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  • 本当の悔い改めとは何か
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 10月号 2–7ページ

研究記事40

本ほん当とうの悔くい改あらためとは何なにか

「私わたしは……罪つみ人びとを悔くい改あらために導みちびくために来きました」。ルカ 5:32

36番ばんの歌うた 心こころを守まもる

何なにを学まなぶかa

1-2. アハブ王おうとマナセ王おうはどんな点てんが違ちがっていましたか。この記き事じではどんなことを考かんがえますか。

古こ代だいの2人ふたりの王おうについて考かんがえてみましょう。1人ひとりはイスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくを治おさめ,もう1人ひとりはユダの2部ぶ族ぞく王おう国こくを治おさめていました。生いきている時じ代だいは違ちがいましたが,2人ふたりには多おおくの共きょう通つう点てんがありました。どちらの王おうもエホバに反はん逆ぎゃくし,国こく民みんに罪つみを犯おかさせました。そして,偶ぐう像ぞう崇すう拝はいや殺さつ人じんの罪つみを犯おかしました。しかし,2人ふたりには違ちがう点てんもありました。1人ひとりは死しぬまで邪じゃ悪あくなことを行おこない続つづけましたが,もう1人ひとりは悔くい改あらためたので過か去このひどい行おこないを許ゆるされました。この2人ふたりとは誰だれのことでしょうか。

2 イスラエルのアハブ王おうとユダのマナセ王おうです。この2人ふたりの違ちがいから,悔くい改あらためという,とても重じゅう要ような点てんについて多おおくのことを学まなべます。(使し徒と 17:30。ロマ 3:23)悔くい改あらためとは何なんですか。悔くい改あらためていることをどのように示しめせますか。私わたしたちはこうした点てんを学まなぶ必ひつ要ようがあります。罪つみを犯おかした時ときにはエホバに許ゆるしていただきたいと思おもっているからです。では,この2人ふたりの王おうが取とった行こう動どうを調しらべ,そこから悔くい改あらためについて何なにを学まなべるかを考かんがえてみましょう。そして,イエスが悔くい改あらためについてどんなことを教おしえたかも考かんがえましょう。

アハブ王おうの例れいから学まなべること

3. アハブはどんな王おうでしたか。

3 アハブはイスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくの7代だい目めの王おうでした。シドンの王おうの娘むすめイゼベルと結けっ婚こんしました。シドンはイスラエルの北きたにある裕ゆう福ふくな町まちだったので,この結けっ婚こんによってイスラエルも豊ゆたかになったかもしれません。しかし,イスラエル国こく民みんとエホバとの関かん係けいはさらに悪わるくなりました。イゼベルはバアルを崇すう拝はいしており,アハブを唆そそのかして,そのひどい宗しゅう教きょうが広ひろまるようにしました。バアル崇すう拝はいには神しん殿でんでの売ばい春しゅんや子こ供どもを犠ぎ牲せいにすることなどが含ふくまれていました。イゼベルが権けん力りょくを握にぎっていた間あいだ,エホバの預よ言げん者しゃは皆みな,危き険けんにさらされていました。実じっ際さい,イゼベルは多おおくの預よ言げん者しゃを殺ころしました。(王おう一いち 18:13)アハブについても,「エホバから見みてそれまでの誰だれよりも悪わるかった」と述のべられています。(王おう一いち 16:30)エホバはアハブとイゼベルが行おこなっていたことに気き付づいていなかったわけではありません。全すべてをしっかりと見みていました。それでも憐あわれみを示しめし,預よ言げん者しゃエリヤをイスラエルの民たみの所ところに遣つかわして,手て遅おくれになる前まえに生いき方かたを変かえるように警けい告こくしました。ところが,アハブとイゼベルは聞きこうとしませんでした。

4. エホバは,アハブにどんな罰ばつを与あたえると言いいましたか。アハブはどう反はん応のうしましたか。

4 ついに,エホバの辛しん抱ぼうは終おわりを迎むかえました。エリヤを遣つかわして,アハブとイゼベルにどんな罰ばつを与あたえるかを伝つたえます。2人ふたりの家か系けいは絶たたれることになります。アハブはエリヤの言こと葉ばにショックを受うけました。驚おどろいたことに,思おもい上あがっていたこの王おうは「謙けん遜そんになった」のです。(王おう一いち 21:19-29)

