イエスは,本当の喜びとは何かを知っていました。人間になる前,天で理想的な環境にいた時には,「[エホバ]の前で常に喜[んで]」いました。(箴 8:30)地上では,厳しい問題にぶつかることもありましたが,天の父のご意志を行なうことに喜びを見いだしました。(ヨハ 4:34)死に至るまでの数時間はどうでしたか。「自分の前に置かれた喜びのために……苦しみの杭に耐え」ました。(ヘブ 12:2)では,イエスは喜びについてどんなことを述べているでしょうか。2つの点を取り上げましょう。
ある時,70人の弟子たちが,宣教を終えてイエスのもとに帰って来ました。彼らは強力な業を行なえたこと,悪霊たちさえ追い出せたことを喜んでいました。すると,イエスはこう言いました。「霊たちがあなた方に服していることを歓ぶのではなく,むしろ,あなた方の名が天に記されたことを歓びなさい」。(ルカ 10:1-9,17,20)大切なのはエホバの是認を得ることです。それはどんな奉仕の割り当てよりも大きな喜びをもたらします。
また,イエスが群衆に向かって話をしていた時,あるユダヤ人女性が,あなたのような素晴らしい教師の母親はとても幸せに違いない,と言いました。するとイエスは彼女をこう正しました。「いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」(ルカ 11:27,28)もちろん,立派な子どもを持つのは誇らしいことです。でも,エホバに従い,エホバとの友情を築くなら,はるかに大きな喜びを味わえます。
エホバに是認されていると感じると,大きな喜びが得られます。試練はつらいものですが,エホバの是認を奪うものとはなりません。試練に遭っても忠実を保つなら,喜びはいっそう深まります。(ロマ 5:3-5)さらに,エホバはご自分を信頼する人に聖霊をお与えになります。喜びは聖霊の実の一面です。(ガラ 5:22)確かに,「義なる者はエホバにあって歓[ぶ]」のです。(詩 64:10)
こうしたことを考えると,冒頭のダイアナとジョンが難しい状況のもとでも喜びを保っているのはなぜかがよく分かります。ダイアナはこう言います。「エホバのもとに避難しました。子どもが親に助けを求めるのと同じです」。こうも述べています。「エホバは,わたしが笑顔で伝道を続けられるようにしてくださいました」。ジョンは,旅行する奉仕を終えた後も熱心に宣教を行なっています。そうするのに何が役立ったでしょうか。こう述べています。「1998年に宣教訓練学校の教訓者として奉仕し始めました。それ以来,もっと個人研究を行なうようになりました」。こうも述べています。「わたしたち夫婦はどんな立場でもエホバに一生懸命奉仕するようにしてきたので,今回も比較的スムーズに順応できました。自分たちの決定を少しも後悔していません」。
他の兄弟姉妹も,詩編 64編10節の言葉どおりであることを経験しました。例えば,米国ベテルで30年以上奉仕したある夫婦は,野外で特別開拓者として奉仕するよう割り当てられました。こう述べています。「大好きなものを失って悲しく思うのは当然です。でもいつまでも悲しんではいられません」。2人はすぐに会衆での宣教に専念しました。こう言います。「具体的に祈りました。エホバがその祈りに答えてくださったので,喜びや力が得られました。移動後しばらくして,何人かの兄弟姉妹が開拓奉仕を始めました。わたしたちの研究生2人も意欲的に聖書を学んでいます」。