『われこゝにあり 我をつかはしたまへ』
エホバの証人が困難な状況下で働く12の国々の報告(2)
― エホバの証人の1967年度年鑑から
エチオピア
昨奉仕年度中,エチオピア全土での奉仕は平穏の中に進められました。首都アディスアベバでもなんら問題は起きず,兄弟たちはなんの妨げもなく会衆の集会を開いてきました。そしてアディスアベバのみならずどの地域の兄弟たちにも英語の新しい出版物がひき続き供給されてきました。また兄弟たちのために母国語の聖書研究の資料も与えられ,自分で研究できるようになりました。この結果,英語をほとんど知らない兄弟姉妹もこれからは集会でさらに注解できるようになり,円熟に向かって成長することでしょう。さらに,御国宣教学校も設けられ,出席したしもべたちは熱心に学びました。
かつてエリトレア地方の兄弟たちを襲った厳しい迫害は,すでに昔の語り草になりました。忠誠の誓いをすることや,就職問題に直面した兄弟たちには真実の信仰が必要でしたが,天の父の家をなおざりにしなかったゆえに勇気を得,信仰を保ち,宣教を遂行できました。
兄弟たちが迫害に屈せず伝道を続け,多くの家庭聖書研究を司会してきたので,真理に関心を持つ大勢の人々およびかつて敵対していた教会の人々のある者の心は開かれて,エホバの証人の信仰を理解し,多くの人々が神の国の側に立つようになりました。実際のところ,一人の牧師は遠い村から旅をして,ある二人の兄弟のエホバの証人に会い,エホバの証人の集会場がどこにあるかを尋ねました。その姉妹はさっそくその牧師を家に招き,彼女の兄が直ちに研究を取りきめ,牧師はそこで数日間研究することになりました。その牧師はエホバの証人のことを大変誤解していましたが,まもなく真理を認め,そして村にもどりました。それ以後連絡が絶えていましたが,ある日突然に兄弟の家を訪ね,真理をむすこに教えてほしいと願い出,兄弟をその村に招待し,さらに,その村の教会の教えの矛盾に悩み,教会の指導者層に見られる意見の不一致に嫌悪を感じていた他の二人の牧師たちにも教えてほしいと頼みました。こうして,かつて私たちを公然と排斥していた敵対者たちが真理を理解するようになってきたのです!
ハンガリー
ハンガリーでは兄弟たちの直面する困難は以前よりもかなり少なくなってきました。エホバの証人のわざは今も地下で行なわれていますが,その存在はハンガリー中に知れ渡っています。
次にかかげる経験は,真理が人間の生活をどれほど変えるかを示すものです。ある伝道者が,年配の一婦人に会い,来たるべき楽園の世界について証言しました。婦人はその話の中で,主人が大酒を飲み,ののしり,好き勝手な遊びに大金を浪費するため,長年悩まされてきたことを打ち明けました。まもなくその主人が帰宅したので,姉妹の伝道者は親しく彼と話しはじめ,「楽園」の本を用いて家庭で聖書研究を行なうように勧めたところ,驚いたことに,その主人は快く応じました。その後,彼の妻が子供たちのところに2週間ほど訪れている間に,研究は4回行なわれました。そして帰宅した妻は主人の変化に気づいたのです。彼はもはや口ぎたなくののしらなくなり,研究がひき続き行なわれているうちに,大酒を飲むことや,トランプ遊びをやめてしまいました。彼は昔,警官をしたことのある有名な人であり,またエホバの証人の大反対者だったので,彼のその変わりように,村の人々は大変驚き,かつ敬服しました。今では彼とその妻はともに集会に出席し,次の機会に浸礼を受けたいと願っています。
ある町で,一人の婦人が見知らぬ男の人にこう尋ねました。「― という村に行きたいのですが,どのバスに乗ったらよいのでしょうか。実は,その村にエホバの証人がいると聞いたので,行くところなのです」このことばに驚いた男の人は,だれを訪ねたいのかと聞き返したところ,彼女は,「その町には私の知っている人はだれもいません。これ以上のことは言えませんが,私はエホバの証人を探しているのです」と答えました。彼は,自分もエホバの証人であり,その村まで一人で旅行するところだったことを話しました。喜んだ彼女は,その道々,それまでの「事情」を打ち明けましたが,それによると彼女には二人の子供たちがおり,二人ともハンガリーを去って英国に渡り,そこでエホバの証人に会いました。