家族もエホバの賛美に加わる
1963年のエホバの証者の年鑑より引用した心をおどらす経験
ニューカレドニア島
年の始めに,非常な増加をみたこの島では,小さな御国会館を建てる必要が生じました。フィジー支部管轄下の最初の御国会館です。しかしそれでも,たくさんの善意ある人々や,好意をもった人々が建築を手伝ったので,すぐに小さくなってしまうのは明らかでした。いったん会館ができあがると,それらの人々も,集会に出席するようになり,すぐに伝道をするようになりました。巡回大会が開かれた時,会館はすばらしい会場になり,奉仕年度の終りごろには,この新しい会館もすでに小さくなっていました。
兄弟たちは,タヒチ人の一つの村でよい成果をあげています。あるタヒチの婦人と聖書研究が始まりましたが,その婦人の夫は,真理に対して特に激しく反対しました。彼女が学んだ新しい真理を夫に話すたびに,彼はこういうのでした。「お前がおれに何かを教えるなんてとんでもないことだ。お前から教わろうなんて思っちゃいないよ」。つぎに起こったことは,会衆内の兄弟に,姉妹の,また善意者の反対する夫と話し合ってもらうことの大切さをよく示しています。その婦人はある兄弟に,主人と話してみてくださいと頼みました。そうすれば聞くかも知れないと思ったからです。それは非常によい結果を生み出しました。夫は自分の質問に対して,聖書にもとづいた答えを得られたのに驚いてしまいました。その場ですぐに研究のとりきめができました。しばらくたってアドベンチストの牧師が,彼が証者と勉強しているのを耳にして,証者との勉強をやめさせ自分と勉強をさせようとしました。ところがその善意者は言いました。「証者がきて神の御言葉を私に教えてくれるまえに,あなたは私を見向きもしなかったではないですか。あなたが私の家に来たのはいまがはじめではありませんか」。この人はいま定期的な伝道者です。
ビルマ
タミル人の特別開拓者は,次のような手紙を寄せてきました。「ある若いインド人の青年を再訪問した時に,彼は非常に喜んで,私を家の中に招じ入れました。私は彼がテルグー人であることを見てとり,自分はタミル語の同じパンフレットを使いながら,テルグー語のパンフレット『新しい世の生活』を一緒に勉強しはじめました。パンフレットの勉強が終わると,こんどはテルグー語の聖書の勉強に移りました。『御国奉仕』に,テルグー語の『良いたより』が入手できるようになったと発表された時,その人は非常に喜びました。この小冊子を勉強している間に彼はおとずれを人々に伝え始めました。父親はそのことを知った時,真理に反対しました。そしてむすこにその勉強をやめろと言い張って『おまえはまたどうして宗教を変えたいんだ。われわれはインド人だぞ。クリスチャンにでもなりたいと思っているのか』と尋ねました。青年は答えました。『お父さん,ぼくはぼくを創造してくださった神を崇拝しているのです。あなたは人間が作った神々を崇拝しているのです。どちらが正しいですか』。父親はなるほどそれも一理あると考えたようです。次の日父親は言いました。「お前の神様についてもっと教えてくれないか」。7人の家族全部と聖書研究が始まりました。5,6回勉強したあと彼らは,祭壇や偶像をいっさいこわしてしまいました。友達や親類の者は反対しましたが,その家族は真理にかたくついています。再訪問で最初にあった青年は,すでにバプテスマを受け,二つの聖書研究を司会しています」。
オーストラリア
伝道者たちは時々,善意のつもりでご主人連を無視することがあります。ある会衆のしもべは,この問題をどのように克服したかをつぎのように説明しています。「巡回のしもべは,先回の訪問で,われわれの大きな問題は,妻の進歩をはばんでいる夫の反対にあることを発見しました。いままでは,妻が十分に論点を見極めることができるまでは,ご主人をそっとしておくという方法をとってきたのですが,このたびは,ご主人を訪問するようにとの助言でした。私たちは昨晩,『ものすごく反対する』ご主人を尋ねました。私たちは中に招じ入れられ,間もなくそのご主人の怒りは解けました。自分が無視されていなかったことがわかったからです。その人は聖書を信じてはいませんが,私たちが行って,聖書の真実さを証明し,いろんな気になる疑問に答えることを望んでいます。それでわたくしたちは又来ることを約束し,ご主人は私たちと握手をして,私たちが訪ねたことを感謝されました」。
