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  • 「御心が地に成るように」(その39)
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
塔60 8/1 292–295ページ

「御心が地に成るように」(その39)

私たちは「御心が地になるように」という本の一番最後の章である第15章に来ました。この本は,1959年1月1日号の「ものみの塔」から始めて,部分的に掲載されてきたものです。ついには誰の意志がこの地上で行なわれるかという質問について考えてきました。ダニエルの記録した預言を通して,私たちは聖書歴史と預言に録されている七つの世界強国の行進を検討しました。そして,北の王と南の王とのあいだの幾千年にもわたる争いについてもずつと検討をつづけました。そして,その争いは今日,共産主義の諸国家と民主主義の諸国家間の冷い戦争という段階に達したことを知ります。いま肝要な質問が私たち各人に直面しています。

第15章

あなたは誰の意志を支持するか

 1 東と西が全人類に強制しようとしている意志のどちらかを選ぶということにおいて,なぜ見識の深い聖書愛好者はその二つのどちらかを選ぶかどうかいうことに不たしかではありませんか。

実際的な心,正しい心を持つ人は,みな必ず勝利を得る意志の側に立ちたいと欲します。今日,政治支配者や政党は,自分たちの意志を国民におしつけるため,あるいは自分たちの意志を地上で最高のものにするためはげしく戦かつています。どの意志あるいは目的が,ついには勝ちますか。人はどちらの意志を選ぶべきですか。選ぶという事柄においては,共産主義的な北と民主主義的な南から締めつけられている人間はやつとこの歯にはさまれているように見えます。両方の側とも自分の意志を広く行なわせようと戦つているため,事情に通じない人はどちらの側が勝つだろうかと疑問に思つています。エホバ神の預言に通じている聖書愛好者は,どちらの側も勝たないと知つています。共産主義は民主主義を負かしません。西の民主主義は,共産主義を根こそぎになくすことができません。両方の側も倒れます。それでは,なぜそのどちらかを支持するのですか。

 2 そのどちらかの意志を支持することは,誰を支持することを意味しますか。支持をうけるこの者は,どんな手段を用いて全地を惑わしていますか。

2 そのどちらかを支持することは,彼らがその一部になつているこの世の神,すなわち彼らの目に見えぬ支配者を支持することです。聖書は,この支配者について明白に述べています。聖書の言葉によると,サタン悪魔は『現在のこの組織制度の神』です。(コリント後 4:4,新世)この世の組織制度,サタンの組織に従うすべての者の心には,サタンの意志が押しつけられています。東の群れにせよ,西の群れにせよ,あるいは中立の群れにせよ,全国民はサタンの悪鬼共により「全能の神の大いなる日の戦争」に集められています。(黙示 16:14,16,新世)すべてのものは,宇宙的な戦争のために,一方の側に集められています。「悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへび」は反対し合うあらゆる側の政治的な思想を用いています。(黙示 12:9,新口)「全世界は悪しき者の配下にあること」は全く明白です。(ヨハネ第一書 5:19,新口)これらのことを観察する際に神の御言葉を否定することはできません。

3,4 (イ)誰たちの意志のなかから選ぶことは,最終的で最重要な決定ですか。悪魔と共に働くことは,何を意味しますか。(ロ)この世に従うことは何を意味しますか。ロマ書 12章2節は,私たちが何を行なうことを助言していますか。

3 私たちは事実から隠れることはできません。私たちは事実を避けることができません。私たちの下さねばならぬ決定は,反対し合う人間の意志のどちらにつくか,ということでありません。すべての人間はエホバ神に反対する超人間者のの意志に従うからです。最終的で最も重要な決定は,サタン悪魔の意志かエホバ神の意志か,そのどちらかを選ぶことです。私たちは,サタンの意志か,神の意志か,そのどちらかを支持しなければなりません。私たちは,この世の神であるサタンと共に働きたいだろうか,と自問すべきです。私たちは,使徒パウロと同じく正義の新しい世のエホバ神と共に働くことができるのです。使徒パウロは次のように述べました,「わたしたちはまた,神と共に働く者として,あなたがたに勧める,神の恵みをいたずらに受けてはならない」。(コリント後 6:1,新口)サタン悪魔と共に働くということは,エホバの御心が勝利を得るときに,サタンと共に滅ぼされるという意味です。

