくと印いん象しょうに残のこるようにしたのです。例たとえばこういうことを言いいました。「裁さばくのをやめなさい。裁さばかれないためです」。「健けん康こうな人ひとに医い者しゃは必ひつ要ようではなく,病びょう気きの人ひとに必ひつ要ようなのです」。「心こころは強つよく願ねがっていても,肉にく体たいは弱よわいのです」。「カエサルのものはカエサルに,しかし神かみのものは神かみに返かえしなさい」。「受うけるより与あたえる方ほうが幸こう福ふくである」。b (マタイ 7:1; 9:12; 26:41。マルコ 12:17。使し徒と 20:35)語かたられてから2000年ねん近ちかくたった今いまでも,こうした言こと葉ばには強つよいインパクトがあります。

6-7. (ア)簡かん単たんな言こと葉ばを使つかって教おしえるのが大だい事じなのはどうしてですか。(イ)一いち度どにあまりに多おおくのことを教おしえて相あい手てを圧あっ倒とうしてしまうことがないよう,どんなことができますか。

6 私わたしたちもどうすればシンプルに分わかりやすく教おしえることができるでしょうか。1つの大だい事じなポイントは,大たい抵ていの人ひとがすぐに理り解かいできるような簡かん単たんな言こと葉ばを使つかうことです。聖せい書しょの基き本ほん的てきな真しん理りは決けっして難なん解かいではありません。エホバは自じ分ぶんの考かんがえを,誠せい実じつで謙けん遜そんな人ひとなら誰だれでも理り解かいできるようにしてきました。(コリント第だい一いち 1:26-28)よく選えらんだシンプルな表ひょう現げんを使つかえば,真しん理りを分わかりやすく伝つたえられます。

兄弟が男性と聖書レッスンをしている。

いつでもシンプルに分わかりやすく教おしえましょう

7 聖せい書しょレッスンでは,一いち度どにあまりに多おおくのことを教おしえて相あい手てを圧あっ倒とうしてしまうことがないようにするのも大たい切せつです。あらゆることを事こと細こまかに教おしえる必ひつ要ようはありません。とにかく決きまった分ぶん量りょうを終おわらせようとして急いそいでレッスンを進すすめる必ひつ要ようもありません。学まなんでいる人ひとの状じょう況きょうや理り解かい力りょくなどに応おうじてレッスンのペースを決きめましょう。目もく標ひょうは,キリストの弟で子しになってエホバを崇すう拝はいするようその人ひとを助たすけることです。そのためには,相あい手てが学まなんでいることを十じゅう分ぶんに理り解かいできるよう,必ひつ要ようなだけ時じ間かんをかけなければなりません。そうすれば相あい手ては聖せい書しょの真しん理りに心こころを動うごかされ,学まなんだことに沿そって行こう動どうしたいという気き持もちになるでしょう。(ローマ 12:2)

上じょう手ずに質しつ問もんをした

8-9. (ア)イエスは何なんのために質しつ問もんをしましたか。(イ)神しん殿でん税ぜいを払はらうかどうかについてペテロが正ただしい答こたえを出だせるよう,イエスはどのように質しつ問もんしましたか。

8 イエスは,自じ分ぶんで説せつ明めいした方かたが手てっ取とり早ばやい場ば合あいにも,上じょう手ずに質しつ問もんを使つかって教おしえました。何なんのために質しつ問もんしたのでしょうか。時ときには,鋭するどい質しつ問もんをして反はん対たい者しゃたちの考かんがえを明あきらかにし,それ以い上じょう反はん論ろんできないようにしました。(マタイ 21:23-27; 22:41-46)とはいえ大たい抵ていは,弟で子したちの考かんがえや気き持もちを引ひき出だし,考かんがえる力ちからを伸のばすために質しつ問もんをしました。それで,「どう考かんがえますか」とか「このことを信しんじますか」などと尋たずねました。(マタイ 18:12。ヨハネ 11:26)質しつ問もんによって弟で子したちの心こころを動うごかすようにしたのです。1つの例れいを考かんがえてみましょう。

