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  • 塔研21 10月号 18–23ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 10月号 18–23ページ

研究記事42

真しん理りに対たいする強つよい確かく信しんを持もち続つづけてください

「全すべてのことを確たしかめてください。立りっ派ぱなことを行おこない続つづけてください」。テサロニケ第だい一いち 5:21

142番ばんの歌うた 希き望ぼうをしっかり持もち続つづける

何なにを学まなぶかa

1. 大おお勢ぜいの人ひとたちが混こん乱らんしているのはなぜですか。

キリスト教きょうの何なん万まんもの教きょう派はが,自じ分ぶんたちは神かみに喜よろこばれる崇すう拝はいを行おこなっている,と主しゅ張ちょうしています。ですから,大おお勢ぜいの人ひとたちが混こん乱らんしているのも当とう然ぜんです。「本ほん当とうの宗しゅう教きょうは1つだけなのだろうか。それとも全すべての宗しゅう教きょうが神かみに喜よろこばれるのだろうか」と考かんがえます。では,私わたしたちエホバの証しょう人にんについてはどうでしょうか。私わたしたちの教おしえが真しん理りであることや,現げん代だいのエホバの証しょう人にんが従したがっている崇すう拝はいの型かたがエホバに喜よろこばれるものであることを強つよく確かく信しんしているでしょうか。そもそも,そうした確かく信しんを持もつことは可か能のうでしょうか。こうした点てんに関かんする証しょう拠こを調しらべてみましょう。

2. 使し徒とパウロが真しん理りを確かく信しんできたのはなぜですか。(テサロニケ第だい一いち 1:5)

2 使し徒とパウロは,真しん理りに対たいする強つよい確かく信しんを持もっていました。(テサロニケ第だい一いち 1:5を読よむ。)その確かく信しんは,感かん情じょうに基もとづいたものではありませんでした。パウロは,神かみの言こと葉ばを熱ねっ心しんに学まなぶ人ひとで,「聖せい書しょ全ぜん体たい[が]神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきによって書かかれたもので」あることを信しんじていました。(テモ二に 3:16)パウロは聖せい書しょからどんなことを学まなんだでしょうか。イエスが約やく束そくされたメシアであることを示しめす,否ひ定ていできない証しょう拠こについて学まなびました。その証しょう拠こは,ユダヤ人じんの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちが認みとめようとしなかったものです。これらの偽ぎ善ぜん的てきな指し導どう者しゃたちは,神かみについて教おしえていると主しゅ張ちょうしていましたが,その行おこないは神かみに喜よろこばれるものではありませんでした。(テト 1:16)対たい照しょう的てきにパウロは,神かみの言こと葉ばのうち自じ分ぶんに都つ合ごうの良よい所ところだけを信しんじる,ということはしませんでした。そうではなく,いつも「神かみの意い志しを全すべて」教おしえ,実じっ践せんしました。(使し徒と 20:27)

3. 強つよい確かく信しんを持もつためには,全すべての疑ぎ問もんに対たいする答こたえを知しらなければなりませんか。(「エホバの偉い業ぎょうと考かんがえは『あまりに多おおくて語かたり尽つくせ』ない」という囲かこみも参さん照しょう。)

3 ある人ひとたちは,正ただしい宗しゅう教きょうであればどんな質しつ問もんにも答こたえを出だせるはずだ,聖せい書しょに述のべられていないような点てんにも答こたえられるだろう,と考かんがえます。そうしたことを期き待たいするのは現げん実じつ的てきなことでしょうか。パウロのことを考かんがえてみましょう。パウロは仲なか間まのクリスチャンに「全すべてのことを確たしかめ」るよう勧すすめましたが,自じ分ぶんには分わからないこともたくさんあることを認みとめていました。(テサ一いち 5:21)こう書かいています。「私わたしたちは部ぶ分ぶん的てきな知ち識しきしか持もっておらず,……金きん属ぞくの鏡かがみでぼんやりした輪りん郭かくを見みています」。(コリ一いち 13:9,12)パウロは全すべてのことを理り解かいしていたわけではありませんでした。私わたしたちも同おなじです。でもパウロは,エホバの目もく的てきに関かんする基き本ほん的てきなことは理り解かいしていました。自じ分ぶんが信しんじていることは真しん理りだと確かく信しんするのに必ひつ要ようなだけの知ち識しきを持もっていたのです。

