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神の王国について徹底的に教える
徹 18章 140–147ページ

18章

「神かみを知しろうと[し],神かみを探さがし求もとめて本ほん当とうに見みつける」

パウロは相あい手てとの共きょう通つう点てんをベースに,工く夫ふうしながら教おしえた

使し徒と 17:16-34

1-3. (ア)アテネに来きたパウロがいら立だっていたのはどうしてですか。(イ)パウロの話はなしを分ぶん析せきすると,どんなことを学まなべますか。

パウロはいら立だち,気き持もちが落おち着つきません。今いま,ギリシャのアテネにいます。かつてソクラテスやプラトンやアリストテレスが教おしえた学がく問もんの中ちゅう心しん地ちです。とても宗しゅう教きょう色しょくの強つよい町まちで,アテネの人ひとは非ひ常じょうに多おおくの神かみを崇すう拝はいしています。神しん殿でん,広ひろ場ば,通とおりなど至いたる所ところに偶ぐう像ぞうがあります。パウロは,エホバが偶ぐう像ぞう崇すう拝はいをどう思おもっているかを知しっています。(出しゅつ 20:4,5)エホバもパウロも偶ぐう像ぞうをひどく嫌きらっています。

2 パウロはアゴラつまり広ひろ場ばに入はいり,さらにショックを受うけます。北ほく西せいの角かど,正しょう面めんの入いり口ぐちの近ちかくに,ヘルメス神しんの男だん根こん像ぞうがずらりと並ならんでいます。広ひろ場ばのあちこちに礼れい拝はい堂どうがあります。偶ぐう像ぞうだらけのこの町まちで,パウロはどのように伝でん道どうするのでしょうか。自じ分ぶんの気き持もちを落おち着つかせて,相あい手ての視し点てんに立たって話はなすでしょうか。本ほん当とうの神かみについて知しるよう,何なん人にんかでも助たすけられるでしょうか。

3 パウロがアテネの知ち識しき人じんたちにした話はなしは,使し徒と 17章しょう22-31節せつに記き録ろくされています。聞きき手ての身みになって考かんがえ,いろいろなテクニックを駆く使しした説せっ得とく力りょくのある話はなしでした。パウロの話はなしを分ぶん析せきすると,どうすれば相あい手てに寄より添そい,一いっ緒しょに考かんがえながら教おしえられるかを学まなべます。

「広ひろ場ばで」教おしえる(使し徒と 17:16-21)

4,5. パウロはアテネのどこで伝でん道どうしましたか。聴ちょう衆しゅうの中なかにはどんな手てごわい人ひとたちがいましたか。

4 パウロがアテネを訪おとずれたのは,50年ねんごろ,2度ど目めの宣せん教きょう旅りょ行こう中ちゅうのことでした。a シラスとテモテがベレアから来くるのを待まつ間あいだ,パウロはいつものように「会かい堂どうでユダヤ人じん……と論ろんじ始はじめ」ます。また,ユダヤ人じんではない人ひとたちにも伝でん道どうするため,「広ひろ場ば」つまりアゴラに行いきます。(使し徒と 17:17)アテネのアゴラはとても広ひろく(5万まん平へい方ほうメートルほど),アクロポリスの北ほく西せいにありました。そこは物ものの売うり買かいをする市いち場ばというだけでなく,町まちの人ひとたちが集つどう交こう流りゅうの場ばでした。「都と市しの経けい済ざい・政せい治じ・文ぶん化かの中ちゅう心しん」だったと,ある文ぶん献けんには書かかれています。アテネの人ひとたちはそこに集あつまって,あれこれと議ぎ論ろんするのを楽たのしんでいました。

アテネ 古こ代だい世せ界かいの文ぶん化かの中ちゅう心しん地ち

アテネについての歴れき史し記き録ろくが残のこっているのは,紀き元げん前ぜん7世せい紀き以い降こうのことです。でも,アテネの丘おかアクロポリスはそのずっと前まえから強きょう固こな要よう塞さいでした。アテネはアッティカ地ち方ほうの主しゅ要ような町まちになり,山やまと海うみに囲かこまれた約やく2500平へい方ほうキロの領りょう域いきに及およんでいました。アテネという名な前まえは,町まちの守しゅ護ご神しんである女め神がみアテナと関かん係けいがあるようです。

