クリスチャンに対する不当な裁き ― ポルトガルの恥となる!
昨年の6月末から7月の初めにかけてリスボンで開かれた,エホバの証人およびその友人,合計49人に対する公判は,ポルトガル中の注目をあびました。傍聴席の収容力はごく限られていましたが,公判中は毎日幾百人もの人々が集まりました。このような事態はポルトガルでも初めてのことです! 他の国々では多くの人々が,自国の特派員から寄せられてくるその公判に関する一連の報道に注目しました。
ポルトガルの多くの人々は,この公判で行なわれたことをよく知っていると思うかもしれません。リスボンの新聞は,エホバの証人と開期の迫ったその公判に関してわずか二日間のうちに176コラム・インチの紙面をさいて報道したからです。しかしそれらの記事は偏見に満ちており,多くの点が明らかに偽りでした。検察側の主張はのせられても,エホバの証人の弁明のことばは全く発表されていません。公正な記事が用意され,活字が組まれても,政府機関の検閲のためその印刷が妨げられた一新聞社は読者からの問い合わせに答えました。
ところが,一方的なこの報道も人々の関心をエホバの証人とその活動に一層ひきつけさせたことにほどなく気づいた当局は,このような宣伝を中止させました。このため公判開廷中,何が行なわれたかを実際に知ることができたのは比較的に少数の人々のみでした。ゆえに,あなたもこれらの事態に深い関心をお持ちのことと思います。
逮捕と投獄
1965年6月10日の夜,リスボン市郊外のフェイホ会衆の約70人のエホバの証人が,ある家庭で静かに集まり,エホバの証人がいつも行なっているように,一緒に聖書を勉強していました。ところが午後10時頃,ホルヘ・マヌエル・ナチビダデ・ハコブ中尉の指揮する警官隊が踏みこんで来て,集会を中止させ,49人を逮捕しました。
正式に起訴されなかったにもかかわらず,二人の奉仕者すなわちアリアガ・グアルドおよびホセ・フェルナンデス・ロウレンコはフォルト・カクシアス刑務所に入れられました。そして10月29日までの4ヵ月と19日間投獄され,その間2ヵ月余にわたって聖書を含む一切の読み物も禁じられました。そのうえ二人は11日間も独房に閉じ込められましたが,それは明らかに二人の精神状態を弱める目的のためでした。
彼らの投獄中,政府は416頁の事件要約書を発表しました。この報告にはおもにその二人の囚人と告発された47人に対して行なわれた尋問と,それに対する彼らの答えがのせられていました。政府側の検事の行なった詳細な起訴状の一部は次のとおりです。
「私は,刑事被告人全員が,国家の安全をおびやかす犯罪の首謀者であり,集団的不服従を扇動する者であること,そして刑法第174条に定められている罰則に値する者であることを断言する……彼らは,民衆を,ことに青年を反抗させ,扇動する目的をもつ,多くの国でみられる政治活動を行なっている」。
しかし,この416頁の事件要約書の中には,これら49人の被告が前述のような犯罪を行なったことを示す証拠は一つも述べられていません。彼らを有罪とするような証言は全くないのです! その告発はなんら証拠のない単なる主張にすぎませんでした。事実はこうです。逮捕当時,49人のクリスチャンは一緒に集まって聖書を勉強していたのであって,政治問題を検討していたのではありません。「政治活動」を行なっているという検察側の主張を支持する証拠は何一つ提出されていません。また,人々をポルトガル政府に反抗させ,あるいは民衆を扇動するような言動その他を公に行なった事実をこの報告は何一つ証明していません。それで,なんらの証拠も伴わないこの事件要約書が,正直な心を持つ人々を納得させ得ないのは当然でした。しかしこの事件は公判に付されました。
法廷ではいったい何が行なわれましたか。検察側は果たして,起訴された被告たちの罪状を示す証拠を提出したでしょうか。被告には,自分たちの無罪を証明する事実を法廷で述べる自由が十分に与えられましたか。判事は公正な判決を下すために,公正な心ですべての陳述に耳を傾けましたか。
公判の開廷とその延期