スリナム
子供たちも有能なエホバの賛美者になることができます。8歳の若い伝道者は,戸別伝道で,「楽園」の本を配布し,小さなふたりの坊やに,一緒にお勉強をしませんか,とすすめてみました。その勉強はもう6ヵ月間もつづいてよく進歩しています。そして両親も一緒になってその勉強を楽しんでいます。
子供たちが伝道についてくる時は,ビラを渡すことにせよ,聖句を読ませたり説明させることにせよ,何かをさせなければなりません。日曜日のこと,ある兄弟は,7歳と9歳のふたりの子供と一緒に伝道することになりましたが,子供たちには話す機会をぜんぜん与えませんでした。11時になって,私はこれから再訪問するから,あなたたちは帰ってもいいと言いました。彼が行ったあと,ふたりの小さな女の子は,まだぜんぜん伝道していないことに気づいて,ふたりだけでもう2軒伝道することにしました。ふたりとも雑誌を配布することができ,満足して帰っていきました。
真理を愛する若い人々が,エホバに献身するために,いかに正しい決意をするかは驚くほどです。オランダはユトレヒトの大学のある学生が,休暇で自国に帰ってきましたその時母親はちょうど聖書の研究をしているところでした。はじめのうち彼は,聖書に興味はぜんぜんないように見えました。しかし,宣教者が個人的に注意を向けて,1回話し合ったあと,その学生は聖書を研究することに決めました。そして,「楽園」の本を1週間で読んでしまい,目につく限りの「ものみの塔」を読みつくし,つぎの週には巡回大会に出席しました。その人との研究は週に5,6回行なわれました。彼は大学に戻らないことを決意しました。というのは彼の専門は社会学で,創世記の創造の記録を否定したからです。そしてほとんどの教授は聖書を受け入れなかったので,高等批許家に追随するのは賢明ではないと信じたのです。父親は非常に反対しましたが,それにも耐え,2ヵ月後にバプテスマを受けました。そしていまでは休暇開拓をしています。
ボネール
奉仕年度の初め支部事務所は雑誌の予約者がニューヨークからカリブ海のボネールに移って来たという知らせを受け取りました。この知らせは早速会衆に連絡され,調べたところ,それまで20年間ニューヨークで生活してきた一ボネール人が最近5人の子供と共に島に帰って来た事がわかりました。ボネールに帰ってきたのちこの善意者は巡回大会に出席し,献身を象徴しました。そして現在,彼と子供4人は定期的な伝道者になっています。間もなくこの家族は熱狂的なカトリックの区域に移住し,そこの司祭はこの家族の業を阻止しようと様々の手段を試みました。兄弟は自分の子供たちと毎日30分から1時間研究しました。また家族のためのはっきりとした計画をたて,真理の面で皆良く進歩しました。この兄弟の子供たちの毎日のふるまいは周囲の人々の注目をするところとなり,証者に対する態度が次第に変ってきました。奉仕年度の間この新しい兄弟は,6歳から14歳の子供たちの父親兼母親として働いているにもかかわらず,毎月平均39時間を野外奉仕にささげました。
ルクセンブルク
