宇宙時代における実際的な知恵
「知恵は人を助けてなし遂げさせる」。―伝道の書 10:10,新口。
1 人間は最近「宇宙時代」にとびこみましたが,それにもかかわらず人間の知恵に何か欠けたところがあるのはなぜですか。
最近,人間の知恵は,いわゆる「宇宙時代」と呼ぶものに人間を追い込みました。でも人間の知恵は,まだ天への道を開いていません。人間は,宇宙の秘密のいくばくかを探るため,さまざまな装置を用いて,何万マイルも宇宙深く入り込みました。しかし,こうした知恵にもかかわらず人間は神の御すまいである天に近づいていません。果のない宇宙の深みをあれほど探つていても,科学者たちは創造者なる神についてもつと学ぶことには関心さえもつていません。では,人間の「宇宙時代」の知恵には何か欠点がありはしませんか。その知恵は実際的ですか。
2,3 (イ)遠い空間を調査している科学者は,自分が理性のない牛のようであることをどのように示していますか。(ロ)科学者はソロモンのどの言葉に注意を払いませんか。
2 種々の測定装置を備えたロケットや人工衛星を用いて宇宙深く行けば行くほど,人間は,すべての被造物の上に一つの神があること,神が存在されること,またその神は叡知にみちた全宇宙の創造主であるという証拠に一層強く直面します。そして全宇宙が,知恵とさとりと知識と洞察力を通して存在するようになつたということをいや応なく見させられ認めさせられます。ところが人間は,自分自身の知恵にたより,自分の業績に誇りを持つので,物も言えず理性もない獣のように無分別になります。野の牛は,地と空の驚異を目にしても,それらの輝かしい物を整然と調和のうちに排列された最高で,全き力と知恵をもつ創造者の存在を認めることができません。宇宙時代の誇りに満ちた科学者たちもそのようになりました。目では見ます。が,それについてよく考えもせず,理解しようともしません。そして神が存在する事実,その神に対して弁明しなければならないこと,その神の御旨を知つて行うために御旨をさぐり求めなければならぬ事実を避けたいと望んでいます。そのため,自分自身は創造のわざの中に見る性質を用いません。そして自分の物質的な知恵が非実際的であることを証明しています。また,宇宙時代よりも何千年も前に,実際的な知恵をもつていた有名なある王の書いた次の言葉にも注意を向けません。
3 「ヱホバ御自身,知恵によつて地の基をすえ,分別をもつて天をかたく定められた。その知識により波打つ大水は分けられ,雲は小雨をそそぎつづける。わが子よ,これら〔すなわち,神の創造にあらわれている知恵,分別,知識〕をあなたの目から離してはならない。実際的な知恵と考える能力を守れ」。―箴言 3:19-21,新世。
4,5 (イ)私たちがそうした能力を保持するよう助言するためにソロモンはどんな理由をあげていますか。(ロ)ソロモンが示したその理由は,殊に今の時代にどのようにあてはまりますか。
4 それにしても,なぜ私たちは,創造者なるヱホバ神と関連をもつものとしてそのような知恵,分別,知識を心の目から離してはならないのですか。なぜ実際的な知恵を守るのですか。なぜ考える能力をしつかりと保つて,権力をふりまわす利己主義な人間にそれを統制させてはならないのですか。実際的な知恵をもつた王は,その理由を説明してさらにこう書きつづけています,「さらばこれは汝のたましいの生命となり,汝のくびの飾りとならん。かくて汝やすらかに汝の道をゆかん。またなんじの足つまずかじ。なんじ臥すときおそるるところあらず臥すときはうまく眠らん。なんじにわかなる恐れをおそれず悪しき者の滅びきたる時もこれを恐るまじ。そはヱホバは汝の倚り頼むものにして汝の足を守りてとらわれしめ給わざるべければなり」。―箴言 3:22-26。