ついに,昨年の6月14日,リスボンのラルゴ・ダ・ボア・ホラにある裁判所でこの公判は行なわれることになり,ポルトガルの各地からはエホバの証人がこの町にぞくぞくと集まって来ました。それは裁判所の前にピケを張るためではなく,自分たちの仲間のクリスチャンである公判中の兄弟姉妹たちを励ますためでした。この町ではこれほど大勢の群衆が集まったことがなく,なんの備えもしていなかった警察は最初当惑した様子でした。興奮した高官のひとりが叫びました。「こんなに大勢の人間をいったいどうしたらよいのだ。正面の通路はあけておかなければいけない!」 このことばを立ち聞きしたひとりのエホバの証人が,そのことを他の人々に伝えたので,正面の通路は見る間に広くあけられました。これを見たその高官は,証人たちの協力と立派な行儀にただ驚いていました。リスボンの群衆を整理するのにこれほど容易だったことがない以上,「社会の秩序を維持する法規に対しての不服従」が行なわれたとの訴えは,実に不適当な事柄と言えるでしょう。
翌日,リスボンの新聞「オ・セキュロ」紙はこう報じました。「昨日ラルゴ・ダ・ボア・ホラに着いた人はみな驚くべき光景を目撃できた……裁判所の2階および3階の多くの窓のそばや廊下は人々で埋めつくされ,中庭も人々でいっぱいであった……しかし秩序は少しも乱されなかった……建物の内外に集まった群衆は推定2000人余であった。これほど大勢の人々が集まったのは裁判所開設以来はじめてのことである。彼らの大部分は,被告と同じ信仰を持つ者たちであった」。
公判の初日の審理は,被告の一人が病気で出廷できなくなったため,ほとんど進まず,検察側は公判の延期を申し出ました。この申し出は受理され,公判は6月23日に再開されることになりました。
第一回公判の再開
6月23日,木曜日午後2時30分,公判は再開され,午後7時30分まで審理が続けられました。この公判中,先回の時の群衆をさらに上回るおよそ5000人の人々が集まりました。その大部分は建物の外の路上に5時間以上もとどまって,進行中の審理状況の知らせを待ち続けました。
この事件の審理を担当したのは,アントニオ・デ・アルメイダ主席判事とサウダデ・エ・シルバおよびベルナルディノ・デ・ソウサ陪席判事でした。政府側の検察官はロペス・デ・メロ検事であり,被告の弁護人はバスコ・アルメイダ・エ・シルバ弁護士でした。
証言を求められた最初の被告はアルアガ・カルドソでした。彼は,正式に起訴されることもなく4ヵ月以上も投獄された前述の二人の奉仕者のうちのひとりです。
最初に主席判事は,ポルトガル政府が信教の自由を認めているという印象を人々に与えようとして,被告人カルドソにこう語りました。「被告が告発されたのは不法な集会を行なったためではなく,またエホバを崇拝したからでもない。他の人がマホメットや仏陀を崇拝できるように,被告はエホバを崇拝してもよろしい。各人の宗教は,それが宗教の限界を越えないかぎり,尊重されねばならない。ポルトガルの憲法は信教の自由を保証している」。
しかし次にこの判事が,信教の自由に関する憲法上の保証はエホバの証人のような宗教には適用できないことを説明しようとしました。カルドソに対して述べられた同判事のことばを,リスボンのディアリオ・ポプラル紙はこう報じました。「新しい宗教を始め,神その他それに類する名によって,自分の欲することを行なう自由は認められていない。人はこの地上の支配者に服従しなければならない…あなたが告発されたのは不服従,つまり我が国の法律に対する不服従の問題である」。
ここで,54歳のポルトガル人カルドソは1冊の聖書を手にして立ち上りました。彼は,この世の「上に立つ権威」に従うことを命じた聖書のことばに一致して,エホバの証人はすべての国家の法律に従順に従うことを示そうと考えていました。(ローマ 13:1)エホバの証人は,それが神の律法に反しない限り,どの国の法律であろうと従います。(使行 5:29)エホバの証人はまた,「世のもの」になってはならないとその追随者に対して言われたイエス・キリストに従って,いかなる政治活動にも決して参加しないゆえに,政治的な扇動者ではありません。(ヨハネ 17:16)ところが,ディアリオ・ポプラル紙が次のように報じたとおり,主席判事はカルドソの証言をすぐさえぎりました。
「『聖書を使ってはならない! 被告にとって聖書がどんなに大切であろうと,法廷で物を言うのは法律である。社会の諸活動を支配するのは聖書ではない。聖書に訴えてはならない。人は聖書をいくらでも自分勝手に解釈しているのだ。聖書は我が国の憲法ではない。この法廷は,一部のアメリカ人が解釈している聖書を,ポルトガル共和国の憲法として受け入れることはできない』」。
しかしその被告はアメリカ人ではなく,ポルトガルの一市民ではありませんか。主席判事がほのめかした事に反して,被告が弁明したいと願っていたことは,ある米国人の見解ではなくて,聖書に基づいた彼自身の信念を述べることでした。しかし判事は聖書のことばを聞こうとはしなかったのです!
