忠実を保つ
『ヱホバの山にのぼるべきものは誰ぞ。その聖所にたつべき者はたれぞ。』― 詩 24:3。
1,2 (イ)ヱホバは,なぜ長いあいだ悪しき者共を許されましたか。(ロ)ヱホバの立証は,今日その証者たちが忠実を保ちつづけることと,どのように結びついていますか。
いまよりずつと昔に,ヱホバは人間種族全部をも含む御自身の敵を亡し得たはずです。なぜなら,ヱホバの敵は忠実を持たず,またヱホバに反対していたからです。歴史の頁には,無数の流血の行為が述べられています。そして,この世には勿体ない程の立派な人は無いと書かれてます。ヱホバの大いなる恵みと,寛容によつて,人類は生存するのを許されました。悪しき事を為す者に,この寛容の期間が設けられたことにより,人間の忠実を試すための十分の時間がつくられ,またこの世に属さぬ小さな群や,幾十万人という『他の羊』の大いなる群衆を集めることができました。ヱホバの御目的は,世の終る前に御自分の御名に大きな証をすることです。そして,このことは昔のエジプト王に対してなされたヱホバの御処置によつて予影されていました。その支配者は,人間の最大の敵,この世の組織制度の神サタン悪魔を予表しています。ヱホバはモーセの口を通してエジプト王にこう告げました,『我もしわが手を伸べ,疫病をもて汝となんじの民を撃たらば,汝は地より絶れしならん。そもそもわが汝をたてたるは,すなわちなんじをしてわがちからを見さしめ,わが名を全地に伝えんためなり。』― 出エジプト 9:15,16。
2 神の御予定の時まで敵の刑執行を延ばせられることは,全く神の権利に属する事柄です。このことについて,神の欠点を探し得る人はひとりもいません。『もし,神が怒りをあらわし,かつ,ご自身の力を知らせようと思われつつも,亡びることになつている怒りの器を,大いなる寛容をもつて忍ばれたとすれば,かつ,栄光にあずからせるために,あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば,どうであろうか。神は,このあわれみの器として,また私たちをも,ユダヤ人の中からだけではなく,異邦人の中からも召されたのである。』(ロマ 9:22-24,新口)過分の御親切が与えられていることに私たちはよろこぶとともに,過分の御親切に与かれるこの限られた時の期間中,他の人々に語り伝えることに幸を感じます。(ペテロ後 3:15)ヱホバは間近に迫つたハルマゲドンの戦争の時に,この世の国々をことごとく亡しつくし,かくして,6000年待つた後に,終に御自分の聖名を立証します。私たちは,ヱホバの御名と大いなる業を全地に宣伝えつつ,よろこんで神の目的達成に参加します。かくして,忠実を保ちつづけることができます。―ロマ 10:13。
3 忠実を守る人々は,どんな3つの良き忍耐の性質を,神とすべての従順な人々にいつも行使しますか。
3 ヱホバは,良い目的のために,よろこんで非難を耐え忍ばれました。故に,私たちも同じ理由のためには耐え忍んで,忠実を保つことはふさわしいものです。私たちの神に真実を保つことは,唯一の道理にかなつた要求です。神以外の者に真実を保つことは決してできません。神以外の者に,その価値をうける資格はありません。ヱホバのごとき方は他になく,ヱホバの御性質と愛の目的を持つている方は他になく,また私たちのためにかくも多くのことをして下さつた方は,ヱホバの他にありません。私たちは真実を保ち,忠実を守る性質を持つていますか。過去において私たちは忠実を守ることを約束しました。それは,十分に良い理由のためです。今日でも,それらの理由は昔と同じく良いものです。今日,忠実を保つことは,他の時と同じく可能なことです。もし,仮にもあなたの心に疑いがあるなら,昔を思い起して,あなたが何処から来たか,なぜ最初にこの道を始めたか,を考えなさい。(ヘブル 2:1; 10:32)あなたが熱心にヱホバを叫び求めたときには,ヱホバはあなたの期待を裏ぎらなかつたのです。祈りの中にヱホバを呼びつづけなさい。ヱホバにたいするあなたの誠実を立証しなさい。かくするとき,ヱホバはあなたを救うでしよう。いまは私たちの試験の期間です。そして,運命を決定する時です。古い世に仕える者たちは,遂には亡びをうけて失望を感ずるでしよう。しかし,ヱホバの創造し給う新しい世に,愛,確信,そして希望を示す者たちは,忠実を守りつづけるが故に大きなよろこびと祝福を分ち合うでしよう。
4-6 (イ)忠実を保ちつづけることは,ヱホバの最初のいましめの中と,その適用にどう示されていますか。(ロ)第2番目のいましめの中では?(ハ)第3番目のいましめの中では?