5 奇襲の恐れあるこの時代において,また空から死の雨が降り,空間からあるいは大洋の底から私たちの魂に激しい死が臨む恐れのある時代においてヱホバ神に関連した実際的な知恵,分別,知識および思考能力から生ずるそうした利益は,是非とも必要です。人間が引き起こすそうした事がらとは別にまだ,神の目から見て悪人である人間すべての上に,嵐のようにやつて来るハルマゲドンという宇宙的戦争があります。ミサイル戦に対する防御は何もないと科学者たちはおおつぴらに認めています。ならば,ましてやハルマゲドンを防御できるものはそれこそ何もありません。
6,7 (イ)最近コロンビア大学のどんな学生が,人間から実際的な知恵を学ぼうとしてもむだなことを示しましたか。(ロ)州裁判所の判事は,その訴訟を却下するに当つて,人間から知恵を得ようとすることがむだなことをどのように示しましたか。
6 この宇宙時代の科学者たちが,そのように明らかに分別と理解を欠いているのを知つた以上,幸福で平和な安定した生活を意味する実際的な知恵を人間自身に求めてもむだです。さてここに,この事を表わした例のようなものがあります。ニユージャーシー州の一青年はニユーヨーク市のコロンビア大学に学びました。後ほど彼は,授業料およびコロンビア大学の学生として浪費した時間の損害を理由に,大学を相手どつて訴訟を起こしました。なぜでしようか。ニユーヨークの「ワールド・テレグラム・アンド・サン紙」は,「彼はコロンビア大学が,知恵を教えると偽つて自分を引き止めたと主張した」と伝えています。
7 州裁判所判事ジラード・フオレイは,1958年6月13日にこの訴訟を却下し,こう述べました。「普通の理性を持つた人ならば,知恵は教えられないもの,それどころか定義さえ下せないものであることを知つているであろう」。それから同判事は,人間の無能を強く指摘して次のような結論を述べました,「どんな人間が,あるいはどんな学校が,知恵は教えられると主張しても,理性的な人にそれを受け入れる者はいないであろう。また〔この事件で提出された〕資料から,同大学が知恵を教え得るとかあるいは教えるであろうというような印象は受けないであろう。」しかし,ニユーヨークの「ワールド・テレグラム・アンド・サン」紙の報じたところによると,コロンビア大学のその学生は,それで満足せず,「却下された訴訟を上告し,知恵を教えなかつた罪で大学を訴える」と言つているということです。―1958年6月14日付。
8,9 (イ)人間がどこからだけ知恵を得ると言うことは,州裁判所判事の職能ではありませんでしたか。(ロ)ソロモンは,知恵をどこから得たことを認めましたか。また知恵の益に関して何と言いましたか。
8 控訴院が,この州裁判所判事の下した適正な判決,すなわち,人間のつくつたこの世のどの教育施設も知恵を教えることはできない,という判決を確認するのを信ずる理由は十分あります。知恵は,天にある源すなわち,知恵,義,力,愛という四つの主要な属性をお持ちになるヱホバ神のみから来ると言うのは,非宗教的裁判所のこの判事の職能ではありませんでした。人間がもつている知恵を最初に人間に植えつけたのは神でした。こうして人間は,造り主である神の像に,神に似せて人間として造られたのです。ですから人間は,今この「宇宙時代」において特に,牛よりもすぐれた常識を示すべきなのです。そして賢明なソロモン王がもつていたさとりと分別のいく分かを身につけるべきなのです。それは,私たちのために箴言に記録され,保存されています。ソロモン王は,どこからその知恵を得たかを知つていました。そしてそれを告白するほどけんそんで,感謝の念に満ちていました。箴言 2章6-22節に彼は次のように書いています。