神の律法の優先
しかし,人間の作った法律に対する服従が問題になる場合,聖書を度外視できません。と言うのは,聖書に書かれている律法は諸国家の法律の源泉であり,またその基礎であって,この律法は,人間の作った法律よりもさらに人間を服従させる力を持っているからです。この見解は法曹界の権威者により今日まで幾世紀にわたって堅持されてきました。
その権威者のひとりである法学者ウイリアム・ブラックストーンは次のように述べて,この見解を明白にしています。神の律法は,「当然,他の何物にもまさって守られねばならない。これは地球およびすべての国家をいつでも支配しており,これに反する人間製の法律はすべて無効である。有効な法律はみな,その力および権威のすべてを,直接あるいは間接にこの根源から受けている」。(「英国法に関するブラックストーンの注解」,チェイス・ニューヨーク・ベイカー・ブーリス・アンド・カンパニイ,1938年版,5,6頁)それで神の法律書である聖書に訴えるのは正しいことです。エホバの証人にとって聖書を無視した生活は考えられません。
主席判事は,「我々は神の律法を加減して,地上の法律に合わせねばならない。物事は論理的に解釈されねばならない。神の律法も時には矛盾することもある」と主張しました。しかし,神の律法が時には「矛盾する」つまり真理からはずれたり,誤ったりするという主張には,エホバの証人は同意できません。むしろ,神と神のみことばを真理として信じ,全身全霊を打ち込んで聖書に一致した生活をしようと努めているのです。これがまちがった生活ですか。神の律法と人間の法律が相反するとき,神の律法を第一にすることは不道徳で非クリスチャンの行ないですか。
初期のクリスチャンの使徒たちはそう考えませんでした。ユダヤの法廷でさばかれた時,伝道活動を禁じられたペテロと他の使徒たちは次のように答えました。「人間に従うよりは,神に従うべきである」。そうです。使徒たちに伝道することを命じられたのは神であり,人間が何を言いかつ行なおうとも,彼らは神に従いました! 聖書の記録はさらにこう述べています。「そして,毎日,宮や家で……引きつづき教えたり宣べ伝えたりした」― 使行 5:27-29,42。
今日,これと同様に答えるのは,エホバの証人だけではありません。全国教義問答文書局が最近出版し,ローマ・カトリック教会が認可したA・アマラル著,「我らの聖なる歴史」と題するポルトガル語の本は,その230頁で,「いかなる場合に,国家の権威に従うことができないか」との質問をあげ,こう答えています。「神の御心に反する事柄を行なうように国家が命じる場合,国家の権威に従うべきではない(使行 5:29。マテオ 10:37)」。ゆえに,もし聖書のこの見解を公に宣明したためにエホバの証人を不服従の罪で告発するならば,ポルトガル国内の全カトリック教徒も同じ罪で告発されねばなりません。エホバの証人が明らかにしていることは,聖書に基づいたこのカトリック教会の公式の見解となんら変わりがないのです。ポルトガルのエホバの証人がこの理由で当局から迫害を受けている以上,隣人であるカトリック信者の将来はどうなるでしょうか。
たいていのポルトガル人が,神への服従を優先するという点で意見を同じくしていることは,彼らの有名な合言葉「神,国家そして家族」からもわかります。このことばでは神が第一にされています。国家がこの事を無視し,かつてナチ・ドイツが行なったように,神の正しい律法を侮辱し,ないがしろにするならば,神と人間に対して恐るべき罪が犯されるでしょう。
判事の偏見
この公判で判事が被告の証言に少しも関心を抱いていないことは,最初から明らかでした。正しい判決を下すための証拠を得ようとする意欲もありませんでした。それで証人たちの証言を何度も中断させ,あるいは中止させたのです。彼らの心がすでに決まっていたことは明らかでした! 公判を開く前から,彼らは問題をすでに決定していたのです。このような法の裁きは,ポルトガルの恥辱です!
エホバの証人に対する偏見は,三日間の公判全体を通して明白になりました。判事たちは,法廷における正しい礼儀さえふみにじりました。ポルトガルの一弁護士のことばを借りれば,この公判は「笑い物,恥辱,ポルトガルの法の堕落を示すおそるべき醜態」でした。リスボンの他の弁護士はこの公判はすべて「いんちき」だったと述べています。
判事たちは法廷で人を裁く崇高な職責を放棄し,その代わりに被告たちとその信仰に関して尋問し,非難し,嘲笑する立場を取りました。被告の答弁が気に入らないと,質問を出した当の判事が,しばしば被告の弁明をさえぎり,それ以上は答えさせませんでした。このため弁護人は数回にわたって,判事たちの不尊な話し方に対して強く抗議せざるを得ませんでした。弁護人は判事に向かって,判事の立場は被告の罪を告発することではなく,提供される証拠に基づいて,被告が有罪かいなかをさばくことであると指摘しました。
初公判の終わりに,54歳のアフォンソ・コスタ・メンデスが証人台に立った時,ベルナルディノ・デ・ソウサ判事は,聞くに耐えないほどの激越なことばを連発しました。そして,エホバの証人の伝道活動が人々に悪意をいだかせていることを示すために,ある人から次のように聞いたと語りました。「私の家に来たあのエホバの証人の腹をなぐりつけてやりたいと思う」。このゆえにエホバの証人の宗教は人々に暴力を振わせ,家庭を分裂させ,家族の者を互いに争わせていると,この判事は主張したのです。これに対して弁護人は反論しましたが,その途中で当の判事が他の被告に証言を求め,その反対弁論を打ち切ってしまいました。
しかし,質問を受けたその被告は,この偏見を持った判事の誤りを証明したのです。弁護人はその被告に質問しました。