4 神の律法は,正しい行動の規則,すなわち原則を述べています。そして,神の言葉はその正しい適用の例を示しています。例えば,古代イスラエルに与えられた根本的な律法の最初のいましめは,『我は汝の神ヱホバ,汝をエジプトの地その奴隷たる家より導き出せし者なり。汝わが面の前に我の外何物をも神とすべからず』でした。(出エジプト 20:2,3)その適用は,イエスの山上の教えの中で示されています,『だれも,ふたりの主人に兼ね仕えることはできない,一方を憎んで他方を愛し,あるいは,一方に親しんで,他方をうとんじるからである。あなたがたは,神と富とに兼ね仕えることはできない。』(マタイ 6:24,新口)その適用については,さらにこう述べられています,『あなたがたは,代価を払つて買いとられたのだ。人の奴隷となつてはいけない。』(コリント前 7:23,新口)『子たちよ,気をつけて,偶像を避けなさい。』― ヨハネ第一書 5:21。
5 第2番目のいましめは,偶像をつくることを禁じています。それは,人が偶像を拝んで偶像に仕えるのを禁じます。なぜなら,ヱホバは専心の献身を求める神だからです。イエスは,サタンを拝んで,サタンに仕えるのを拒絶したとき,このいましめを実際に行いました。(マタイ 4:8-10)イエスの使徒であるペテロとヨハネは,イエスについて語るのを禁じた議会に服さなかつたとき,このいましめを適用しました。両人は,こう答えました,『神に聞き従うよりも,あなたがたに聞き従う方が,神の前に正しいかどうか,判断してもらいたい。私たちとしては,自分の見たこと聞いたことを,語らないわけにはいかない。』(使行 4:19,20,新口)彼らは忠実を保ちつづけました。
6 第3番目のいましめは,次のようです,『汝の神ヱホバの名を妄りに口にあぐべからず,ヱホバは己の名を妄りに口にあぐる者を罰せではおかざるべし。』(出エジプト 20:7)イエスは,この適用を次のように示しました,すなわち私たちの約束や誓にヱホバの名を関係せしめてはならない,ということです。もし,そうしながら,真実のことを言わず,また行わないなら,僞りの誓をすることになり,私たちは偽証者になります。イスラエルの夢見る予言者たちはそのことをなし,ヱホバの御名によつて偽の事柄を予言しました。それで,ヱホバは神を侮辱したこれらの偽の予言者たちを亡し給うたのです。(エレミヤ 23:16-32)神の聖なる記録は,神の僕たちを正しく導くために,他の類似の例をも示しています。―詩 119:105。
忠実の例
7 忠実を守つたことについての昔のどんな3つの例に対応するものが今日ありますか。
7 忠実についての多くの例の中でも,3つの著名な例を回想することにより益が得られます。(1)ヨセフはポテパルの妻と姦淫を行うのを拒絶することにより忠実を保ちました。(創世 39:7-12)(2)3人のヘブル人は,火の炉で殺されるという危険をも物ともせず,ドラの平野に建てられたネブカデネザルの金の像を拝むのを拒絶しました。(ダニエル 3:4-6,16-18)(3)メデア-ペルシャの律法によるならば獅子の穴に投げ入れられる,という危険にもかかわらず,ダニエルはヱホバに祈りを捧げるという特権を棄てませんでした。(ダニエル 6:7-10)これらの例からも,忠実を守る者たちがいつもヱホバの言葉に敬意を払つて,ヱホバの言葉に従う,ということが分ります。今日のヱホバの証者も同様なことをしています。歴史的な記録や法廷の記録は,そのことを絶対に確証しています。
8 今日忠実を守る人々は,どんな実際的な方法により,信仰,希望,そして愛を絶えず増すことができますか。