9 ある時とき,税ぜいを徴ちょう収しゅうする人ひとたちがペテロに,イエスは神しん殿でん税ぜいを払はらわないのかと尋たずねました。c ペテロはすぐに「払はらいます」と答こたえます。その後あと,イエスはペテロに考かんがえさせるためにこう聞ききます。「シモン,どう考かんがえますか。地ち上じょうの王おうたちは物ぶっ品ぴん税ぜいや人じん頭とう税ぜいを誰だれから受うけ取とっていますか。自じ分ぶんの子こからですか,それともほかの人ひとからですか」。ペテロが「ほかの人ひとからです」と答こたえると,イエスは「そうであれば,子こは税ぜいを課かされていません」と言いいます。(マタイ 17:24-27)ペテロは,イエスがその質しつ問もんによって何なにを言いいたかったのかよく分わかったことでしょう。王おうの家か族ぞくは税ぜいを免めん除じょされていました。ですから,神しん殿でんで崇すう拝はいされている天てんの王おうの独ひとり子ごであるイエスには,神しん殿でん税ぜいを払はらう義ぎ務むはありませんでした。イエスは,税ぜいを徴ちょう収しゅうする人ひとたちにどう答こたえるべきだったかをただペテロに伝つたえるのではなく,上じょう手ずに質しつ問もんをして,ペテロが自じ分ぶんで正ただしい答こたえを出だせるようにしました。ペテロは,今こん後ごは答こたえる前まえにもっとよく考かんがえる必ひつ要ようがあるということも学まなんだでしょう。

姉妹が赤ちゃんを抱いた女性に良い知らせを伝えている。

相あい手てに合あわせて,興きょう味みを引ひきそうな質しつ問もんをしましょう

10. 伝でん道どうでどのように上じょう手ずに質しつ問もんできますか。

10 私わたしたちは伝でん道どうでどのように上じょう手ずに質しつ問もんできるでしょうか。家いえの人ひとの興きょう味みを引ひきそうなことを質しつ問もんし,良よい知しらせを伝つたえるきっかけをつくれるかもしれません。例たとえば,年ねん配ぱいの人ひとが出でてきたら,敬けい意いを払はらいつつ,「世よの中なかが変かわったなと感かんじることはありますか」と聞きいてみることができます。答こたえを聞きいてから,さらにこう質しつ問もんできます。「いずれもっと暮くらしやすい世よの中なかになると思おもわれますか」。(マタイ 6:9,10)幼おさない子こ供どもがいる母はは親おやが出でてきたら,「お子こさんが大人おとなになる頃ころにはもっといい世よの中なかになっていてほしいと思おもわれませんか」と尋たずねられます。(詩し編へん 37:10,11)家いえの様よう子すなどをよく見みて,どんな質しつ問もんをしたら家いえの人ひとが興きょう味みを持もってくれそうか考かんがえることができます。

11. 聖せい書しょレッスンではどのように上じょう手ずに質しつ問もんできますか。

11 聖せい書しょレッスンの時ときにも,学まなんでいる人ひとの考かんがえや気き持もちを引ひき出だすような質しつ問もんができます。(格かく言げん 20:5)例たとえば,「いつまでも幸しあわせに暮くらせます」d の本ほんのレッスン43,「クリスチャンはお酒さけを飲のんでもいい?」を一いっ緒しょに学まなんでいるとしましょう。そのレッスンでは,飲のみ過すぎや酩めい酊ていを神かみがどう見みているかが取とり上あげられています。相あい手ては聖せい書しょが教おしえていることを正ただしく答こたえるかもしれませんが,学まなんだことに本ほん当とうに同どう意いしているでしょうか。そのことを知しるため,「神かみのこの見み方かたはもっともだと思おもいますか」,「学まなんだことをどんなふうに生いかせそうですか」などと聞きいてみることができます。そうするときも,相あい手ての尊そん厳げんを尊そん重ちょうすることが大たい切せつです。きまりの悪わるい思おもいをさせるようなことは不ふ用よう意いに聞きかないようにしましょう。(格かく言げん 12:18)

論ろん理り的てきで説せっ得とく力りょくのある話はなし方かたをした

12-14. (ア)イエスはどんなときに人ひとに筋すじ道みち立だてて考かんがえさせましたか。(イ)パリサイ派はの人ひとたちがイエスの力ちからはサタンからのものだと主しゅ張ちょうした時とき,イエスはどのように論ろん理り的てきに話はなしましたか。