ある伝道者が自分の家の庭でテントを点検しているのを,隣家の人が見ていました。「休暇の準備でも?」とたずねられ,「いえ,家族でハンブルグへ行き,エホバの証者の国際大会に出席するんですと答え,その場で少し証言しました。その後隣家の若主人は,「知ってるか,おとなりは少し気が変だぞ。新しい宗教にはいっているんだ」と妻に言い,二人で笑いぐさにしていました。この奥さんと姉妹とはときおり買物の際一緒になりました。姉妹は以前に何度かこの奥さんに雑誌をプレゼントしたことがありましたが,無駄になっているような気がしたので止めていました。ところがある日,この奥さんはまた雑誌を頂けますかとたずねてきました。この言葉を聞いて,姉妹は早速聖書研究をとりきめました。ある日奥さんは研究の際お金を持ってきて聖書がほしいと言いました。ところが,やがて嘲笑していた主人も研究に参加し,共に集会にも出席するようになりました。そして今では過去4ヵ月間御国伝道者になっています。もはやエホバの証者は気が変だなどとは言っていません。むしろ,以前2人は良くけんかをし口ぎたなくののしったり,つかみあったりし,内心離婚さえ考えていたくらいでしたが,エホバの証者と聖書を勉強したことによって,離婚のことなど忘れ,けんかるすることもなくなり,家庭生活を良いものにするため互いに努力するようになったとはっきり認めています。親せきの人たちもこの変化に驚き,なぜだろうかと考えるようになりました。
チェコスロバキア
チェコスロバキアにおける活動は,昨奉仕年度によい進歩を遂げました。この国で目立つことは,牧師がその「羊」の世話をちゃんと見ていないことです。ですから神は,その特権を彼らから取り上げて,真剣に果たすご自身の民にその責任をゆだねられました。ひとりの兄弟は,同じ工場で並んで働いている家族のある同僚の家を訪問しました。話しているうちにその人は,近頃学校でちゃんとした宗教教育をしないために子供を正しく教育するのがむずかしくなったこと,また,子供がしたい放題のことをして大きくなるのではなく,神の存在を信ずるようになってほしいということを口にしました。しばらくしてまたこういうことを言いました。「つい最近この町の牧師にあったので,これは良い機会とばかりに,聖書から何か子供たちに教えてもらおうと思って,家に来て下さいと頼みました。学校では神について良いことを少しも教わっていませんからね。しかし,そんな時間はありません,という意味の牧師のあっさりした答えにほんとうにがっかりしてしまいました。ところであなたは,聖書からすばらしいことを教えることがおできになるので,きょうはぜひひとつしばらくの間,その真理について全部の子供たちに話してやっていただきたいと思うのですが」。兄弟はこの父親が,子供たちの救いを深く心にかけ,また心から真理を聞きたいと考えているのには強く心を動かされました。
兄弟がその人の誠実さを見て喜んでみんなと聖書の研究を始めたのはもちろんです。次に行った時には,4人ではなく7人の子供たちが待っていたのには驚きました。それは,近所の人まで彼のくるのを聞いて,うちの子供にも聖書を勉強させるなら非常にためになるだろう,ということになったからです。日がたつにつれ,その子供たちのそれぞれの両親も,私たちだってこの勉強に出席すればためになるんだということになって,翌週からはエホバの証者が,多くの家族と勉強することになりました。ほんとうにこの国では,善意の人々は飢えています。しかしこの飢えは,牧師によって満たされていないのです。
東ドイツ
偶然の証言をしていたある伝道者は,カトリックの婦人を知るようになり,家に来るようにとの招待を受けました。伝道者は彼女の家で,ご主人とおとなになったふたりのむすこさんに会いました。まもなく聖書の研究が始まりました。伝道者である姉妹は分別を働かせて,そのご夫婦のむすこさんと同じ年頃の兄弟を伴って行きました。ふたりのむすこさんも勉強に参加しました。数ヵ月たって最初の成果が表われました。婦人はロザリオを伝道者に渡しました。何週間かのちには祈とう書を渡して,人々に真理を説明する時に利用できるかも知れない,と言いました。彼女にはもはやそれは必要なかったのです。「私はもうこんな単調な連禱を神にささげることはありませんから」といいました。それからしばらくして,伝道者は,それまでへやのすみに飾ってあった十字架がなくなっているのに気づきました。そのことは,その家族の霊的円熟への大きな第一歩でした。彼らはいまでは私たちと同じく,エホバの真の崇拝者であり賛美者です。