8 私たちが忠実を失うのを防ぐため,創造者は愛の御心から多くの保護と適当な指示を与えられました。そのような援助のひとつは,神の言葉である聖書を個人的に研究したり,または会衆と共に研究することです。神の言葉の中には,なんと沢山の霊的な富が入つているのでしよう! どんな状態に面しようとも,どんなに難しい問題があろうとも,聖書の助言と諭しは,まつたく十分です。ますます光り輝く光の中に歩みつづけるため,私たちは神権的に供給された研究の手引の本を用いて聖書を研究しなければなりません。この雑誌や同種類の出版物は,ヱホバの食卓にのせられたヱホバの御準備です。それで,それらの御準備を無視したり,けいべつするなら,私たちは忘恩者です。(ルカ 12:33-37。マタイ 24:45-47)私たちがその御準備を用いるときに,私たちの信仰は強くなり,私たちの希望は大きくなり,愛は増すのです。週中に霊的な食物を取すぎる,などと決して考えてはなりません。『ものみの塔協会』のブルックリン本部にいる兄弟たちは,たいてい1週間に10時間以上も集会に参加したり,神の言葉を聴いているのです。そのほかに,個人的な研究もしています。あなたは,神の言葉を5時間聞きますか。それとも5時間足らずの時間しか聞かず,しかも個人的な研究を殆どしませんか。霊的な食物を正しく食べると,力が得られます。イザヤはこう語りました,『ヱホバを待望むものは新なる力を得ん。また鷲のごとく翼をはりてのぼらん。走れどもつかれず,歩めども倦まざるべし。』― イザヤ 40:31。
9 忠実を保つために,私たちはパウロがテモテに与えた健全な助言をどのように適用することができますか。
9 年を取つたパウロは,ヱホバの群を牧しつづけた若いテモテに,どんな助言を述べましたか。彼は,公やけに読むこと,諭すこと,教えることに努めよ,そして進歩がすべての者に明らかに示されるため,これらの事柄に心を傾けて専ら努めよ,と告げています,(テモテ前 4:13-15)それをするならば,私たちが不活潑になることもなく,またイエス・キリストと良い業の正確な知識に実を結ばぬ,ということもありません。(ペテロ後 1:8)ペテロとヨハネもユダヤ人の最高法廷の前で無比の証言をすることができました。両人ともイエスと一緒に居て,イエスから学んだからです。(使行 4:13,14)信仰と聖霊に充ちたステパノは,その知識によつて良いたよりに反対した敵共を周章ろうばいさせました。そして,敵共はステパノの語つた智恵と霊に対してはとうてい太刀打できなかつたのです,(使行 6:5,10)私たちの聖書研究は,私たちを円熟に進歩せしめます。なぜなら,参加している人々は,研究したからです。ヱホバの御国についての公開講演は,多くの益と力と教訓を与えます,なぜなら割当をうけた各講演者は良く研究してその準備に多くの考えと時間を費したからです。兄弟たちは,ただ受けるだけの目的で集会に来たのでなく,与えるために集会に来たのです。時折り,家の女主人は多くの時間を掛けて食事の準備をしています。しかし,特別に豪華な食事が必要なわけでもなく,また古い世でよく行われているもてなしが必要なわけでもありません。マルタの妹マリヤは,霊的な知識を取るよう選んだため,良き方を選んだとイエスより讃められました。―ルカ 10:38-42。
10,11 (イ)ヱホバの証者の大会は,なぜそしてどのように忠実を保たせるための肝要な助けですか。(ロ)ヱホバに捧げる正しい祈は,なぜ別の肝要な助けですか。
10 クリスチャンの大会は忠実を失わせないための別の助けです。ヱホバは昔のイスラエルの男に命じて,毎週の集会の他に,毎年3度彼の選んだ場所においてヱホバの前に集まるようにと,告げました。多くの場合,全家族が崇拝のために来ました。それらの大会の目的は何でしたか。申命記 31章12節は,こう説明しています,『すなわち,男,女,子供および汝の門の内なる他国の人などすべての民を集め,彼らをしてこれを聴き,かつ学ばしむべし。然すれば彼ら汝らの神ヱホバを畏れてこの律法の言葉を守り行わん。』地方的なものも,国家的なものも,また国際的なものも,すべての大会はヱホバの証者の男,女,子供たち,そして新しく興味を感じた善意者たちのためになされます。私たちは大会に集まつて,ヱホバのすべての言葉を聴き,学び,恐れ,そして従います。パウロは,次のように論しました,『愛と善行とを励むように互につとめ,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか。』― ヘブル 10:24,25,新口。