12 完かん全ぜんな知ち力りょくを持もっていたイエスは,人ひとに筋すじ道みち立だてて考かんがえさせるのがとても上じょう手ずでした。反はん対たい者しゃたちに不ふ当とうに非ひ難なんされた時ときには,見み事ごとに論ろん破ぱしました。弟で子したちに大たい切せつなことを教おしえる時ときにも,論ろん理り的てきで説せっ得とく力りょくのある話はなし方かたをしました。幾いくつかの例れいを見みてみましょう。

13 邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれた,目めが見みえなくて口くちが利きけない男だん性せいをイエスが癒いやした時ときのことです。パリサイ派はの人ひとたちが,「この男おとこが邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だすのは,邪じゃ悪あくな天てん使しの支し配はい者しゃベエルゼブブ[サタン]の力ちからによるのだ」と言いって非ひ難なんしました。邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だすには普ふ通つうの人にん間げんにはない力ちからが必ひつ要ようだということは認みとめていましたが,イエスの力ちからはサタンからのものだとしたのです。この非ひ難なんは不ふ当とうなだけでなく,筋すじの通とおらないものでした。イエスは彼かれらの考かんがえが間ま違ちがっていることを示しめし,こう言いいました。「内ない部ぶで分ぶん裂れつしている王おう国こくはどれも荒こう廃はいし,内ない部ぶで分ぶん裂れつしている町まちや家いえはどれも長ながくは続つづきません。同おなじように,サタンがサタンを追おい出だすなら,サタンが自じ分ぶん自じ身しんに敵てき対たいして分ぶん裂れつしていることになります。そうしたら,その王おう国こくはどうして長ながく続つづくでしょうか」。(マタイ 12:22-26)つまりイエスは,「私わたしがサタンから力ちからをもらって邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だしているとすれば,サタンは自じ分ぶんで自じ分ぶんに反はん対たいして自じ滅めつに向むかっていることになります」と言いっていたのです。反はん論ろんの余よ地ちがない論ろん理りです。

14 イエスはさらに話はなしを続つづけます。パリサイ派はの弟で子したちも邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい払はらっていることを知しっていたので,的まとを射いた次つぎの質しつ問もんをします。「もし私わたしがベエルゼブブによって邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だすのであれば,あなた方がたの弟で子しは誰だれによって追おい出だすのですか」。(マタイ 12:27)つまり,「もし私わたしがサタンの力ちからによって邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だしているのであれば,あなた方がたの弟で子しもそうだということになりますね」と言いっていたのです。パリサイ派はの人ひとたちはぐうの音ねも出でません。自じ分ぶんたちの弟で子しがサタンから力ちからをもらっているなどと認みとめられるわけがないからです。こうしてイエスは,彼かれらの考かんがえが間ま違ちがっていることを論ろん理り的てきに示しめし,自じ分ぶんが神かみからの力ちからによって邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だしていることを彼かれらが認みとめざるを得えないようにしました。イエスが筋すじ道みち立だてて話はなした様よう子すについて読よむだけでも感かん心しんするのではないでしょうか。イエスが話はなすのを直ちょく接せつ聞きいていた群ぐん衆しゅうは,イエスの堂どう々どうとした様よう子すや声こえの調ちょう子しも相あいまって,いっそう強つよい説せっ得とく力りょくを感かんじたことでしょう。

15-17. イエスが「まして」という言こと葉ばを使つかって天てんの父ちちがどれほど愛あい情じょう深ぶかい方かたかを教おしえた,どんな例れいがありますか。

15 イエスは天てんの父ちちがどれほど愛あい情じょう深ぶかく信しん頼らいできる方かたであるかを教おしえるときにも,論ろん理り的てきで説せっ得とく力りょくのある話はなし方かたをしました。よく「まして」という言こと葉ばを使つかい,聞きいている人ひとたちがよく知しっていることに基もとづいて強つよい確かく信しんを持もてるように助たすけました。e そのように物もの事ごとを比ひ較かくして教おしえることにより,イエスは人ひとの心こころを動うごかしました。2つの例れいを考かんがえてみましょう。