1. アハブ王が謙遜になっている。2. 後にアハブは,預言者ミカヤを牢屋に入れるよう護衛に命じている。

アハブ王おうは神かみの預よ言げん者しゃを牢ろう屋やに入いれることによって,本ほん当とうに悔くい改あらためてはいないことを示しめした。(5-6節せつを参さん照しょう。)b

5-6. アハブが本ほん当とうに悔くい改あらためてはいなかったことは,どんなことから分わかりますか。

5 アハブはその時ときは謙けん遜そんになったものの,その後ごの行こう動どうからすると,本ほん当とうに悔くい改あらためてはいませんでした。自じ分ぶんの国くにからバアル崇すう拝はいを取とり除のぞこうとはしませんでした。エホバの崇すう拝はいを広ひろめることもしませんでした。アハブが悔くい改あらためていなかったことは,ほかの出で来き事ごとからも分わかります。

6 アハブはシリアとの戦たたかいに一いっ緒しょに行いくようユダのエホシャファト王おうを誘さそいました。良よい王おうだったエホシャファトはエホバの預よ言げん者しゃの意い見けんを聞きくよう提てい案あんしました。アハブは初はじめそうするのを嫌いやがってこう言いいました。「エホバに尋たずねることができる人ひとがもう1人ひとりいますが,私わたしはその人ひとが嫌きらいです。私わたしについて良よいことを預よ言げんしたことがなく,悪わるいことばかり預よ言げんするからです」。それでも2人ふたりは預よ言げん者しゃミカヤの意い見けんを聞きくことにしました。案あんの定じょう,ミカヤはアハブにとって悪わるいことを預よ言げんしました。邪じゃ悪あくなアハブは,悔くい改あらためてエホバの許ゆるしを求もとめるどころか,ミカヤを牢ろう屋やに入いれてしまいました。(王おう一いち 22:7-9,23,27)アハブは,エホバの預よ言げん者しゃを牢ろう屋やに入いれることはできましたが,その預よ言げんが実じつ現げんするのを阻はばむことはできませんでした。その後ごの戦たたかいでアハブは命いのちを落おとしました。(王おう一いち 22:34-38)

7. アハブの死し後ごに語かたられた言こと葉ばから,エホバがアハブをどう見みていたことが分わかりますか。

7 アハブの死し後ご,エホバはアハブをどう見みていたかを明あきらかにしました。エホシャファトが無ぶ事じに家いえに帰かえった時とき,エホバは預よ言げん者しゃエヒウを遣つかわして,アハブと同どう盟めいを結むすんだエホシャファトを叱しっ責せきしました。エヒウはこう言いいました。「あなたが助たすけるべきなのは,悪わるい人ひとでしょうか。愛あいするべきなのは,エホバを憎にくむ人ひとでしょうか」。(代だい二に 19:1,2)考かんがえてみてください。もしアハブが本ほん当とうに悔くい改あらためていたなら,エヒウはアハブのことをエホバを憎にくむ悪わるい人ひとと言いったりしなかったはずです。アハブは後こう悔かいしていることをある程てい度ど示しめしましたが,心こころから悔くい改あらためていたわけではなかったのです。

8. アハブの例れいから悔くい改あらためについてどんなことを学まなべますか。

8 アハブの例れいからどんなことを学まなべますか。アハブは,自じ分ぶんの家か系けいが絶たたれるとエリヤから聞きいた直ちょく後ごは謙けん遜そんになりました。それは良よいことでした。しかし,その後ごの行こう動どうによって,心こころから悔くい改あらためてはいなかったことが明あきらかになりました。ですから,悔くい改あらためとは,一いち時じ的てきに悲かなしみを表あらわすだけのことではありません。では,本ほん当とうの悔くい改あらためとは何なにかを理り解かいするのに役やく立だつ別べつの例れいを考かんがえてみましょう。