エホバの偉い業ぎょうと考かんがえは「あまりに多おおくて語かたり尽つくせ」ない

真しん理りに対たいする強つよい確かく信しんを持もつためには,全すべての疑ぎ問もんに対たいする答こたえを知しらなければなりませんか。あるいは,どんなことを聞きかれても答こたえられるようでなければならない,ということでしょうか。そうではありません。以い下かの聖せい句くから分わかる通とおり,エホバの偉い業ぎょうと考かんがえの全すべてを知しることは決けっしてできません。私わたしたちは神かみについて永えい遠えんに学まなび続つづけます。その一いっ方ぽうで,エホバは,私わたしたちが強つよい信しん仰こうを持もち,聖せい書しょの大たい切せつな教おしえを説せつ明めいできるようにするために,ご自じ分ぶんやご自じ分ぶんの目もく的てきに関かんする情じょう報ほうを十じゅう分ぶん明あきらかにしています。

  • 詩し編へん 40:5 「私わたしの神かみエホバ,何なんと多おおいのでしょう,あなたが行おこなったことは。素す晴ばらしい偉い業ぎょうと私わたしたちに対たいする考かんがえは。あなたのような方かたはいません。それらを語かたったり話はなしたりしようとしても,あまりに多おおくて語かたり尽つくせません」。

  • 伝でん道どうの書しょ 3:11 「神かみは全すべてを適てき切せつな時ときに美うつくしくした。神かみは人ひとに,永えい遠えんを思おもう心こころさえ与あたえた。それでも人ひとは,真しんの神かみの行おこないを決けっして知しり尽つくすことがない」。

  • イザヤ 55:9 「天てんが地ちより高たかいように,私わたしの行おこないはあなたたちの行おこないより高たかく,私わたしの考かんがえはあなたたちの考かんがえより高たかい」。

  • ローマ 11:33 「ああ,神かみの祝しゅく福ふくは何なんと豊ゆたかで,神かみの知ち恵えと知ち識しきは何なんと深ふかいのでしょう。神かみの裁さばきを知しり抜ぬくことも,神かみの道みちを知しり尽つくすことも決けっしてできません」。

4. 真しん理りを見みつけたという確かく信しんを強つよめるために,何なにができますか。真しんのクリスチャンについてどんなことを考かんがえますか。

4 真しん理りを見みつけたという確かく信しんを強つよめるために,何なにができるでしょうか。1つの方ほう法ほうは,イエスが定さだめた崇すう拝はいの型かたと現げん代だいのエホバの証しょう人にんが行おこなっていることを比ひ較かくすることです。この記き事じでは,真しんのクリスチャンが(1)偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを退しりぞけ,(2)エホバのお名な前まえに敬けい意いを示しめし,(3)真しん理りを愛あいし,(4)熱ねつ烈れつに愛あいし合あうことについて考かんがえます。

偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを退しりぞける

5. 神かみを崇すう拝はいするふさわしい方ほう法ほうについて,イエスからどんなことを学まなべますか。学まなんだことをどのように当あてはめられますか。

5 イエスはエホバを心こころから愛あいしていたので,エホバだけを崇すう拝はいしました。天てんにいた時ときも地ち上じょうにいた時ときもです。(ルカ 4:8)そして弟で子したちにも,エホバだけを崇すう拝はいするよう教おしえました。イエスも忠ちゅう実じつな弟で子したちも,崇すう拝はいに像ぞうや絵えを用もちいることは決けっしてしませんでした。エホバは目めに見みえない方かたなので,エホバの栄えい光こうを反はん映えいするようなものを作つくることなど,どんな人にん間げんにもできません。(イザ 46:5)では,聖せい人じんと呼よばれる人ひとたちの像ぞうを作つくり,それに向むかって祈いのることについてはどうでしょうか。エホバは十じっ戒かいの2番ばん目めのおきてでこう命めいじています。「あなたは,天てんや地ち……にあるものに似にたどんな彫ちょう刻こく像ぞうや形かたちも作つくってはならない。それにひれ伏ふしてはなら……ない」。(出しゅつ 20:4,5)ですから,神かみに喜よろこんでいただきたいと思おもっている人ひとたちにとって,偶ぐう像ぞうを崇すう拝はいすべきでないことは明あきらかです。