9 「ヱホバは知恵をあたえ,知識と悟りとそのみ口より出ずればなり。かれは義人のために悟りをたくわえ,直く歩む者の盾となる。そは公平の道をたもちその聖徒の道すじを守りたまえばなり。かくて汝はついに公義と公平と正直とすべての良き道を悟らん。すなわち知恵なんじの心にいり知識なんじのたましいに楽しからん。謹慎なんじを守り悟りなんじをたもちて,悪しき道よりすくい偽りを語る者より救わん。彼らは直き道を離れて暗き道に歩み,悪を行うを楽しみ,悪しき者のいつわりを喜び,その道は曲りその行いはよこしまなり。悟りはまた汝をあそびめより救い,言葉をもてへつらう女より救わん。彼はわかき時の友をすて,その神の契約せしことを忘るるなり。……悪しき者は地より滅ぼされ,もとる者は地より抜きさらるべし」。
10 人間の知恵が実際的でないことはどのように表われていますか。神から得て用いる知恵が実際的であることはどのように表われていますか。
10 この「宇宙時代」における人間の知恵は危険を増加させました。それは人間自身に対する危険で,あらゆる物質的便宜を楽しみながらも人間の存在そのものがおびやかされるという危険です。ですからそれは実際的な知恵ではありません。ヱホバ神の与える知恵はそんなものではありません。ヱホバは知識と共に,分別と悟りも与えられます。神から来るこれらのものは,私たちが,人間の標準よりも高い神の標準にしたがつて正しくなり,忠実に歩む助けとなります。私たちが忠実に歩むがために全能なるエホバ神を盾として持つていることを考えてごらんなさい。また私たちが正しいならば,この神が「実際的な知恵」あるいは実際的な知恵の結実,すなわち永続する成功,効果のある働き,働きの良い結果などを積み上げて下さるのを考えてごらんなさい。そういうふうですから私たちにはほんとうの損失というものがありません。私たちはむだな骨折もしていないし,見当ちがいの努力もしていません。私たちは神と共に宝を貯えているのです。それはヱホバ神は永遠であられますからこの宝も永遠と関係があります。モーセは祈りのうちに,「とこしえからとこしえまであなたは神でいらせられる」と神に述べています。(詩 90:2,新口)このように私たちの宝は永遠であること,ちようどヱホバが過去において,終りのないことを意味する不定の期間神であられたのと同じように,将来不定の時まで続くことが保証されています。そのような永続する成功をもたらす知恵こそ真に「実際的な知恵」であり健全で効果のある知恵です。ですから実際的な知恵とは,いま人間がもつているような単なる知恵以上のものを意味しています。
11 もう一人の人は,1900年前知恵についてエペソの人になんと書き送りましたか。
11 賢明な王ソロモンから1000年たつて,もうひとりの人が知恵について書きました。その人の書いた物は,今地上に住んでいるどんな作家の著書よりも広く流布されています。聖書の頁を通して流布されているテモテ人への手紙の中で,この人,つまり1900年昔の使徒パウロは,次の言葉を仲間のクリスチャンたちに書き送りました,「私たちの主イエス・キリストの父である神が賛めたたえられますように。神はキリストにあつて天の場所であらゆる霊の祝福で私たちを祝福し……私たちは彼にあつて,神の過分の御親切にしたがい,その方の血によるあがないを通して罪のゆるしを受けたのである。神は私たちにあらゆる知恵〔ギリシヤ語でソフイア〕と良識〔フロネシス〕をゆたかに与え,御心の奥義を示して下さつた。これは神がその御旨に従つて自ら定められたものである」。―エペソ 1:3-9,新世。
「御心の聖なる奥義」
12 「宇宙時代」の科学者たちが,「天の場所」にある祝福を得なかつたのはなぜですか。
