地獄の火 ― 燃え盛っているか,消えかかっているか
プロテスタントの説教師ジョナサン・エドワーズは,地獄を目の当たりに見るように描写しては,植民地時代にあった18世紀のアメリカ人を震え上がらせたものでした。ある時彼は,神が罪人たちを気持ちの悪いクモのように炎の上につり下げる光景を描写し,それから会衆をけん責しました。「罪人たちよ,あなた方は細い糸でつり下げられているのだ。神の憤りの炎はその周りに燃え上がっており,今にもそれを焦がし,焼き切ろうとしている」。
しかし,エドワーズがこの有名な恐ろしい説教を行なってから間もなく,地獄の火はいわば揺らぎ,消えはじめました。a D・P・ウォーカー著,「地獄の衰退」が指摘しているところによれば,「1730年代までには,地獄に落とされた人がとこしえの責め苦を受けるという教理は公然と疑問視されるようになって」いました。19世紀にも地獄の炎は衰えつづけ,20世紀も半ばになると,地獄とは『犠牲者の心と体を永久に激しく責めさいなむ炉』である,というエドワーズの見解はまじめな会話には登場しなくなりました。ジャーナリストのジェフリー・シェラーは,「現代の主知主義の攻撃を受け,また広島を焼いた炎や大量虐殺の炎で影が薄くなったため,地獄の恐ろしいイメージは以前ほどの恐ろしさをおおかた失ってしまった」と述べています。
説教師の中にも地獄の業火を好まなくなった人が少なからずいました。地獄の恐怖に関する荒っぽい説教は,キリスト教世界の主流を成す教会の説教壇から姿を消しました。ほとんどの神学者にとって,地獄は学問として真剣に取り上げるにはあまりにも時代後れのテーマとなりました。数年前のこと,ある教会史研究家は,大学で行なう地獄に関する講義の準備として,数種類の学術雑誌の記事索引を調べました。しかし,地獄という見出し語を一つも見つけることができませんでした。ニューズウィーク誌(英文)によると,この歴史家は,「地獄は消滅した。そして,だれもそれに気づいていない」と結論しました。
地獄の復帰
消滅した? いいえ,全く消滅したわけではありません。驚いたことに,近年幾つかの地域で地獄の教理が再び燃え上がりました。米国で行なわれた調査によると,地獄の存在を信じていると言う人が,1981年には53%だったのが,1990年には60%にまで増加しました。それに加えて,福音派の地獄伝道運動が世界的に拡大しています。ですから,キリスト教世界の思想への地獄のまじめな復帰は確かに世界的な現象であることが分かります。
しかし,地獄の復活は教会の信者席に座る人にしか影響を与えないのでしょうか。それとも,説教壇に立つ人にもその影響は及んでいるのでしょうか。実を言えば,250年前にジョナサン・エドワーズが説いたような地獄の火がキリスト教世界の保守的な説教壇から消えたことはなかったのです。1991年にUS・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう述べています。「自由主義的な主流派の中にさえ,過去幾十年か見られなかった真剣さで神学者たちが地獄の思想について考えはじめている兆しが見られる」。明らかに,地獄の火は長年無視されてきた後,全世界で宗教界に戻ってきたのです。しかし地獄は,燃える火というその特色を保持してきたのでしょうか。
提起される疑問
神学者のW・F・ウォルブレフトは何の疑問も抱かず,こう述べています。「地獄は地獄だ。だから人間が何を望もうと,何を考えようと,永遠の断罪が軽減されることはない」。多くの教会員はそれほどの確信を抱いてはいません。地獄の存在を疑ってはいなくても,地獄の性質については疑問を抱いています。このように認めている神学者もいます。「私にとっても,地獄は聖書の中で明白に証明されている疑うことのできない現実である。しかし,その正確な性質については問題がある」。確かに今では,「地獄は存在するのか」ということではなく,「地獄とはどんな場所か」ということが神学者や平信徒にとって問題となっています。
あなたならどのように答えますか。地獄の性質についてどのようなことを教えられていますか。誠実なクリスチャンがこの教理に悩まされるのはなぜですか。
[脚注]
a 1741年7月8日にエドワーズは,「怒れる神の手中にある罪人たち」という説教を行ないました。
[2ページの図版のクレジット]
表紙: Doré's illustration of Tumult and Escape for Dante's Divine Comedy
[3ページの図版のクレジット]
Doré's illustration of Devils and Virgil for Dante's Divine Comedy