11 ヱホバは又祈りの特権をも備えられ,私たちが忠実を保つための助けとしました。神の忠実な僕はみな祈りを捧げ,祈りを止めません。敵である悪魔に対する勝利は,祈りをしてこそ可能になります。しかし,祈りを聞いて頂くためには,その祈りは誠実な気持からイエスの御名の中にヱホバに捧げねばなりません。そして,ヱホバの御名が潔められ,ヱホバの御国が来り,ヱホバの御意が天で行われるように地にも行われるようにと,祈らねばなりません。イエスは,それらの事柄こそ一番重要なものである,と述べられました。(マタイ 6:9-13)支配者にとつて些細と思われる事柄で,地上の支配者に近づく事ができますか。とうていできません。『ヱホバの目は義者をかえりみ,その耳はかれらの号叫にかたぶく。』(詩 34:15)それで,讃美と感謝の気持をもつて神に近づき,他の者たちのために私たちの心を神に傾けましよう。― 他の者たちとは,先ず最初に神御自身と,御座に即いた神の王,そして神に献身した民,および私たち各人を含むのです。ヤコブは次のように書きました,『誠実に捧げられる義人の祈は大いに力がある』(ヤコブ 5:16,新世,欄外)私たちはヱホバの聖霊,知恵,理解,ゆるし,救い,そして必要な物質を願い求めることができます。パウロは次のように書きました,『何事も思い煩つてはならない。ただ,事ごとに,感謝をもつて,祈と願いとをささげ,あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。』(ピリピ 4:6,新口)『ただしく歩むまずしき者は,くちびるの悖れる愚なる者にまさる。』― シンゲン 19:1。
12 ヱホバの愛の霊は,私たちが忠実を保つことにどんな役割を果しますか。
12 私たちを神の御旨にかなう状態に保つため,神はまた聖霊を与えらました。それは『臆する霊ではなく,力と愛と健全な心の霊である。』(テモテ後 1:7,新世)この古い組織制度に健全な心はありません。この古い組織制度は全く正道から外れ,いま全地の裁き主が測り給う愛や忠実の性質が欠如しています。(イザヤ 28:16,17)この古い世では,人柄というものは重んぜられず,むしろ知己は誰かが重んぜられます。また,正直のかわりに事業や職業の倫理がしばしば重んぜられます。しかし,ヱホバは御言葉を通して,御自身が真の愛の持主であることを示されました。また,御自身の制度の主要な原則は愛であつて,利己主義でないことも示されました。それで,もし神の愛を持つなら,私たちは兄弟たちを愛します。もし目に見える兄弟たちを愛さないなら,どうして目に見えない神を愛することができますか。愛は私たちを神とその制度につよくしつかりと結びつけます。そして,私たちは他の人々に仕えるようになります。私たちは他の人々の永遠の福利を考えているからです。そのことについてヨハネは,こう書きました,『神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ることである。そして,その戒めはむずかしいものではない。』(ヨハネ第一書 5:3,新口)たしかに,むずかしいものでありません。神の戒めは,私たちの益のためであり,それを守るときに現在でも多くの祝福が与えられ,そして将来には永遠の生命が与えられます。『裁きの日に確信を持つて立つことができる。そのことによつて,愛が私たちに全うされているのである。愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い,かつ恐れる者には愛が全うされていないからである。』(ヨハネ第一書 4:17,18,新口)50万人以上の御国伝道者たちは,いまヱホバの御国を活潑に,しかも定期的に宣明しており,神の愛の霊を持つていることを示します。かくして,人間と悪魔の恐れに打ちかち,忠実を保ちつづけることによろこんでいます。
13-15 (イ)「神の与えた宣教を全く成しとげるために,どんな不必要な行を考え深く止めねばなりませんか。(ロ)それと同じ目的のために,私たちはどんな正しい行を増し加えて強めねばなりませんか。