マナセ王おうの例れいから学まなべること

9. マナセはどんな王おうでしたか。

9 およそ200年ねん後ご,マナセがユダの王おうになりました。マナセはアハブよりもっと悪わるいことを行おこなったようです。「エホバから見みて悪わるいことを大だい規き模ぼに行おこなって,神かみを怒いからせた」とあります。(代だい二に 33:1-9)マナセは異い教きょうの神かみ々がみのために祭さい壇だんを作つくり,性せい崇すう拝はいの象しょう徴ちょうと思おもわれる聖せい木ぼくの彫ちょう刻こく像ぞうをエホバの聖せいなる神しん殿でんの中なかに置おくことさえしました。魔ま術じゅつや占うらないや呪じゅ術じゅつを行おこないました。そして,「無む実じつの人ひとの血ちを大たい量りょうに流ながし」ました。大おお勢ぜいの人ひとを殺ころし,「自じ分ぶんの子こたちを火ひで焼や」いて偽にせの神かみ々がみへの犠ぎ牲せいにすることまでしたのです。(王おう二に 21:6,7,10,11,16)

10. エホバはマナセをどのように罰ばっしましたか。マナセはどんな反はん応のうを示しめしましたか。

10 アハブと同おなじようにマナセも,預よ言げん者しゃを通とおして与あたえられたエホバからの警けい告こくをかたくなに無む視ししました。その結けっ果か,どうなったでしょうか。「エホバはアッシリアの王おうの軍ぐん隊たい長ちょうたちを[ユダ]に差さし向むけた。軍ぐん隊たい長ちょうたちはマナセをかぎで引ひっ掛かけて捕とらえ,銅どうの足あしかせ2つをはめてバビロンへ連つれていった」とあります。マナセはバビロンの牢ろう屋やの中なかで自じ分ぶんがしてきたことについてよく考かんがえたようです。そして,「父ふ祖そたちの神かみの前まえでとても謙けん遜そんにな[り]」ました。「エホバ神かみに恵めぐみを求もとめ」ることさえしました。マナセは「神かみに祈いのり続つづけ」ました。この悪わるい王おうは変へん化かしたのです。エホバを自じ分ぶんの神かみと考かんがえるようになり,エホバに粘ねばり強づよく祈いのりました。(代だい二に 33:10-13)

1. マナセ王がエホバに恵みを求めている。2. 後にマナセは,かつて自分が神殿に置いた像を破壊するよう命じている。

マナセ王おうは間ま違ちがった崇すう拝はいを取とり除のぞくために行こう動どうし,本ほん当とうに悔くい改あらためていることを示しめした。(11節せつを参さん照しょう。)c

11. 歴れき代だい第だい二に 33章しょう15,16節せつからすると,マナセは本ほん当とうに悔くい改あらためていることをどのように示しめしましたか。

11 やがて,エホバはマナセの祈いのりに答こたえました。祈いのりに表あらわれていた心こころの変へん化かを見みて取とり,その懇こん願がんに心こころを動うごかされ,マナセを王おう位いに復ふっ帰きさせました。マナセは,この機き会かいを十じゅう分ぶんに生いかして,自じ分ぶんが本ほん当とうに悔くい改あらためていることを示しめしました。アハブとは異ことなり,自じ分ぶんの行おこないを変へん化かさせたのです。間ま違ちがった崇すう拝はいを取とり除のぞくために行こう動どうし,真しんの崇すう拝はいを広ひろめました。(歴れき代だい第だい二に 33:15,16を読よむ。)そうするには勇ゆう気きや信しん仰こうが必ひつ要ようだったに違ちがいありません。悔くい改あらためる前まえのマナセは,何なん十じゅう年ねんにもわたって家か族ぞくや高こう貴きな人ひとたちや国こく民みんに悪わるい影えい響きょうを与あたえてきたからです。しかし晩ばん年ねんには,そうした悪わるい影えい響きょうを取とり除のぞこうと努ど力りょくしました。幼おさない孫まごのヨシヤに良よい影えい響きょうを与あたえたようです。ヨシヤは,後のちにとても良よい王おうになりました。(王おう二に 22:1,2)