12 「宇宙時代」の科学者たちは,300マイルもの上空で核を爆発させ,人工衛星を太陽のまわりの軌道にのせ,レーダーのシグナルを金星からはねかえらせました。しかしながら彼らは,「キリストとにあつて天の場所」にまで入つてはいません。だからこそ,その天にある「あらゆる霊の祝福」を知るに至つていないのです。このことは,その天にある霊の祝福が物質的な科学を通して,受けられるのでないことを証明しています。それは,神の準備された手段のみによります。つまり神の愛された方イエス・キリストを通してのみ与えられます。神の方法は御子の血と関係があります。すなわちイエス・キリストという完全な人間の生命を,私たちのためのあがないの犠牲としてそそぎ出すことに関係があります。神のみ子イエス・キリストのあがないの犠牲を認めない科学者たちは,神の過分の御親切を認識することもできなければ,イエスの犠牲の重要な益を受けることもできません。また生れつきの罪深い状態のためのとがをゆるされるという祝福を楽しむこともできません。また彼らが神に対して絶えず犯している罪のゆるしを受けるという祝福もあじわうことができません。神は,悔い改めた罪人に対するゆたかな過分の御親切によつてのみ,イエス・キリストを通して私たちにそのような命を救う祝福を与えて下さるからです。
13 「あらゆる知識と良識」という点で,神は私たち信者にどのように過分の御親切をゆたかに示されましたか。
13 神はこの過分の御親切を,信ずる私たちにゆたかに示めされて,「あらゆる知恵と良識を与え,御心の奥義を示して」下さいました。神はご自身の「あらゆる知恵と良識」をもつてそれをなさつたのではなく,私たち信ずる者に,「あらゆる知識と良識」を与えることによつてそれをなさつたのです。この声明によつて使徒パウロは,あらゆる知識と良識の源が,イエス・キリストの父なる神であること,その結果として私たちが,神から受けたこれらの特質をどの程度もつているかを強調しています。神から与えられた知恵と共に,私たちは良識,つつしみ,先見をもつています。知恵が良識に結びつくとき,その知恵は実際的な知恵となります。なぜならそれは,啓示された神の御心に一致して働く知恵であるからです。
14 (イ)神が,「聖なる奥義の中にある知恵」を敵に与えられなかつたということを,パウロはどのように説明しましたか。(ロ)従つて,神が私たちに奥義を啓示されたことは何を物語つていますか。
14 この世的な科学者たちは,いく世紀にもわたつて蓄積してきたすべての知恵をもつていながら,生命が何であるか,どのように生じまたは得られたかに関する秘密はおろか,神の御心の「奥義」を解明もしくは解くこともできないでいます。神の御心は奥義であつて,神は啓示すべき時が来るまでその御心を,または御心の特定の部分を清く保つておられました。しかし,それを啓示された時でさえ,身方にも敵にもすべての者に一様に啓示するという方法はとられませんでした。使徒パウロはこう言つています,「私たちは奥義の中にある神の知恵を語る。すなわちこれはかくれた知恵であつて,神が私たちの光栄のために組織制度のはじまらぬ先からあらかじめ定められたものである。この組織制度の支配者のうちでこの知恵を知るにいたつた者はひとりもなかつた。もし知つていたなら栄光の主を杙につけるようなことをしなかつたであろう。しかし,それは『神を愛する者たちに,神が準備されるものは,目でまだ見たこともなく,耳で聞いたこともない。そして人の心で思つたこともないものである』と書かれている通りである。実に神はその霊を通してそれらのことを私たちに示されている。霊はすべてのことをさぐり,神の深みをもさぐるからである。」(コリント前 2:7-10,新世)これと調和して,ソロモン王の父ダビデは,「ヱホバの親愛はヱホバをおそれる者に属し,ヱホバはその契約を彼らに示される」。(詩 25:14,新世)こういうわけで,ヱホバが私たちに御心の聖なる奥義を啓示して下さるということは私たちに対するヱホバの過分の御親切がゆたかなことを物語つています。ですから私たちは何という恩恵をこうむつているのでしよう!
