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エホバの清い崇拝 ついに回復される!
清 第8章 84–94ページ
羊飼いが荒野で羊の群れを導いている。

第8章

「1人ひとりの牧ぼく者しゃを立たて」る

エゼキエル 34:23

ポイント: メシアに関かんする4つの預よ言げんがどのようにイエス・キリストに実じつ現げんするか

1-3. エゼキエルが暗くらい気き持もちになっていたのはなぜですか。エゼキエルは神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれて何なにを記しるしましたか。

エゼキエルが捕ほ囚しゅうにされてから,もう6年ねん目めになります。a エゼキエルは,何なん百びゃっキロも離はなれた愛あいする故こ国こくユダで嘆なげかわしい統とう治ちが行おこなわれていることを思おもい,暗くらい気き持もちになっています。これまで王おうが何なん度どか変かわるのを見みてきました。

2 エゼキエルが生うまれたのは,忠ちゅう実じつな王おうヨシヤの統とう治ちの半なかばごろでした。エゼキエルは,ヨシヤが彫ちょう像ぞうを打うち壊こわし,ユダに清きよい崇すう拝はいを回かい復ふくさせるために大だい々だい的てきな運うん動どうを行おこなったことを知しって,胸むねを躍おどらせたに違ちがいありません。(代だい二に 34:1-8)しかし,ヨシヤによる改かい革かくの成せい果かは長なが続つづきしませんでした。後のちの王おうたちのほとんどが偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを行おこなったからです。当とう然ぜんながら,そのような悪わるい王おうたちの統とう治ち下かにあったユダは,崇すう拝はいと道どう徳とくの両りょう面めんで腐ふ敗はいの泥どろ沼ぬまにはまり込こんでいきました。では,希き望ぼうはなくなってしまったのでしょうか。決けっしてそうではありません。

3 エホバはご自じ分ぶんの忠ちゅう実じつな預よ言げん者しゃを聖せいなる力ちからによって導みちびき,将しょう来らいの統とう治ち者しゃまた牧ぼく者しゃであるメシアに関かんする預よ言げんをまず1つ記しるさせます。そして,さらに3つの預よ言げんを通とおして,メシアが清きよい崇すう拝はいを恒こう久きゅう的てきに回かい復ふくさせ,エホバの羊ひつじを優やさしく世せ話わすることを示しめします。それらの預よ言げんを注ちゅう意い深ぶかく調しらべるのは良よいことです。その実じつ現げんは,私わたしたちの永えい遠えんの将しょう来らいに影えい響きょうを及およぼすからです。では,エゼキエル書しょにある,メシアに関かんする4つの預よ言げんを見みてみましょう。

「柔やわらかい若わか枝えだ」が「立りっ派ぱな杉すぎの木き」になる

4. エゼキエルはどんな預よ言げんを語かたりましたか。エホバは預よ言げんの冒ぼう頭とうでどんなことを指し示じしましたか。

4 紀き元げん前ぜん612年ねんごろ,エホバから「語かたり掛かけ」られたエゼキエルは,1つの預よ言げんを述のべます。メシアの統とう治ちが及およぶ範はん囲いと,メシアの王おう国こくを信しん頼らいする必ひつ要よう性せいを示しめす預よ言げんです。エホバはその預よ言げんの冒ぼう頭とうで謎なぞを掛かけるようエゼキエルに指し示じし,捕ほ囚しゅうにされている同どう胞ほうたちに伝つたえさせます。その預よ言げん的てきな謎なぞは,ユダの支し配はい者しゃたちの不ふ忠ちゅう実じつさを示しめし,正ただしい統とう治ちを行おこなうメシアである王おうが必ひつ要ようだということを強きょう調ちょうするものでした。(エゼ 17:1,2)

5. 謎なぞの内ない容ようはどのようなものですか。

5 エゼキエル 17:3-10を読よむ。謎なぞの内ない容ようは次つぎの通とおりです。「大おおきなワシ」が杉すぎの木きの一いち番ばん上うえの若わか枝えだを取とり,「商しょう人にんの町まち」に置おきます。それからワシは「その土と地ちの種たねをいくらか」取とり,「豊ゆたかな水みずのほとり」にある肥こえた畑はたけにまきます。種たねは成せい長ちょうし,「生おい茂しげるブドウの木き」になります。次ついで,別べつの「大おおきなワシ」が現あらわれます。ブドウの木きはこの2番ばん目めのワシに「向むかってどんどん根ねを伸のばし」,水みずが豊ゆたかにある別べつの場ば所しょに植うえ替かえてもらおうとします。エホバはブドウの木きの行こう動どうをとがめ,木きは根ねが引ひき抜ぬかれて「完かん全ぜんに枯かれてしまう」ことになると言いいます。