紀き元げん前ぜん6世せい紀き,アテネの立りっ法ぽう者しゃソロンが町まちの社しゃ会かい・政せい治じ・法ほう律りつ・経けい済ざいの制せい度どを改かい革かくしました。ソロンは貧ひん民みんの境きょう遇ぐうを改かい善ぜんし,民みん主しゅ政せいの基き礎そを据すえました。とはいえ,それは自じ由ゆう民みんのためだけの民みん主しゅ主しゅ義ぎであり,アテネの人じん口こうの大だい部ぶ分ぶんは奴ど隷れいでした。

紀き元げん前ぜん5世せい紀きにギリシャ人じんがペルシャ人じんに何なん度どか勝しょう利りした後あと,アテネは小ちいさな帝てい国こくの首しゅ都とになり,西にしはイタリアやシチリアから東ひがしはキプロスやシリアまで海かい上じょう貿ぼう易えきを展てん開かいしました。全ぜん盛せい期きには古こ代だい世せ界かいの文ぶん化かの中ちゅう心しん地ちとなり,美び術じゅつ,演えん劇げき,哲てつ学がく,弁べん論ろん術じゅつ,科か学がくが発はっ展てんしました。多おおくの公こう共きょう建けん造ぞう物ぶつや神しん殿でんが都と市しを飾かざりました。ひときわ目め立だつのがアクロポリスの丘おかで,そこにはパルテノン神しん殿でんと,金きんと象ぞう牙げでできた高たかさ12㍍のアテナ像ぞうがありました。

アテネは,スパルタ人じんに,次ついでマケドニア人じんに攻こう略りゃくされました。やがてはローマ人じんに征せい服ふくされ,都と市しの富とみは奪うばわれました。それでもアテネは,使し徒とパウロが伝でん道どうした当とう時じも,輝かがやかしい歴れき史しのために特とく別べつな都と市しと見みなされていました。ローマの属ぞく州しゅうに組くみ入いれられることはなく,市し民みんへの独どく自じの司し法ほう権けんを与あたえられ,ローマの税ぜいを免めん除じょされました。最さい盛せい期きを過すぎても学がく都ととして存そん続ぞくし,裕ゆう福ふくな家いえの生うまれの人ひとが学がく問もんのためにやって来きました。

5 パウロが話はなす相あい手ては,一ひと筋すじ縄なわではいかない人ひとたちです。聴ちょう衆しゅうの中なかには,エピクロス派はとストア派はという哲てつ学がくの学がく派はの人ひとたちがいました。この2つの派はの教おしえは大おおきく異ことなっていました。b エピクロス派はは,生せい命めいは偶ぐう然ぜんに存そん在ざいするようになったと信しんじていました。彼かれらの人じん生せい観かんは端たん的てきに言いうと,「神かみを畏おそれる必ひつ要ようはない。死しぬと何なにも感かんじない。善ぜんは達たっ成せいできる。悪あくは耐たえられる」というものでした。ストア派はは理り性せいと論ろん理りを重おもんじ,神かみに人じん格かくがあるとは考かんがえていませんでした。両りょう派はとも,クリスチャンが教おしえる復ふっ活かつを信しんじていませんでした。どちらの派はの思し想そうも,パウロが広ひろめていたキリスト教きょうの正ただしい教おしえとは真まっ向こうから対たい立りつするものでした。

6,7. ギリシャの知ち識しき人じんたちはパウロの話はなしを聞きいて,どう反はん応のうしましたか。現げん代だいの私わたしたちも,どんなことを言いわれるかもしれませんか。