15 パウロがエペソ人に簡単に説明した神の御心の聖なる奥義とは何ですか。
15 神の御心の奥義とは何でしようか。それはすべての事柄に特定な支配を行う神の御心です。この支配のために神は御子イエス・キリストを宇宙制度の頭あるいは長とされます。ですから天にあるものも地にあるものもすべて栄化された御子の下に御子を頭として集められなければなりません。これこそ神が,忠実な高められた御子イエス・キリストを通して,宇宙制度のために制定される行政方法です。これは神権的な物事の取りきめです。なぜならそれは神によつてつくられた取りきめであり,また長とされ,栄化された御子を通して神ご自身がその取りきめを支配されるからです。したがつていま啓示されている神の御目的は,「定めの時の満ちるにおよんで,実現される御目的」,「つまり天にあるものも,地にあるものもすべてのものをふたたびキリストに集めることである。実に私たちは,すべての事を御心のおもいのままに行われる方の御目的にしたがつてあらかじめ定められ,キリストのうちに,キリストにあつて相続者とされたのである」。―エペソ 1:10-12,新世。
16 この聖なる奥義に関する知識のゆえに,私たちは知恵と良識をもつてどのように行動することができますか。
16 神の御目的に関するこの確かな知識を持ち,それが御子イエス・キリストを中心に動いているのを悟れば,私たちは全き知恵と良識をもつて行動することができます。また,神が「すべての事を御心のおもいのままに行われる」のを知つておれば,私たちは賢明に神の御心と一致を保つことができます。そして自分で立てた利己的な計画や取りきめが神の御心に反するものであるために失敗し,そのために落胆したり苦しむこともありません。実際には神を無視したり,また何ものも反抗し得ぬ神の目的や取り極めに一致調和した行いをせず,かえつて私たちはある業績を成しとげたとか,大きな事柄をしたとか,すばらしい成果をあげた,などというような偽りの考えにあざむかれるようなことがあつてはなりません。神は,私たちが永遠の生命を得るためと,イエス・キリストを頭とする神権的な支配下で私たちが楽しみを得るための取り極めを設けられているのです。
17,18 (イ)キリストに関する聖なる奥義を考慮に入れ,私たちはどのように実際的な知恵を示しますか。(ロ)被造物のもつ最高の地位に関し,パウロは誰が神の強い支持を受けていることをどのように示していますか。
17 私たちは,キリストに関する奥義を知らされました。ですから,その知識にそえて神が与えて下さる知恵と良識をもつて行動することができます。そしてキリストにある神の御心にかなわない不賢明な事がら,良識からはずれた事がら,慎重さと識見を示さない事がらを避けることができます。ですから私たちは,神の高められた方イエス・キリストにつかえ,その教えといましめに沿つてイエスに従い,実際的な知恵を表わします。科学者たちはロケットで人間を空中に打ち上げることができるならば打ち上げるがいいでしよう。しかし,天にいる者であろうと地上にいる者であろうと,神の御子イエス・キリストより高く上れる者はひとりもいません。またすべての国民,すべての政府を自分に服従させて,その最高の地位を永久に維持できる者もいません。これは罪深い人間に対する神の御心ではありません。他の生物にも,神の御心の奥義に適合して,御国の油そそがれた王になれるものはありません。これに適合する者はイエス・キリスト以外にはありません。ですから彼だけが全き力の神の絶大なうしろだてをもつているのです。だからこそパウロは信ずる者たちに次のように言つたのです。
18 「わたしは,祈りのうちに絶えずあなたがたのことをおぼえ,わたしたちの主イエス・キリストの神,栄光の父が,あなたに知恵と黙示との霊を与えて御自身に関する正確な知識をお示しになり,あなたがたの心の目を明らかにし……信ずるわたしたちに対する神の能力のきわめて大きいことを知らせて下さるよう願つている。神はその力をキリストのうちに働かせて,彼を死人の中からよみがえらせ,天上においてご自分の右に座せしめ,すべての支配,権威,権力,権勢の上におき,またこの組織制度ばかりでなく,きたるべき組織制度においても唱えられるあらゆる名の上におかれたのである。神はまたすべてのものを,その足の下に従わせ,彼をすべてのものの頭として会衆に与えられた。その会衆は,彼の体である」。―エペソ 1:16-23,新世。
