「私たちの神の家をなおざりにしない」
エホバの証人が困難な状況下で熱心に働く国々(その3)
― エホバの証人の1966年度年鑑から ―
トルコ
トルコにおけるわざはほとんど巧みな偶然の証言によって行なわれています。ある姉妹から寄せられた次の経験は,偶然の証言の大切さ,またそれがもたらすよい結果を示しています。「あるとき,わたしと研究している一婦人が留守だったので,隣の家にゆき,その婦人がどこに行ったか尋ねてみました。家の人は何も聞いていませんでしたが,少し休んでゆくようにとわたしを招じ入れました。話の中で,彼女は幼い娘がよく病気になることを話しました。わたしはこの機会をとらえて,彼女に近い将来に悩み,病気,死さえも取り除かれ,地上いたるところが楽園になることを話しました。またこの楽園はコーランの教えとも異なっている点も説明しました。別れる前に,お互いに知り合うことができた喜びを述べ,再び訪ねたいと話したところ,彼女は喜んでそれに応じました。その後時々訪問して,コーランの中のある点を聖書だけがよく説明していることを示してあげました。するとさっそく,聖書を自分で買い求めました。回教徒のこの婦人は,聖書の記録が調和しており,そこには預言もあることを知り,コーランと回教に対して疑いをもつようになりました。6ヵ月間,聖書を研究し,キリストについてよく理解し,聖書が信じられるようになったのです。彼女は自分の姉に真理について話したところ,その姉も好意を示しました。この2人は「神を真とすべし」を用いて一緒に研究を始めました。
「その婦人が回教の習慣をやめて,真理に従って生活し始めたとき,同じく回教徒である夫と親族から迫害を受けましたが,彼女はイエスのために苦しみを甘受しますとその人々に告げて忍耐しました。自分の娘に読み書きを教えた彼女は,「神を真とすべし」を用いて娘と聖書の研究を始めました。娘は遊ぶ時にも,親族の子供たちに伝道し,だれも相手がいないと,自分の人形を相手に伝道して遊ぶのです。わずか5歳ですが,集会に出席し,注解もします。それは母親がよく訓練しているからです。それに娘の視力は除々に弱まっているため,母親は今の時間を最大限に用いなければならないのです。
「この婦人の姉も,母や親族からひどい反対を受けながら,聖書の研究を続けており,しばしば研究をやめさせようとする警官の脅迫にもかかわらず,ひそかにわたしの許に来ては研究をしました。この2人とも浸礼を受けました。
「彼らの兄の妻もこの2人の信仰を見て,ひそかに研究を始めるようになりました。彼女が回教の習慣を捨てて,真理に従って生活すると,彼女に何が起こったかを知った家族の者は,彼女をひどく打ち叩きました。しかし彼女は研究を続けています」。偶然の証言はなんとすばらしい結果をもたらしたではありませんか!
今年は,よいたよりを伝道したエホバの証人の中では訴えられた者はいませんでした。ただ前述の経験の中の2人と聖書の研究を行なった姉妹が逮捕され,回教徒の警官は,彼女がこの2人に回教の教えを捨てさせたことを知って,彼女を1日留置所に入れた事件があっただけです。この事件を調べた判事は,訴訟を却下し,彼女を釈放しました。
ソビエト社会主義共和国連邦
エホバの証人は,多くの困難な問題に直面したにもかかわらず,新世社会とともに前進できたことを非常にうれしく思っています。この喜びは彼らを力づけ,彼らはよく忍耐し,熱心に働きました。平和と一致を楽しむためには神権的な原則を固く守ることがどんなに大切かを彼らは特に学びました。
昨年中,政府は伝道者に対してこれまでのような徹底的な迫害を加えませんでした。逮捕や家宅捜索もなく,ただ政府が,兵役につくことを拒絶した兄弟たちを処罰したのみです。もちろん,役人たちは無神論的な宣伝を今もひき続き行なっています。しかし,新聞やラジオを用いて公にわたしたちを取り扱うということはほとんど行なわれなくなりました。
ある兄弟は他の都市に移ることになりました。そこに住む人々は真理について今まで一度も聞いたこがないようでした。しばらくして,その都市にも2人の兄弟たちのいることがわかりました。やがてこの3人は自分たちのわざを検討してのち,伝道を始めたのです。もちろん漁師の用いる方法ではなく,猟師のそれに似た手段をとりました。3人とも町の人々を知らなかったので,「羊」のかわりに「狼」にぶつからぬよう用心しなければなりませんでした。この町に住む神の「羊」に会えるようにと彼らはエホバの導きを祈り,エホバはそれに答えました。彼らは,ギリシア正教の信者として育てられたある若い婦人に会いました。その両親は宗教心の非常に厚い人々だったに違いありません。その婦人は,絶え間ない無神論の影響にもかかわらず,自分の宗教的な理解に基づいて神への信仰をしっかりと守ってきたのです。しかし,伝道者から真理を学んだ彼女は,それまでのすべての宗教的な迷信や偏見を捨てました。彼女は兄弟たちを助けて,さらに2人の「羊」を探させました。それは自分の年老いた母親と妹でした。しかしこれは始まりに過ぎず,今では40人の人々がこの兄弟たちと交わっており,そのうち30人は過去6ヵ月以内に真理を学びました。兄弟たちの期待以上にエホバは豊かに彼らの祈りに答えられました。