ワシが杉の木の若枝を運んでいる。

最さい初しょの大おおきなワシはバビロンのネブカドネザル王おうを表あらわしていた。(6節せつを参さん照しょう)

6. この謎なぞにはどんな意い味みがありますか。

6 この謎なぞにはどんな意い味みがあるのでしょうか。(エゼキエル 17:11-15を読よむ。)紀き元げん前ぜん617年ねん,バビロンのネブカドネザル王おう(最さい初しょの「大おおきなワシ」)が,エルサレムを包ほう囲いします。そしてユダのエホヤキン王おう(「一いち番ばん上うえの若わか枝えだ」)を王おう座ざから取とり除のぞき,バビロン(「商しょう人にんの町まち」)に連つれていきます。ネブカドネザルはゼデキヤ(「その土と地ちの種たね」の1つ,つまり王おう家けの子し孫そんの1人ひとり)をエルサレムの王おう座ざに就つけます。ユダのこの新あたらしい王おうは,ネブカドネザルに服ふく従じゅうすることを神かみの名なに懸かけて誓ちかわされます。(代だい二に 36:13)ところが,ゼデキヤはその誓ちかいを破やぶります。バビロンに反はん逆ぎゃくし,エジプトのファラオ(2番ばん目めの「大おおきなワシ」)に軍ぐん事じ的てきな支し援えんを求もとめますが,無む駄だに終おわります。エホバは,誓ちかいを破やぶったゼデキヤの不ふ忠ちゅう実じつな行こう動どうをとがめます。(エゼ 17:16-21)最さい終しゅう的てきにゼデキヤは退たい位いさせられ,バビロンの牢ろう屋やで死しにます。(エレ 52:6-11)

7. この預よ言げん的てきな謎なぞからどんな教きょう訓くんを学まなべますか。

7 この預よ言げん的てきな謎なぞからどんな教きょう訓くんを学まなべるでしょうか。まず,清きよい崇すう拝はいを行おこなう人ひとは自じ分ぶんが言いったことを守まもらなければならない,ということです。イエスは,「『はい』は,はいを,『いいえ』は,いいえを意い味みするようにしなさい」と言いいました。(マタ 5:37)例たとえば法ほう廷ていで証しょう言げんする場ば合あいのように,真しん実じつを語かたることを宣せん誓せいする必ひつ要ようがあるなら,その誓ちかいを誠せい実じつに守まもらなければなりません。もう1つ学まなべるのは,信しん頼らいの置おき所どころを間ま違ちがえてはならない,ということです。聖せい書しょはこう警けい告こくしています。「権けん力りょく者しゃにも人ひとの子こにも頼たよってはならない。その人ひとたちには救すくう力ちからがない」。(詩し 146:3)

大きな杉の木の周りを鳥が何羽も飛んでいる。

囲かこみ 8A: メシアに関かんする預よ言げん 立りっ派ぱな杉すぎの木き

8-10. エホバは将しょう来らいの統とう治ち者しゃであるメシアをどのように描びょう写しゃしましたか。その預よ言げんはどのように実じつ現げんしますか。(「メシアに関かんする預よ言げん 立りっ派ぱな杉すぎの木き」という囲かこみも参さん照しょう。)

8 私わたしたちが全ぜん面めん的てきに信しん頼らいできるのは,将しょう来らいの統とう治ち者しゃであるメシアです。エホバは,植うえ替かえられた若わか枝えだに関かんする預よ言げん的てきな謎なぞについて語かたった後あと,同どう様ようの詩し的てき表ひょう現げんを使つかって,メシアを描びょう写しゃしています。

9 預よ言げんの内ない容よう。(エゼキエル 17:22-24を読よむ。)このたびは大おおきなワシではなく,エホバご自じ身しんが行こう動どうします。「高たかい杉すぎの木きの頂いただきから」柔やわらかい若わか枝えだを取とり,「高こう大だいな山やまの上うえに植うえ」ます。その若わか枝えだは成せい長ちょうして「立りっ派ぱな杉すぎの木き」になり,「あらゆる種しゅ類るいの鳥とり」がその木きにすみます。そして「野のの全すべての木き」は,この立りっ派ぱな木きを成せい長ちょうさせたのがエホバであることを知しります。