「あなたは結婚していますか」。
「はい,結婚しています」。
「あなたの夫はエホバの証人ですか」。
「いいえ」。
「家庭におけるあなた方二人の間柄はいかがですか」。
「エホバの証人のひとりになって以来,私は,クリスチャンとして良い妻になるよう努め,その結果,私たちの結婚生活は幸福なものになりました」。
ここで,弁護人はその判事に向かって,この証言から判事がエホバの証人に対して述べた非難のことばは明らかに偽りであると答えました。
次に証言台に呼ばれた被告に対して判事は,本人がかつて法廷に出たことがあるかどうかと質問しました。
「はい,あります」と被告は答えました。
「なんの罪を問われたのか」と判事は問いました。
「強姦の罪です」と彼は答えたのです。
すると判事はここぞとばかりに叫びました。「みなさん,エホバの証人の宗教がどんなものかがおわかりでしょう!」
ここで弁護人はその被告に向かって,その少女を強姦した時,本人がエホバの証人のひとりであったかどうかを尋ねました。
「いいえ,とんでもない。もしそうだったなら,私はそのような事を決してしなかったでしょう。当時私はカトリック信者でした」と答えました。
公判の第二日目には,判事たちは被告たちの罪をあばこうとあらゆる努力を傾け,被告の宗教は米国人の教えであると主張しました。しかし一方,証人たちは,自分の信じていることはすべてポルトガル語の聖書に基づいているという証拠を提出して,判事たちの主張をくつがえしました。ところが,聖書の証拠が提出されるやいなや,判事は審理を別の問題に移し,遂に判事のひとりは法廷でこう叫びました。「この法廷を御国会館に替えようとでも言うのか? 今,我々が関心を持っているのは法律の論議なのだ!」
この同じ公判中,ポルトガルのエホバの証人のクリスチャン中立の立場についてアルマンド・モンテイロが巧みに証言した時,判事は非常に怒りました。モンテイロの証言は法廷にとって興味のないものであり,これ以上その証言を続けることは許されないと判事は語りました。この高びしゃで勝手きままな処置に対して弁護人が抗議を申し出,論戦がはじまりました。その結果,この公判の審理中は,いわゆる「告知者」以外,他の証人を召喚することはすべて禁じられました。その結果,証人の証言を法廷はいつでも中止でき,また弁護人は判事を通さなければ被告に対して質問できないことになったのです。こうして判事は反対弁論を抑えようと努めました。
この公判で提出されたすべての証拠は,被告がすべて法律に従うポルトガルの市民であることを疑問の余地なく示したにもかかわらず,判事は偏見に満ちたかたくなな態度を変えようとはしませんでした。第二日目の公判中,弁護人が,判事側の言明に以前のものとの食い違いがあることを指摘しました。ところが判事は,「お前は老人なのだから,もっと注意して話を聞いてはどうだ」と言って弁護人を軽視しました。公判中の審理内容を記録するように求められた法廷側は,それを拒否しました。裁判官たちは,この公判の審理状況が公にされることを明らかに望んでいませんでした。ではいったいどうしてでしょうか。
それは,正直な心の持ち主がすべての証言を調べれば,いかに不当な裁判が行なわれたかがたちどころに知られてしまうからです。提出された証拠に基づいて審理したなら,裁判官がそのような判決をどうして下し得たのか,偏見を持たない人々には決して理解できないでしょう。この法廷における審理がなんら記録されなかったのも少しも不思議ではありません。
不当な判決
検察官は三日間の全公判中,ただの一人の証人をも出しませんでした! そのうえ,被告あるいはその証言に関して反対尋問さえしませんでした! 反証らしいものは何一つ提出されなかったのです。実際のところ,検察官はただの1回も論告を行なったことがありませんでした。この公判の全期間中,エホバの証人がその起訴事実どおりに有罪であると証明するような証拠はただの一つも提出されなかったのです。実は,検事はほとんど一言も発言できませんでした。
この公判の審理と服役刑の判決が不当であることは,被告に対する告訴の提出について次のように述べているポルトガルの刑事訴訟法第359条第3項から見て明らかです。
「違反と見なされる事件に関する明確な事実,できればそれが行なわれた場所,時間,理由,被疑者がそれに参与した度合,およびその事件に先だちまたは伴いあるいはその後に見られた罪状を加減できる情状に関する知らせを〔原告は提出できなければならない〕」。
しかし,416頁の事件要約書と公判中に証明された事実は,被告たちがその特定の時刻に特定の場所で聖書の研究のために集まっていたということだけでした。何を伝道していたかを示す証拠はおろか被告たちが他の人々に伝道したという証拠さえ何一つ提出されませんでした。その集会で何が討議されたかという事実さえ明らかにされなかったのです!「違反とみなされる事件に関する明確な事実」および「それが行なわれた場所,時間」を求めるポルトガルの法律上の要求が明らかに一つも満たされませんでした! この公判のことをポルトガル人の他の弁護士たちが,「笑い物」「恥辱」そして「不当な判決」と呼んだのもなんら不思議ではありません。
公判の三日間すべて,つまり6月23日,6月30日そして7月7日のほとんど全部の時間は,被告,証人そして自分たちのための「告知者」などの行なう証言のために費やされました。公判の最終日,被告側の弁護人はこの事件の最終弁論で,被告はすべて全く無罪であることを陳述し,むしろ被告たちは,イエスおよび当時の彼の追随者たちの行なった同じわざに携わるクリスチャンであると言明しました。そしてこの弁護人は,エホバの証人が「政治活動を企て」,「民衆を扇動し,さわがす」ようにすすめ,また社会秩序を維持する法規に対する不服従を人にすすめたことを示す証拠はただの一つも提出されなかった事実を法廷のすべての人々に強烈に印象づけました。さて,次は検事の弁論の番となり,彼は立ち上りました。ところが驚いたことに検察官は,「正しい裁きをお願いします」と語っただけでその弁論は終わったのです。しかし明らかに公正な裁きは行なわれませんでした。これはまさに法を無視した公判でした! その二日後,49人の被告全員は服役刑の判決を受けましたが,この事件はポルトガルの最高裁判所に上訴されました。