16 祈いのり方かたを教おしえてほしいと弟で子したちに言いわれた時とき,イエスは不ふ完かん全ぜんな人にん間げんの親おやでも喜よろこんで子こ供どもに「良よい贈おくり物もの」を与あたえることについて話はなし,結けつ論ろんとしてこう言いいました。「あなたたちが罪つみ深ぶかい人にん間げんでありながら,子こ供どもに良よい贈おくり物ものを与あたえることを心こころ得えているのであれば,まして天てんの父ちちは,ご自じ分ぶんに求もとめている人ひとに聖せいなる力ちからを与あたえてくださるのです」。(ルカ 11:1-13)このようにイエスは,人にん間げんの親おやとエホバを比ひ較かくして教おしえました。罪つみ深ぶかい人にん間げんの親おやでも子こ供どもに必ひつ要ようなものを与あたえるのですから,完かん全ぜんでいつも正ただしいことを行おこなう天てんの父ちちはなおのことそうしてくれるはずです。エホバを崇すう拝はいし謙けん遜そんに助たすけを祈いのり求もとめる人ひとたちに,喜よろこんで聖せいなる力ちからを与あたえてくれるのです。

17 イエスは,生せい活かつのことで心しん配ぱいしないようにというアドバイスを与あたえた時ときにも,同おなじような教おしえ方かたをしました。こう言いっています。「ワタリガラスのことを考かんがえなさい。種たねをまいたり刈かり取とったりしませんし,納な屋やも倉くらも持もっていません。それでも神かみはその鳥とりを養やしなっています。あなたたちは鳥とりよりずっと価か値ちがあるのではありませんか。ユリがどのように育そだつかを考かんがえなさい。苦く労ろうして働はたらいたり,糸いとを紡つむいだりはしません。……神かみが,今日きょうは生はえていて明あ日す火ひに放ほうり込こまれる野のの草くさ木きにこのように服ふくを与あたえているなら,ましてあなたたちには服ふくを与あたえてくださるのです。信しん仰こうの少すくない人ひとたち」。(ルカ 12:24,27,28)エホバは鳥とりや花はなを世せ話わしているのですから,ご自じ分ぶんを愛あいし崇すう拝はいする人ひとたちのことも必かならず世せ話わしてくれます。このように教おしえてもらうと心こころに響ひびき,信しん仰こうが強つよまります。

18-19. 目めに見みえない神かみは信しんじられないと言いう人ひとに,どのように筋すじ道みち立だてて話はなせますか。

18 私わたしたちも伝でん道どうで論ろん理り的てきで説せっ得とく力りょくのある話はなし方かたをし,間ま違ちがった宗しゅう教きょうの教おしえの矛む盾じゅんに気き付づかせたり,エホバがどれほど素す晴ばらしい方かたかを伝つたえたりしたいものです。(使し徒と 19:8; 28:23,24)長なが々ながと込こみ入いった説せつ明めいをする必ひつ要ようはありません。イエスの手て本ほんから学まなべる通とおり,シンプルに分わかりやすく話はなすのが一いち番ばんです。

19 例たとえば,目めに見みえない神かみは信しんじられないと言いわれたら,どのように話はなせるでしょうか。何なんらかの結けっ果かには必かならず原げん因いんがあるという法ほう則そくに基もとづいて,こんなふうに言いえるかもしれません。「快かい適てきな家いえが建たっていて,中なかに食たべ物ものもいっぱいあったら(結けっ果か),その家いえを建たてて食たべ物ものを準じゅん備びした人ひと(原げん因いん)がいるはずではないでしょうか。そうであれば,地ち球きゅうという快かい適てきな住すまいがあって,食たべ物ものもたくさんある(結けっ果か)のは,誰だれか(原げん因いん)が地ち球きゅうをそのように造つくったからではないでしょうか。聖せい書しょにもこんな言こと葉ばがあります。『家いえは全すべて誰だれかによって造つくられるのであり,全すべてのものを造つくったのは神かみです』」。(ヘブライ 3:4)もちろん,どんなに説せっ得とく力りょくのあることを言いっても,全すべての人ひとが納なっ得とくするわけではありません。(テサロニケ第だい二に 3:2)

2人の長老が聖書を開いて兄弟と話し合っている。

相あい手ての心こころを動うごかすことを目め指ざして,筋すじ道みち立だてて話はなしましょう

20-21. (ア)エホバがどんな方かたかを教おしえるときに,イエスのように物もの事ごとを比ひ較かくする方ほう法ほうをどのように使つかえますか。(イ)次つぎの章しょうではどんなことを考かんがえますか。