10 預よ言げんの実じつ現げん。エホバはご自じ分ぶんの子こであるイエス・キリストをダビデの王おう統とう(「高たかい杉すぎの木き」)から取とり,天てんのシオンの山やま(「高こう大だいな山やま」)の上うえに植うえました。(詩し 2:6。エレ 23:5。啓けい 14:1)そのようにして,敵てきから「最もっとも立たち場ばの低ひくい人ひと」と見みなされていた子こに「父ちちダビデの王おう座ざ」を与あたえ,高たかい立たち場ばに就つけました。(ダニ 4:17。ルカ 1:32,33)メシアである王おうイエス・キリストは,立りっ派ぱな杉すぎの木きのように,いわば地ち球きゅう全ぜん体たいの上うえにそびえ立たち,全すべての民たみに祝しゅく福ふくをもたらします。まさに私わたしたちが信しん頼らいを置おくのにふさわしい統とう治ち者しゃです。イエスの王おう国こくの統とう治ち下かで,従じゅう順じゅんな人ひとたちは全ぜん世せ界かいで「安あん心しんして暮くらし,災わざわいを恐おそれて動どう揺ようすることはない」のです。(格かく 1:33)

11. 「柔やわらかい若わか枝えだ」が「立りっ派ぱな杉すぎの木き」になるという預よ言げんから,どんな重じゅう要ような教きょう訓くんを学まなべますか。

11 学まなべること。「柔やわらかい若わか枝えだ」が「立りっ派ぱな杉すぎの木き」になるという感かん動どう的てきな預よ言げんから,誰だれに信しん頼らいを置おくべきかという極きわめて重じゅう要ような質しつ問もんの答こたえが得えられます。人にん間げんの政せい府ふや軍ぐん事じ力りょくを信しん頼らいするのは愚おろかなことです。賢けん明めいなのは,本ほん当とうの安あん心しん感かんを得えるために,メシアである王おうイエス・キリストを全ぜん面めん的てきに信しん頼らいすることです。非ひ常じょうに有ゆう能のうなイエスの手しゅ中ちゅうにある天てんの政せい府ふは,人じん類るいにとって唯ゆい一いつの希き望ぼうです。(啓けい 11:15)

「法ほう的てき権けん利りを持もつ者もの」

メシアに関する預言を表す,色付きのライン

囲かこみ 8B: メシアに関かんする3つの預よ言げん

12. エホバは,ダビデと結むすんだ契けい約やくを破は棄きしていないことをどのように明あきらかにしましたか。

12 2羽わのワシに関かんする預よ言げん的てきな謎なぞについて神かみから説せつ明めいされたエゼキエルは,ダビデの王おう統とうの不ふ忠ちゅう実じつな王おうゼデキヤが退たい位いさせられ,捕ほ虜りょとしてバビロンに連つれていかれる,ということを理り解かいしました。エゼキエルはこう考かんがえたかもしれません。「神かみがダビデと結むすんだ契けい約やくはどうなるのだろう? ダビデの家か系けいから出でる王おうが永えい遠えんに統とう治ちすると約やく束そくされていたが」。(サム二に 7:12,16)エゼキエルがこのような疑ぎ問もんを持もったとしても,答こたえを得えるまで長ながくはかかりませんでした。捕ほ囚しゅうにされて7年ねん目めの紀き元げん前ぜん611年ねんごろ,まだゼデキヤがユダを治おさめていた時ときに,「エホバが[エゼキエル]に語かたり掛かけ」たからです。(エゼ 20:2)エホバはエゼキエルに,メシアに関かんする別べつの預よ言げんを語かたらせます。その預よ言げんは,神かみがダビデと結むすんだ契けい約やくを破は棄きしていないことを明あきらかにしただけでなく,将しょう来らいの統とう治ち者しゃであるメシアがダビデの後こう継けい者しゃとして治おさめる法ほう的てき権けん利りを持もつことを示しめしました。