若い時分から共産主義者であったひとりの男の人が,自分の妻から「楽園」の本を受け取って読みました。その妻は,ある伝道者と聖書を研究し,学んだことを夫に話していたのです。夫は,これほどすばらしい本を読んだことがないと言って,夜も眠らずに読み続け,2日のうちに読み終えました。それから「楽園」の本をノートに書き写しながら研究し始め,やがて1冊全部を書き写しました。そしてその本によって,眼が開かれ,真理はどこにあるか,またどこに偽りがあるかを,今非常にはっきり見分けることができると語りました。以前には,しばしば酒に酔いつぶれて帰宅し,妻をなぐったり,皿を投げつけてこわしたこともありました。しかし彼は自分の生き方を変えたので,家庭内の風波は静まり,喜びとしあわせな生活が始まりました。家族の者たちは1番近い親類に伝道し始めました。初めての集会に出席して兄弟たちに会った後で,彼はこう語りました。「私は共産党青年団の一員として何年も生活し,その後共産党の党員の1人になりましたが,これまでの生活で,こんなに大きな幸福と喜びを味わった経験は一度もありませんでした。」
「楽園」の本を得て読んだ人に,もう1人別の長年の共産党員がいます。この人は真理について伝道された時,大変喜んで受け入れました。そして,後日その伝道者にこう語りました。「その本を初めて読んだ時は,全身鳥はだが立つように感じました。私の心はおそろしく動揺し,全身が震えました。自分の心にいったい何が起きたのか,自分ながらわかりませんでした。自分を制し切れなくなったのです。これこそ私が長年探し求めていた真理だということにすぐ気づきました。それまでは,世の中には真理というものが果たしてあるのだろうかと疑問に思っていました。しかし私は今,これまで求めていたものを,たしかにこの目で見出したと,確信しています」。彼はこうして「楽園」の本の助けで共産主義の教えというおおいを自分の眼から取り去ることができました。
アラブ連合共和国
カイザルと大いなるバビロンが共になって強襲し,『この地において,ほとんどわたしたちを滅ぼしました』,『しかしエホバは強い勇士のようにわたしたちと共におられる。それゆえ,わたしたちに迫りくる者はつまずき,わたしたちに打ち勝つことはできない』。(詩 119:87。エレミヤ 20:17)。これら霊感されたことばが私たちの立場によくあてはまることは,次の事実からよくわかるでしょう。ひとりの特別開拓者は,隣の町に住むある主教の要請で許可なくして自分の住む町の外に出ることを禁じられたのです。というのは,この兄弟が時々その町に行って,町の人々に伝道していたためでした。
2人の兄弟はある学校の教師として就任し,教壇に立って3ヵ月間生徒をよく教えていた時,内務大臣から教職を去るように命令されました。校学当局および文部省側がこの兄弟たちのために行なった取りなしも無駄でした。
別の2人の小学生の兄弟は,エホバの証人であるというだけの理由で放校されました。その学校の管理者はカトリックの司祭でした。さらに検察庁は,カイロおよびアレクサンドリア両市のよく知られた兄弟や姉妹たちを召喚し,私たちの行なっている神への祈りや賛美の方法に関してカトリックの司祭たちが苦情を申し立てただけの理由で群れとして集まって行なう崇拝とエホバの御国の伝道を禁ずる「最後通告」を知らせました。その中の1人の兄弟は数回にわたって打たれ,エジプト人であるにもかかわらず国外追放の処置が取られました。
このように烈しくかつ大胆な方法で私たちに戦いを挑むよう大いなるバビロンが促されたのは,彼らが次のような事実を見て取ったからです。私たちのクリスチャンの活動はすでに1960年以来社会問題省によって禁止されてきましたが,1964年10月29日,商業経済省は私たちの組織をまるで営利団体でもあるかのように考え,イスラエル排斥アラブ同盟事務所からの勧告に答えて,私たちのわざを再び禁ずることをよしとしたのです。このような事態に直面し,また数多くの苦しい問題があっても,昨年中,私たちは豊かに祝福され,多くの実を結んだことをうれしく思っています。