神の目的とエホバの証者(その20)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
支部の再組織
トム: 大戦後アメリカ合衆国以外のわざはどのように拡大しましたか。
ジョン: この時までには,ものみの塔文書に対する出版検閲はカナダで取りのぞかれました。これは1920年1月1日に実施されたので,カナダの聖書研究生たちはアメリカの兄弟たちと協力し,カナダ地方での清い崇拝の拡大のために強力な運動を展開し始めました。a また,支部事務所はトロントに移されました。b
1920年8月12日,ルサフォード兄弟と少数の同行者はニューヨークを出発して欧州に行きました。ロンドングラスゴー,そして他の英国国内の都市で一連の大会が開催され,多くの興味が示されました。ルサフォード兄弟と幾人かの兄弟は,それからエジプトとパレスチナに行き,他の事務所や聖書研究生のクラスを訪間して,それらの場所におけるわざを強化しました。c これらの大会や後日のアメリカの大会で,新しいわざが開かれて,いっそう重大な運動が行なわれることを示す聖書的な論議がなされました。
協会の会長は,この訪問の後に,その年次報告の中で次のように書きました。
世界大戦中ブルックリンにあった本部事務所と世界各地の支部事務所とのあいだのわざについての協力は,非常な妨害をうけました。そして,1918年迫害がアメリカで非常に大きくなったとき,本部事務所と外国事務所との関係は,実質上には切断されるにいたりました。しかし,次のような報告をすることは私共の喜びであります。すなわち,その時以来精神面だけでなく活動の面でも以前と同じ一致の関係が完全に復旧しました。そして,外国の地におけるわざは良く進歩して,主に栄光を帰し,主の民を励ましています。1914年から今年にいたるまで,本部事務所の代表は欧州事務所を訪問することができませんでした。しかし,本年になって,外国の兄弟からの強いすすめもあり,また本部事務所の理事会からの提言もあったので協会の会長は,欧州を訪問しました……
世界大戦は欧州中心部でのわざを大きく解体しました。しかし,わざはいま急速に進歩しています。協会の会長が欧州中心部を訪問したとき,わざをよりいっそう効果的にする取りきめが設けられました。数ヵ国から来た兄弟たちと協議した後,中央ヨーロッパの事務所を開設することはわざのためにいちばん良いと思われました。それは後に実施されました。この事務所は,ものみの塔聖書冊子協会の中央ヨーロッパ事務所として知られ,さしあたってスイスのチューリヒにつくられますが,間もなくスイスのベルンに移転します。この事務所の管轄下にはいる国々は,スイス,フランス,ベルギー,オランダ,ドイツ,オーストリアそしてイタリアです……
真理にまったく献身してる幾人かの兄弟たちは,スイスにひとつの印刷施設を組織しました。そして,良い印刷機械や,たくさんの言語用の活字を備えつけました。そして協会は,欧州で使用する文書の出版のためにこの印刷会社ときわめて有利な契約をむすぶことができました。この事務所は,いまこれらの国々で使用する多量の文書を準備しています。最近,協会の会長が欧州を訪問したとき,英国,スカンジナビア諸国,そしてスイスで印刷が始められました。そして,いまでは「現存する万民は決して死することあらじ」という本の55万冊が印刷を完了したか,あるいは準備の途上にあります。d
ルサフォード兄弟は,この報告の中でシリアでもわざが拡大していると述べました。そして,ナイル河に沿ったところに証者たちを送って,アラビア語を話すその地のクリスチャンたちに伝道させる計画もつくられました。エルサレムの町から見える距離にあるパレスチナのラマラに支部が設立された,とも彼は報告しました。e
1921年にも拡大はつづきました。年次報告は,7つの国に奉仕した中央ヨーロッパ事務所をふくめて18の外国事務所を記しています。これらの事務所は,欧州から始まって南アフリカ,インド,オーストラリア,韓国,カナダ,そして南アメリカにおよびました。南アメリカの支部は,トリニダードに所在しました。協会は,これらの支部のほかに,12の「国内」支部をアメリカ合衆国内に設置しました。それらは,各国の言語を語るちがった国籍の人々に奉仕するため組織されたものです。f
ポーランドからの一経験は,興味深いものです。
