1-3. (ア)アテネに来 き たパウロがいら立 だ っていたのはどうしてですか。(イ)パウロの話 はなし を分 ぶん 析 せき すると,どんなことを学 まな べますか。
パウロはいら立 だ ち,気 き 持 も ちが落 お ち着 つ きません。今 いま ,ギリシャのアテネにいます。かつてソクラテスやプラトンやアリストテレスが教 おし えた学 がく 問 もん の中 ちゅう 心 しん 地 ち です。とても宗 しゅう 教 きょう 色 しょく の強 つよ い町 まち で,アテネの人 ひと は非 ひ 常 じょう に多 おお くの神 かみ を崇 すう 拝 はい しています。神 しん 殿 でん ,広 ひろ 場 ば ,通 とお りなど至 いた る所 ところ に偶 ぐう 像 ぞう があります。パウロは,エホバが偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい をどう思 おも っているかを知 し っています。(出 しゅつ 20:4,5 )エホバもパウロも偶 ぐう 像 ぞう をひどく嫌 きら っています。
2 パウロはアゴラつまり広 ひろ 場 ば に入 はい り,さらにショックを受 う けます。北 ほく 西 せい の角 かど ,正 しょう 面 めん の入 い り口 ぐち の近 ちか くに,ヘルメス神 しん の男 だん 根 こん 像 ぞう がずらりと並 なら んでいます。広 ひろ 場 ば のあちこちに礼 れい 拝 はい 堂 どう があります。偶 ぐう 像 ぞう だらけのこの町 まち で,パウロはどのように伝 でん 道 どう するのでしょうか。自 じ 分 ぶん の気 き 持 も ちを落 お ち着 つ かせて,相 あい 手 て の視 し 点 てん に立 た って話 はな すでしょうか。本 ほん 当 とう の神 かみ について知 し るよう,何 なん 人 にん かでも助 たす けられるでしょうか。
3 パウロがアテネの知 ち 識 しき 人 じん たちにした話 はなし は,使 し 徒 と 17章 しょう 22-31節 せつ に記 き 録 ろく されています。聞 き き手 て の身 み になって考 かんが え,いろいろなテクニックを駆 く 使 し した説 せっ 得 とく 力 りょく のある話 はなし でした。パウロの話 はなし を分 ぶん 析 せき すると,どうすれば相 あい 手 て に寄 よ り添 そ い,一 いっ 緒 しょ に考 かんが えながら教 おし えられるかを学 まな べます。
4,5. パウロはアテネのどこで伝 でん 道 どう しましたか。聴 ちょう 衆 しゅう の中 なか にはどんな手 て ごわい人 ひと たちがいましたか。
4 パウロがアテネを訪 おとず れたのは,50年 ねん ごろ,2度 ど 目 め の宣 せん 教 きょう 旅 りょ 行 こう 中 ちゅう のことでした。 シラスとテモテがベレアから来 く るのを待 ま つ間 あいだ ,パウロはいつものように「会 かい 堂 どう でユダヤ人 じん ……と論 ろん じ始 はじ め」ます。また,ユダヤ人 じん ではない人 ひと たちにも伝 でん 道 どう するため,「広 ひろ 場 ば 」つまりアゴラに行 い きます。(使 し 徒 と 17:17 )アテネのアゴラはとても広 ひろ く(5万 まん 平 へい 方 ほう メートルほど),アクロポリスの北 ほく 西 せい にありました。そこは物 もの の売 う り買 か いをする市 いち 場 ば というだけでなく,町 まち の人 ひと たちが集 つど う交 こう 流 りゅう の場 ば でした。「都 と 市 し の経 けい 済 ざい ・政 せい 治 じ ・文 ぶん 化 か の中 ちゅう 心 しん 」だったと,ある文 ぶん 献 けん には書 か かれています。アテネの人 ひと たちはそこに集 あつ まって,あれこれと議 ぎ 論 ろん するのを楽 たの しんでいました。
アテネ 古 こ 代 だい 世 せ 界 かい の 文 ぶん 化 か の 中 ちゅう 心 しん 地 ち
アテネについての歴 れき 史 し 記 き 録 ろく が残 のこ っているのは,紀 き 元 げん 前 ぜん 7世 せい 紀 き 以 い 降 こう のことです。でも,アテネの丘 おか アクロポリスはそのずっと前 まえ から強 きょう 固 こ な要 よう 塞 さい でした。アテネはアッティカ地 ち 方 ほう の主 しゅ 要 よう な町 まち になり,山 やま と海 うみ に囲 かこ まれた約 やく 2500平 へい 方 ほう キロの領 りょう 域 いき に及 およ んでいました。アテネという名 な 前 まえ は,町 まち の守 しゅ 護 ご 神 しん である女 め 神 がみ アテナと関 かん 係 けい があるようです。