6 ギリシャの知ち識しき人じんたちはパウロの話はなしを聞きいて,どう反はん応のうしたでしょうか。ある人ひとたちはパウロのことを「おしゃべり」(直ちょく訳やくすると,「種たねをついばむ者もの」)と呼よびました。(スタディー版ばんの使し徒と 17:18の注ちゅう釈しゃくを参さん照しょう。)このギリシャ語ごについて,ある学がく者しゃはこう言いっています。「この語ごは元もと々もと,歩あるき回まわって穀こく粒りゅうをついばむ小こ鳥とりに関かんして用もちいられた。後のちに,市いち場ばで食しょく物もつのかけらや種しゅ々じゅ雑ざっ多たな物ものを拾ひろう人ひとを指さして使つかわれた。さらに後のちには,比ひ喩ゆ的てきに用もちいられ,雑ざっ多たな情じょう報ほうを拾ひろい集あつめる人ひと,特とくに,それをきちんとまとめることのできない人ひとを指さすようになった」。パウロは受うけ売うりの知ち識しきをひけらかしているだけの愚おろか者ものだ,と彼かれらは言いっていたのです。パウロはどうするでしょうか。そうやって悪わる口くちを言いわれても,決けっして動どうじません。

7 現げん代だいのエホバの証しょう人にんも,聖せい書しょを信しんじているために,ばかにされることがあります。教きょう育いく者しゃの中なかには,進しん化か論ろんを受うけ入いれない人ひとは愚おろかだと言いう人ひとがいます。生せい命めいの進しん化かは紛まぎれもない事じ実じつであって,論ろん理り的てきに考かんがえる人ひとは疑うたがうはずがない,と言いうのです。私わたしたちが聖せい書しょの言こと葉ばを紹しょう介かいしたり,生せい命めいが創そう造ぞうされたといえる証しょう拠こを見みせたりすると,彼かれらはそれをあたかも「種たねをついばんでいる」ようなものだと考かんがえます。でも私わたしたちは動どうじません。エホバという神かみが全すべてのものを造つくったことを,自じ信しんを持もって語かたっていきます。(啓けい 4:11)

8. (ア)パウロの話はなしを聞きいて,どんな反はん応のうをする人ひとたちもいましたか。(イ)パウロがアレオパゴスに連つれていかれた,というのはどういうことだったと考かんがえられますか。(脚きゃく注ちゅうを参さん照しょう。)

8 パウロの話はなしを聞きいて,別べつの反はん応のうをする人ひとたちもいます。「彼かれは外がい国こくの神かみ々がみを広ひろめる者ものらしい」と言いう人ひとたちがいました。(使し徒と 17:18)パウロは本ほん当とうに,新あたらしい神かみについて広ひろめていたのでしょうか。もしそうなら,それは重じゅう大だいなことでした。何なん世せい紀きも前まえ,ソクラテスが死し刑けい宣せん告こくを受うけたのも,一ひとつには,別べつの神かみを広ひろめたためでした。パウロはアレオパゴスに連つれていかれ,その耳みみなじみがない教おしえについて説せつ明めいするようにと言いわれます。c 相あい手ては聖せい書しょについて何なにも知しらない人ひとたちです。パウロはどんなことを話はなすでしょうか。

エピクロス派はとストア派は

エピクロス派はとストア派はは哲てつ学がくの学がく派はです。どちらも復ふっ活かつを信しんじていませんでした。

エピクロス派はは,神かみ々がみの存そん在ざいを信しんじていました。しかし,神かみ々がみは人にん間げんに関かん心しんがなく報むくいも罰ばつも与あたえないので,祈いのりや犠ぎ牲せいには意い味みがない,と考かんがえました。快かい楽らくを人じん生せいでの最さい高こうの善ぜんと見みなしました。彼かれらの思し想そうや行こう動どうには道どう徳とく律りつが全まったく見みられませんでした。とはいえ,度どを越こえたことをして悪わるい結けっ果かを招まねかないよう,節せっ制せいを奨しょう励れいしました。知ち識しきを追つい求きゅうするのは,ただ宗しゅう教きょう上じょうの恐おそれと迷めい信しんを除のぞくためでした。