4 サタンの世は,その「終りの時」の終結に近づいています。それはなくなつてしまいます。このことは現在の絶対たしかな証拠にもとづいて真実のことです。なぜこの世やこの世の一部に愚かにも従つて,失望を感じ,それと共に永久になくなるのですか。勝を得られる神の御言葉からの助言は,次のように述べています,「この世の組織制度に従うのをやめなさい。むしろ,神の善にして御旨にかなう全き御心をわきまえ知るために,あなた方の思いをかえて変化しなさい」。―ロマ 12:2,新世。

 5 神の御国が来るようにという主の模範的な祈りを唱えるとき,私たちは何を祈つていることになりますか。もしこれが私たち自身の意志であるなら,私たちは神に対してどんな行ないを取るべきですか。

5 私たちは「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。御国がきますように,みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」という主の祈りを唱えていますか。もし私たちがこの祈りを繰り返し唱えるなら,私たちは神の御国がこの世のすべての国と支配権を滅ぼすように祈つているのです。この点において,神の御こころは私たちの意志ですか。もしそうでないなら,私たちは主の祈りを祈ることを止めるべきです。しかし,もしそうであるなら,私たちは正直にも神の御こころを私たちの生命の意志にするべきです。私たちは彼の御心を行なうよう彼に全く献身して,彼の御心に一致して生活をすることを自分の意志にしなければなりません。主の祈りを教えた方を通してエホバに献身することが早すぎるということはありません。時はおそいのです。

 6 どんな世界強国が崩壊としようとしていますか。歴史の型によると,なぜ患難は予期された通りに起りますか。滅びは誰によつて来ますか。

6 全地は,ノアの大洪水の時以来かつてない程の混乱状態に陥つています。これには当然の理由があるのです。第7番目の世界強国である英米両国の世界強国の滅亡は,間近かにせまつています。そのことを考えてごらんなさい! ダニエルがベルシャザル王の食堂の壁に表われた文字を解釈した晩と同じく,人類の歴史上でいちばん強力な世界強国はまさに崩壊しようとしているのです! この終りは,英国の上院が1931年にウエストミンスター律令を通したとき程に容易なものでなく,平和なものではありません。そのとき,英連邦の国々が創設されたのです。ロンドンの「スペクター」紙は,次のように述べました,「古い大英帝国は,戦争と共に過ぎ去つた。そして,その代りに英連邦が立てられた」。(1931年11月26日)これに加えて,英米両国の後押しする第8番目の世界強国,すなわち国際連合の終りも近づいています。過去においてはエジプト,アッスリヤ,バビロン-メデヤ,ペルシャ,ギリシャ,ローマ,そして国際連盟のような世界強国の滅びには,大きな患難がともないました。いまでは,全歴史における最終的な世界強国が倒れようとしています。本当に共産主義も倒れようとしているです! 歴史の型によると,患難は予期された通りに必ず生じます。その患難はすでに私たちにのぞんでいます。しかし,さらに悪い患難はこれから来ます。なぜなら,その滅亡は自殺的な核戦争を行なう人間から来るのでなく,全能の神から,キリストが力をとつておられる神の御国から来ます。全世界は終ります!

 7 偽善の気持を抱かずに主の祈りを繰り返し祈りたいなら,私たちが何をすることは必要ですか。このことをすることは,私たちの生活内に何を持つことを意味しますか。

7 偽善の気持を抱かずに主の祈りを繰り返し唱えたいなら,天の御父に真心から献身することが必要です。私たちは天の御父の御心が行なわれるように祈ります。口先だけで彼に近づきながら,心は彼と彼の御心から遠く離れている,というようなことがあつてはなりません。天の御父に献身することは,私たちの生活内に,霊感された目的を持つことです。その生活は,神と祝福された新しい世の天的な御国のための生活です。それは永遠にわたる目的となります!