紀 き 元 げん 前 ぜん 6世 せい 紀 き ,アテネの立 りっ 法 ぽう 者 しゃ ソロンが町 まち の社 しゃ 会 かい ・政 せい 治 じ ・法 ほう 律 りつ ・経 けい 済 ざい の制 せい 度 ど を改 かい 革 かく しました。ソロンは貧 ひん 民 みん の境 きょう 遇 ぐう を改 かい 善 ぜん し,民 みん 主 しゅ 政 せい の基 き 礎 そ を据 す えました。とはいえ,それは自 じ 由 ゆう 民 みん のためだけの民 みん 主 しゅ 主 しゅ 義 ぎ であり,アテネの人 じん 口 こう の大 だい 部 ぶ 分 ぶん は奴 ど 隷 れい でした。
紀 き 元 げん 前 ぜん 5世 せい 紀 き にギリシャ人 じん がペルシャ人 じん に何 なん 度 ど か勝 しょう 利 り した後 あと ,アテネは小 ちい さな帝 てい 国 こく の首 しゅ 都 と になり,西 にし はイタリアやシチリアから東 ひがし はキプロスやシリアまで海 かい 上 じょう 貿 ぼう 易 えき を展 てん 開 かい しました。全 ぜん 盛 せい 期 き には古 こ 代 だい 世 せ 界 かい の文 ぶん 化 か の中 ちゅう 心 しん 地 ち となり,美 び 術 じゅつ ,演 えん 劇 げき ,哲 てつ 学 がく ,弁 べん 論 ろん 術 じゅつ ,科 か 学 がく が発 はっ 展 てん しました。多 おお くの公 こう 共 きょう 建 けん 造 ぞう 物 ぶつ や神 しん 殿 でん が都 と 市 し を飾 かざ りました。ひときわ目 め 立 だ つのがアクロポリスの丘 おか で,そこにはパルテノン神 しん 殿 でん と,金 きん と象 ぞう 牙 げ でできた高 たか さ12㍍のアテナ像 ぞう がありました。
アテネは,スパルタ人 じん に,次 つ いでマケドニア人 じん に攻 こう 略 りゃく されました。やがてはローマ人 じん に征 せい 服 ふく され,都 と 市 し の富 とみ は奪 うば われました。それでもアテネは,使 し 徒 と パウロが伝 でん 道 どう した当 とう 時 じ も,輝 かがや かしい歴 れき 史 し のために特 とく 別 べつ な都 と 市 し と見 み なされていました。ローマの属 ぞく 州 しゅう に組 く み入 い れられることはなく,市 し 民 みん への独 どく 自 じ の司 し 法 ほう 権 けん を与 あた えられ,ローマの税 ぜい を免 めん 除 じょ されました。最 さい 盛 せい 期 き を過 す ぎても学 がく 都 と として存 そん 続 ぞく し,裕 ゆう 福 ふく な家 いえ の生 う まれの人 ひと が学 がく 問 もん のためにやって来 き ました。
5 パウロが話 はな す相 あい 手 て は,一 ひと 筋 すじ 縄 なわ ではいかない人 ひと たちです。聴 ちょう 衆 しゅう の中 なか には,エピクロス派 は とストア派 は という哲 てつ 学 がく の学 がく 派 は の人 ひと たちがいました。この2つの派 は の教 おし えは大 おお きく異 こと なっていました。 エピクロス派 は は,生 せい 命 めい は偶 ぐう 然 ぜん に存 そん 在 ざい するようになったと信 しん じていました。彼 かれ らの人 じん 生 せい 観 かん は端 たん 的 てき に言 い うと,「神 かみ を畏 おそ れる必 ひつ 要 よう はない。死 し ぬと何 なに も感 かん じない。善 ぜん は達 たっ 成 せい できる。悪 あく は耐 た えられる」というものでした。ストア派 は は理 り 性 せい と論 ろん 理 り を重 おも んじ,神 かみ に人 じん 格 かく があるとは考 かんが えていませんでした。両 りょう 派 は とも,クリスチャンが教 おし える復 ふっ 活 かつ を信 しん じていませんでした。どちらの派 は の思 し 想 そう も,パウロが広 ひろ めていたキリスト教 きょう の正 ただ しい教 おし えとは真 ま っ向 こう から対 たい 立 りつ するものでした。
6,7. ギリシャの知 ち 識 しき 人 じん たちはパウロの話 はなし を聞 き いて,どう反 はん 応 のう しましたか。現 げん 代 だい の私 わたし たちも,どんなことを言 い われるかもしれませんか。