13,14. エゼキエル 21章しょう25-27節せつの預よ言げんはどういう内ない容ようですか。どのように実じつ現げんしましたか。

13 預よ言げんの内ない容よう。(エゼキエル 21:25-27を読よむ。)エホバはエゼキエルを通とおして,「イスラエルの邪じゃ悪あくな長ちょう」に対たいし,処しょ罰ばつの時ときが来きたことを率そっ直ちょくに告つげます。エホバの宣せん告こくによると,この邪じゃ悪あくな支し配はい者しゃは王おう権けんの象しょう徴ちょうである「ターバン」と「冠かんむり」を奪うばわれることになります。そして,「立たち場ばが低ひくい」政せい治じ勢せい力りょくが高たかくされ,「高たかい」ものが低ひくくされます。高たかくされた政せい治じ勢せい力りょくはしばらく支し配はいしますが,それも「法ほう的てき権けん利りを持もつ者ものが来くる」までのことで,エホバはその者ものに王おう国こくを与あたえます。

14 預よ言げんの実じつ現げん。紀き元げん前ぜん607年ねん,バビロニアがエルサレムを滅ほろぼし,ゼデキヤ王おうを退たい位いさせて捕ほ虜りょにしたことにより,エルサレムを中ちゅう心しんとする「高たかい」ユダ王おう国こくは低ひくくされました。その後ご,ダビデの王おう統とうの王おうがエルサレムで統とう治ちしなくなったため,「低ひくい」異い邦ほう人じん勢せい力りょくが高たかくされ,世せ界かいを支し配はいするようになりました。とはいえ,その支し配はいは一いち時じ的てきなものでした。異い邦ほう人じんの時とき,つまり「異い国こくの人ひと々びとの定さだめられた時とき」は,エホバがイエス・キリストに王おう権けんを与あたえた1914年ねんに終おわりました。(ルカ 21:24)ダビデ王おうの子し孫そんであるイエスには,確たしかにメシア王おう国こくの王おうとなる「法ほう的てき権けん利り」がありました。b(創そう 49:10)それでエホバは,イエスを王おうにすることによって,永えい続ぞくする王おう国こくの恒こう久きゅう的てきな後こう継けい者しゃをダビデに与あたえるという厳げん粛しゅくな約やく束そくを果はたしました。(ルカ 1:32,33)

王イエス。王冠をかぶり,王笏を持っている。

イエスは,神かみの王おう国こくの王おうとなる法ほう的てき権けん利りを持もっている。(15節せつを参さん照しょう)

15. 王おうであるイエス・キリストを完かん全ぜんに信しん頼らいできるのはなぜですか。

15 学まなべること。私わたしたちは,王おうであるイエス・キリストを完かん全ぜんに信しん頼らいできます。なぜでしょうか。世よの中なかの支し配はい者しゃが選せん挙きょで選えらばれたり,他たの人ひとから権けん力りょくを奪うばい取とったりするのに対たいし,イエスはエホバに選えらばれ,法ほう的てき権けん利りを持もつ者ものとして「王おう国こく[を]与あたえられ」たからです。(ダニ 7:13,14)エホバご自じ身しんによって任にん命めいされた王おうですから,確たしかに私わたしたちが信しん頼らいを置おくのにふさわしい方かたです。

「私わたしに仕つかえるダビデ」が「彼かれらの牧ぼく者しゃとなる」

16. エホバはご自じ分ぶんの羊ひつじのことをどう思おもっていますか。エゼキエルの時じ代だいの「イスラエルの牧ぼく者しゃたち」は羊ひつじの群むれをどのように扱あつかいましたか。

16 至し高こうの牧ぼく者しゃであるエホバは,ご自じ分ぶんの羊ひつじつまり地ち上じょうの崇すう拝はい者しゃたちのことを大たい切せつに思おもっています。(詩し 100:3)羊ひつじの世せ話わを,ご自じ分ぶんの下もとで牧ぼく者しゃとして働はたらく人にん間げんに委ゆだねる場ば合あい,その立たち場ばにある人ひとたちが羊ひつじをどのように扱あつかうかによく注ちゅう意いを払はらいます。では,エゼキエルの時じ代だいの「イスラエルの牧ぼく者しゃたち」について,エホバはどう思おもったでしょうか。当とう時じの指し導どう者しゃたちは,恥はじ知しらずにも羊ひつじを「厳きびしく手て荒あらに」従したがわせました。その結けっ果か,羊ひつじの群むれは苦くるしみ,清きよい崇すう拝はいを捨すてた人ひとたちも少すくなくありませんでした。(エゼ 34:1-6)