ストア派はは,人じん格かくがない神かみを信しんじていました。全すべてのものがその神かみの一いち部ぶであり,人にん間げんの魂たましいはそこから出でていると考かんがえました。ストア派はの中なかには,魂たましいはやがて宇う宙ちゅうと共ともに破は壊かいされると考かんがえる人ひともいれば,最さい後ごには神かみに再ふたたび吸きゅう収しゅうされると信しんじる人ひともいました。自し然ぜんの摂せつ理りに従したがうことによって幸こう福ふくになれるというのが,ストア派はの教おしえでした。

「アテネの皆みなさん,私わたしは……見みました」(使し徒と 17:22,23)

9-11. (ア)パウロは相あい手てとのどんな共きょう通つう点てんをベースに話はなしましたか。(イ)宣せん教きょうでパウロにどのように倣ならえますか。

9 冒ぼう頭とうで見みたように,パウロはたくさんの偶ぐう像ぞうを見みて,いら立だっていました。でも,感かん情じょうに任まかせて偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを批ひ判はんすることはしません。平へい静せいを保たもちながら,相あい手てとの共きょう通つう点てんをベースに話はなし始はじめます。こう切きり出だします。「アテネの皆みなさん,私わたしは皆みなさんがどんな点てんでも信しん心じん深ぶかいのを見みました。神かみ々がみへの畏おそれを他たの人ひとたちよりも抱いだいています」。(使し徒と 17:22)パウロは,アテネの人ひとたちの信しん仰こう心しんを褒ほめました。間ま違ちがった教おしえを信しんじ込こんでいる人ひとたちも良よい知しらせを聞きこうとするかもしれない,と思おもっていました。自じ分ぶん自じ身しんも以い前ぜんは「信しん仰こうがなく,よく知しらずに行こう動どうしていた」からです。(テモ一いち 1:13)

10 パウロは次つぎに,「知しられていない神かみに」と刻きざまれた祭さい壇だんを引ひき合あいに出だします。その祭さい壇だんからアテネの人ひとたちの信しん心じん深ぶかさが分わかる,というわけです。そこに「知しられていない神かみに」と刻きざまれていたのは,どうしてでしょうか。ある資し料りょうにはこうあります。「『知しられていない神かみ』のために祭さい壇だんを作つくることは,ギリシャ人じんその他たの習ならわしだった。ある神かみを崇すう拝はいしそびれたためにその神かみを怒おこらせてしまうことがあってはいけない,と考かんがえていたのである」。つまり,アテネの人ひとたちは,自じ分ぶんたちがまだ知しらない神かみが確たしかにいる,ということを認みとめていました。パウロはこの祭さい壇だんを話はなしの切きり口くちにして,良よい知しらせについて語かたり始はじめました。こう言いっています。「皆みなさんが知しらないで崇すう拝はいしているもの,それを私わたしは皆みなさんに伝つたえているのです」。(使し徒と 17:23)とても自し然ぜんな流ながれだったので,聞きいている人ひとたちは話はなしに引ひき込こまれたはずです。パウロは,誰だれかが言いっていたように「外がい国こくの神かみ々がみを広ひろめ」ていたわけではありませんでした。彼かれらがまだよく知しらない神かみ,本ほん当とうの神かみについて語かたっていました。

11 宣せん教きょうでパウロに倣ならえます。訪ほう問もんする家いえや庭にわにどんなものが置おかれているでしょうか。家いえの人ひとはどんなものを身みに着つけているでしょうか。そこから,何なにかを信しん仰こうしていることが分わかることがあります。こう言いえるかもしれません。「何なにかを信しんじる気き持もちって大たい切せつですよね。そういう心こころをお持もちの方かたにお会あいできてよかったです」。そうやってその人ひとの信しん仰こう心しんを褒ほめるなら,相あい手てとの共きょう通つう点てんをベースに話はなしを進すすめられるかもしれません。家いえの人ひとが宗しゅう教きょうを持もっているからといって,良よい知しらせを聞きかないと決きめ付つけてはいけません。別べつの宗しゅう教きょうを信しんじていた人ひとがエホバの証しょう人にんになったケースはたくさんあります。

生物の授業で,男の子が先生やクラスメートに話している。

相あい手てとの共きょう通つう点てんを探さがし,それをベースに話はなす。

「神かみは,私わたしたち一人ひとり一人ひとりから遠とおく離はなれてはいません」(使し徒と 17:24-28)

