7. 祈 いの ったり,聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう したり,じっくり考 かんが えたりすることが大 たい 切 せつ なのはなぜですか。
7 祈 いの ったり, 聖 せい 書 しょ を 勉 べん 強 きょう したり,じっくり 考 かんが えたりすることは 崇 すう 拝 はい の 一 いち 部 ぶ であることを 覚 おぼ えておく。 祈 いの ることによって,私 わたし たちを深 ふか く愛 あい している天 てん のお父 とう さんエホバに気 き 持 も ちを伝 つた えることができます。(詩 し 5:7 )また,聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう することによって,あらゆる知 ち 恵 え の源 みなもと である「神 かみ についての知 ち 識 しき 」を得 え ることができます。(格 かく 2:1-5 )そして,じっくり考 かんが えることによって,エホバの素 す 晴 ば らしい性 せい 質 しつ について,また神 かみ に仕 つか える私 わたし たちや全 ぜん 人 じん 類 るい に対 たい してエホバがどんなことを行 おこな おうとしているかについて,思 おも いを向 む けることができます。こうしたことを行 おこな うのは,最 もっと も良 よ い時 じ 間 かん の使 つか い方 かた です。では,限 かぎ られている時 じ 間 かん を有 ゆう 効 こう に使 つか うために,どんなことができるでしょうか。
聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう する時 とき には,静 しず かな場 ば 所 しょ で行 おこな うことができますか。(8-9節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
8. イエスが荒 こう 野 や で時 じ 間 かん を過 す ごしたことから,何 なに を学 まな べますか。
8 できるなら, 静 しず かな 場 ば 所 しょ を 選 えら ぶ。 イエスの手 て 本 ほん を考 かんが えてみましょう。地 ち 上 じょう での宣 せん 教 きょう を始 はじ める前 まえ ,イエスは荒 こう 野 や に行 い き,40日 にち 間 かん 過 す ごしました。(ルカ 4:1,2 )その静 しず かな場 ば 所 しょ でイエスは祈 いの り,お父 とう さんエホバが自 じ 分 ぶん にどんなことを望 のぞ んでいるかをじっくり考 かんが えました。そのおかげで,すぐ後 あと に直 ちょく 面 めん した試 し 練 れん に立 た ち向 む かうことができました。イエスの手 て 本 ほん からどんなことを学 まな べますか。家 か 族 ぞく が多 おお いと,家 いえ の中 なか に静 しず かな場 ば 所 しょ を見 み つけることは難 むずか しいことがあります。そういう場 ば 合 あい ,外 そと に行 い くなら,静 しず かな場 ば 所 しょ を見 み つけられるかもしれません。フランスのジュリー姉 し 妹 まい は,祈 いの ってエホバと時 じ 間 かん を過 す ごす時 とき ,そのようにしています。姉 し 妹 まい は,夫 おっと と一 いっ 緒 しょ に小 ちい さなアパートに住 す んでいて,誰 だれ にも邪 じゃ 魔 ま されない静 しず かな場 ば 所 しょ を見 み つけることがなかなかできません。姉 し 妹 まい はこう言 い います。「それで,私 わたし は毎 まい 日 にち 公 こう 園 えん に散 さん 歩 ぽ に行 い きます。そこでなら1人 ひとり になることができ,心 こころ からエホバに祈 いの ることができます」。
9. イエスは,忙 いそが しい毎 まい 日 にち の中 なか でもエホバとの友 ゆう 情 じょう を大 たい 切 せつ にしていることをどのように示 しめ しましたか。
9 イエスは,忙 いそが しい毎 まい 日 にち を送 おく っていました。地 ち 上 じょう で宣 せん 教 きょう を行 おこな っていた時 とき ,イエスがどこに行 い ってもたくさんの人 ひと が付 つ いてきて,イエスと一 いっ 緒 しょ にいたがりました。イエスに会 あ おうとして,「町 まち 中 じゅう の人 ひと が戸 と 口 ぐち の前 まえ に集 あつ まった」こともあります。それでもイエスは,エホバとの友 ゆう 情 じょう を保 たも つために時 じ 間 かん を取 と りました。日 ひ が昇 のぼ る前 まえ に「静 しず かな場 ば 所 しょ 」に行 い き,エホバと自 じ 分 ぶん だけの時 じ 間 かん を過 す ごしたのです。(マル 1:32-35 )
10-11. マタイ 26章 しょう 40,41節 せつ によると,イエスはゲッセマネの庭 てい 園 えん で,弟 で 子 し たちにどんな重 じゅう 要 よう なアドバイスを与 あた えましたか。その後 ご ,どうなりましたか。
10 地 ち 上 じょう での最 さい 後 ご の晩 ばん ,宣 せん 教 きょう が終 お わりに近 ちか づいていた時 とき ,イエスは再 ふたた び静 しず かな場 ば 所 しょ でじっくり考 かんが えてエホバに祈 いの りたいと思 おも いました。それで,ゲッセマネの庭 てい 園 えん に行 い きました。(マタ 26:36 )そしてそこで,弟 で 子 し たちに対 たい して祈 いの りに関 かん するとても重 じゅう 要 よう なアドバイスを与 あた えました。