19 (イ)世界支配権の保持および行使に関する正確な知識は,どのように私たちに明らかにされましたか。(ロ)この問題は,なぜこの世の政治集会または,「宇宙時代」の国家によつて決定されませんか。
19 世界の支配権を握りそれを行使すべく,最高全能の神によつて,任命された方が誰であるかを知るのは,何というすばらしい胸のおどることでしよう! この点に関して私たちは正確な知識をもつています。これは,この世の外交上の径路を通してでもなく,この世の諸政府の首脳や外務大臣の集会を通してでもなく,実に神の霊の啓発的な力のもとに神の御言葉を通して私たちに啓示されたのです。わたしたちの主イエス・キリストこそ,栄光のみ父が,天において地において,また地に住むことをゆるされるすべてのものを支配さすべく,昔から約束されていた新しい世の御国に即位させた方です。首脳会談がこれを決定することも,国連の総会がこれを決定することもないでしよう。また,ミサイルを最も多く貯蔵しているとか,空間征服において最も長足の進歩をとげた国または軍事ブロックがこれを決定することもないでしよう。それはずつと昔に,1900年前にすでに決定されたのです。そして,西暦1914年以降,神の聖なる奥義を成就するところの油そそがれた王をいただく,しばしば預言されてきた御国は,人間の宇宙ロケットや人工衛星のおよそ到達できない遠い天で力と支配権を行使しています。
20 どんな政治家たちの集会も妨害することのできない神の聖なる奥義のもう一つの点は何ですか。
20 神の奥義はもう一つの点を含んでいます。つまりそれは,このクリスチャン時代中に,人間の中から14万4000人の忠実な追随者の会衆が,天において王なるイエス・キリストと共になるために神より選ばれたことです。この地球の支配権を,どのように自分たちの間で分割するかを決定するための力ある政治家たちのどんな会談も,これをさまたげることはできません。
21,22 (イ)1914年にダニエルのどの預言が成就しましたか。(ロ)世界の支配権に関するそのまぼろしのどの部分が間もなく成就するでしようか。
21 聖書の預言から集められたあらゆる証明と,その預言を成就する地上の出来事は,世界の転換期1914年に,預言者ダニエルが見た次の幻が成就したことを意味しています,「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると,見よ,人の子のような者が,天の雲に乗つてきて,日の老いたる者のもとに来ると,その前に導かれた。彼は主権と光栄と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であつて,なくなることがなく,その国は滅びることがない」。
22 そして,イエス・キリストの聖徒である追随者の会衆に関する幻の後の部分,すなわち「ついに日の老いたる者がきて,いと高き者の聖徒のために審判をおこなつた。そしてその時がきて,この聖徒たちは国を受けた」も,間もなく成就するでしよう。神のみ使いは,この事をダニエルに説明して言いました,「国と主権と全天下の国々の権威とは,いと高き者の聖徒たる民に与えられる。彼らの国は永遠の国であつて,諸国の者はみな彼らに仕え,かつ従う」。―ダニエル 7:13,14,22,27,新口。
23 神の決定と取りきめに反して戦う際,諸国民はなぜ非実際的な知恵をもつて行動しているでしようか。