そして彼女はこう語りました。「このことを聞いた私は,自分の子供たちにとってカトリック教会の教えのいったいどこが不足なのかと激しい憤りを感じ,その新しい宗教を学ぶことをやめさせるため,直ちに英国に向かうことにしました。ところが英国には着いたものの,子供たちを動かすどころか,逆に,子供たちの方が新しい信仰について私にいろいろと説明し,あまりにもすばらしい教えに私はもはや反対する気持ちを失ってしまいました。そして,エホバに仕えることが,どんなに大きな特権であるかを知るようになり,家に帰ってからは,教会に出席しなくなりました。しかし私は熱心なカトリック信者でしたから,もちろん問題が教会にもわかり,牧師が家に来て,礼拝に出席しない理由を私に尋ねました。私は,偶像崇拝を禁じている聖句を出して牧師に答え,偶像崇拝者になりたくはないと説明しました」。その時以来,彼女は多くの人々から激しい反対を受けましたが,夫は真理に反対しないので,彼女は喜んでいます。そして今は,聖書研究を通して真理を学んでおり,また多くの機会をとらえて真理を伝道しています。そして英国にいる二人の子供たちは,次の巡回大会で浸礼を受けたいと願っており,ハンガリーに住むこの母親も,浸礼を受けてエホバの証人の一人になりたいと希望しています。こうして,他の多くの場合と同様に,誠実な心を持つ人の無知ゆえの真理に対する反対は克服されました。
ポーランド
ポーランドの兄弟たちはエホバの過分の恵みにより,クリスチャンの一致と霊的な清さという信仰の土台そのものを揺り動かした激しい嵐を切り抜けることができました。責任の地位にある一人のしもべがクリスチャンの道徳の高い標準を踏みはずしたのです。そのしもべは自分の罪を告白するどころか,おおい隠し,事情を調査しようとした兄弟たちを欺こうとしました。政府当局者たちは,この事態に乗じて,自分たちの不当な目的を遂行しようと図り,巧妙なわなを作って,神権組織に対する伝道者たちの確信と信頼とを打ち砕こうとしました。
事態を正そうとする人々を支持するように見せかけ,実際には彼らを中傷した,膨大な量の謄写版刷りのパンフレットが当局者の手で作られ,伝道者の間に配られました。また,協会からの指示で海外の友人が書いたように見せかけた何百通ものにせの手紙が当局者の手でポーランド中の伝道者に送られました。その手紙によれば,問題のしもべは何ら罪を犯してはおらず,協会は彼を支持しており,伝道者はひき続き彼を信頼すべきであると,述べられていました。そのうえ,海外の兄弟たちから寄せられた本物の手紙は,途中で当局者に調べられ,偽りの手紙の内容と同じ趣旨のものに巧みに書き変えられました。
その不忠実なしもべとその少数の仲間は,当局の企てに応じたため,多くの兄弟たちの心の中に疑いが広まってゆきました。こうして,エホバの証人の一部の者の不道徳を利用し,また,分裂と不信というこの世の精神を吹き込み,ポーランド中のエホバの民を完全に二分するという当局の意図は達成されたかに見えました。
しかし,エホバの聖霊はこれら狡猾な人間よりもはるかに強力でした。だれに対しても不公正が行なわれないようにするため,内容のくい違うすべての報告を調査するには,伝道活動の禁止下という事情も手伝って,かなりの時間がかかりましたが,遂に,だれも疑うことのできない証拠があげられ,責任の地位にあった問題のしもべは排斥され,他の忠実な兄弟たちがその責任を担うことになりました。伝道者たちは全体として,忍耐,協力そしてエホバに対する信頼というすばらしい精神を表わし,その複雑きわまりない事件をエホバがご自分の方法で解決してくださるのを待ちました。伝道者たちは,先走って勝手な結論を下さず,また当局者たちの術策のために道を誤まったり,気落ちしたりせず,むしろ,良いたよりを伝道し,そして献身した神の証人となるように他の人々を助ける,神から与えられたわざを忠実に遂行したために,豊かに祝福されました。