 8 それで献身は,誰に従うことを意味しますか。神の御国が支配していて,あらゆる場所で伝道されているいま,彼は私たちが見ならうべきどんな模範を残しましたか。

8 このことは,キリスト教国あるいはユダヤ教の国々の教会とか宗派的な宗教制度に入ることを意味しません。それは,エホバの正しい羊飼,イエス・キリスト御自身に従うことを意味します。彼はかつて人間でした。そして,人間であつたイエスは,人が見ならわねばならぬ完全な模範を残されました。今日エホバの証者があらゆる場所で行なつているごとく,洗礼者ヨハネが神の御国を宣べ伝えたとき,イエスはその御国についてエホバの御心を行なうために献身しました。彼は預言的な次の聖句に従つておこなつたのです,「その時,わたしは言つた,『神よ,わたしにつき,巻物の書物に書いてあるとおり,見よ,御旨を行うためにまいりました』」(ヘブル 10:5-7,新口。詩 40:7,8)それから,イエスは神への献身を公に象徴したしるしとして,神と聖なる御使たちの前で洗礼をうけられました。彼はその献身を忠実に果したので,その天的な御国でいま支配しておられるエホバの王になれたのです。神の御こころを行なうために,彼が献身したことは,「御国がきますように。みこころが……行なわれますように」祈れと教えた彼の祈りと全く一致していました。それで,私たちも生活を祈りと調和させるよう正直につとめましよう。神の御国は支配しています!

 9 神の御心が何であるかを知るために,私たちは何の研究を避けることができませんか。このことにより,私たちは誰に引かれて献身しますか。

9 神のみこころは,私たちのために,聖書の中に書かれています。そのほかに,イエスは神のみこころを行なうことを例証されました。神の御こころが何であるかを知るためには,神の御言葉そのものの研究を避けることができません。書かれている神の御言葉から私たちを遠ざける宗教的な本は,神の御こころについての真理を私たちに与えません。私たちはマケドニヤのベレヤ市にいた信者がした通りのことをしなければなりません。使徒パウロは聖書を拒絶したテサロニケから追い出されて,彼らのところに来て話をしました。「ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であつて,心から教を受けいれ,果してそのとおりかどうかを知ろうとして,日々聖書を調べていた」。そういうわけで,彼らのうちの多くの者が信者になつた」。(使行 17:11,12,新口)神の御心を行なうために神の御心を知りたいと思う人は,できるなら各人が自分の聖書1冊を持つべきです。神の書かれた御言葉を信ずると主張する者に向かつてイエスは次のように言われました,「あなたがたは,聖書の中に永遠の命があると思つて調べているが,この聖書は,わたしについてあかしをするものである」。それで,エホバはその書かれた御言葉によつて私たちを教え,そして私たちを指導者なる御子イエス・キリストにひかれます。(ヨハネ 5:39,新口; 6:45,新口)それで,私たちはイエスにより信仰を持ち,エホバ神に献身します。私たちはイエスの弟子になります。