人心かく乱の教えではない
最近,ポルトガル政府は,アフリカにおける軍事活動の増強に伴い,ある若者たちが隣人を殺すための兵役を良心上の理由で拒否している事実を利用して,エホバの証人に扇動者,人心をかく乱する者,法を無視する者としての烙印を押そうとしてきました。しかし今回の公判中,このような嫌疑を証拠だてることはできませんでした。と言うのは,49人の被告のうちで,かつて兵役を拒否した者はわずかひとりだけでした。実際のところ35人の被告は婦人だったのです。これらの婦人のうちには,兵役につかないよう他の人にすすめた者はひとりもいませんでした。
弁護側は,エホバの証人はだれに対してもいかなる政府の法規をも破るように教えあるいはすすめてはいないという証拠を提出しました! 事実,兵役,国旗敬礼,その他政府が要求する事柄を拒否するように,他の人に告げることは誤りであると,エホバの証人の出版物に書かれています。その公判の第二日目,被告側の証人,ホセ・マリア・ランカはエホバの証人の公式の機関紙「ものみの塔」誌の1957年12月15日号の一部を法廷で読み上げ,この事実を示しました。同誌の473頁には次のように書かれています。
「エホバ神の知恵によって,その霊感を受けた聖書は,直接の助言を与えていないのです。エホバ神の聖書は,クリスチャンを支配する神権的な原則を述べるだけです……そして神への忠実を保つことは……献身したクリスチャンに委ねられたのです。一人のクリスチャンまたはクリスチャンの群れは,神の御言葉の中にある真実の聖書的なクリスチャン原則が何であるかを説明し得ます。しかし,それ以外のことにおいては,他のクリスチャンにむかって,この事柄で何をせよと直接に教える任務とか責任を神から受けていません。何を為すべきかについては,各人めいめいが決定すべきです」。
もっとも広く配布されたエホバの証人の聖書研究の手引き,「神を真とすべし」の233頁にも次のように明確に書かれています。「人がもし国旗に敬礼したいと欲し,かつ国家の軍隊に入りたいと欲するなら,それはその人の権利に属することであって,エホバの証人がその人の努力に反対したり,その人を責めたりするのは悪いことである,と彼らは見なします。エホバの証人は世界を改めて,国旗敬礼を拒絶させたり,軍務につくのを拒絶させたりなどとは努めません」。
ゆえに,49人の被告のだれかが,起訴されたとおりの事柄を行なっていたとするなら,つまり兵役や国旗敬礼に関する政府の法規への不服従を人に説いていたとするならば,彼らはエホバの証人のクリスチャン会衆の教えそのものを破っていたことになります。それで,訴えられた罪に被告たちが関与していたことを裏づける証拠が何一つ法廷に提出されなかったのも不思議ではありません。
それで,エホバの証人はこの世の諸政府に対する厳正中立の立場をとっているゆえ,エホバの証人はいかなる破壊活動にも参画していない旨をポルトガル政府に対して確言できます。この事実は,その法廷の証人台に立ったエホバの証人の証言が判事の妨害により次から次に中断されたにもかかわらず,明らかに示されました。審理の記録も残されず,被告たちの中立の立場に関する論証もポルトガル語で発表することは禁止された以上,この公判に関して公にされていない事実を読者に知っていただかなければなりません。
中立の立場を擁護する
この公判において被告たちが再三再四説明したとおり,イエスおよびその弟子たちは原則を与えたのであり,政府に関してどのように行動するかは,クリスチャンがその原則に従い各自で決定しなければなりません。たとえば,イエスは,当時の国家主義的な一部のユダヤ人とローマ帝国に関する政治上の論争でいずれの側をも支持しなかったばかりか,税を納める問題について質問をした人々にこう答えました。「デナリオ貨を見せよ。これはだれの像,だれの銘か?」。「かれらが『チェザルの』と答えた。すると,イエズスは,『それなら,チェザルのものはチェザルに,神のものは神にかえせ』とおおせられた」― ルカ 20:24,25,バルバロ訳。
税金を政府(チェザルで表わされている)に納めるのは明らかに正しいことであり,エホバの証人は喜んで税を納めます。では,神のものについてはいかがですか。神に何を負っていますか。この問題を誠実に考慮する人は,いかなる人間もこの世の政府もクリスチャンに生命を与えてはいないことを認めねばなりません。被告のすべてはこの事実を認めています。生命の与え主は神です! そこで彼らはこうたずねます。ゆえにクリスチャンが自分の崇拝と生命を神に返えすのは当然ではないだろうか。逆に,ある政府の行なっている戦争に自分の生命をささげるならば,神に返えすためのどんな生命が残るだろうか。
また,兵役につくかどうかを決定するのは,あらゆる国のエホバの証人にとって個人的な問題であることがこの法廷で示されました。エホバの証人の組織から直接指示されて彼らがこの立場を取るのではありません。他の宗教組織の人々でもこれと同様の立場を取ってきました。一つの顕著な例はローマ・カトリック信者フランズ・ジェガルステッターです。この青年は,第二次世界大戦中ナチ・ドイツの軍隊の中にあって戦闘に参加することを頑強に拒否したため斬首されました。その確固とした宗教上の信念のゆえに,彼をカトリックの一聖人としてあがめる人もいます。