17. エホバはどのようにご自じ分ぶんの羊ひつじを救すくい出だしましたか。

17 エホバはどうするでしょうか。イスラエルの厳きびしく手て荒あらな指し導どう者しゃたちに対たいして「責せき任にんを問とう」と言いい,「私わたしの羊ひつじを救すくい出だ[す]」と約やく束そくしました。(エゼ 34:10)エホバは必かならずご自じ分ぶんの言こと葉ば通どおりにする方かたです。(ヨシュ 21:45)紀き元げん前ぜん607年ねん,侵しん略りゃくしてきたバビロニア人じんを使つかって利り己こ的てきな牧ぼく者しゃたちの権けん威いを奪うばうことにより,ご自じ分ぶんの羊ひつじを救すくい出だしました。そしてその70年ねん後ご,ご自じ分ぶんの羊ひつじのような崇すう拝はい者しゃたちをバビロンから救すくい出だして故こ国こくに帰き還かんさせ,彼かれらが正ただしい崇すう拝はいを回かい復ふくできるようにしました。しかし,エホバの羊ひつじは弱よわい立たち場ばのままでした。引ひき続つづき他たの強きょう国こくの支し配はい下かに置おかれていたからです。「異い国こくの人ひと々びとの定さだめられた時とき」はさらに2000年ねん以い上じょう続つづくことになっていました。(ルカ 21:24)

18,19. 紀き元げん前ぜん606年ねんにエゼキエルはどんな預よ言げんを語かたりましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

18 紀き元げん前ぜん606年ねんに戻もどりましょう。エルサレムの滅ほろびの約やく1年ねん後ご,イスラエル人じんがバビロン捕ほ囚しゅうから救きゅう出しゅつされる70年ねんほど前まえのことです。エホバはエゼキエルを聖せいなる力ちからによって導みちびき,預よ言げんを語かたらせました。その預よ言げんは,至し高こうの牧ぼく者しゃがご自じ分ぶんの羊ひつじの永えい遠えんの幸こう福ふくをどれほど深ふかく気きに掛かけているかを示しめし,統とう治ち者しゃとなるメシアがエホバの羊ひつじをどのように世せ話わするかを描びょう写しゃするものでした。

19 預よ言げんの内ない容よう。(エゼキエル 34:22-24を読よむ。)神かみは「1人ひとりの牧ぼく者しゃを立たて」,その者ものを「私わたしに仕つかえるダビデ」と呼よびます。「1人ひとりの牧ぼく者しゃ」と言いわれていることから,再ふたたびダビデの家か系けいの王おうが何なん代だいにもわたって治おさめるようになるのではなく,1人ひとりの統とう治ち者しゃがダビデの恒こう久きゅう的てきな後こう継けい者しゃとなることが分わかります。牧ぼく者しゃであり統とう治ち者しゃでもあるその後こう継けい者しゃは,神かみの羊ひつじを養やしない,「彼かれらの長ちょう」となります。エホバはご自じ分ぶんの羊ひつじである人ひと々びとと「平へい和わの契けい約やくを結むすび」ます。「祝しゅく福ふくが雨あめのように降ふり注そそ」ぎ,その人ひとたちは喜よろこばしい状じょう態たいを味あじわいます。安あん全ぜんで非ひ常じょうに豊ゆたかな暮くらしを楽たのしむのです。人にん間げん同どう士しだけでなく,人にん間げんと動どう物ぶつの間あいだにも平へい和わが行いき渡わたります。(エゼ 34:25-28)

羊飼いが荒野で羊の群れを導いている。

20,21. (ア)「私わたしに仕つかえるダビデ」についての預よ言げんはどのように実じつ現げんしていますか。(イ)「平へい和わの契けい約やく」に関かんするエゼキエルの言こと葉ばは,将しょう来らいにはどのように実じつ現げんしますか。

20 預よ言げんの実じつ現げん。神かみはこの統とう治ち者しゃを「私わたしに仕つかえるダビデ」と呼よぶことにより,これがイエスであることを預よ言げん的てきに示しめしていました。イエスはダビデの子し孫そんで,統とう治ちする法ほう的てき権けん利りを持もっていたからです。(詩し 89:35,36)イエスは地ち上じょうにいる間あいだ,自じ分ぶんが「立りっ派ぱな羊ひつじ飼かい」であることを証しょう明めいし,「羊ひつじのために」自じ分ぶんの命いのちを差さし出だすことさえしました。(ヨハ 10:14,15)そして今いまでは天てんで牧ぼく者しゃとして仕つかえています。(ヘブ 13:20)1914年ねん,神かみはイエスを王おうとし,神かみの地ち上じょうの羊ひつじを世せ話わして養やしなう責せき任にんを与あたえました。それから程ほどなくして,1919年ねんに,その新あたらしい王おうは「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を任にん命めいし,「召めし使つかいたち」を養やしなわせるようにしました。「召めし使つかいたち」とは,天てんもしくは地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ,神かみに尽つくす崇すう拝はい者しゃたちのことです。(マタ 24:45-47)忠ちゅう実じつな奴ど隷れいは,イエスの指し導どうの下もと,神かみの羊ひつじを神かみからの教おしえという食しょく物もつで十じゅう分ぶんに養やしなってきました。その食しょく物もつにより,今いまも発はっ展てんしている比ひ喩ゆ的てきなパラダイスの中なかで人ひと々びとが平へい和わや安あん心しん感かんを味あじわえるようにしてきたのです。