12. パウロは相あい手てに合あわせてどんな工く夫ふうをしましたか。

12 パウロは相あい手てとの共きょう通つう点てんをベースに話はなし始はじめました。では,その後ごも相あい手てに合あわせて話はなしていったでしょうか。相あい手てはギリシャ哲てつ学がくを学まなんでいて,聖せい書しょについては知しらない人ひとたちでした。そのことを踏ふまえて,パウロは3つの工く夫ふうをしました。1つ目めに,聖せい書しょから引いん用ようすることはせずに,聖せい書しょの教おしえを伝つたえました。2つ目めに,要よう所しょ要よう所しょで「私わたしたち」と言いい,聞きき手てと同おなじ視し点てんに立たって一いっ緒しょに考かんがえました。3つ目めに,自じ分ぶんが教おしえているのと同おなじことがギリシャ文ぶん学がくにも出でてくることを指し摘てきしました。では,パウロの説せっ得とく力りょくのある話はなしを分ぶん析せきしてみましょう。アテネの人ひとたちがまだよく知しらない神かみについて,パウロはどんなことを伝つたえたでしょうか。

13. 宇う宙ちゅうの起き源げんについてパウロはどんなことを話はなしましたか。パウロが言いいたかったのはどんなことでしたか。

13 神かみは宇う宙ちゅうの全すべてを造つくった。「世せ界かいとその中なかの全すべての物ものを造つくった神かみは,天てん地ちの主しゅですから,人ひとが造つくった神しん殿でんなどには住す[みません]」と,パウロは言いいました。d (使し徒と 17:24)宇う宙ちゅうは偶ぐう然ぜんに存そん在ざいするようになったわけではありません。全すべての物ものは神かみが造つくりました。(詩し 146:6)アテナなどの神かみ々がみは,神しん殿でんや礼れい拝はい堂どうや祭さい壇だんがあって初はじめて褒ほめたたえられますが,天てんと地ちを造つくった神かみは違ちがいます。人にん間げんが建たてた神しん殿でんで暮くらすはずがありません。(王おう一いち 8:27)本ほん当とうの神かみは,人にん間げんが建たてた神しん殿でんにある,人にん間げんが作つくった偶ぐう像ぞうよりはるかに偉い大だいです。パウロが言いいたかったのはそういうことでした。(イザ 40:18-26)

14. 神かみは人にん間げんに助たすけてもらう必ひつ要ようがないことを,パウロはどのように説せつ明めいしましたか。

14 神かみは人にん間げんに助たすけてもらう必ひつ要ようはない。偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいする人ひとたちは,偶ぐう像ぞうに派は手でな衣い装しょうを着きせ,高こう価かな供そなえ物ものをし,食たべ物ものや飲のみ物ものを捧ささげました。まるで偶ぐう像ぞうがそういう物ものを必ひつ要ようとしているかのようでした。でも,聞きいていたギリシャの哲てつ学がく者しゃの中なかには,神かみは人にん間げんに助たすけてもらう必ひつ要ようはないと考かんがえる人ひともいたかもしれません。そういう人ひとは,「[神かみは]人にん間げんに世せ話わしてもらう必ひつ要ようもありません」というパウロの言こと葉ばに同どう意いしたはずです。神かみは全すべての物ものを造つくったので,人にん間げんから何なにかをもらう必ひつ要ようがないのは当とう然ぜんです。神かみが人にん間げんに「命いのちと息いき」を与あたえています。太たい陽ようや雨あめ,豊ゆたかな大だい地ちなど,人にん間げんが生いきるのに必ひつ要ような「全すべての物もの」も与あたえています。(使し徒と 17:25。創そう 2:7)人にん間げんが神かみに助たすけてもらう必ひつ要ようがあるのであって,神かみが人にん間げんに助たすけてもらう必ひつ要ようはありません。