12. マナセの例れいから悔くい改あらためについてどんなことを学まなべますか。

12 マナセの例れいから何なにを学まなべますか。マナセは謙けん遜そんになっただけではありませんでした。憐あわれみを求もとめて祈いのりました。生いき方かたや行こう動どうを変かえました。自じ分ぶんが与あたえた悪わるい影えい響きょうを取とり除のぞくために一いっ生しょう懸けん命めいに努ど力りょくしました。そして,心こころを込こめてエホバを崇すう拝はいし,そうするようほかの人ひとたちを助たすけました。マナセの例れいは,非ひ常じょうに大おおきな罪つみを犯おかした人ひとにも希き望ぼうを与あたえるものです。エホバ神かみが「善よい方かたで,快こころよく許ゆるしてくださ」ることをはっきり示しめしています。(詩し 86:5)エホバは,本ほん当とうに悔くい改あらためている人ひとのことを許ゆるしてくださるのです。

13. 悔くい改あらために関かんする大たい切せつな点てんをどんな例たとえで説せつ明めいできますか。

13 マナセは罪つみを犯おかしたことを後こう悔かいしただけではありませんでした。このことから,悔くい改あらためについて大たい切せつな点てんを学まなべます。例たとえで考かんがえてみましょう。ケーキ屋やさんに行いってケーキを注ちゅう文もんしたとします。しかし,店てん員いんからケーキではなく,卵たまごを渡わたされます。あなたはそれで満まん足ぞくできますか。もちろんできないでしょう。店てん員いんから,卵たまごはケーキの主おもな材ざい料りょうだと言いわれたらどうでしょうか。それでも納なっ得とくできないはずです。エホバは罪つみを犯おかした人ひとに悔くい改あらためることを求もとめています。その人ひとが罪つみを犯おかしたことを後こう悔かいしているなら,それは良よいことです。そうした気き持もちは悔くい改あらための重じゅう要ような要よう素そだからです。でも,それだけで十じゅう分ぶんとは言いえません。ほかに何なにが必ひつ要ようでしょうか。イエスが話はなした感かん動どう的てきな例たとえ話ばなしから多おおくの点てんを学まなべます。

本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめる

好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこは本ほん心しんに立たち返かえり,長なが旅たびをして家いえに帰かえった。(14-15節せつを参さん照しょう。)d

14. イエスの例たとえ話ばなしに出でてくる好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこが悔くい改あらためていることは,まずどんな点てんに表あらわれましたか。

14 イエスは,好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこに関かんする心こころ温あたたまる例たとえ話ばなしをしました。それは,ルカ 15章しょう11-32節せつに記き録ろくされています。1人ひとりの若わか者ものが父ちち親おやに反はん抗こうし,家いえを出でて「遠とおい国くに」に旅たび立だちました。そして,そこで不ふ道どう徳とくで好すき放ほう題だいの生せい活かつをしました。しかし,やがて生せい活かつしていくのが難むずかしくなると,自じ分ぶんがしてきたことについて真ま面じ目めに考かんがえるようになりました。自じ分ぶんが父ちち親おやの家いえでどれほど恵めぐまれた生せい活かつをしていたかに気き付づきました。イエスが述のべているように,この若わか者ものは「本ほん心しんに立たち返かえ」りました。そして,家いえに戻もどり,父ちち親おやの許ゆるしを求もとめることにしました。自じ分ぶんがどれほどひどいことをしてきたかに気き付づいたのは,とても良よいことでした。しかし,それだけでは十じゅう分ぶんではありませんでした。行こう動どうする必ひつ要ようがあったのです。

15. イエスの例たとえ話ばなしに出でてくる息子むすこは,本ほん当とうに悔くい改あらためていることをどのように示しめしましたか。

15 この若わか者ものは,自じ分ぶんがしてきたことに対たいする心こころからの悔くい改あらためを示しめしました。長ながい旅たびをして家いえに帰かえり,父ちち親おやにこう言いいました。「私わたしは天てんに対たいしても,あなたに対たいしても罪つみを犯おかしました。もう息子むすこと呼よばれるに値あたいしません」。(ルカ 15:21)この若わか者ものの心こころから出でた言こと葉ばには,エホバとの絆きずなを取とり戻もどしたいという気き持もちが表あらわれていました。そして,自じ分ぶんの行こう動どうが父ちち親おやを傷きずつけたことも認みとめました。父ちち親おやとの良よい関かん係けいを取とり戻もどすためには何なんでもしたいと思おもっていて,雇やとわれ人びとの1人ひとりのようになる覚かく悟ごさえしていました。(ルカ 15:19)これは単たんなる心こころ温あたたまる物もの語がたりではありません。長ちょう老ろうたちにとって,重じゅう大だいな罪つみを犯おかした人ひとが本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめる際さいに助たすけになるのです。