わざは急速に進歩発展しています。クラスは増加しており,兄弟たちの数は順調に増加しています。ワルシャワでは,毎日曜日約700人が朝の集会に出席します。最近,ポーランドの一兄弟は真理を伝道したためにクラコウで逮捕されました。彼はいろいろのことで告訴されましたが,その中でも法王に対する名誉毀損も含まれていました。彼は聖書を使用しつつ,弁論しました。そして,裁判官は兄弟が完全な弁論をしたと述べ,釈放を宣言しました。そして,兄弟には,そのような話しをする権利を聖書から与えられていると告げました。このため,真理に対する興味は増加しました。迫害があったので人々はこの人の迫害された理由を知るにいたりました。g
新しい本,新しい伝道活動
活動がこのように増加したことは,ブルックリン・ベテル本部にいた兄弟たちに仕事が増し加えられることになりました。さらに,協会は自力で印刷をいくらかすることに決定しました。兄弟たちが刑務所にいるうちにブルックリン幕屋は売られてしまったので,工場はブルックリン・マートル街に所在し,印刷施設が設けられました。本部の家族は,いまは107名に増加しました。本部は,1920年9月29日号,第27号の特別号の「黄金時代」(英文)を幾百万部も発行したのです。
それで,1920年の初期からわざは前進しました。このとき,始めて「ものみの塔」は協会の印刷機械によってつくられました。これは1920年2月1日号でした。1920年4月14日号の「黄金時代」から,これも協会の印刷機で印刷されました。h その年には新しい雑誌「黄金時代」(英文)400万部以上を印刷するために38台の自動車に積載された紙が使用されました。これはその1年間になされた全部の印刷のうちの一部に過ぎません。i 拡大は急速でした。1922年になると,文書を印刷するために大きな場所が必要でした。それで協会はプルックリン,コンコード通り18番にあった6階の建物に工場を移しました。ここで協会の書物は始めて印刷されるようになりました。しかし,1926年までには,この建物も狭くなりました。協会は,こんどは協会の必要を全くかなえる建物をつくることを決定しました。ブルックリン,アダムス街117番に土地を得てから,新しくて大きい,現代的な8階建の建物がつくられました。それは,ベテル本部から歩いてちょうど10分かかるところにあります。j そのときにベテルの家も再建されて大きくなりました。k でも,あんまり話を進めたいと思いません。もうすこしくわしいことは後になってお話しましょう。
ロイス: 兄弟たちはパストー・ラッセルの書いた本を使用しつづけましたか。
ジョン: 「聖書の研究」(英文)の使用が励まされていたとき,その第7巻は広く配布されました。これからの出版物の配布に関連して,「万民運動」と呼ばれる新しいわざが始まりました。これは実際には,1920年9月25日に始まった公開講演運動であって幾百万人もの人々の注意をひきおこすためでした。それは,1920年の終りに出版された「現存する万民は決して死することあらじ」という本の中に載せられた講演を中心にしていました。l これは,ルサフォード兄弟が1918年2月24日に始めて行なった講演でした。それはカリフォルニア州で熱狂的な結果をひきおこしたのです。この本は,デンマーク ― ノルウェー語,フィンランド語,スウェーデン語,フランス語,ドイツ語,オランダ語,イディッシュ語,ギリシャ語,アラビア語,ロシア語,ポーランド語,マラヤラム語そしてビルマ語にも翻訳され,出版されました。この運動が効果をおさめたことを示すひとつの例は,1920年の年次報告の中に載せられています。次のようです。
欧州のある所でルサフォード兄弟のした4つの公開集会でこれらの本5050部が売れた。これは人々が真理を熱心に求めたことを示す一つの例に過ぎない。ドイツでこれほどの興味が示された時はいまだかってないことである。大群衆が来ている。反対も高まっているが,真理も高まっている。a
この運動は2年間つづきました。128頁の「万民」の本を配布することに加えて,大都市では大々的な広場での宣伝がなされ「現存する万民は決して死することあらじ」と題する文字が大きく示されました。新聞の宣伝も使用されました。この宣伝運動は非常に大がかりなものであったため,この独特な標語は警語のようになって,今日でも私たちが会う大ぜいの人々はこの運動をおぼえているくらいです。
このわざは,以前に行なわれていた「牧羊のわざ」とはすこしちがうものでした。以前には人々に本を貸しましたが,これらの本は寄付と引きかえに配布されました。人々は本を読んで,それから「聖書の研究」(英文)を求めたのです。