6. 現げん代だいのエホバの証しょう人にんはどんな崇すう拝はいの型かたに従したがっていますか。

6 歴れき史し家かたちも,初しょ期きのクリスチャンが神かみ以い外がいのものを崇すう拝はいしたりはしなかったことを認みとめています。例たとえば,「キリスト教きょう会かいの歴れき史し」(英えい語ご)という本ほんには,初しょ期きのクリスチャンは崇すう拝はいの場ば所しょに像ぞうを置おくことを提てい案あんされたなら「強つよい嫌けん悪お感かんを表あらわしただろう」と書かかれています。現げん代だいのエホバの証しょう人にんも,1世せい紀きのクリスチャンの型かたに倣ならっています。聖せい人じんと呼よばれている人ひとの像ぞうや絵えや,天てん使しに向むかって祈いのることはしません。イエスに祈いのることもしません。また,国こっ旗きに敬けい礼れいすることを含ふくめ,国くにを崇すう拝はいすることになるような行こう為いは一いっ切さいしません。どんなことがあっても,イエスの次つぎの言こと葉ばに従したがうことを決けつ意いしています。「あなたが崇すう拝はいすべきなのはエホバ神かみであ[る]」。(マタ 4:10)

7. エホバの証しょう人にんとほかの宗しゅう教きょうにはどんなはっきりとした違ちがいがありますか。

7 現げん代だいの多おおくの人ひとたちは,絶ぜつ大だいな人にん気きを誇ほこる教きょう会かい指し導どう者しゃに従したがっています。そうした人ひとたちに対たいする熱ねっ狂きょう的てきな支し持じは,もはや偶ぐう像ぞう崇すう拝はいの領りょう域いきに達たっしています。人ひと々びとは,そうした指し導どう者しゃの教きょう会かいに押おし寄よせたり,彼かれらの本ほんを買かったり,彼かれらの呼よび掛かけに応おうじて多た額がくの寄き付ふをしたりします。そうした指し導どう者しゃたちの言こと葉ば全すべてを疑うたがうことなく信しんじる人ひともいます。これらの人ひとたちは,もしイエスが目めの前まえに現あらわれたとしても,これほどまでに熱ねっ狂きょうすることはないでしょう。それとは対たい照しょう的てきに,エホバを正ただしく崇すう拝はいする人ひとたちの中なかに聖せい職しょく者しゃはいません。教おしえ導みちびく人ひとたちに敬けい意いを示しめしますが,「あなたたちは皆みな,兄きょう弟だい……です」という,イエスのはっきりとした教おしえに従したがいます。(マタ 23:8-10)私わたしたちは,宗しゅう教きょう指し導どう者しゃであれ政せい治じ支し配はい者しゃであれ,人ひとを崇すう拝はいすることはしません。そうした人ひとたちの主しゅ張ちょうを支し持じすることもありません。世よから離はなれ,中ちゅう立りつを保たもちます。このようにして,自じ分ぶんはクリスチャンだと主しゅ張ちょうする多おおくのグループとは異ことなっていることを,はっきり示しめしています。(ヨハ 18:36)

エホバのお名な前まえに敬けい意いを示しめす

1. ゲリト・レッシュ兄弟が,「新世界訳聖書」を発表している。2. 兄弟姉妹が,世界各地で伝道している。

真しんのクリスチャンは,エホバについて人ひと々びとに語かたることを光こう栄えいに思おもっている。(8-10節せつを参さん照しょう。)d

8. エホバは,ご自じ分ぶんの名な前まえを栄えい光こうあるものとし,多おおくの人ひとに知しらせたいと思おもっています。そう言いえるのはなぜですか。

8 ある時とき,イエスは,「父ちちよ,お名な前まえを栄えい光こうあるものとしてください」と祈いのりました。エホバは,天てんから雷かみなりのような大おおきな声こえでその祈いのりに答こたえ,自じ分ぶんの名な前まえを栄えい光こうあるものとする,と約やく束そくしました。(ヨハ 12:28)イエスは,地ち上じょうで宣せん教きょうを行おこなっていた期き間かんを通つうじて,お父とうさんエホバのお名な前まえをたたえました。(ヨハ 17:26)ですから,真しんのクリスチャンは神かみのお名な前まえを使つかい,それを広ひろめることを光こう栄えいに思おもうはずです。