21 「平へい和わの契けい約やく」や「祝しゅく福ふくが雨あめのように降ふり注そそぐ」ことに関かんするエゼキエルの言こと葉ばは,将しょう来らいにはどのように実じつ現げんするのでしょうか。やがて来くる新あたらしい世せ界かいで,エホバへの清きよい崇すう拝はいを地ち上じょうで行おこなう人ひとたちは,「平へい和わの契けい約やく」による祝しゅく福ふくを最さい大だい限げんに味あじわうことになります。地ち球きゅう全ぜん体たいを包ほう含がんする文も字じ通どおりのパラダイスで,忠ちゅう実じつな人ひとたちが,戦せん争そう,犯はん罪ざい,飢き饉きん,病びょう気き,野や生せい動どう物ぶつなどに苦くるしめられることは二に度どとありません。(イザ 11:6-9; 35:5,6; 65:21-23)パラダイスとなった地ち上じょうで永えい遠えんに生いきられるというのは,本ほん当とうにわくわくする見み込こみではないでしょうか。神かみの羊ひつじはそこで「安やすらかに暮くらして,誰だれにも脅おびやかされない」のです。(エゼ 34:28)

羊飼いが大きな岩の上に立ち,羊の群れを見守っている。

天てんで牧ぼく者しゃとして仕つかえているイエスは,神かみの羊ひつじがどのように扱あつかわれるかを見み守まもっている。(22節せつを参さん照しょう)

22. イエスは羊ひつじのことをどう思おもっていますか。イエスの下もとで牧ぼく者しゃとして働はたらく人ひとたちは,イエスと同おなじように思おもっていることをどのように示しめせますか。

22 学まなべること。イエスは天てんの父ちちと同おなじように,羊ひつじのことを大たい切せつに思おもっています。この牧ぼく者しゃである王おうは,天てんの父ちちの羊ひつじが必かならず十じゅう分ぶんに養やしなわれ,比ひ喩ゆ的てきなパラダイスで平へい和わと安あん心しん感かんを味あじわえるようにします。そのような統とう治ち者しゃの世せ話わを受うけられるというのは,本ほん当とうに心こころ強づよいことです。イエスの下もとで牧ぼく者しゃとして働はたらく人ひとたちも,イエスと同おなじように羊ひつじを気きに掛かける必ひつ要ようがあります。長ちょう老ろうたちは「進すすんで」,「真しん剣けんな態たい度どで」羊ひつじの群むれを世せ話わし,羊ひつじが倣ならえるような模も範はんとならなければなりません。(ペテ一いち 5:2,3)決けっしてエホバの羊ひつじを不ふ当とうに扱あつかうことはしません。エゼキエルの時じ代だいのイスラエルにいた,厳きびしく手て荒あらな牧ぼく者しゃたちにエホバが語かたった,「私わたしは……責せき任にんを問とう」という言こと葉ばを覚おぼえておきましょう。(エゼ 34:10)至し高こうの牧ぼく者しゃも,その方かたの子こも,羊ひつじがどのように扱あつかわれるかを注ちゅう意い深ぶかく見み守まもっています。