23 ミサイルを装備し,宇宙を調査している国々は,世界支配というこの問題をめぐつて熱いまたは冷い戦争をすればするがいいでしよう。この問題に関するヱホバ神の決定と行動を認識しさえすれば,彼らは戦争などする必要は全くないのです。彼らは,この問題に関する神の決定と取りきめを無視し,それに反して戦う際に,長年月にわたつて蓄積された軍事上の知恵をかたむけて行動するかも知れません。しかしながら彼らは非実際的な知恵をもつて行動するでしよう。彼らの戦争は誤算も甚しい戦争となるでしよう。なぜなら彼らは,小羊イエス・キリストの真の追随者である地上のヱホバの証者の,一見よわよわしい無防御の様子からヱホバ神を判断しそこなうからです。そういうわけで,実際的な知恵を欠いた諸国民,獣以上の悟りを示さない諸国民に関してこういうことが書かれています,「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが,小羊は,主の主,王の王であるから,彼らにうち勝つ。また,小羊と共にいる召された,選ばれた,忠実な者たちも,勝利を得る」。―黙示 17:12-14,新口。
賢明な先見を持つ
24,25 (イ)宇宙戦争において勝つ方の側につくことを望む人々はどんな態度をとりますか。(ロ)私たちは小羊のどんな助言に従いますか。
24 世界支配のための宇宙戦争に勝利を得る方の側につきたいと思う人々は,神の聖なる奥義に無知な諸国民には従いません。神と小羊イエス・キリストを誤算した戦争に巻き込まれることなど望みません。それら生命と幸福を愛する人々は,「聖なる奥義の中にある神の知恵」すなわちその「かくれた知恵」に一致して,小羊イエス・キリストの助言に従います。その助言とは,著しい大群衆がイエスについてきた時に与えられたものです。問題は,彼らすべてが,最後までイエスに従うか,そのために何が要求されるかを熟知しているか,ということでした。これについては次のように書かれています。
25 「さて大ぜいの群衆がついてきたので,イエスは彼らの方に向つて言われた,『だれにせよわたしのもとにきて,その父母,妻子,兄弟,姉妹,それどころか自分の魂まで憎まなければ,わたしの弟子になることはできない。だれでも自分の刑柱を負つて私に従わない者は私の弟子にはなれない。たとえば,あなた方の中の誰かが塔を建てたいと思うなら,それを仕上げるのに足りるだけのお金を持つているかどうかを見るために,まず坐つてその費用を計算しないだろうか。そうしないと,土台をすえただけで,それを仕上げるだけの資金がなく,それを見る人はみな『この人は建てかけたが仕上げるだけの資金がなかつた』といつてあざ笑うようになるであろう。また,どの王でも,他の王と戦いを交えに行くとき,まず座して自分の一万の軍勢がはたして敵の二万の軍勢に対抗し得るかどうかを考えて見ないであろうか。もし対抗することができないらなば,敵がまだ遠くにいるあいだ使者たちを送つて和を求めるであろう。それであなた方も自分の財産をことごとくふり捨てないならば,私の弟子になることはできない。塩は確かによいものである。しかしその塩でさえその効力を失えば,何にまぜることができようか。土にも肥料にも役立たない。人々はそれを外に投げ捨ててしまう。聞く耳のある者はきくがよい」。―ルカ 14:25-35,新世。
26 見張り塔を建てたり,優勢な敵と戦争をすることに関し,何をすることが実際的な知恵でしようか。
26 塔の建設を可能にする物資を確保または保護するには,塔が必要な高さまで建てられるだけの資金がなければなりません。人の嘲笑やからかいを受けないようにするには,実際的な知恵を働かせて,建てはじめる前にまず,その目的の塔の完成に十分なだけの金があるかどうかを計算し,愚かにも時間,資材,精力,金を浪費しないようにしなければなりません。戦争の場合においても悲惨な敗けいくさをしたり,軍隊と自分が,もろともに潰滅するうき目を避けるには,王は良識を示して,よく考えなければなりません。2倍の軍隊と,恐らくよりすぐれた装備をもつて向かつて来る王に対抗して勝目があるか。それとも和を求めて戦わない方が安全か。もし後者の方が得策ならば,和を求める事は弱い方の王にとつて実際的な知恵と言えるでしよう。
27 1959年のベルリン危機対策に際し,この世はどんな知恵を示しましたか。しかし迫りつつある宇宙戦争に関しては実際的知恵をもつて行動していない状態について述べなさい。