9. 1世せい紀きのクリスチャンは,神かみのお名な前まえに敬けい意いを示しめしていることをどのように明あきらかにしましたか。

9 1世せい紀きにクリスチャン会かい衆しゅうが設せつ立りつされてからしばらくして,エホバは「異い国こくの人ひと々びとに注ちゅう意いを向むけて,その中なかからご自じ分ぶんの名なのための民たみを取とり出だし」ました。(使し徒と 15:14)それら1世せい紀きのクリスチャンは,神かみのお名な前まえを使つかい,それを広ひろめることを光こう栄えいに思おもっていました。宣せん教きょうを行おこなったり,聖せい書しょの一いち部ぶを書かいたりする時ときに,神かみのお名な前まえを使つかいました。b そのようにして,自じ分ぶんたちが神かみの名なのための民たみであることを明あきらかにしたのです。(使し徒と 2:14,21)

10. エホバの証しょう人にんがエホバの名なのための民たみであると言いえるどんな証しょう拠こがありますか。

10 エホバの証しょう人にんはエホバの名なのための民たみでしょうか。証しょう拠こを考かんがえてみましょう。現げん代だい,多おおくの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃは,あらゆる手てを尽つくして神かみに名な前まえがあるという事じ実じつを隠かくそうとしています。自じ分ぶんたちの翻ほん訳やく聖せい書しょから神かみの名な前まえを取とり除のぞいてきましたし,礼れい拝はいの際さいに神かみの名な前まえを使つかうことを禁きんじることもしています。c エホバの証しょう人にんだけがエホバのお名な前まえにふさわしい敬けい意いを示しめしている,ということは誰だれの目めにも明あきらかです。私わたしたちは,どの宗しゅう教きょうグループよりも神かみのお名な前まえを広ひろく知しらせています。エホバの証しょう人にんという名な前まえにふさわしく生いきるようベストを尽つくしているのです。(イザ 43:10-12)エホバの証しょう人にんは「新しん世せ界かい訳やく聖せい書しょ」を2億おく4000万まん部ぶ以い上じょう発はっ行こうしてきました。この聖せい書しょでは,他たの聖せい書しょ翻ほん訳やく者しゃたちが省はぶいてきた箇か所しょにもエホバのお名な前まえが載のせられています。また,エホバのお名な前まえを用もちいた出しゅっ版ぱん物ぶつを1000以い上じょうの言げん語ごで出しゅっ版ぱんしています。

真しん理りを愛あいする

11. 初しょ期きのクリスチャンは真しん理りを愛あいしていることをどのように表あらわしましたか。

11 イエスは,神かみと神かみの目もく的てきについての真しん理りを愛あいしていました。真しん理りに沿そった生いき方かたをし,真しん理りを人ひと々びとに知しらせました。(ヨハ 18:37)イエスの真しんの弟で子したちも,真しん理りを心こころから愛あいしていました。(ヨハ 4:23,24)使し徒とペテロは,クリスチャンの生いき方かたを「真しん理りの道みち」と呼よびました。(ペテ二に 2:2)初しょ期きのクリスチャンたちは真しん理りを深ふかく愛あいしていたので,真しん理りに沿そわない信しん条じょうや伝でん統とうや個こ人じんの意い見けんを退しりぞけました。(コロ 2:8)同おなじように現げん代だいの真しんのクリスチャンも,自じ分ぶんの生いき方かたや全すべての信しん条じょうをエホバの言こと葉ばにしっかり合あわせることによって,「真しん理りに従したがって歩あゆ」むよう努ど力りょくしています。(ヨハ三さん 3,4)