15. ギリシャ人じんであることに優ゆう越えつ感かんを持もっていた人ひとたちに,パウロはどう話はなしましたか。パウロにどのように倣ならえますか。

15 神かみは1人ひとりの人ひとから全すべての人ひとを造つくった。アテネのギリシャ人じんたちは,自じ分ぶんたちがほかの人じん種しゅより優すぐれていると思おもっていました。でも,聖せい書しょによれば,国こく籍せきや人じん種しゅで優ゆう越えつ感かんを持もってよい理り由ゆうはどこにもありません。(申しん 10:17)こういう問もん題だいは感かん情じょうが絡からみやすいものです。でも,パウロは上じょう手ずに話はなします。「[神かみは]1人ひとりの人ひとから全すべての国くにの人ひとを造つくっ……た」と言いい,相あい手てに考かんがえてもらいました。(使し徒と 17:26)そうやって創そう世せい記きに出でてくるアダムを引ひき合あいに出だし,アダムが全すべての人にん間げんの先せん祖ぞであることを指し摘てきしました。(創そう 1:26-28)人じん類るいがみんな1人ひとりの人ひとの子し孫そんであるなら,どの人じん種しゅや国こく籍せきの人ひとも,別べつの人じん種しゅや国こく籍せきの人ひとより優すぐれているとは言いえません。聞きいていた人ひとたちは,パウロの言いいたいことがよく分わかったはずです。私わたしたちもパウロに倣ならいたいと思おもいます。相あい手てが受うけ入いれやすいように話はなしますが,聖せい書しょの教おしえをゆがめたり曖あい昧まいにしたりはしません。

16. 神かみは人にん間げんにどう生いきてほしいと思おもっていますか。

16 神かみは人にん間げんに,自じ分ぶんのことを知しってもらいたいと思おもっている。アテネの哲てつ学がく者しゃたちは長なが年ねん,人にん間げんが生いきる意い味みについて議ぎ論ろんしていました。でも,答こたえはなかなか見みつかりませんでした。そこでパウロは,神かみが人にん間げんにどう生いきてほしいと思おもっているかを話はなします。神かみが人にん間げんを造つくったのは,「人ひと々びとが神かみを知しろうとするため」,「神かみを探さがし求もとめて本ほん当とうに見みつけるため」です。「実じつのところ神かみは,私わたしたち一人ひとり一人ひとりから遠とおく離はなれてはいません」。(使し徒と 17:27)アテネの人ひとたちが崇すう拝はいしていた「知しられていない神かみ」は,知しることのできない神かみでは決けっしてありません。本ほん当とうに知しりたいと思おもってよく学まなべば,必かならず知しることができます。(詩し 145:18)パウロは「私わたしたち」と言いいました。自じ分ぶんも「神かみを知しろうと」し,「神かみを探さがし求もとめ」なければいけない,ということを伝つたえたかったのです。

17,18. 人にん間げんは神かみと親したしくなれるとどうしていえますか。パウロの教おしえ方かたからどんなことを学まなべますか。

17 人にん間げんは神かみと親したしくなれる。「私わたしたちは神かみによって命いのちを持もち,動うごき,存そん在ざいしています」とパウロは言いいました。ここでパウロはエピメニデスの言こと葉ばにそれとなく触ふれていた,と言いう学がく者しゃもいます。エピメニデスは紀き元げん前ぜん6世せい紀きのクレタの詩し人じんで,「アテネの宗しゅう教きょう的てきな伝でん統とうにおける重じゅう要よう人じん物ぶつ」でした。パウロは,人にん間げんは神かみと親したしくなれるということを分わかってもらうため,さらにこう言いいます。「皆みなさんの詩し人じんの中なかにも,『われわれもその子こ供どもである』と言いっている人ひとたちがいます」。(使し徒と 17:28)神かみは1人ひとりの人ひとを造つくり,人にん間げんはみんなその人ひとの子し孫そんなので,人にん間げんは誰だれもが神かみの子こ供どもといえます。そのことを納なっ得とくしてもらえるよう,パウロはギリシャの詩し人じんの言こと葉ばを引いん用ようしました。それは当とう時じの人ひとたちに評ひょう価かされていた詩しだったと思おもわれます。e パウロのように,私わたしたちも時ときには,歴れき史し書しょや百ひゃっ科か事じ典てんなど権けん威いのある文ぶん献けんから引いん用ようすることができます。例たとえば,間ま違ちがった宗しゅう教きょう的てきな習しゅう慣かんや祝いわいの起き源げんについて,そういう資し料りょうを使つかって説せつ明めいできるかもしれません。