16. 長ちょう老ろうたちにとって,誰だれかが本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめるのが難むずかしいことがあるのはなぜですか。

16 長ちょう老ろうたちにとって,重じゅう大だいな罪つみを犯おかした人ひとが本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめるのは簡かん単たんなことではありません。なぜでしょうか。長ちょう老ろうたちは心こころを読よめないので,その人ひとが心こころを入いれ替かえたかどうかを判はん断だんするには,外そとに現あらわれるものに頼たよらざるを得えないからです。ある人ひとが非ひ常じょうに重じゅう大だいな罪つみを犯おかした場ば合あいには,その人ひとと話はなし合あう長ちょう老ろうたちは,その人ひとが心こころから悔くい改あらためていることをなかなか確かく信しんできないかもしれません。

17. (ア)悲かなしみを表あらわせば本ほん当とうの悔くい改あらためを示しめしていることになるとは限かぎりません。どんな例れいからそれが分わかりますか。(イ)コリント第だい二に 7章しょう11節せつによると,本ほん当とうに悔くい改あらためていることを示しめすためには,どんなことをする必ひつ要ようがありますか。

17 1つの例れいを考かんがえてみましょう。1人ひとりの兄きょう弟だいは何なん年ねんにもわたって姦かん淫いんを繰くり返かえしてきました。助たすけを求もとめることはせず,妻つまにも友とも達だちにも長ちょう老ろうたちにも隠かくしてきましたが,ついに長ちょう老ろうたちの知しるところとなりました。証しょう拠こを示しめされると,兄きょう弟だいは自じ分ぶんがしたことを認みとめました。とても後こう悔かいしているように見みえます。でも,それで十じゅう分ぶんでしょうか。こうしたケースを扱あつかう長ちょう老ろうたちは,その人ひとが悲かなしんでいる様よう子すだけを見みて判はん断だんすることはできません。この兄きょう弟だいは,たった1度ど判はん断だんを誤あやまって罪つみを犯おかしたのではなく,何なん年ねんにもわたって罪つみを重かさねてきました。自じ分ぶんから罪つみを告こく白はくしたのではなく,誰だれかが長ちょう老ろうたちに報ほう告こくしました。ですから,長ちょう老ろうたちには,この人ひとが考かんがえ方かたや感かんじ方かたや行こう動どうを本ほん当とうに改あらためたことを示しめす証しょう拠こが必ひつ要ようです。(コリント第だい二に 7:11を読よむ。)そうした変へん化かを遂とげるにはかなりの時じ間かんがかかるはずです。ですから,恐おそらくその人ひとはある程てい度どの期き間かん,会かい衆しゅうから除のぞかれることになるでしょう。(コリ一いち 5:11-13; 6:9,10)

18. 排はい斥せきされた人ひとは,心こころから悔くい改あらためていることをどのように示しめせますか。どんな結けっ果かになりますか。

18 排はい斥せきされた人ひとは,心こころから悔くい改あらためていることを示しめしたいと思おもっているなら,いつも集しゅう会かいに出しゅっ席せきし,長ちょう老ろうたちの助じょ言げんに従したがって祈いのりや研けん究きゅうの良よい習しゅう慣かんを守まもるでしょう。また,誘ゆう惑わくとなる状じょう況きょうを避さけるよう努ど力りょくするでしょう。エホバとの絆きずなを取とり戻もどすために真しん剣けんに努ど力りょくするなら,エホバは豊ゆたかに許ゆるしてくださり,長ちょう老ろうたちは会かい衆しゅうに戻もどれるよう助たすけてくれます。もちろん,長ちょう老ろうたちは誰だれかが本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめる際さい,一ひとつとして同おなじケースはないことを思おもいに留とめ,それぞれを慎しん重ちょうに考こう慮りょします。そして,憐あわれみが欠かけた判はん断だんをしないようにします。

19. 本ほん当とうに悔くい改あらためるとはどういうことですか。(エゼキエル 33:14-16)

