アイボリー・コーストからの報告
イエスの言葉『わが羊はわが声をきき,我は彼らを知り,彼らは我に従う。』会衆の集会で,ひとりの見知らぬ人が出席し,注意深く話を聞きました。集会後,会衆の僕はその人を歓迎し,又どうしてヱホバの証者の場所を知つたかを尋ねました。その人が答えて言うのに,友人から聞いたとの事でした。そして,そこで学んだ事によつて,これこそ真理であると確信しました。それは始まりでした。今日,その人は耳を傾けて聞こうとするすべての人を訪問して安全を図るため山に逃げなさいとすすめています。
ひとりの姉妹は,家から家の業をして,3分から8分の聖書の話をしたとき,カトリックの家の人は『どちらが真の宗教ですか?』と尋ねました。『聖書から見てみましよう』と姉妹は答えました。それで,その家の人はカトリックの聖書を持ち出してきました。多くの聖句を読んだ後,マタイ伝 23章8-10節を読みました。その人は『神父さん』にそのところを説明して貰おうと思いました。後日,『神父さん』に質問したところ,『わしには説明できん。あそこに閣下がいるから,行つて聞いてごらん。』という返答でした。その答に驚いたものの,とにかく『閣下』のところに行きました。『閣下,今日は』というあいさつをしないで『やあ今日は』とあいさつしました。司教は『いつたいどうしたわけですか!』と言いました。その人は『いいえ何も悪いことはありません。ただここの聖句を説明していただきたいのですが。』と答えました。司教はその聖句を読み終つてから,『あんたは気でも狂つているのかね。わたしのところへ来てなぜそんな質問をするのかね。』と叫びました。その人は『いまはじめて分りました。私がカトリックの聖書を読むときには,それを理解して良いカトリック信者になるためでした。でも,あなた方が説明しようとなされないなら,私は自分の村に戻つて,人々にここのところを教えましよう。』と言いました。後日,その人は姉妹にこう言いました。『それで,奥さん。あなた方は真理を教えているということが分りました。』(1955年度のヱホバの証者の年鑑より)
『しかし,あなた方は「ラビ」と呼ばれてはならない。先生は一人であり,あなた方はみな兄弟である。それに地上のものを父と呼んではならない。あなた方の父はただひとり,すなわち天におられる父である。また「導師」と呼ばれてもならない。あなた方の導師はキリストである。』― マタイ 23:8-10,新世。