11 どんなことが起 お きたでしょうか。イエスと弟 で 子 し たちがゲッセマネの庭 てい 園 えん に着 つ いたのは,夜 よる 遅 おそ くでした。おそらく,真 ま 夜 よ 中 なか を過 す ぎていたことでしょう。イエスは弟 で 子 し たちに,「ずっと見 み 張 は っていなさい」と言 い い,祈 いの るためにその場 ば を離 はな れました。(マタ 26:37-39 )しかし弟 で 子 し たちは,イエスが祈 いの っている間 あいだ に眠 ねむ り込 こ んでしまいました。それで,イエスはもう一 いち 度 ど ,「ずっと見 み 張 は っていて絶 た えず祈 いの り……なさい」と言 い いました。( マタイ 26:40,41 を 読 よ む。) イエスは,弟 で 子 し たちが大 おお きなストレスを感 かん じていたことやとても疲 つか れていたことを理 り 解 かい していたので,思 おも いやり深 ぶか く,「肉 にく 体 たい は弱 よわ い」と言 い いました。その後 ご ,イエスは2度 ど にわたって祈 いの りのためにその場 ば を離 はな れましたが,戻 もど ってくるたび に,弟 で 子 し たちが祈 いの るのではなく眠 ねむ っているのを目 め にしました。(マタ 26:42-45 )
疲 つか れ切 き っていない時 とき に祈 いの ることができますか。(12節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
12. 大 おお きなストレスを感 かん じていたり疲 つか れ切 き っていたりして,祈 いの ることができない,と感 かん じる場 ば 合 あい ,何 なに ができますか。
12 良 よ い 時 じ 間 かん 帯 たい を 選 えら ぶ。 大 おお きなストレスを感 かん じていたり疲 つか れ切 き っていたりして,祈 いの ることができない,と感 かん じることがありますか。そう感 かん じるのは,あなただけではありません。では,そういう時 とき ,何 なに ができるでしょうか。一 いち 日 にち の終 お わりにエホバに祈 いの っていた人 ひと たちの中 なか には,体 たい 力 りょく がまだ残 のこ っているもう少 すこ し早 はや い時 じ 間 かん に祈 いの るのがよい,と感 かん じている人 ひと がいます。また,祈 いの る時 とき の姿 し 勢 せい に注 ちゅう 意 い することが助 たす けになっている,と言 い う人 ひと もいます。それでも,心 しん 配 ぱい や落 らく 胆 たん のために,祈 いの ることができないと思 おも う場 ば 合 あい はどうでしょうか。エホバに自 じ 分 ぶん の気 き 持 も ちを打 う ち明 あ けるようにしましょう。憐 あわ れみ深 ぶか いお父 とう さんエホバは,あなたの気 き 持 も ちを必 かなら ず分 わ かってくださいます。(詩 し 139:4 )
集 しゅう 会 かい 中 ちゅう は,メールなどに返 へん 信 しん しないようにできますか。(13-14節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
13. エホバとの時 じ 間 かん を電 でん 子 し 機 き 器 き によって邪 じゃ 魔 ま されないために,どんなことができますか。
13 気 き を 散 ち らされないようにする。 エホバとの友 ゆう 情 じょう を強 つよ める方 ほう 法 ほう は,祈 いの りだけではありません。聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう することや集 しゅう 会 かい に出 しゅっ 席 せき することも助 たす けになります。こうした時 じ 間 かん を最 さい 大 だい 限 げん に活 かつ 用 よう するために,どんなことができるでしょうか。「勉 べん 強 きょう や集 しゅう 会 かい の時 とき に,どんなことが原 げん 因 いん で気 き を散 ち らされることがあるだろうか」と考 かんが えてみましょう。電 でん 話 わ がかかってきたり,メールが届 とど いたりすることかもしれません。今 いま では,非 ひ 常 じょう に多 おお くの人 ひと がスマートフォンなどの電 でん 子 し 機 き 器 き を活 かつ 用 よう しています。研 けん 究 きゅう 者 しゃ によると,集 しゅう 中 ちゅう したいと思 おも っている時 とき に,スマートフォンが近 ちか くにあるだけでも,気 き を散 ち らされてしまうようです。心 しん 理 り 学 がく の教 きょう 授 じゅ も,「目 め の前 まえ のやるべきことに集 しゅう 中 ちゅう できず,心 こころ ここにあらずの状 じょう 態 たい になってしまう」と述 の べています。大 たい 会 かい が始 はじ まる時 とき には,電 でん 子 し 機 き 器 き を持 も っているなら,ほかの 人 ひと の気 き を散 ち らさない設 せっ 定 てい にするよう勧 すす められます。自 じ 分 ぶん とエホバだけの時 じ 間 かん を過 す ごす時 とき にも同 おな じようにして,自 じ 分 ぶん の気 き を散 ち らされない工 く 夫 ふう ができるでしょうか。
14. フィリピ 4章 しょう 6,7節 せつ によると,私 わたし たちが集 しゅう 中 ちゅう できるよう,エホバはどのように助 たす けてくれますか。
14 集 しゅう 中 ちゅう できるよう,エホバに 助 たす けを 求 もと める。 聖 せい 書 しょ を勉 べん 強 きょう している時 とき や集 しゅう 会 かい に出 しゅっ 席 せき している時 とき に,ほかのことを考 かんが えてしまっている自 じ 分 ぶん に気 き 付 づ くなら,集 しゅう 中 ちゅう できるよう,エホバに助 たす けを求 もと めましょう。心 しん 配 ぱい や不 ふ 安 あん なことがある時 とき には,気 き を散 ち らされてしまいがちかもしれませんが,集 しゅう 中 ちゅう して学 まな ぶのはとても大 たい 切 せつ なことです。神 かみ からの平 へい 和 わ によって心 こころ だけでなく「考 かんが え」も守 まも ってくれるよう,エホバに祈 いの ることができます。( フィリピ 4:6,7 を 読 よ む。)