19 ここまで学まなんできたように,本ほん当とうに悔くい改あらためるとは,犯おかした罪つみを後こう悔かいしていると言いうだけのことではありません。考かんがえ方かたや感かんじ方かたや行こう動どうを改あらためる必ひつ要ようがあります。悪わるい行おこないをやめ,再ふたたびエホバの基き準じゅんに沿そって歩あゆむ必ひつ要ようがあるのです。(エゼキエル 33:14-16を読よむ。)罪つみを犯おかした人ひとは,エホバとの絆きずなを取とり戻もどすことをまず一いち番ばんに考かんがえるべきです。

罪つみを犯おかした人ひとを悔くい改あらために導みちびく

20-21. 重じゅう大だいな罪つみを犯おかした人ひとをどのように助たすけることができますか。

20 イエスは自じ分ぶんの宣せん教きょうの重じゅう要ような一いち面めんについてこう述のべました。「私わたしは……罪つみ人びとを悔くい改あらために導みちびくために来きました」。(ルカ 5:32)私わたしたちもそうすることを願ねがっているはずです。では,親したしい友とも達だちが重じゅう大だいな罪つみを犯おかしたことを知しったなら,どうすべきでしょうか。

21 その罪つみを隠かくそうとすることは,友とも達だちを助たすけることには決けっしてなりません。エホバが見みているのですから,隠かくし通とおすことなど,絶ぜっ対たいにできません。(格かく 5:21,22; 28:13)その友とも達だちに,長ちょう老ろうたちが力ちからになりたいと思おもっていることを伝つたえましょう。もしその人ひとが長ちょう老ろうに罪つみを告こく白はくしようとしないなら,あなたがそのことを長ちょう老ろうに知しらせる必ひつ要ようがあります。そうすることでその友とも達だちを助たすけたいと心こころから思おもっていることを示しめせます。そのままにしておくなら,その人ひととエホバとの絆きずなは絶たたれてしまうでしょう。

22. 次つぎの記き事じではどんなことを考かんがえますか。

22 では,ある人ひとが犯おかした罪つみの程てい度どや期き間かんを長ちょう老ろうたちが考こう慮りょして,その人ひとを排はい斥せきすることにした場ば合あいはどうでしょうか。それは,長ちょう老ろうたちに憐あわれみが欠かけていたということでしょうか。次つぎの記き事じでは,罪つみを犯おかした人ひとをエホバが憐あわれみ深ぶかく矯きょう正せいすることについて考かんがえます。また,私わたしたちがどのようにエホバに倣ならえるかも取とり上あげます。

どのように答こたえますか

  • アハブ王おうの例れいから悔くい改あらためについてどんなことを学まなべますか。

  • マナセ王おうが本ほん当とうに悔くい改あらためていたことはどんなことから分わかりますか。

  • イエスの例たとえ話ばなしに出でてくる好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこから,悔くい改あらためについてどんなことを学まなべますか。

103番ばんの歌うた 牧ぼく者しゃという贈おくり物もの

a 本ほん当とうに悔くい改あらためるとは,犯おかした罪つみを後こう悔かいしていると言いうだけのことではありません。アハブ王おうやマナセ王おう,またイエスの例たとえ話ばなしに出でてくる好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこの例れいから,本ほん当とうの悔くい改あらためについて何なにを学まなべるでしょうか。長ちょう老ろうたちは,重じゅう大だいな罪つみを犯おかした兄きょう弟だい姉し妹まいが本ほん当とうに悔くい改あらためているかどうかを見み極きわめる際さいに,どんな要よう素そを考こう慮りょする必ひつ要ようがあるでしょうか。この記き事じではこうした点てんを考かんがえます。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: アハブ王おうが怒いかってエホバの預よ言げん者しゃミカヤを牢ろう屋やに入いれるよう護ご衛えいに命めいじている。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: マナセ王おうが,かつて自じ分ぶんが神しん殿でんに置おいた像ぞうを破は壊かいするよう命めいじている。

d 写しゃ真しんや挿さし絵え: 好すき放ほう題だいの生せい活かつをした息子むすこが,長なが旅たびをして疲つかれ切きっているものの,遠とおくに自じ分ぶんの家いえを見みてほっとしている。

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