13 今は,この世の煩いに気ずかい過ぎて,不必要な重荷や負担で拘束される時でありません。今は,横道に外れてしまつて,義務を忠実に果すことを怠る時でありません。この世の仕事,家族の生活,または個人の快楽のような物質の事柄に専念して,ヱホバの奉仕をなおざりにすべきでありません。もし天的なものよりも地的なものを大事にする,というような言訳をするなら,神は怒り給うでしよう。最新の自動車というような現在のぜいたく品は,新しい世の事柄を忠実に行うための必要品ではありません。この古い世で良いと言われている多くの物も新しい世の活動を行う私たちの罠となります。神の与え給うた使命をしつかり心にいれ,そして他の者が新世社会に来るのを助けることにより,天の宝を貯えることになります。かくして,私たちは神の奉仕者に与えられた聖書の次の助言を行います,『あらゆることに平衡を保ち,悪を耐えて,伝道者の業をなし,あなたの宣教を全うしなさい。』― テモテ後 4:5,新世。
私たちのあらゆる関係におけるその重要性
14 忠実は,クリスチャン生活のあらゆる面に含まれます。すべての事において,忠節と従順は私たちに要求されます。以前の不従順な子供たちにとつて,従順はなかなか学びにくい事柄です。それで,正しい良心を持ち,肉の思いによらず神の霊の導きに従うことは極めて重要です! ペテロは,こう諭しました,『明らかな良心をもつて,弁明しなさい。そうすれば,あなたがたがキリストにあつて営んでいる良い生活をそしる人々も,そのようにののしつたことを恥じいるであろう。善を行つて苦しむことは ― それが神の御旨であれば ― 悪を行つて苦しむよりも,まさつている。』(ペテロ前 3:16,17,新口)忠実を保つことは決して易しくありません。悪魔とその軍勢共は,僅かな時しかないために,忠実を保つことをますます難しいものにしています。『悪に負けてはいけない。かえつて,善をもつて悪に勝ちなさい。』― ロマ 12:21,新口。
15 『悪魔の策略に対抗して立ち得るために,神の武具で身を固めなさい。私たちの戦は,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と,権威と,やみの世の主権者,また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』(エペソ 6:11,12,新口)私たちは人間や人間の政府に対して戦いません。いまでは,各地の支配者たちは次のことを知つているはずです。すなわち,ヱホバの証者は他の人間の有する政治権力を取つたり,或は他の政治権力と置きかえたりすることに興味を持つていない,ということです。ヱホバのキリストはすでに新しい世の王であり,時経つ中にこの全地の政治支配者たちはそのことをも明白に認識するでしよう。(黙示 11:15-18)私たちの業は,キリストの支配するヱホバの御国を宣明することであり,そして私たち自身がヱホバの真理によつて自由にされたように,善意者たちをサタンの罠とその悪霊から自由に解放することです。(詩 117篇。ヨハネ 8:31,32)かくすることによつてのみ,私たちや神を恐れる人々は忠実を保つことができます。
16,17 (イ)ヱホバの民の目に見えない強力な敵は,いままでどのように絶えず打負かされましたか。(ロ)ヱホバの新しい世の社会内にあつて,忠実を保つことは,どのように私たちに関係しますか。
16 献身の時以来,私たちは御座についたヱホバの新しい世の王なる小羊に従うと同意しました。故に,小羊の導きをうけるときに古い世と悪しき者を打ち負かすことができます。真実と忠実を保つことにより,私たちはサタンの悪意ある非難に対する答をヱホバに捧げることができます,― その答に対してサタンは反論することができません。かつ,その答はサタンが偽りの非難者なることを証明するものです。『神の子が現われたのは,悪魔のわざを亡ぼしてしまうためである。』『兄弟たちは,小羊の血と彼らのあかしの言葉とによつて,彼(キリストの兄弟たちを偽り非難するサタン)にうち勝ち,死にいたるまでもそのいのちを惜しまなかつた。』『私たちの信仰こそ,世に勝たしめた勝利の力である。』― ヨハネ第一書 3:8。黙示 12:11。ヨハネ第一書 5:4,新口。