6 ギリシャの知 ち 識 しき 人 じん たちはパウロの話 はなし を聞 き いて,どう反 はん 応 のう したでしょうか。ある人 ひと たちはパウロのことを「おしゃべり」(直 ちょく 訳 やく すると,「種 たね をついばむ者 もの 」)と呼 よ びました。(スタディー版 ばん の使 し 徒 と 17:18 の注 ちゅう 釈 しゃく を参 さん 照 しょう 。)このギリシャ語 ご について,ある学 がく 者 しゃ はこう言 い っています。「この語 ご は元 もと 々 もと ,歩 ある き回 まわ って穀 こく 粒 りゅう をついばむ小 こ 鳥 とり に関 かん して用 もち いられた。後 のち に,市 いち 場 ば で食 しょく 物 もつ のかけらや種 しゅ 々 じゅ 雑 ざっ 多 た な物 もの を拾 ひろ う人 ひと を指 さ して使 つか われた。さらに後 のち には,比 ひ 喩 ゆ 的 てき に用 もち いられ,雑 ざっ 多 た な情 じょう 報 ほう を拾 ひろ い集 あつ める人 ひと ,特 とく に,それをきちんとまとめることのできない人 ひと を指 さ すようになった」。パウロは受 う け売 う りの知 ち 識 しき をひけらかしているだけの愚 おろ か者 もの だ,と彼 かれ らは言 い っていたのです。パウロはどうするでしょうか。そうやって悪 わる 口 くち を言 い われても,決 けっ して動 どう じません。
7 現 げん 代 だい のエホバの証 しょう 人 にん も,聖 せい 書 しょ を信 しん じているために,ばかにされることがあります。教 きょう 育 いく 者 しゃ の中 なか には,進 しん 化 か 論 ろん を受 う け入 い れない人 ひと は愚 おろ かだと言 い う人 ひと がいます。生 せい 命 めい の進 しん 化 か は紛 まぎ れもない事 じ 実 じつ であって,論 ろん 理 り 的 てき に考 かんが える人 ひと は疑 うたが うはずがない,と言 い うのです。私 わたし たちが聖 せい 書 しょ の言 こと 葉 ば を紹 しょう 介 かい したり,生 せい 命 めい が創 そう 造 ぞう されたといえる証 しょう 拠 こ を見 み せたりすると,彼 かれ らはそれをあたかも「種 たね をついばんでいる」ようなものだと考 かんが えます。でも私 わたし たちは動 どう じません。エホバという神 かみ が全 すべ てのものを造 つく ったことを,自 じ 信 しん を持 も って語 かた っていきます。(啓 けい 4:11 )
8. (ア)パウロの話 はなし を聞 き いて,どんな反 はん 応 のう をする人 ひと たちもいましたか。(イ)パウロがアレオパゴスに連 つ れていかれた,というのはどういうことだったと考 かんが えられますか。(脚 きゃく 注 ちゅう を参 さん 照 しょう 。)
8 パウロの話 はなし を聞 き いて,別 べつ の反 はん 応 のう をする人 ひと たちもいます。「彼 かれ は外 がい 国 こく の神 かみ 々 がみ を広 ひろ める者 もの らしい」と言 い う人 ひと たちがいました。(使 し 徒 と 17:18 )パウロは本 ほん 当 とう に,新 あたら しい神 かみ について広 ひろ め ていたのでしょうか。もしそうなら,それは重 じゅう 大 だい なことでした。何 なん 世 せい 紀 き も前 まえ ,ソクラテスが死 し 刑 けい 宣 せん 告 こく を受 う けたのも,一 ひと つには,別 べつ の神 かみ を広 ひろ めたためでした。パウロはアレオパゴスに連 つ れていかれ,その耳 みみ なじみがない教 おし えについて説 せつ 明 めい するようにと言 い われます。 相 あい 手 て は聖 せい 書 しょ について何 なに も知 し らない人 ひと たちです。パウロはどんなことを話 はな すでしょうか。
エピクロス 派 は とストア 派 は
エピクロス派 は とストア派 は は哲 てつ 学 がく の学 がく 派 は です。どちらも復 ふっ 活 かつ を信 しん じていませんでした。
エピクロス派 は は,神 かみ 々 がみ の存 そん 在 ざい を信 しん じていました。しかし,神 かみ 々 がみ は人 にん 間 げん に関 かん 心 しん がなく報 むく いも罰 ばつ も与 あた えないので,祈 いの りや犠 ぎ 牲 せい には意 い 味 み がない,と考 かんが えました。快 かい 楽 らく を人 じん 生 せい での最 さい 高 こう の善 ぜん と見 み なしました。彼 かれ らの思 し 想 そう や行 こう 動 どう には道 どう 徳 とく 律 りつ が全 まった く見 み られませんでした。とはいえ,度 ど を越 こ えたことをして悪 わる い結 けっ 果 か を招 まね かないよう,節 せっ 制 せい を奨 しょう 励 れい しました。知 ち 識 しき を追 つい 求 きゅう するのは,ただ宗 しゅう 教 きょう 上 じょう の恐 おそ れと迷 めい 信 しん を除 のぞ くためでした。