1921年になると,別の本をつくることが適当となり,別の本はつくられました。ジェー・エフ・ルサフォードの書いた「神の立琴」は,1921年12月1日に発送され始めました。この本は,きわめて人気のある研究の手引きで,長年のあいだ使用されました。この本は善意者を援助して,神のみ心を知らせるのに大きな力となりました。「ものみの塔」に出された出版前の次の広告の言葉に注意してごらんなさい。
「神の立琴」がその題である。この本は,神の計画全部を秩序正しくわかり易く述べている。ちょうど聖書である神の立琴の10の絃のように,この本の見出しは次のようだ。創造,正義の表明,アブラハムの約束,イエスの誕生,あがない,復活,啓示された奥義,われらの主の再臨,教会の栄化,復興。
この本は子供の本ではない。しかし,それは入門者の本であって,適当な質問がつけられているので,入門者が年若い者でも,年老いた者でも,容易にこの本を理解して益をうけることができる。それぞれの番号の終りには教義問答の質問がこの本の中に印刷されており,個人的にもまた級としてもすぐに研究することができる。章の数は11で,頁数は384頁である。節の数は,624で,700以上の聖句が参照されている。b
この本は聖書研究の手引きでした。この本の中に質問も印刷されていましたが,それに加えて,印刷費と郵送料を払いこむだけで,質疑応答の通信教課も設けられました。そのことは,この本の新版とともに1922年1月4日号の「黄金時代」(英文)に始めて宣伝されました。
題目に従う聖書研究の,短いがしかし十分抱括している課程を望むすべての人々に,いまその機会が提供されている。この課程は,最近この頁に発表された384頁の本「神の立琴」を手引きの本として使用している。
11の章のそれぞれには数多くの質問がついている(多くの場合,一つの節に対していくつかの質問)ので,どなたでも良く理解できるだけでなく,その考えを十分に判断してしっかり保つことができる。
しかし,研究に対する興味をいっそう励ますため,協会本部は,合計12頁の質問用紙を,一定の間を置いて,「神の立琴」の研究生版購入者に送る。
この研究生版は,以前に発表された図書版と同じ版から印刷されている。余白は小さく,紙はうすい。それで,この本をポケットのなかやハンドバッグの中に入れて持ち歩くことができる。汽車とか市電に乗っているときの余暇を十分に利用することができよう。本はしっかりした布表装である。
この本の値段は,郵送料込みで68セント(245円)で,12教課の費用も含まれる。日曜学校の先生バイブル・クラスの指導者,そして聖書の全研究生にとって,この教課は最高の価値を持つ。c
これらの12の教課は,地方のクラスあるいは会衆からも郵送されました。家から家に伝道した兄弟たちは,この本と共にこの教課全部をも提供し,それから質問用紙を毎週郵送しました。平均して一クラスはこの奉仕のために毎週400枚から500枚のカードを取りあつかいました。このわざは,長年のあいだつづけられたのです。
「神の立琴」は特別に好評を得た本でした。これは,「聖書の研究」(英文)から独立した最初の本にあたります。年月が経つにつれて他の本もこの連続本につけ加えられました。「神の救ひ」(英文)は1926年,「創造」(英文)は1927年,「和解」(英文)と「政府」(英文)は,1928年に出版されました。1927年,協会は「年鑑」(英文)を初めて発表しました。それは現在までつづいています。さて協会は自分の施設を使用することにより,本をつくって,1冊に対し25セント(90円)で配布することができました。そのとき以前では,1冊に対して50セント(180円)から75セント(270円)が必要だったのです。1冊に対して25セント(90円)の寄付をうけ取ることは,長年行なわれました。1919年,協会は1879年7月から1919年6月15日号までの40年間に印刷された「ものみの塔」(英文)を再び印刷することを決定しました。これらは7巻に表装されて,真理に新しい人々は最初の予約費の3分の1の費用でこの貴重な参照資料を受け取ることができました。d
増し加わる光におくれずに行く
トム: パストー・ラッセルには後継者がいないと考えた人もおり,ある人々は「完成された奥義」(英文)に反対した,とあなたは以前に言われましたね。それらの人々は,ルサフォード判事の書いたこれらの新しい本に対してどう感じましたか。
ジョン: 少数の人だけ反対しました。大多数の兄弟たちは,発表されたこれらの新しい出版物の持つ大きな価値と時機に適していることを認めました。しかし,すでにお話したとおり,いつの時でも過去の中に生活して現在の真理の光にとどまるのに必要な積極的な態度を保たない少数の人はいます。エホバのわざはいつでも進歩しています。そして,特に1919年から1922年までの幼籃時代に兄弟たちは彼らの持つすべての霊的な力を必要とするわざに対して準備しました。すると,時代と一般人の必要に適した新しい霊的な食物が必要になったことになります。