「私わたしに仕つかえるダビデが永えい遠えんに彼かれらの長ちょうとなる」

23. エホバはイスラエル国こく民みんを1つにすることについてどんな約やく束そくをしましたか。その約やく束そくをどのように果はたしましたか。

23 エホバは,ご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちが一いっ致ちして仕つかえることを望のぞんでいます。回かい復ふくに関かんする預よ言げんの中なかで,ご自じ分ぶんの民たみを集あつめることを約やく束そくしました。ユダの2部ぶ族ぞく王おう国こくとイスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくの両りょう方ほうの人ひとたちを集あつめ,再ふたたび「1つの国こく民みん」とするのです。あたかも2本ほんの「棒ぼう」がご自じ分ぶんの手ての中なかで「1つになる」かのようです。(エゼ 37:15-23)この預よ言げんが実じつ現げんするよう,神かみは紀き元げん前ぜん537年ねんにイスラエル国こく民みんを1つにし,民たみが再ふたたび約やく束そくの地ちで暮くらせるようにしました。c しかし,その一いっ致ちは,やがて生しょうじる,はるかに大だい規き模ぼで長なが続つづきする一いっ致ちの前まえ触ぶれにすぎませんでした。エホバはイスラエルを1つにすると約やく束そくした後あとに,エゼキエルに預よ言げんを語かたらせ,将しょう来らいの統とう治ち者しゃが地ち上じょうで正ただしい崇すう拝はいを行おこなう人ひと全すべてを永えい続ぞくする一いっ致ちの絆きずなで結むすぶことを示しめしました。

24. エホバは統とう治ち者しゃとなるメシアを何なんと呼よんでいますか。この王おうはどのような統とう治ちを行おこないますか。

24 預よ言げんの内ない容よう。(エゼキエル 37:24-28を読よむ。)エホバはここでも,統とう治ち者しゃとなるメシアを「私わたしに仕つかえるダビデ」,「1人ひとりの牧ぼく者しゃ」,また「長ちょう」と呼よんでいますが,さらに,この約やく束そくされていた者ものを「王おう」とも呼よんでいます。(エゼ 37:22)この王おうはどのような統とう治ちを行おこなうのでしょうか。その統とう治ちは永えい続ぞくします。「永えい遠えんに」という表ひょう現げんが使つかわれていることから,この王おうの統とう治ちがもたらす祝しゅく福ふくに終おわりはないことが分わかります。d その統とう治ちは一いっ致ちを特とく色しょくとします。「1人ひとりの王おう」の下もとで,忠ちゅう実じつな民たみは皆みな同おなじ「法ほう規き」に従したがい,一いっ緒しょに「土と地ちに住すむ」ことになります。その統とう治ちにより,民たみはいっそうエホバ神かみに近ちかづきます。エホバはその民たみと「平へい和わの契けい約やく」を結むすび,彼かれらの神かみとなり,彼かれらはエホバの民たみとなります。エホバの聖せいなる所ところが「永えい遠えんに彼かれらの中なかにある」ようになります。

25. メシアである王おうに関かんする預よ言げんはどのように実じつ現げんしていますか。

25 預よ言げんの実じつ現げん。天てんに行いくよう選えらばれた忠ちゅう実じつな人ひとたちは,1919年ねんに,「1人ひとりの牧ぼく者しゃ」つまりメシアである王おうイエス・キリストの下もとで1つになりました。後のちに,その選えらばれた忠ちゅう実じつな人ひとたちと,「全すべての国くにや民みん族ぞくや種しゅ族ぞくや言げん語ごの人ひと々びとの中なかから来きた……大だい群ぐん衆しゅう」が1つに結むすばれました。(啓けい 7:9)この2つのグループは,「1人ひとりの羊ひつじ飼かい」の下もとで「1つの群むれ」になっています。(ヨハ 10:16)天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとも地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとも皆みな,エホバの法ほう規きに従じゅう順じゅんに従したがっています。その結けっ果か,一いっ致ちした世せ界かい的てきな家か族ぞくとして比ひ喩ゆ的てきなパラダイスに住すんでいます。エホバはその人ひとたちを祝しゅく福ふくして平へい和わをもたらしています。また,エホバの聖せいなる所ところがその人ひとたちの中なかにあります。つまり,エホバの清きよい崇すう拝はいが行おこなわれているということです。エホバこそ彼かれらの神かみであり,彼かれらはエホバの民たみであることを誇ほこりに思おもっています。そして,永えい遠えんにわたってエホバを崇すう拝はいし続つづけるのです。