ストア派 は は,人 じん 格 かく がない神 かみ を信 しん じていました。全 すべ てのものがその神 かみ の一 いち 部 ぶ であり,人 にん 間 げん の魂 たましい はそこから出 で ていると考 かんが えました。ストア派 は の中 なか には,魂 たましい はやがて宇 う 宙 ちゅう と共 とも に破 は 壊 かい されると考 かんが える人 ひと もいれば,最 さい 後 ご には神 かみ に再 ふたた び吸 きゅう 収 しゅう されると信 しん じる人 ひと もいました。自 し 然 ぜん の摂 せつ 理 り に従 したが うことによって幸 こう 福 ふく になれるというのが,ストア派 は の教 おし えでした。
9-11. (ア)パウロは相 あい 手 て とのどんな共 きょう 通 つう 点 てん をベースに話 はな しましたか。(イ)宣 せん 教 きょう でパウロにどのように倣 なら えますか。
9 冒 ぼう 頭 とう で見 み たように,パウロはたくさんの偶 ぐう 像 ぞう を見 み て,いら立 だ っていました。でも,感 かん 情 じょう に任 まか せて偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい を批 ひ 判 はん することはしません。平 へい 静 せい を保 たも ちながら,相 あい 手 て との共 きょう 通 つう 点 てん をベースに話 はな し始 はじ めます。こう切 き り出 だ します。「アテネの皆 みな さん,私 わたし は皆 みな さんがどんな点 てん でも信 しん 心 じん 深 ぶか いのを見 み ました。神 かみ 々 がみ への畏 おそ れを他 た の人 ひと たちよりも抱 いだ いています」。(使 し 徒 と 17:22 )パウロは,アテネの人 ひと たちの信 しん 仰 こう 心 しん を褒 ほ めました。間 ま 違 ちが った教 おし えを信 しん じ込 こ んでいる人 ひと たちも良 よ い知 し らせを聞 き こうとするかもしれない,と思 おも っていました。自 じ 分 ぶん 自 じ 身 しん も以 い 前 ぜん は「信 しん 仰 こう がなく,よく知 し らずに行 こう 動 どう していた」からです。(テモ一 いち 1:13 )
10 パウロは次 つぎ に,「知 し られていない神 かみ に」と刻 きざ まれた祭 さい 壇 だん を引 ひ き合 あ いに出 だ します。その祭 さい 壇 だん からアテネの人 ひと たちの信 しん 心 じん 深 ぶか さが分 わ かる,というわけです。そこに「知 し られていない神 かみ に」と刻 きざ まれていたのは,どうしてでしょうか。ある資 し 料 りょう にはこうあります。「『知 し られていない神 かみ 』のために祭 さい 壇 だん を作 つく ることは,ギリシャ人 じん その他 た の習 なら わしだった。ある神 かみ を崇 すう 拝 はい しそびれたためにその神 かみ を怒 おこ らせてしまうことがあってはいけない,と考 かんが えていたのである」。つまり,アテネの人 ひと たちは,自 じ 分 ぶん たちがまだ知 し らない神 かみ が確 たし かにいる,ということを認 みと めていました。パウロはこの祭 さい 壇 だん を話 はなし の切 き り口 くち にして,良 よ い知 し らせについて語 かた り始 はじ めました。こう言 い っています。「皆 みな さんが知 し らないで崇 すう 拝 はい しているもの,それを私 わたし は皆 みな さんに伝 つた えているのです」。(使 し 徒 と 17:23 )とても自 し 然 ぜん な流 なが れだったので,聞 き いている人 ひと たちは話 はなし に引 ひ き込 こ まれたはずです。パウロは,誰 だれ かが言 い っていたように「外 がい 国 こく の神 かみ 々 がみ を広 ひろ め」ていたわけではありませんでした。彼 かれ らがまだよく知 し らない神 かみ ,本 ほん 当 とう の神 かみ について語 かた っていました。
11 宣 せん 教 きょう でパウロに倣 なら えます。訪 ほう 問 もん する家 いえ や庭 にわ にどんなものが置 お かれているでしょうか。家 いえ の人 ひと はどんなものを身 み に着 つ けているでしょうか。そこから,何 なに かを信 しん 仰 こう していることが分 わ かることがあります。こう言 い えるかもしれません。「何 なに かを信 しん じる気 き 持 も ちって大 たい 切 せつ ですよね。そういう心 こころ をお持 も ちの方 かた にお会 あ いできてよかったです」。そうやってその人 ひと の信 しん 仰 こう 心 しん を褒 ほ めるなら,相 あい 手 て との共 きょう 通 つう 点 てん をベースに話 はなし を進 すす められるかもしれません。家 いえ の人 ひと が宗 しゅう 教 きょう を持 も っているからといって,良 よ い知 し らせを聞 き かないと決 き め付 つ けてはいけません。別 べつ の宗 しゅう 教 きょう を信 しん じていた人 ひと がエホバの証 しょう 人 にん になったケースはたくさんあります。