12. 統とう治ち体たいは理り解かいの調ちょう整せいが必ひつ要ようなことに気き付づいたなら何なにをしますか。なぜですか。

12 エホバの証しょう人にんは,自じ分ぶんたちが真しん理りを完かん璧ぺきに理り解かいしているとは言いっていません。教きょう理りに関かんする説せつ明めいや組そ織しきに関かんする指し示じが正ただしくなかったこともありました。でも,それは意い外がいなことではありません。聖せい書しょがはっきり述のべている通とおり,正せい確かくな知ち識しきは時じ間かんと共ともに増まし加くわわっていきます。(コロ 1:9,10)エホバは真しん理りを徐じょ々じょに明あきらかにするので,私わたしたちは真しん理りの光ひかりが明あかるさを増ましていくのを辛しん抱ぼう強づよく待まつ必ひつ要ようがあります。(格かく 4:18)統とう治ち体たいは,真しん理りのある面めんに関かんする理り解かいを調ちょう整せいする必ひつ要ようがあることに気き付づいたなら,ためらうことなく必ひつ要ような変へん更こうを加くわえます。キリスト教きょうの多おおくの教きょう派はが変へん更こうを加くわえるのは教きょう会かい員いんを喜よろこばせるため,また,世よの中なかの人ひと々びとに気きに入いられるためです。一いっ方ぽう,エホバの組そ織しきが変へん更こうを加くわえるのは,神かみに一いっ層そう近ちかづき,イエスが定さだめた型かたに従したがって神かみを崇すう拝はいするためです。(ヤコ 4:4)こうした調ちょう整せいを行おこなうのは,時じ代だいの流ながれや世よの中なかの意い見けんが変かわったからではなく,聖せい書しょの理り解かいが一いっ層そう深ふかまったからです。私わたしたちは真しん理りを愛あいしているのです。(テサ一いち 2:3,4)

熱ねつ烈れつに愛あいし合あう

13. 真しんのクリスチャンが示しめしている良よい面めんのうち,最もっとも際きわ立だっているのは何なんですか。現げん代だいのエホバの証しょう人にんは,それをどのように示しめしていますか。

13 1世せい紀きのクリスチャン会かい衆しゅうには,さまざまな良よい面めんがありましたが,その中なかでも最もっとも際きわ立だっていたのは愛あいです。イエスはこう述のべました。「あなたたちの間あいだに愛あいがあれば,全すべての人ひとは,あなたたちが私わたしの弟で子しであることを知しります」。(ヨハ 13:34,35)現げん代だいのエホバの証しょう人にんの間あいだには,世せ界かい的てきな規き模ぼの愛あいと一いっ致ちが見みられます。ほかのどんな組そ織しきとも異ことなり,私わたしたちは国くにや人じん種しゅや文ぶん化かを超こえた固かたい絆きずなで結むすばれています。そのことは,集しゅう会かいや大たい会かいに行いけばよく分わかります。そうした様よう子すを見みると,私わたしたちがエホバに喜よろこばれる方ほう法ほうで崇すう拝はいを行おこなっているという確かく信しんが強つよまります。

14. コロサイ 3章しょう12-14節せつによると,熱ねつ烈れつに愛あいし合あっていることをどのように示しめせますか。

14 聖せい書しょは,「熱ねつ烈れつに愛あいし合あってください」と強つよく勧すすめています。(ペテ一いち 4:8)そうする1つの方ほう法ほうは,許ゆるし合あい,互たがいの不ふ完かん全ぜんさを我が慢まんすることです。さまざまな機き会かいに,会かい衆しゅうの全すべての人ひとに惜おしみなく与あたえたりもてなしたりすることもできます。自じ分ぶんに嫌いやな思おもいをさせた人ひとに対たいしてもそうします。(コロサイ 3:12-14を読よむ。)こうした愛あいの絆きずなは,私わたしたちが真しんのクリスチャンであることのはっきりとした証しょう拠こです。