26. 比ひ喩ゆ的てきなパラダイスに見みられる一いっ致ちに貢こう献けんするために何なにができますか。

26 学まなべること。一いっ致ちした世せ界かい的てきな家か族ぞくの一いち員いんとしてエホバへの清きよい崇すう拝はいを行おこなえるのは,素す晴ばらしいことです。とはいえ,責せき任にんも伴ともないます。一いっ致ちに貢こう献けんする必ひつ要ようがあるのです。ですから,私わたしたちは皆みな,信しん条じょうや行こう動どうの面めんで調ちょう和わを保たもつ努ど力りょくを払はらわなければなりません。(コリ一いち 1:10)そのために,同おなじ教おしえを学まなび,同おなじ基き準じゅんに従したがい,同おなじ活かつ動どうを行おこないます。神かみからの教おしえを熱ねっ心しんに学まなび,聖せい書しょに基もとづく行こう動どうの基き準じゅんに従したがい,王おう国こくを知しらせて弟で子しを作つくる重じゅう要ような活かつ動どうに参さん加かするのです。しかし,一いっ致ちする上うえで最もっとも大たい切せつなのは,愛あいです。愛あいを育はぐくみ,思おもいやりを示しめすことや人ひとを許ゆるすことなど,さまざまな形かたちで愛あいを表あらわすよう努つとめるなら,一いっ致ちに貢こう献けんできます。聖せい書しょが述のべる通とおり,「愛あいは完かん全ぜんな絆きずななのです」。(コロ 3:12-14。コリ一いち 13:4-7)

愛にあふれる世界的な家族。1. 若い兄弟が年配の姉妹に腕を貸しながら一緒に野外宣教を行っている。2. さまざまな人種の姉妹たちが大会会場で一緒に写真を撮ってもらっている。

清きよい崇すう拝はいを行おこなう人ひとたちは愛あいにあふれる世せ界かい的てきな家か族ぞくとして,エホバから祝しゅく福ふくされている。(26節せつを参さん照しょう)

27. (ア)エゼキエル書しょにある,メシアに関かんする預よ言げんについて学まなんで,どう思おもいましたか。(イ)続つづく幾いくつかの章しょうではどんなことを考かんがえますか。

27 エゼキエル書しょに記しるされている,メシアに関かんする預よ言げんに,私わたしたちは本ほん当とうに感かん謝しゃできます。それらの預よ言げんを読よんでよく思おもい巡めぐらすなら,私わたしたちの愛あいする王おうイエス・キリストについて学まなべます。イエスは,私わたしたちが信しん頼らいを置おくのにふさわしい方かたであり,統とう治ちする法ほう的てき権けん利りを持もち,私わたしたちを優やさしく世せ話わし,私わたしたちが永えい続ぞくする絆きずなで1つに結むすばれるようにしてくださいます。メシアである王おうの民たみでいられるのは,何なんと素す晴ばらしいことでしょう。メシアに関かんするこれらの預よ言げんが,エゼキエル書しょを貫つらぬく,回かい復ふくというテーマの一いっ環かんであることを覚おぼえておきましょう。エホバはイエスを通とおして,ご自じ分ぶんの民たみを集あつめ,彼かれらの間あいだで清きよい崇すう拝はいを回かい復ふくさせるのです。(エゼ 20:41)この本ほんの続つづく幾いくつかの章しょうでは,回かい復ふくという感かん動どう的てきなテーマがエゼキエル書しょの中なかでどのように展てん開かいされているかを考かんがえます。

a ユダヤ人じんの最さい初しょの捕ほ虜りょたちがバビロンに連つれていかれたのは,紀き元げん前ぜん617年ねんでした。ですから,6年ねん目めは紀き元げん前ぜん612年ねんに始はじまりました。

b イエスがダビデの子し孫そんであることは,神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かかれた福ふく音いん書しょの中なかで証しょう明めいされています。(マタ 1:1-16。ルカ 3:23-31)

c 2本ほんの棒ぼうに関かんするエゼキエルの預よ言げんとその実じつ現げんについては,この本ほんの第だい12章しょうで詳くわしく取とり上あげます。

d 「永えい遠えんに」と訳やくされているヘブライ語ごについて,ある資し料りょうにはこう述のべられています。「継けい続ぞくという意い味みに加くわえて,この言こと葉ばには,永えい続ぞくする,長なが持もちする,不ふ可か侵しんの,変へん更こう不ふ能のうの,不ふ変へんの,といったニュアンスが含ふくまれる」。

清きよい崇すう拝はいとあなた

  1. 大おおきなワシに関かんする預よ言げん的てきな謎なぞからどんな教きょう訓くんを学まなびましたか。(エゼ 17:3-10)

  2. エゼキエル書しょにある,メシアに関かんする預よ言げんによれば,王おうイエス・キリストは確たしかに信しん頼らいできる方かたです。なぜそう言いえますか。

  3. 比ひ喩ゆ的てきなパラダイスに見みられる平へい和わと一いっ致ちに貢こう献けんするために何なにができますか。

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