相 あい 手 て との共 きょう 通 つう 点 てん を探 さが し,それをベースに話 はな す。
「 神 かみ は, 私 わたし たち 一人 ひとり 一人 ひとり から 遠 とお く 離 はな れてはいません」( 使 し 徒 と 17:24-28 )
12. パウロは相 あい 手 て に合 あ わせてどんな工 く 夫 ふう をしましたか。
12 パウロは相 あい 手 て との共 きょう 通 つう 点 てん をベースに話 はな し始 はじ めました。では,その後 ご も相 あい 手 て に合 あ わせて話 はな していったでしょうか。相 あい 手 て はギリシャ哲 てつ 学 がく を学 まな んでいて,聖 せい 書 しょ については知 し らない人 ひと たちでした。そのことを踏 ふ まえて,パウロは3つの工 く 夫 ふう をしました。1つ目 め に,聖 せい 書 しょ から引 いん 用 よう することはせずに,聖 せい 書 しょ の教 おし えを伝 つた えました。2つ目 め に,要 よう 所 しょ 要 よう 所 しょ で「私 わたし たち」と言 い い,聞 き き手 て と同 おな じ視 し 点 てん に立 た って一 いっ 緒 しょ に考 かんが えました。3つ目 め に,自 じ 分 ぶん が教 おし えているのと同 おな じことがギリシャ文 ぶん 学 がく にも出 で てくることを指 し 摘 てき しました。では,パウロの説 せっ 得 とく 力 りょく のある話 はなし を分 ぶん 析 せき してみましょう。アテネの人 ひと たちがまだよく知 し らない神 かみ について,パウロはどんなことを伝 つた えたでしょうか。
13. 宇 う 宙 ちゅう の起 き 源 げん についてパウロはどんなことを話 はな しましたか。パウロが言 い いたかったのはどんなことでしたか。
13 神 かみ は 宇 う 宙 ちゅう の 全 すべ てを 造 つく った。 「世 せ 界 かい とその中 なか の全 すべ ての物 もの を造 つく った神 かみ は,天 てん 地 ち の主 しゅ ですから,人 ひと が造 つく った神 しん 殿 でん などには住 す [みません]」と,パウロは言 い いました。 (使 し 徒 と 17:24 )宇 う 宙 ちゅう は偶 ぐう 然 ぜん に存 そん 在 ざい するようになったわけではありません。全 すべ ての物 もの は神 かみ が造 つく りました。(詩 し 146:6 )アテナなどの神 かみ 々 がみ は,神 しん 殿 でん や礼 れい 拝 はい 堂 どう や祭 さい 壇 だん があって初 はじ めて褒 ほ めたたえられますが,天 てん と地 ち を造 つく った神 かみ は違 ちが います。人 にん 間 げん が建 た てた神 しん 殿 でん で暮 く らすはずがありません。(王 おう 一 いち 8:27 )本 ほん 当 とう の神 かみ は,人 にん 間 げん が建 た てた神 しん 殿 でん にある,人 にん 間 げん が作 つく った偶 ぐう 像 ぞう よりはるかに偉 い 大 だい です。パウロが言 い いたかったのはそういうことでした。(イザ 40:18-26 )
14. 神 かみ は人 にん 間 げん に助 たす けてもらう必 ひつ 要 よう がないことを,パウロはどのように説 せつ 明 めい しましたか。
14 神 かみ は 人 にん 間 げん に 助 たす けてもらう 必 ひつ 要 よう はない。 偶 ぐう 像 ぞう を崇 すう 拝 はい する人 ひと たちは,偶 ぐう 像 ぞう に派 は 手 で な衣 い 装 しょう を着 き せ,高 こう 価 か な供 そな え物 もの をし,食 た べ物 もの や飲 の み物 もの を捧 ささ げました。まるで偶 ぐう 像 ぞう がそういう物 もの を必 ひつ 要 よう としているかのようでした。でも,聞 き いていたギリシャの哲 てつ 学 がく 者 しゃ の中 なか には,神 かみ は人 にん 間 げん に助 たす けてもらう必 ひつ 要 よう はないと考 かんが える人 ひと もいたかもしれません。そういう人 ひと は,「[神 かみ は]人 にん 間 げん に世 せ 話 わ してもらう必 ひつ 要 よう もありません」というパウロの言 こと 葉 ば に同 どう 意 い したはずです。神 かみ は全 すべ ての物 もの を造 つく ったので,人 にん 間 げん から何 なに かをもらう必 ひつ 要 よう がないのは当 とう 然 ぜん です。神 かみ が人 にん 間 げん に「命 いのち と息 いき 」を与 あた えています。太 たい 陽 よう や雨 あめ ,豊 ゆた かな大 だい 地 ち など,人 にん 間 げん が生 い きるのに必 ひつ 要 よう な「全 すべ ての物 もの 」も与 あた えています。(使 し 徒 と 17:25。創 そう 2:7 )人 にん 間 げん が神 かみ に助 たす けてもらう必 ひつ 要 よう があるのであって,神 かみ が人 にん 間 げん に助 たす けてもらう必 ひつ 要 よう はありません。