17 しかし,忠実は兄弟たちに対する私たちの関係にどのような影響を及ぼしますか。ヱホバは,会衆内の僕たちに特別な特権と責任をいま与えています。これらの僕たちはヱホバの羊のためによろこんで率先して働き,世話をしているのです。(使行 20:28)円熟した伝道者は,家から家の宣教に他の人たちを助けることができます,すなわちそれらの人たちを共に連れて行つて伝道の仕方を示し,証者になるように訓練するのです。夫も妻に忠実を保ち,妻も夫に忠実を保ちます。(エペソ 5:33)忠実を保つ両親は,同様に子供たちをも教えて訓練します。『子たる者よ,主にあつて両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」これが第一の戒めであつて,次の約束がそれについている。』― エペソ 6:1,2,新口。
18,19 忠実を保つ私たちにとつて,友好の態度を示す者にも示さぬ者にも,いわゆる外部の人々に対する毎日の責任と特権とは何ですか。
18 忠実は,この世の人々に対する私たちの関係にどう影響しますか。私たちの使命は,すべての人々に善をなすことであり,何人をも害さないことです。(テサロニケ前 5:15)世の終が近づくにつれ,私たちの伝道と教える業はできるだけ強化されるべきです。つまり,家庭であろうと,戸口であろうと,― 刑務所の外であろうと,内であろうと,― できるところなら何処であろうと,聖書を人々に読むことです。強制労働の収容所内でも忠実が保たれていることは,ヱホバが獅子の洞にいる御自分の民を保護されていることを裏書しています。収容所内にいても彼らは,正義のために迫害されているため幸福を感じています。栄光の霊,すなわち神の霊が注がれている故,彼らは不平を申しません。(ペテロ前 4:13-17)嘘が繰返したくさん言われようとも,また偽りの宣伝が多くなされようとも,彼らの思と心から神の言葉を取消すことはできません。思想転換の手段がとられようとも,彼らの燃えるような信仰を消し去ることはできません。彼ら自身の従順が成就されるとき,すべての不従順を罰しようと用意しているからです。(コリント後 10:3-6)私たちは二心を持つていません。しつかりした思慮ある態度でもつて,私たちはサタンの脅しの方法に反抗します。(ペテロ前 5:6-11)しかし,不思議に見えるかもしれませんが,身体上の自由を持つている私たちは,収容所にいる幾千人という兄弟たちよりもずつと危険な状態にいるのです。(ヘブル 13:3)些細な事柄で私たちは妨害されてもよいですか。私たちは手をゆるめますか。私たちは申訳を言いますか。いまは収穫の業をなさねばならず,戦に勝たねばなりません!(伝道之書 11:4)それで,日々ヱホバに讃美を捧げなさい。今は悪い時代である故に,今の時を生かして用いなさい。―エペソ 5:16。
19 忠実を守る人は,清い手と清い心を持つています。なぜなら,忠実な見張者として警告を与え続けるからです。(エゼキエル 3:17-19)むかしのダビデと共に,次のように言うことができます,『われは虚しき人とともに座らざりき。悪をいつわりかざる者とともには往かじ。悪をなすものの会をにくみ,悪者とともにすわることをせじ。われ手を洗いて罪なきをあらわす。ヱホバよ,かくてなんじの祭壇をめぐり,感謝の声を聞えしめ,すべて汝の奇しき御業をのべつたえん。ヱホバよ,我なんじのまします家となんじが栄光のとどまるところとをいつくしむ。』(詩 26:4-8)心の直い人は,ヱホバの道が自分たちのとりでであることを知つています。ヱホバは,忠実に歩く者たちの楯です。それは彼らを導き守つて永遠の生命にいたらせます。(シンゲン 10:29; 2:7; 11:3。詩 25:21)サタンとその崩壊して行く制度は,私たちに妨害を加えて,円熟に達せしめず,また勝利を得させまい,と努めるでしよう。ヱホバの昔の予言者たちは耐忍んで,忠実を保ちました。キリスト・イエスや,その使徒たちや,また他の忠実な初期クリスチャンたちは,昔の予言者と共々に,『忠実を保て!』と声高らかに語りました。そして,大きな迫害に耐忍んでいる現在の兄弟たちも,忠実を保て,と私たちに絶えずすすめているのです! 目に見えない部分であろうと,見える部分であろうと,ヱホバの力ある制度は,いつでも私たちを援助して忠実を保たせる用意をしています。