27 この宇宙時代においても同じことです。1959年,ベルリンに危機がのぞんだ時も,紛争当事者双方に,ひどい破壊的結果をもたらす核戦争を敢行するよりは,話し合いの方が得策であると人々は考えました。しかし,近づきつつある全能の神と,この悪い組織制度との宇宙戦争はどうでしようか。このもつと大きな戦争においては,諸国民は話し合いの必要を認めていません。ハルマゲドンが奇襲をかけるようにやつて来る前の今,使いを送つて全能の神に和を請う必要を認めていません。でも,全能の神に敵対する彼らに勝ち目はさらにないのです。ハルマゲドンで交戦するまで,証者を通じてのヱホバの警告を無視しつづけるということは,この世のすべての国家にとつて滅亡を意味します。そのように彼らは実際的な知恵を示していません。
28 黙示の霊は,地の王たちが集められつつあることを,どこで私たちに示していますか。
28 すべての知恵と良識において神の過分の御親切をゆたかに与えられている私たちは,世界の支配者と同じように行動することはできません。私たちは,「知恵と黙示との霊」によつて与えられた神に関する「正確な知識」により,「心の目を明らかに」して行動しなければなりません。私たちは,預言的黙示が,印象的な話し手たちの口から出る「悪鬼に霊感された表現」について述べた事がらを,明らかにされた目をもつて見ます。「これらは……全世界の王たちのところに行き,彼らを召集したが,それは,全能なる神の大いなる日に戦いをするためであつた。……三つの霊は,ヘブル語でハルマゲドンという所に王たちを召集した」。(黙示 16:13,14,16)王たちが,全能の神と王の中の王によつてもたらされる破滅へと集められているのを私たちは,はつきりと知つています。私たちヱホバの証者の各人は実際的知恵をもつて行動し,王たちと共に行くことを拒絶しました。
29 私たちはそれらの王たちとは異なりどのように行動してきましたか。そして,愛する肉親に対する憎しみをどのように示しましたか。
29 私たちは,神の小羊イエス・キリストを通して神に和を求めました。私たちはイエスの血を通して罪の宣告から解き放たれ,神に対して犯した罪過のゆるしを受けます。私たちは事業をすつかり完成させるに必要な費用を計算して合計を出しました。そしてそれに必要な個人的費用を自分でまかなうことにきめ,また神のたすけによつてその費用を支出できることを確信したので,私たちはすべての利己的な所有物を捨て,いま統治しておられ御子イエス・キリストの弟子となるために,神に献身しました。このことは,自分の親戚,父,母,妻,子供,兄弟,姉妹を憎むこと,あるいは少なく愛することを意味しました。私たちは,いまもつているこの地的生命さえ惜しみません。
30,31 (イ)私たちはなぜいつも「地の塩」でなければなりませんか。(ロ)弟子になつた後,しりぞくことは,なぜ非実際的な知恵ですか。
30 私たちは,かなりの間,弟子としてキリストに従つてきました。ですからいまあえてその決意を弱めるようなことはしません。また効力を失つて役に立たなくなつた塩のようになろうとも思いません。そういう塩のようになるということは,役に立たない者,この世の嘲笑のまと,神にふさわしくない者,それどころか神に非難をもたらす者となることです。そうなれば,効力を失つて不潔になつた塩と同様,外に捨てられて踏みつけられるだけの価値しか残りません。それは破滅を意味します。
31 私たちはいつまでも「地の塩」でなければなりません。(マタイ 5:13)まず最初に,弟子となるための費用をすわつて計算してみることは実際的な知恵です。であれば,弟子となつた後に,支出をこばみ,最後まで弟子としての立場を保たないことは,非実際的な知恵です。この世的な知恵は,手を引くのが最善のように思わせるかも知れません。しかしそのような知恵は実際的ではありません。また良識でもありません。というのは,それは自己本位に見てしばらくの間有利かも知れませんが,最後には恥辱と破滅をもたらすことを示しているからです。実際的な知恵は,すべての費用がまかなわれて,弟子に与えられる輝かしいむくいが自分のものとなるまで,ためらうことなく費用の支出を継続します,私たちは,神の小羊が行くところなら,どこえでもついて行かねばなりません!―黙示 14:4。