また,兄弟たちは,思いがけない伝道の助けを得ました。と言うのは,カトリック教会が,神の御名エホバを用い,ヘブル語シェオールを訳さずにそのまま取り入れて音訳した,いわゆる“千年期聖書”と呼ばれる,全く新しい聖書を発行したからです。このカトリック教会の聖書をそのまま用いて,神の御名および死人の状態に関する重要な教理を人々に容易に証明できるようになりました。
一人の姉妹が,ある年配の婦人の家を再び訪問したところ,その婦人の孫でカトリック教会の牧師をしている人が居合わせました。そして彼は神の御名がエホバであることを認めましたが,姉妹からさらに問い詰められた彼は大声で叫びました。「君たちは,教会の平和な牧場を荒らそうとしているのだ」。そして,協会の出版物を読まないようにと祖母に告げました。後日,この姉妹はもう一度その婦人を訪ねました。その時,彼女が姉妹に語ったところによれば,エホバの証人が来たら追い返してもかまわないのかと孫に尋ねたそうです。ところが,彼は考え込んでしまい,そのうちに泣きはじめ,ごくふつうの女性にすぎない伝道者のほうが自分よりもはるかに聖書をよく知っていると言って悔やみ,聖書や伝道者が配布していった文書を読むように祖母に勧めたのです。今,この婦人は家庭聖書研究を楽しく行なっています。
ことばを用いない証言でも大きな効果を収めることができます。ある姉妹は,真理を受け入れたために,主人からひどい仕打ちを受けました。主人は乱暴にも彼女をなぐり,一度は彼女の聖書を窓から投げ捨てました。しかし彼女はそのすべてを黙って忍びました。近所の人々はそのりっぱなふるまいを知って,彼女を尊敬していました。姉妹はその後,1冊の新しい聖書を買い,小さな袋に包み,その包みを隣りの人に保管してもらいました。依頼に応じた隣りの人は,好奇心にかられて,秘かにその包みを開いたところ,中に聖書がはいっていたので,取り出して読みはじめ,しばらくしてから,自分のしたことを姉妹に告白し,それとともに多くの質問をしました。3カ月後,60歳になるその隣りの婦人はひとりで伝道しはじめ,1カ月に平均25時間ほど奉仕する熱心な伝道者となり,その娘の一人も伝道に加わり,今では浸礼を受けるほどに進歩しました。こうして,ことばを用いずに,謙遜と忍耐を示した姉妹のふるまいが証言となって,これら二人の婦人がエホバの賛美者になるように助けられました。
ルーマニア
ルーマニアのエホバの証人は,この国の全体主義支配の下で苦難に面してきました。伝道の自由は完全に奪われています。しかし,彼らは,より良い事態が訪れるまで良いたよりの伝道を延ばさず,困難な事態の中にあって,最善を尽して良いわざを行ない,伝道者の数はさらに増加しました。そして,エホバの助けにより楽観的な見方と喜びをもって忍耐してきました。
「あまたのパンを水の上に投げよ,多くの日の後,あなたはそれを得るからである」。(伝道 11:1)確かにこのことばどおり,良い心の土にまかれた真理の種が芽を出し,成長し,実を結ぶには,ある場合,かなりの日数がかかります。ペンテコスト教会の一人の伝道者の場合もその一例です。約六,七年前に,二人のエホバの証人が,その伝道者の信じている教えの誤りを指摘し,神のみことばに基づく真の信仰を理解するように彼を援助しました。しかし,彼は,異言を語ることさえ信じるほどに偽りの教えに束縛されていたため,真理の音信を受け入れることはできませんでした。ところが驚いたことに,最近になって,その伝道者は,当時彼と話し合ったエホバの証人の一人に電話をして,以前に論じ合った真の宗教の問題につきもう一度話しを聞きたいので家に来てほしいと申し出てきたのです。彼は,エホバの証人の強い信仰についてもっと知りたいと思ったのです。そこで,数年前に真理の種を最初にまいた二人の兄弟が彼を訪問し,質問に答えました。今や,ペンテコスト派の信仰と,真理との大きな違いをはっきりと知った彼は遂に神の民の一人になりたいという熱烈な願いを表わしたのです。彼の妻も夫に同意してともに神のみことばの基礎的な教理を研究したのちに,二人とも浸礼を受けました。確かに,幾年も昔にまかれた種は,良い心の土に生きつづけてきたのです。それで,私たちの伝道が直ちに実を結ばなくても,それがいつ実を結ぶかはだれにもわからないのです。