15. ギリシャ人 じん であることに優 ゆう 越 えつ 感 かん を持 も っていた人 ひと たちに,パウロはどう話 はな しましたか。パウロにどのように倣 なら えますか。
15 神 かみ は 1人 ひとり の 人 ひと から 全 すべ ての 人 ひと を 造 つく った。 アテネのギリシャ人 じん たちは,自 じ 分 ぶん たちがほかの人 じん 種 しゅ より優 すぐ れていると思 おも っていました。でも,聖 せい 書 しょ によれば,国 こく 籍 せき や人 じん 種 しゅ で優 ゆう 越 えつ 感 かん を持 も ってよい理 り 由 ゆう はどこにもありません。(申 しん 10:17 )こういう問 もん 題 だい は感 かん 情 じょう が絡 から みやすい ものです。でも,パウロは上 じょう 手 ず に話 はな します。「[神 かみ は]1人 ひとり の人 ひと から全 すべ ての国 くに の人 ひと を造 つく っ……た」と言 い い,相 あい 手 て に考 かんが えてもらいました。(使 し 徒 と 17:26 )そうやって創 そう 世 せい 記 き に出 で てくるアダムを引 ひ き合 あ いに出 だ し,アダムが全 すべ ての人 にん 間 げん の先 せん 祖 ぞ であることを指 し 摘 てき しました。(創 そう 1:26-28 )人 じん 類 るい がみんな1人 ひとり の人 ひと の子 し 孫 そん であるなら,どの人 じん 種 しゅ や国 こく 籍 せき の人 ひと も,別 べつ の人 じん 種 しゅ や国 こく 籍 せき の人 ひと より優 すぐ れているとは言 い えません。聞 き いていた人 ひと たちは,パウロの言 い いたいことがよく分 わ かったはずです。私 わたし たちもパウロに倣 なら いたいと思 おも います。相 あい 手 て が受 う け入 い れやすいように話 はな しますが,聖 せい 書 しょ の教 おし えをゆがめたり曖 あい 昧 まい にしたりはしません。
16. 神 かみ は人 にん 間 げん にどう生 い きてほしいと思 おも っていますか。
16 神 かみ は 人 にん 間 げん に, 自 じ 分 ぶん のことを 知 し ってもらいたいと 思 おも っている。 アテネの哲 てつ 学 がく 者 しゃ たちは長 なが 年 ねん ,人 にん 間 げん が生 い きる意 い 味 み について議 ぎ 論 ろん していました。でも,答 こた えはなかなか見 み つかりませんでした。そこでパウロは,神 かみ が人 にん 間 げん にどう生 い きてほしいと思 おも っているかを話 はな します。神 かみ が人 にん 間 げん を造 つく ったのは,「人 ひと 々 びと が神 かみ を知 し ろうとするため」,「神 かみ を探 さが し求 もと めて本 ほん 当 とう に見 み つけるため」です。「実 じつ のところ神 かみ は,私 わたし たち一人 ひとり 一人 ひとり から遠 とお く離 はな れてはいません」。(使 し 徒 と 17:27 )アテネの人 ひと たちが崇 すう 拝 はい していた「知 し られていない神 かみ 」は,知 し ることのできない神 かみ では決 けっ してありません。本 ほん 当 とう に知 し りたいと思 おも ってよく学 まな べば,必 かなら ず知 し ることができます。(詩 し 145:18 )パウロは「私 わたし たち」と言 い いました。自 じ 分 ぶん も「神 かみ を知 し ろうと」し,「神 かみ を探 さが し求 もと め」なければいけない,ということを伝 つた えたかったのです。
17,18. 人 にん 間 げん は神 かみ と親 した しくなれるとどうしていえますか。パウロの教 おし え方 かた からどんなことを学 まな べますか。