20 伝でん道どうや集しゅう会かいでエホバがどんな方かたかを教おしえるときに,イエスのように物もの事ごとを比ひ較かくする方ほう法ほうも使つかえます。例たとえば,神かみは悪わるいことをした人ひとを火ひの燃もえる地じ獄ごくで永えい遠えんに苦くるしめるようなことは絶ぜっ対たいにしない,ということをこんなふうに説せつ明めいできるかもしれません。「子こ供どもを愛あいしている父ちち親おやが,罰ばつを与あたえるために子こ供どもを火ひであぶったりするでしょうか。では,人にん間げんの親おやよりさらに愛あい情じょう深ぶかい天てんの父ちちにとって,地じ獄ごくで人ひとを苦くるしめることなど考かんがえられないのではないでしょうか」。(エレミヤ 7:31)兄きょう弟だい姉し妹まいが気き落おちしていたら,エホバがその人ひとを愛あいしていることを確かく信しんさせるためにこう言いえます。「小ちいさなスズメでさえ大だい事じに思おもっているエホバは,間ま違ちがいなく兄きょう弟だい(姉し妹まい)のことを深ふかく愛あいして気き遣づかっていますよ。兄きょう弟だい(姉し妹まい)はずっと頑がん張ばってエホバに仕つかえてきましたから,エホバにとってすごく大たい切せつな存そん在ざいだと思おもいます」。(マタイ 10:29-31)このように論ろん理り的てきに話はなせば,人ひとの心こころを動うごかせるでしょう。

21 こうしてイエスの教おしえ方かたの特とく長ちょうを3つ調しらべただけでも,イエスを捕つかまえられなかった下した役やくたちが言いった,「あのように話はなした人ひとはこれまでいませんでした」という言こと葉ばが大おおげさではなかったことが分わかります。次つぎの章しょうでは,イエスがよく例たとえを使つかって教おしえたことについて考かんがえます。それはイエスの教おしえ方かたの最さい大だいの特とく長ちょうとも言いえます。

a この下した役やくたちはサンヘドリンの職しょく員いんで,祭さい司し長ちょうたちの権けん限げんの下もとにあったと思おもわれます。

b この最さい後ごの言こと葉ばは使し徒と 20章しょう35節せつに書かかれています。イエスの言こと葉ばとしてこれを取とり上あげているのは,使し徒とパウロだけです。パウロはこの言こと葉ばを,イエスがそう言いうのを聞きいた人ひとか,復ふっ活かつしたイエス自じ身しんから聞きいたのかもしれません。あるいは,神かみから啓けい示じされたとも考かんがえられます。

c ユダヤ人じんは神しん殿でん税ぜいとして毎まい年とし2ドラクマを払はらうよう求もとめられていました。2ドラクマは2日ふつか分ぶんの賃ちん金ぎんに相そう当とうしました。ある本ほんにはこう書かかれています。「この税ぜいは主おもに,毎まい日にち捧ささげられる全ぜん焼しょうの捧ささげ物ものや,民たみのために捧ささげられるさまざまな犠ぎ牲せい全すべての費ひ用ようを賄まかなうために使つかわれた」。

d 発はっ行こう: エホバの証しょう人にん

e このような論ろん法ぽうは,「ア・フォルティオリ」と呼よばれることがあります。このラテン語ごの表ひょう現げんには,「いっそう強きょう力りょくな理り由ゆうで,さらに確たしかに,なおさら」という意い味みがあります。

イエスの弟で子しとして考かんがえたいこと

  • 集しゅう会かいで講こう話わや講こう演えんをするときにどんな言こと葉ばを使つかうべきかについて,イエスが言いったことから何なにを学まなべますか。(マタイ 11:25)

  • 講こう演えん者しゃはイエスに見み習ならって話はなしの中なかでどんな質しつ問もんをするとよいですか。(マタイ 11:7-9)

  • どんなことを教おしえるときに誇こ張ちょう法ほうを使つかえると思おもいますか。(マタイ 7:3; 19:24)

  • イエスに見み習ならってどのように手て本ほんや実じつ例れいによって教おしえることができますか。(ヨハネ 13:5,14)

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