18 このようにしてパウロは,聞きき手てに合あわせて言こと葉ばを選えらびながら,神かみについて大だい事じなことを伝つたえました。では,それを知しった上うえでどうすることが大たい切せつでしょうか。パウロは次つぎにそのことを話はなします。

「あらゆる場ば所しょの全すべての人ひと」が「悔くい改あらためるべき」(使し徒と 17:29-31)

19,20. (ア)偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいするのは愚おろかだということを,パウロはどのように説せつ明めいしましたか。(イ)アテネの人ひとたちは何なにをしなければいけませんでしたか。

19 アテネの人ひとたちにはしなければいけないことがあります。パウロはそれを伝つたえるに当あたり,ギリシャの詩しに再ふたたび触ふれてこう言いいます。「従したがって,私わたしたちは神かみの子こ供どもなのですから,神かみのことを金きんや銀ぎんや石いしのように,人にん間げんが考かんがえ出だして作つくった彫ちょう刻こくのように考かんがえるべきではありません」。(使し徒と 17:29)人にん間げんは神かみに造つくられました。偶ぐう像ぞうは人にん間げんに作つくられた物ものです。神かみが人にん間げんを造つくったのに,その神かみが人にん間げんの作つくった偶ぐう像ぞうになるとしたら,とてもおかしなことです。偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいするのがいかに愚おろかなことか,パウロは上じょう手ずに説せつ明めいしました。(詩し 115:4-8。イザ 44:9-20)パウロは「私わたしたちは……べきではありません」と言いっています。相あい手てを批ひ判はんしているような印いん象しょうを与あたえないためにそう言いったのでしょう。

20 何なにをしなければいけないか,パウロははっきり言いいます。「神かみはそうした無む知ち[偶ぐう像ぞう崇すう拝はいは神かみに喜よろこばれると思おもい込こむという無む知ち]の時じ代だいを見み過すごしてきましたが,今いまでは,悔くい改あらためるべきことをあらゆる場ば所しょの全すべての人ひとに告つげています」。(使し徒と 17:30)アテネの人ひとたちは,悔くい改あらためなさいと言いわれ,ショックを受うけたかもしれません。でも,パウロがすでに指し摘てきしたように,命いのちは神かみが与あたえてくれたものなので,その神かみを無む視しして生いきるのは良よくありません。神かみを知しろうとし,神かみについて本ほん当とうのことを学まなび,神かみの考かんがえに合あった生いき方かたをすることが大たい切せつです。アテネの人ひとたちは,偶ぐう像ぞう崇すう拝はいが神かみに喜よろこばれないことを認みとめ,やめなければいけませんでした。

21,22. パウロは最さい後ごにどんなことを言いいましたか。パウロは私わたしたちにとっても大だい事じなことを話はなしていた,といえるのはどうしてですか。

21 パウロは最さい後ごにこう言いいます。「[神かみは]自じ分ぶんが任にん命めいした者ものによって世せ界かいを公こう正せいに裁さばくために日ひを定さだめたからです。そして,その者ものを復ふっ活かつさせて全すべての人ひとに保ほ証しょうを与あたえました」。(使し徒と 17:31)裁さばきの日ひが来きます。そのことを考かんがえると,今いまのうちに神かみを知しることが大たい切せつです。パウロは,神かみが裁さばきのために「任にん命めいした者もの」の名な前まえを挙あげていません。その代かわりに,神かみが「復ふっ活かつさせ」た方かたであることに注ちゅう目もくさせています。