17 人 にん 間 げん は 神 かみ と 親 した しくなれる。 「私 わたし たちは神 かみ によって命 いのち を持 も ち,動 うご き,存 そん 在 ざい しています」と パウロは言 い いました。ここでパウロはエピメニデスの言 こと 葉 ば にそれとなく触 ふ れていた,と言 い う学 がく 者 しゃ もいます。エピメニデスは紀 き 元 げん 前 ぜん 6世 せい 紀 き のクレタの詩 し 人 じん で,「アテネの宗 しゅう 教 きょう 的 てき な伝 でん 統 とう における重 じゅう 要 よう 人 じん 物 ぶつ 」でした。パウロは,人 にん 間 げん は神 かみ と親 した しくなれるということを分 わ かってもらうため,さらにこう言 い います。「皆 みな さんの詩 し 人 じん の中 なか にも,『われわれもその子 こ 供 ども である』と言 い っている人 ひと たちがいます」。(使 し 徒 と 17:28 )神 かみ は1人 ひとり の人 ひと を造 つく り,人 にん 間 げん はみんなその人 ひと の子 し 孫 そん なので,人 にん 間 げん は誰 だれ もが神 かみ の子 こ 供 ども といえます。そのことを納 なっ 得 とく してもらえるよう,パウロはギリシャの詩 し 人 じん の言 こと 葉 ば を引 いん 用 よう しました。それは当 とう 時 じ の人 ひと たちに評 ひょう 価 か されていた詩 し だったと思 おも われます。 パウロのように,私 わたし たちも時 とき には,歴 れき 史 し 書 しょ や百 ひゃっ 科 か 事 じ 典 てん など権 けん 威 い のある文 ぶん 献 けん から引 いん 用 よう することができます。例 たと えば,間 ま 違 ちが った宗 しゅう 教 きょう 的 てき な習 しゅう 慣 かん や祝 いわ いの起 き 源 げん について,そういう資 し 料 りょう を使 つか って説 せつ 明 めい できるかもしれません。
18 このようにしてパウロは,聞 き き手 て に合 あ わせて言 こと 葉 ば を選 えら びながら,神 かみ について大 だい 事 じ なことを伝 つた えました。では,それを知 し った上 うえ でどうすることが大 たい 切 せつ でしょうか。パウロは次 つぎ にそのことを話 はな します。
「あらゆる 場 ば 所 しょ の 全 すべ ての 人 ひと 」が「 悔 く い 改 あらた めるべき」( 使 し 徒 と 17:29-31 )
19,20. (ア)偶 ぐう 像 ぞう を崇 すう 拝 はい するのは愚 おろ かだということを,パウロはどのように説 せつ 明 めい しましたか。(イ)アテネの人 ひと たちは何 なに をしなければいけませんでしたか。
19 アテネの人 ひと たちにはしなければいけないことがあります。パウロはそれを伝 つた えるに当 あ たり,ギリシャの詩 し に再 ふたた び触 ふ れてこう言 い います。「従 したが って,私 わたし たちは神 かみ の子 こ 供 ども なのですから,神 かみ のことを金 きん や銀 ぎん や石 いし のように,人 にん 間 げん が考 かんが え出 だ して作 つく った彫 ちょう 刻 こく のように考 かんが えるべきではありません」。(使 し 徒 と 17:29 )人 にん 間 げん は神 かみ に造 つく られました。偶 ぐう 像 ぞう は人 にん 間 げん に作 つく られた物 もの です。神 かみ が人 にん 間 げん を造 つく ったのに,その神 かみ が人 にん 間 げん の作 つく った偶 ぐう 像 ぞう になるとしたら,とてもおかしなことです。偶 ぐう 像 ぞう を崇 すう 拝 はい するのがいかに愚 おろ かなことか,パウロは上 じょう 手 ず に説 せつ 明 めい しました。(詩 し 115:4-8。イザ 44:9-20 )パウロは「 私 わたし たちは ……べきではありません」と言 い っています。相 あい 手 て を批 ひ 判 はん しているような印 いん 象 しょう を与 あた えないためにそう言 い ったのでしょう。
20 何 なに をしなければいけないか,パウロははっきり言 い います。「神 かみ はそうした無 む 知 ち [偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい は神 かみ に喜 よろこ ばれると思 おも い込 こ むという無 む 知 ち ]の時 じ 代 だい を見 み 過 す ごしてきましたが,今 いま では,悔 く い改 あらた めるべきことをあらゆる場 ば 所 しょ の全 すべ ての人 ひと に告 つ げています」。(使 し 徒 と 17:30 )アテネの人 ひと たちは,悔 く い改 あらた めなさいと言 い われ,ショックを受 う けたかもしれません。でも,パウロがすでに指 し 摘 てき したように,命 いのち は神 かみ が与 あた えてくれたものなので,その神 かみ を無 む 視 し して生 い きるのは良 よ くありません。神 かみ を知 し ろうとし,神 かみ について本 ほん 当 とう のことを学 まな び,神 かみ の考 かんが えに合 あ っ た生 い き方 かた をすることが大 たい 切 せつ です。アテネの人 ひと たちは,偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい が神 かみ に喜 よろこ ばれないことを認 みと め,やめなければいけませんでした。