ラッセル兄弟自身も,むかしそのようなことの必要を認めました。1906年7月15日号の「ものみの塔」(英文)の中で,彼の言っている言葉に気をつけてごらんなさい。
「三つの世界」(英文)あるいは「日のあけぼの」(英文」の旧版を持つある人々は,多分それらの本についての私の現在の見解を知りたいと思うであろう。それらの本は,真理を求める人々に貸してあげるだけ益のある本だろうか。私は,全く益のない本であるときっぱり答える。なぜなら,それらの本に述べられている神の真理についての未熟な見解は,神のすばらしい計画としてわれわれがいま知っているものよりずっと低いからである……教える者となることは,本や新聞を配布するということにおいても,責任のある事であると主は私に教えた。「考えるクリスチャンのための食物」(英文)(これも解版された)という本でさえ,私はもうすいせんしない。なぜなら,それは後日の出版物にくらべて統一が足らず,不明瞭であるからだ。e
それで,基礎的な真理は協会の見解と理解内で一度も変わったことがありません。しかし,全き日に向かうにつれて光はますますあかるく輝くという聖句は成就されました。f その光におくれずについてきた人は日々つよめられて,御国のこの良いたよりを伝道する進歩的なわざに参加しつづけました。
1920年,「ものみの塔」(英文)の7月1日号のなかで,御国の福音を世界的に伝道することについてマタイ伝 24章14節が引用されて後,「御国の福音」という中心記事は,次のことを指摘しています。
福音時代中に柔和な者に伝道された福音が伝道されると彼が言っていないのに注意するべきだ。彼はどんな福音を意味したのであろうか。福音は良い知らせという意味であるる。ここの良いたよりとは,古い組織制度の終りと,メシアの御国の設立に関するものである……
ここに言われている順序によると,この音信は世界大戦の時と,主がマタイ伝 24章21,22節で述べた「大患難」の時のあいだに言われねばならない。……したがって,
いまこそ教会はキリスト教国内のいたるところにこの良いたよりを述べ伝えねばならない。
「全部の者への働き」という副見出しの下に出た活動をつよくすすめるこの召は,「万民運動」を紹介しました。これは,1919年から1922年までの準備年代中にすばらしい結果をおさめました。兄弟たちは新しい霊的な食物で力づけられて真の崇拝を復興しました。しかし,彼らはまた御国証言の大切な仕事に熱心に参加しました。これらの準備的な段階は,1922年に始まった極めて意義探い運動に備えて彼らを力づけ,備えを与えました。g
[脚注]
a (ノ)1920年の「ものみの塔」(英文)36頁。
b (イ)(イ)1920年の「ものみの塔」(英文)374頁。
c (ロ)(ロ)1920年の「ものみの塔」(英文)242,307-311頁。
d (ハ)(ハ)1920年の「ものみの塔」(英文)373,375頁。
e (ニ)(ニ)1920年の「ものみの塔」(英文)375,376頁。
f (ホ)(ホ)1921年の「ものみの塔」(英文)372-379頁。
g (ヘ)(ヘ)1921年の「ものみの塔」(英文)377頁。
h (ト)(ト)1920年4月14日号の「黄金時代」(英文)の表紙,1920年3月31日号の表紙と比較して見なさい。
i (チ)(チ)1920年の「ものみの塔」(英文)371頁。1921年の「ものみの塔」(英文)371頁。
j (リ)(リ)1922年の「ものみの塔」(英文)98頁。1928年の「年鑑」(英文)42頁。メッセンジャー(英文)1946年8月12日,15頁。
k (ヌ)(ヌ)1928年の「年鑑」(英文)25-28,37-44頁。
l (ル)(ル)1920年の「ものみの塔」(英文)127,258頁。
a (オ)(オ)1920年の「ものみの塔」(英文)375,376頁。
b (ワ)(ワ)1921年の「ものみの塔」(英文)351頁。
c (カ)(カ)1922年1月4日号の「黄金時代」(英文)裏表紙。
d (ヨ)(ヨ)1919年の「ものみの塔」「英文」258頁。
e (タ)(タ)1906年の「ものみの塔」(英文)236頁。
g (ソ)(ソ)1920年の「ものみの塔」(英文)199,200頁。1946年の「ものみの塔」(英文)235頁
[381ページの図版]
1922年,コンコード通り18番にあった工場
[382ページの図版]
ルサフォードの最初の本