10 神の御言葉を理解するために,私たちはどんな援助を必要としますか。この「終りの定められた時」において,神は誰の中にこの必要な援助を備えておられますか。

10 神の御言葉を理解して,神の御心を見分けるために,私たちは援助を必要とします。私たちは,祈りのほかに神の聖霊を必要とします。私たちはまた神に献身している制度の民を必要としています。聖書を読んでいたエチオピヤ人は,その事実を認めました。福音伝道者のピリポが,「あなたは,読んでいることが,おわかりですか」とたずねたとき,彼は「だれかが,手びきをしてくれなければ,どうしてわかりましよう」と答えました。彼は勉強を手びきしていただきたいとピリポに願いました。援助をうけたそのエチオピヤ人は,神の御心を認めて,即座に献身し,ピリポはキリストを通してその献身の象徴として水の洗礼を施しました。(使行 8:28-39,新口)使徒パウロは,ベレヤ人の聖書研究を援助したので,多くの人々が信者になりました。さて,1914年以来のこの「終りの定められた時」にエホバは「その神を知る民」すなわち神の聖所級を出現させました。多数の「他の羊」が,この聖所級に交わつて,彼らの知つている神エホバに献身しました。これらの者たちもエホバの証者になりました。民のうちの「賢い」人々は,ダニエル書 11章32,33節および12章3節の預言を成就して,「多くの人を悟りに至らせます」。ほんとうに,彼らは「大空の輝きのように輝き」「多くの人を義に導」きます。これらのエホバの証者は,援助を望んでいて,よろこんでうけいれるこの本の読者を援助するよう命ぜられています。

11 献身することによつてイエスの弟子になるすべての人は,マタイ伝 28章19,20節に一致するどんないましめに従わねばなりませんか。

11 イエス・キリストは,彼らに次のように命じました,「それゆえに,あなたがたは行つて,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。―私ちはいま世の終りにいるのです。(マタイ 28:19,20,新口)イエスの行なつたごとく,エホバ神に献身してイエスの弟子になる人は,みな水の洗礼を受けよという命令に従わねばなりません。彼らはまた地上の目に見える制度を通して神の与えたもう教えをも受け入れなければなりません。

12 人は献身して後も,なぜ聖書を研究しつづけねばなりませんか。このことに従い,人は何に出席せよと命ぜられていますか。

12 人は,献身した後でも聖書を研究しつづけて,神の御心をさらに知りきわめねばなりません。それは更に他の人を教えて産出を多くするためです。パウロはクリスチャンの聖なる者たち,聖徒たちのために祈りました。なぜ?「あなたが知恵においても,霊的な分別においても,神の御心の正確な知識にみちることである。それはエホバにふさわしく歩み,そしてあらゆる良きわざを行なつて実を結び,神の正確な知識を増して,エホバを全くよろこばせるためである」。(コロサイ 1:9,10,新世)この目的を持つ献身したクリスチャンは,エホバの献身した民との交わりを求め,できるならそのすべての集会に出席しなければなりません。そして,次のいましめに従います,「約束をして下さつたのは忠実なかたであるから,わたしたちの告白する望みを,動くことなくしつかりと持ちつづけ,愛と善行とを励むように互につとめ,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか」。(ヘブル 10:23-25,新口)このような安全な仕方のうちに,人はエホバ神の聖所でエホバ神を崇拝することができます。―詩 150:1。

13 拒絶されるのを避け,救われるためには,私たちは何をしなければなりませんか。

13 私たちは,「不法を働く者」になつて,救いを拒絶されたいとは欲しません。救われるためには,私たちは神の御心を行なわなければなりません。それは神の御心です。イエスは次のように言われました,「わたしにむかつて『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ,天にいますわが父の御旨を行う者だけがはいるのである」。―マタイ 7:21-23,新口。

14 いまの私たちに対するエホバの御心は,主として何ですか。

14 この「終りの時」の私たちに対するエホバの御心は,主として何ですか。イエスは次のような言葉でこう預言しました,「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14,新口)私たちはこの最終的な証言を与えねばなりません。私たちは最後にいたるまでこの良いたよりを伝道することによりエホバの証者でなければなりません。

15 いま地上でエホバの御心を行なうことには,どのような報いがもたらされますか。そして,従順な私たちは,どんな祈りにふさわしい生活をすることができますか。

15 いま地上でエホバの御心をすることには永遠のむくいが与えられます。それはエホバの恵みのうちに永遠に生きることを意味します。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。(ヨハネ第一書 2:17,新口)天におられる私たちの御父を愛して,御父に忠節に従いつづける私たちが,次の祈りに絶えずふさわしい生活をすることができますように,「みこころが天に行われるとおり,地にも」― 永久にわたつて ―「行われますように」!

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