21,22. パウロは最 さい 後 ご にどんなことを言 い いましたか。パウロは私 わたし たちにとっても大 だい 事 じ なことを話 はな していた,といえるのはどうしてですか。
21 パウロは最 さい 後 ご にこう言 い います。「[神 かみ は]自 じ 分 ぶん が任 にん 命 めい した者 もの によって世 せ 界 かい を公 こう 正 せい に裁 さば くために日 ひ を定 さだ めたからです。そして,その者 もの を復 ふっ 活 かつ させて全 すべ ての人 ひと に保 ほ 証 しょう を与 あた えました」。(使 し 徒 と 17:31 )裁 さば きの日 ひ が来 き ます。そのことを考 かんが えると,今 いま のうちに神 かみ を知 し ることが大 たい 切 せつ です。パウロは,神 かみ が裁 さば きのために「任 にん 命 めい した者 もの 」の名 な 前 まえ を挙 あ げていません。その代 か わりに,神 かみ が「復 ふっ 活 かつ させ」た方 かた であることに注 ちゅう 目 もく させています。
22 パウロが最 さい 後 ご に話 はな したことは,私 わたし たちにとっても大 だい 事 じ なことです。私 わたし たちは,神 かみ が裁 さば きのために任 にん 命 めい したのはイエス・キリストであることを知 し っています。(ヨハ 5:22 )裁 さば きの日 ひ が1000年 ねん 間 かん にわたること,その時 とき が近 ちか いことも知 し っています。(啓 けい 20:4,6 )私 わたし たちは裁 さば きの日 ひ を恐 おそ れていません。裁 さば きの結 けっ 果 か ,イエスから良 よ いと認 みと められる人 ひと たちには,この上 うえ なく幸 しあわ せな毎 まい 日 にち が待 ま っています。その輝 かがや かしい未 み 来 らい が必 かなら ずやって来 く ると確 かく 信 しん できます。神 かみ はそのことを保 ほ 証 しょう するために,イエス・キリストを復 ふっ 活 かつ させるという素 す 晴 ば らしい奇 き 跡 せき を起 お こしたからです。
23. パウロの話 はなし を聞 き いた人 ひと たちはどんな反 はん 応 のう をしましたか。
23 パウロの話 はなし を聞 き いた人 ひと の反 はん 応 のう はさまざまでした。復 ふっ 活 かつ について聞 き き,「あざ笑 わら い始 はじ める」人 ひと もいれば,やんわりと「その話 はなし はまた聞 き こう」と言 い って聞 き き流 なが す人 ひと もいました。(使 し 徒 と 17:32 )でも,心 こころ を動 うご かされた人 ひと たちもいました。「パウロに加 くわ わって信 しん 者 じゃ となった人 ひと もいた。アレオパゴス裁 さい 判 ばん 所 しょ の裁 さい 判 ばん 官 かん デオヌシオ,ダマリスという女 じょ 性 せい などである」と書 か かれています。(使 し 徒 と 17:34 )私 わたし たちも宣 せん 教 きょう で同 おな じような経 けい 験 けん をします。厳 きび しい言 こと 葉 ば を浴 あ びせられることもあれば,丁 てい 重 ちょう に断 ことわ られることもあります。でも,うれしいことに,神 かみ の王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせを聞 き いて,クリスチャンになる人 ひと もいます。
24. パウロの話 はなし からどんなことを学 まな べますか。
24 パウロの話 はなし から,論 ろん 理 り 的 てき に話 はな すこと,納 なっ 得 とく できるよう分 わ かりやすく教 おし えること,相 あい 手 て に合 あ わせて言 こと 葉 ば を選 えら ぶことの大 たい 切 せつ さを学 まな べます。相 あい 手 て が間 ま 違 ちが った教 おし えを信 しん じている場 ば 合 あい には,いらいらせずに,工 く 夫 ふう しながらじっくり説 せつ 明 めい することが必 ひつ 要 よう です。また,ただ相 あい 手 て に受 う け入 い れてもらうために聖 せい 書 しょ の教 おし えをゆがめたりはしません。パウロに見 み 習 なら えば,宣 せん 教 きょう で上 じょう 手 ず に教 おし えられるようになります。監 かん 督 とく たちも会 かい 衆 しゅう で心 こころ に響 ひび く教 おし え方 かた ができるようになります。そのようにして,「神 かみ を知 し ろうと[し],神 かみ を探 さが し求 もと めて本 ほん 当 とう に見 み つけ」られるよう,多 おお くの人 ひと を助 たす けていきましょう。(使 し 徒 と 17:27 )