「信しん仰こうは1つ」

15. 私わたしたちはほかにもどんな面めんで1世せい紀きのクリスチャンの崇すう拝はいの型かたに従したがっていますか。

15 私わたしたちはほかの面めんでも1世せい紀きのクリスチャン会かい衆しゅうの崇すう拝はいの型かたに従したがっています。例たとえば,私わたしたちは1世せい紀きのクリスチャンと同おなじように組そ織しきされており,旅りょ行こうする監かん督とくや長ちょう老ろうや援えん助じょ奉ほう仕し者しゃが任にん命めいされています。(フィリ 1:1。テト 1:5)また,1世せい紀きのクリスチャンの型かたに基もとづいて,性せいや結けっ婚こんや血ちに関かんする神かみの見み方かたに敬けい意いを示しめし,悔くい改あらためない悪あっ行こう者しゃから会かい衆しゅうを守まもっています。(使し徒と 15:28,29。コリ一いち 5:11-13; 6:9,10。ヘブ 13:4)

16. エフェソス 4章しょう4-6節せつからどんなことを学まなべますか。

16 イエスの予よ告こくによれば,多おおくの人ひとが自じ分ぶんはイエスの弟で子しだと主しゅ張ちょうしますが,その全すべてが真しんの弟で子しというわけではありません。(マタ 7:21-23)また聖せい書しょは,終おわりの時じ代だいに生いきる多おおくの人ひとは「信しん心じん深ぶかく見みえても」実じっ際さいには神かみを敬うやまわない,と警けい告こくしています。(テモ二に 3:1,5)しかし,聖せい書しょにはっきり述のべられている通とおり,神かみに喜よろこばれる「信しん仰こう[が]1つ」あります。(エフェソス 4:4-6を読よむ。)

17. 現げん代だい,イエスに従したがい,唯ゆい一いつの正ただしい崇すう拝はいを行おこなっているのは誰だれですか。

17 現げん代だい,唯ゆい一いつの正ただしい崇すう拝はいを行おこなっているのは誰だれでしょうか。これまで証しょう拠こを調しらべてきました。イエスが教おしえ,1世せい紀きのクリスチャンが実じっ践せんした崇すう拝はいの型かたについて考かんがえました。こうした点てんから,正ただしい崇すう拝はいを行おこなっているのはエホバの証しょう人にんだということは明あきらかです。エホバの証しょう人にんの1人ひとりであり,エホバとエホバの目もく的てきについての真しん理りを知しっているというのは,何なんと光こう栄えいなことでしょう。私わたしたちが真しん理りに対たいする強つよい確かく信しんを持もち続つづけることができますように。

エホバの証しょう人にんは,以い下かの点てんをどのように示しめしていますか

  • エホバだけを崇すう拝はいし,エホバのお名な前まえに敬けい意いを示しめしている。

  • 真しん理りを愛あいしている。

  • 熱ねつ烈れつに愛あいし合あっている。

3番ばんの歌うた 私わたしたちの力ちから,希き望ぼう,確かく信しん

a この記き事じでは,イエスが定さだめた正ただしい崇すう拝はいの型かたを調しらべます。また,初しょ期きの弟で子したちがその型かたにどのように従したがったかも考かんがえます。そして,現げん代だいのエホバの証しょう人にんが正ただしい崇すう拝はいの型かたに従したがっていると言いえる証しょう拠こも取とり上あげます。

b 「ものみの塔とう」2010年ねん7月がつ1日ついたち号ごう6ページの「最さい初しょのクリスチャンたちは神かみの名な前まえを用もちいましたか」という囲かこみを参さん照しょう。

c 例たとえば,2008年ねんに教きょう皇こうベネディクト16世せいは,カトリックの礼れい拝はいや賛さん美び歌かや祈いのりの中なかで神かみの名なを「用もちいたり,発はつ音おんしたりしてはならない」と指し示じしました。

d 写しゃ真しんや挿さし絵え: エホバの組そ織しきは200以い上じょうの言げん語ごで「新しん世せ界かい訳やく聖せい書しょ」を発はっ行こうし,神かみの名な前まえが使つかわれた聖せい書しょを人ひと々びとが母ぼ語ごで読よめるようにしてきた。

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