では,良心上の理由に基づいて戦争と殺りくに反対するポルトガル内のカトリック信者についてはいかがですか。カトリック教会の聖書にも出ている,「殺すな」あるいは「隣人を自分と同じように愛せよ」という教えは,殺人を悪としていると解釈する人もポルトガルにはいます。(出エジプト 20:13。マテオ 22:39,バルバロ訳)では,少数のカトリック信者が宗教上の信念から良心的に戦争に反対しているゆえ,ポルトガル中のカトリック教会は警察の手入れを受けていますか。教会内の一部の人が兵役を拒否したという理由で,幼い子供を持つ婦人や老人が裁判に付され,投獄されていますか。エホバの証人の上に起きているのはまさにこのことなのです! この次に間もなく災いを受けるのは,他の信仰を持つ人々かもしれないのです。この現実をあなたは黙認できますか。
神の国の大使
エホバの証人はイエス・キリストおよび第1世紀のキリストの追随者たちの模範に従うよう心をこめて努力しています。この法廷において,これらのクリスチャンが聖書にあるとおりの神の天的政府の大使であることも示されました。使徒パウロは,「わたしたちはキリストの使者なのである」と述べています。また後日,ローマの監獄につながれた彼は,自分のことを「この福音のための使節で……鎖につながれている」と語りました。―コリント第二 5:20。エペソ 6:20。
大使が駐在している国の政治活動に参与することは一切禁じられています。クリスチャンの大使の場合もこれと同様であることが,法廷でも極力説明されました。真のクリスチャンが,いかなる政府の政治問題であろうと戦争であろうとそれに参与するのは不当です。また,兵役に代わる重要な国家的な任務に服することもできません。
この結論はイエス・キリストの証言に基づいています。この世から離れるという原則を弟子たちに説明して,イエスはこう語りました。「私があなたたちに命じるのは,たがいに愛しあうことである。この世があなたたちを憎むとしても,あなたたちより先に私を憎んだのだということを忘れてはならない。あなたたちがこの世のものなら,この世は自分のものを愛するだろう。しかしあなたたちはこの世のものではない。私があなたたちをえらんで,この世から取り去ったのである。だからこの世はあなたたちを憎んでいる」。イエスの弟子は明らかに世から離れていました。ポルトガルのエホバの証人もただ彼らの模範に従おうと努めているにすぎません。―ヨハネ 15:17-19。ヤコボ 4:4。ヨハネ第一 2:15-17,バルバロ訳。
しかし,ポルトガル政府は,エホバの証人がなんらの干渉も受けずに,イエスおよび初期の彼の弟子たちの足跡に従うことを認めますか。あるいは,エホバの証人を迫害し続けて,現代における神の敵対者となりますか。ポルトガル政府当局者は,第1世紀の法学者ガマリエルの賢明な忠告に耳を傾けるべきでしょう。彼はこう語りました。「あの人たちから手を引いて,そのなすままにしておきなさい。(その企てや,しわざが,人間から出たものなら,自滅するだろう。しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ぼすことはできまい)まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」― 使行 5:38,39。
クリスチャン愛の表われ
裁判を受けた被告たちは,中立の立場に関する一つの根拠として,キリストの行なわれた愛の原則に法廷の注目を向けさせました。イエス・キリストはご自分の追随者にこう教えています。「私があなたたちを愛したように,あなたたちもたがいに愛しあえ。たがいに愛しあうなら,それによって,人はみな,あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」。(ヨハネ 13:34,35,バルバロ訳)イエスが表わされている愛は,特定の国民たとえばドイツ人,フランス人,ポルトガル人,日本人あるいはアメリカ人のみに限られるものではありません。イエスの愛は,国籍や生まれた場所にかかわりなく,正義を愛するすべての人々に及びます。
この事柄は真実です。ゆえに被告たちは次のようにたずねます。もしキリストが現在地上にいられるなら,いずれの軍隊にはいられるでしょうか。果たして,人種あるいは国籍の違う他の人間に敵対し,それらの人々を殺すでしょうか。ポルトガルの法廷がどう考えようと,エホバの証人は,イエスがライフル銃を取って,人種あるいは国籍の異なる他の人を撃ち,銃剣でその腹を刺しとおすとは考えません。また,その追随者に愛し合いなさいと命じられたイエスご自身の戒めと,このような行為が一致するとは決して考えません。ゆえに,彼らはたずねます。「真のクリスチャンが,戦場に行って,他の国のクリスチャン兄弟を殺すように要求されるような兵役に,どうして加われるでしょうか」。
彼らは,自国の法律に従いますが,国家が神のみことばの正しい原則に直接反することを命じる場合,使徒たちが取った原則に従うのです。「人間よりも,神に従わなければならない」。これは前述のとおり,ポルトガルのローマ・カトリック教会がクリスチャンの正当な立場として擁護しているものと全く同じです。エホバの証人がこの原則に従うゆえに迫害を受けている以上,同様のことを教える他の人々が迫害されないという保証があるでしょうか。―使行 5:29,バルバロ訳。
初期クリスチャンの見解
カトリック教会も教え,エホバの証人も行なっている前述の立場には何か先例がありますか。初期クリスチャンは政治問題への介入をどう見ましたか。諸国家の軍隊にはいりましたか。信頼すべき歴史の事実は何を示していますか。