22 パウロが最さい後ごに話はなしたことは,私わたしたちにとっても大だい事じなことです。私わたしたちは,神かみが裁さばきのために任にん命めいしたのはイエス・キリストであることを知しっています。(ヨハ 5:22)裁さばきの日ひが1000年ねん間かんにわたること,その時ときが近ちかいことも知しっています。(啓けい 20:4,6)私わたしたちは裁さばきの日ひを恐おそれていません。裁さばきの結けっ果か,イエスから良よいと認みとめられる人ひとたちには,この上うえなく幸しあわせな毎まい日にちが待まっています。その輝かがやかしい未み来らいが必かならずやって来くると確かく信しんできます。神かみはそのことを保ほ証しょうするために,イエス・キリストを復ふっ活かつさせるという素す晴ばらしい奇き跡せきを起おこしたからです。

「信しん者じゃとなった人ひともいた」(使し徒と 17:32-34)

23. パウロの話はなしを聞きいた人ひとたちはどんな反はん応のうをしましたか。

23 パウロの話はなしを聞きいた人ひとの反はん応のうはさまざまでした。復ふっ活かつについて聞きき,「あざ笑わらい始はじめる」人ひともいれば,やんわりと「その話はなしはまた聞きこう」と言いって聞きき流ながす人ひともいました。(使し徒と 17:32)でも,心こころを動うごかされた人ひとたちもいました。「パウロに加くわわって信しん者じゃとなった人ひともいた。アレオパゴス裁さい判ばん所しょの裁さい判ばん官かんデオヌシオ,ダマリスという女じょ性せいなどである」と書かかれています。(使し徒と 17:34)私わたしたちも宣せん教きょうで同おなじような経けい験けんをします。厳きびしい言こと葉ばを浴あびせられることもあれば,丁てい重ちょうに断ことわられることもあります。でも,うれしいことに,神かみの王おう国こくの良よい知しらせを聞きいて,クリスチャンになる人ひともいます。

24. パウロの話はなしからどんなことを学まなべますか。

24 パウロの話はなしから,論ろん理り的てきに話はなすこと,納なっ得とくできるよう分わかりやすく教おしえること,相あい手てに合あわせて言こと葉ばを選えらぶことの大たい切せつさを学まなべます。相あい手てが間ま違ちがった教おしえを信しんじている場ば合あいには,いらいらせずに,工く夫ふうしながらじっくり説せつ明めいすることが必ひつ要ようです。また,ただ相あい手てに受うけ入いれてもらうために聖せい書しょの教おしえをゆがめたりはしません。パウロに見み習ならえば,宣せん教きょうで上じょう手ずに教おしえられるようになります。監かん督とくたちも会かい衆しゅうで心こころに響ひびく教おしえ方かたができるようになります。そのようにして,「神かみを知しろうと[し],神かみを探さがし求もとめて本ほん当とうに見みつけ」られるよう,多おおくの人ひとを助たすけていきましょう。(使し徒と 17:27)

a 「アテネ 古こ代だい世せ界かいの文ぶん化かの中ちゅう心しん地ち」という囲かこみを参さん照しょう。

b 「エピクロス派はとストア派は」という囲かこみを参さん照しょう。

c アクロポリスの北ほく西せいにあるアレオパゴスという丘おかは,アテネの主おもな評ひょう議ぎ会かいの議ぎ場じょうとして使つかわれていました。「アレオパゴス」という語ごは,丘おかそのものだけでなく,その評ひょう議ぎ会かいを指さすことがあります。それで,パウロがその丘おかやその近ちかくに連つれていかれたとする学がく者しゃもいれば,別べつの場ば所しょ(アゴラかもしれない)で開ひらかれていた評ひょう議ぎ会かいに連つれていかれたとする学がく者しゃもいます。

d 「世せ界かい」と訳やくされているギリシャ語ごはコスモスで,この語ごは宇う宙ちゅうを指さして使つかわれることがありました。パウロは,聞きいていたギリシャ人じんと同おなじ視し点てんに立たって話はなそうとしていたので,この語ごをその意い味みで使つかったのかもしれません。

e パウロは,ストア派はの詩し人じんアラトスの天てん文もん詩し「ファイノメナ」から引いん用ようしていました。ストア派はの著ちょ述じゅつ家かクレアンテスの「ゼウス賛さん歌か」など,他たのギリシャの書しょ物もつにも,同どう様ようの表ひょう現げんが見みられます。

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