初期クリスチャンの歴史を正確に調べると,彼らは諸国家の政治問題に関しては厳正中立を保ったことがわかります。次に,幾冊かの歴史の研究書からの注解をのせましょう。
「熱烈なクリスチャンは軍隊にはいって軍人として仕えることなく,政治的な職務をも引き受けなかった」―「世界の歴史・人間の偉業の物語」(1962年イリノイ,リバー・フォーレスト版)ハブバートン,ロースおよびスパース共著,117頁。
「クリスチャンは当時の世界において見知らぬ者,巡礼と見なされた。彼らの国籍は天にあり,彼らが待ち望んだ国はこの世のものではない。その当然の結果である社会問題に対する彼らの無関心は,最初からキリスト教の顕著な特質の一つであった」―「キリスト教とローマ政府」(1925年ロンドン版)オックスフォード,イエス大学総長E・G・ハーディー著,39頁。
英国の歴史家C・J・カドウクスは自著「戦争に関する初期クリスチャンの態度」の245,246頁で,初期クリスチャンの妥協しない立場について次のようなりっぱな注解を述べています。
「初期クリスチャンはイエスのことばをそのまま受け入れ,従順と無抵抗についてのイエスの教えを文字どおりに理解していた。彼らは自分たちの宗教を平和の宗教として人々に示し,流血を伴う戦争を徹底的に否定し,戦争の武器を農耕の道具に打ちかえることを預言した旧約聖書のことばを彼ら自身にあてはめて用いた〔イザヤ 2:4〕……マルクス・アウレリウス(西暦161~180年)の時代まで,教会の信者となった軍人で軍籍にそのままとどまった者は一,二の例外を除いてはいない。その後でさえ,兵役の拒否はクリスチャンの当然の方針として知られていたが,これはセラス(西暦177~180年)の非難も証明しているとおりである……イエスの教えを兵役に関して,そのように適用したことはある意味で疑問の余地がない」。
この世の問題に介入しないというクリスチャンの立場を異教徒の政治支配者が理解できないということは,イエス・キリストの教えを知らない以上当然です。しかし,キリスト教国を自任する国家の政府当局者が,このようなクリスチャンの立場を理解することは決して困難ではないはずです。
ポルトガルにおけるエホバの証人が取った立場に先例があることは明らかです。イエスは弟子たちが,従って歩むべき原則を与えました。歴史の事実も示すように,初期クリスチャンは忠実にその原則に従いました。ポルトガルのエホバの証人は彼らの模範に従おうと努めているにすぎません。その願いのすべては真のキリスト教を行なう事なのです。干渉を受けずにこの事を行なうことを,ポルトガル当局が容認するよう彼らは訴えています。このような崇拝の自由をその国内で許すことによって,ポルトガル政府は損失をこうむるどころか,益を得ます。
他の国々が取った道
エホバの証人は今,世界の197の国々で働いており,その100万人以上の伝道者は神の御国を宣明し,世界中の多くの国では彼らの中立の立場はよく知られています。多くの国々の政府は色々の方法で彼らに兵役義務の免除を取り計らっています。それは,彼らが立派な人間であり,社会の資産であることを人々が認めたためです。たとえば,最近スエーデン国会では,エホバの証人をどう取り扱うかが問題となりました。どんな決定が下されましたか。
数時間にわたる論議ののち,エホバの証人に関する重要な措置を規定した法案は国会を通過しました。1966年6月10日付のスエーデンの新聞「フレンデン」紙はその社説でこの問題について次のように述べました。「こうして将来エホバの証人は個人的に調査されるだけで召集されることなく兵役を免除されるであろう。これまで解決の見込みのなかった問題を,今回の決定により解決したスエーデン国会は賞賛を受けるに値する。スエーデンはこの点で他の国々の模範になり得るであろう」。
ポルトガルはどんな道を進むでしょうか。これはポルトガル政府の責任者が決定すべき問題ですが,全世界も深い関心をいだいて,その決定を見守っています。しかしなかんずく,神のしもべの取り扱いについては,彼らはまず第一に神ご自身に対して申し開きをしなければなりません。
他人に害を与えず平和に暮らす人々
エホバの証人を正しく取り扱うことは,ポルトガルに誉れと益をもたらすのみです。クリスチャンであるこれらの神のしもべたちは,平和を愛する正直で勤勉な人々として世界中で良い評判を得ており,彼らが暴動,デモその他の騒ぎに加担しないということも周知の事実です。また泥酔,淫行,姦淫,盗みその他の不道徳や犯罪を行ないません。それは,以前に一少女を犯した前述の被告が法廷で話したとおりです。「もし私がエホバの証人だったなら,そのような事を決して行なわなかったでしょう」。彼らは聖書の原則に堅く従う結果,社会の向上に真に貢献できる立派な正しい人間になったのです。
法廷では「反社会的」な人間として告発されましたが,ポルトガルのエホバの証人は,近所の人々の間で,他の人々が困っている時にはいつでも援助の手を差しのべる良き隣人として知られているのです。また,他の人々が聖書を深く理解できるようにエホバの証人が払ってきた誠実な努力もよく知られています。エホバの証人の愛の奉仕が,多くの人々の生活に良い結果をもたらしているという事は,ポルトガルのみならず世界の他の国々においても真実です。
この点できわめて興味深いことに,アフリカの新聞「ザ・ノーザン・ニュース」紙(ヌドラの)は,エホバの証人の活動について次のように論評しました。「すべての情報を総合すれば,アフリカ人のエホバの証人が多い地域ほど,騒ぎは少なくなっている。確かに彼らは騒ぎ,悪霊崇拝,泥酔そしていかなる種類の暴力行為に対しても積極的に反対してきた」。このようなクリスチャンを迫害することは,明らかにポルトガルの最善の福祉に反する行為です。
迫害は続く
では,なぜこのような迫害がポルトガルで起きているのですか。そのおもな責任を持っているのは,カトリック教会の有力な指導者たちです。彼らはこれまでエホバの証人に対して悪意に満ちた宣伝を行なってきました。一例として,1963年の夏,カトリックの牧師ホアオ・デ・ソーサは,リスボンのテレビ放送の連続番組を用いて,エホバの証人に関するあらゆる種類の偽りの宣伝を行ないました。その後,彼はこの番組の内容にさらに偽りを加えて一冊の本を発行しています。その後ただちに,証人たちに対する警察の手入れが始められたのです。エホバの証人の多数が一斉に検挙されたその事件に関しては,昨年11月27日,デンマークのラジオ放送のニュース解説者さえ教会の責任を指摘し,次のように述べました。「エホバの証人がスペインと同様ポルトガルにおいて長年にわたり迫害を受けてきたのは,ポルトガルのカトリック教会がエホバの証人の宗教活動を認めようとしないためである」。
これらのカトリック教会の僧職者たちは,政府当局者および一般の人々を扇動し,エホバの証人に対してかつての異端審問にも等しい迫害を引き起こさせています。ポルトガルのあらゆる場所およびその海外領において,家や集会場は荒らされ,持ち物は没収され,エホバの証人は逮捕され投獄されているのです。そして起訴されることもないままに,幾週間も時には幾ヵ月も監禁されています。リスボン,ルアンダ,アベイロ,ポルト,セトゥバル,カルダス・ダ・ライナアなど,そうです。実際のところポルトガルおよびその領土内の大小を問わずあらゆる都市で,このような迫害が起きているのです。
ポルトガル政府によるこのような迫害は,下火になるどころか,激しくなる一方です。その49人の被告に刑が言い渡された7月9日,さらにエホバの証人の家数軒で警察の手入れが行なわれ,聖書文書が没収されました。その数日後,今度は,フランスにおける聖書を学ぶ大会に出席するため出国手続きを申請した数百人の証人のうち,約150人分の旅券の発行が拒否されました。ポルトガル政府はその市民の手からすべての自由を,そして行動の自由まで奪おうと言うのですか。
これはきわめて危険な事態と言わねばなりません。圧制的な政府当局者がある集団の人々の自由をひとたび剥奪し始める時,他の人間の自由が奪われるのは時間の問題となります。エホバの証人に対する偽りの非難,一斉検挙,投獄が行なわれている現在の事態は,信教の自由のみならずポルトガル国民が大切にしている他の自由まで失われる危険のあることを警告しています。
読者にできる事柄
このきわめて明白な法の不正について,読者はご自分の見解を今表明できます。この記事を書いている今,その49人の被告は,この事件が上訴されたため釈放されていますが,しかし全員服役刑に直面しており,そのうえ自分たちの収入状態では支払いきれない罰金を課されるおそれがあるのです。もしこの刑が執行されるならば,被告たちはきわめて困難な事態に直面するでしょう。夫や父が投獄される場合,残された家族の者たちは必要な扶養を受けられず,母親が投獄されれば,幼い子供たちにとってきわめて大切な母親による世話も監督も一切奪われてしまうでしょう。
ポルトガルの政府当局者は,自国内のクリチャンをどう扱うかは国内問題だと考えるかもしれません。しかし私たちはそう考えません。私たちは,ポルトガルだけでなく世界中の幾百万人の正直な心の持ち主が,ポルトガルにおけるこれら誠実なクリスチャンの上に生じている事柄を深く憂慮しているものと信じています。そのような人々は,宗教上の少数者に対するこのような迫害に憤慨し,抗議の手紙を書き送りたいと願っています。もし読者もこれと同じ考えを持たれるならば,この問題に関するあなたの意見を書いて,ポルトガル政府の責任者に抗議なさるように勧めます。
抗議の手紙を送る宛先
ポルトガルの首相:
Exmo.Sr.
Prof. Doutor António de Oliveira Salazar
Rua da Imprensa,8
Lisbon,Portugal
ポルトガル共和国の大統領:
Exmo.Sr.
Contra-Almirante Américo Deus Rodrigues Tomás
Rua Almirante Antonio Saladanha,lote 402
Lisbon,Portugal
内務大臣:
Exmo, Sr.
Dr.Alfredo Rodrigues dos Santos Júnior
Rua General Sinel de Cordes,11-2
Lisbon 1,Portugal
法務大臣:
Exmo.Sr.
Prof.Doutor João de Matos Antunes Varela
Avenida António Augusto Aguiar, 27-4 Dt.
Lisbon 1,Portugal
外務大臣:
Exmo.Sr.
Dr.Alberto Marciano Gorjão Franco Nogueira
Largo do Rilvas
Palácio das Necessidades
Lisbon,Portugal
国務大臣:
Exmo.Sr.
Dr.António Jorge Martins da Mota Veiga
Rua Castilho, 71-4 Dt.
Lisbon 2,Portugal
国際警察庁長官並びに国務大臣:
Exmo.Sr.
Fernando Eduardo da Silva Pais
Rua António Maria Cardoso, 8
Lisbon 2,Portugal
また読者の住んでいる国のポルトガル大使館および領事館